第21話

文字数 2,604文字

 ――社会学は胡散臭い。インチキ学問だ――

 どうやら社会学は嫌われているらしい、ということを、カンナギはインターネットを通して知った。それは、カンナギが社会学に親しみ始めて間も無くのことだった。
 どうしてこんなに面白い学問が嫌われるのだろう、と当時は不思議に思ったものだが、その理由と思しき事象を実際目にして、カンナギの心は大いにざわついた。

 要するに「社会学者」と呼ばれている人たちによる発言が、非難や批判の対象として話題に上がっていたのである。いわゆる「炎上」というやつだった。残念なことに、炎上の原因となった発言の内容はカンナギから見ても非常に危うく、なかには「学者」としての見識を疑いたくなるようなものさえあった。

 炎上している「社会学者」はあくまで一部だった。しかし、悪事千里を走るというように、悪い話ほど速く、広く伝わる。そして、悪いイメージほど定着しやすい。世間とは、往々にして実態よりもイメージが先行する。

 カンナギは歯痒かった。「社会学」に罪はないのに。面白い研究をしている「社会学者」はたくさんいるのに――

 生意気を承知すれど、不適切だったり傲慢さが垣間見える発言をしている一部の「社会学者」らに対して、カンナギが言いたいことは山ほどあった。

 社会を――他者を観察する眼が、分析・考察する能があるなら、自身の発言や振る舞いがどのようにまなざされ、受け止められているのか分かりそうなものだが、どうして――
 主張をするなとは言わないまでも、せめて発言する際には自身の立場を明確にして欲しい。個人的な立場で言っているのか、正式に「学者」として見解を述べているのか、はたまた別の「顔」から主張しているのか。よくよく見れば「自称」社会学者までいるではないか。社会学の理論もろくに知らないで、勝手に名乗るなよ。権威づけのためだかなんだか知らないが、いいように利用しないでいただきたい。
 そもそも、個人の主張や気持ちを学問の名を借りてあれこれ言うのは社会学の仕事ではないのに―― 

 思いの強さは言葉となって溢れる。

「――個人的に風当たりの強さを感じるところがあってだな。何事もそうだが、どんなに素晴らしい道具も使う人間次第だから、僕としては……」
 気がつけばカンナギは拳を握っていた。さあこれからというところで蓮に「戻ってきて!」と声をかけられ、口を噤つぐんだ。

 思うままに弁舌を振るっていい場面ではなかった。無表情を保ってはいたが、カンナギは心から反省し、頭を掻きつつ「すまなかった」と詫びた。

「だんだん早口になるわ目の色は変わるわでびっくりしたわよ」

 早口はともかく、目の色まで変わっていたのか――カンナギはますます反省し、やや俯き加減で「面目ない」とつぶやいた。

「そんな、大袈裟ねえ。あれはあれで面白かったけど」
 慌てたように愛が言った。

 思いの強さ――それは主義主張の強さにもつながる。主義主張が強いこと自体はいい。内に秘めておく分には無害だ。問題は、場をわきまえず自己主張をする、その視野狭窄かつ自分勝手な振る舞い方にある。そのような振る舞い方の先に、炎上を招いた(くだん)の「社会学者」らがいるのではないか。

 ここまで考えて、カンナギはどきりとした。

 本来、人格や思想、素行といった属人的な事柄が学問の評価につながるのはおかしい。分けて考えるべきだ。が、世の中を見渡せば、「人」への評価がそのまま学問の評価につながっており、現に社会学はバッシングされている。

 つまり、いくら「社会学は面白い学問なんですよ」とアピールしようと、アピールしているカンナギ自身に問題があれば、「ああ、あのやばい奴が傾倒しているくらいだから、きっと碌でもない学問に違いない」と判断されてしまうのだ。たとえ少数相手だろうが、社会学の面白さを伝えようとその内容についてあれこれ語ってしまった以上、広告塔としての役割を引き受けているに等しい。愛好者のラインはとうに踏み越えてしまった。もう後戻りはできない。

 ――まずい、非常にまずい。

 眉根を寄せ、口の中だけで呻き、乾いた唇を湿らせるようにカンナギは紅茶を啜った。

 自身に貼られているネガティブなレッテルですぐに思いつくのは「変わり者」である。変わり者と評されている自覚はあれど、正直なところカンナギ自身が自分でそう思ったことはない。しかし、これまで関わってきた人間のほとんどがそのように評するのだから、そうなのだろう。しからば、せめて人間性に難ありとの評価が今後追加されないよう襟を正すべきだ。カンナギとしては、1ミリたりとも社会学の足を引っ張りたくはない。

 顔を引き締め、姿勢を正したところで、申し訳なさそうな顔をした蓮と目が合った。

「カンナギが謝ることはないんだよ。むしろ、僕の方こそ、カンナギの力説を邪魔しちゃってごめん。なんていうか、思わず声をかけちゃったというか……」

 いや、そんなことは、とカンナギが口にするより早く、蓮が言葉を継いだ。

「社会学の魅力が世間に伝わっていないかもっていうカンナギの懸念はすごく伝わったよ。でも、少なくとも僕は社会学ってすごく面白いなって思ってる。それは紛れもなく、カンナギのおかげだから」

 蓮がにっこりと笑いながら言った。労わりが込められた、温かい声だった。

「何をそんなに難しく考えているのかは知らないけど、あんたの話はけっこう……面白い方なんじゃないの」

 照れ隠しなのか、テーブルに視線を固定したままの愛が言った。

「……そうか。蓮、久野さん、ありがとう」  

 今のカンナギがそうであるように、他者と深く関わることで、期せずして新たな役割を背負うことがある。その役割は時に窮屈だったり、葛藤やらを生み出すかもしれないが、マイナスばかりではない。自己を反省的に捉える契機を得ることもあれば、新しい自己との出会いだってありうる。

 そこまで考えを巡らせたところで、カンナギは紅茶をごくりと飲み、喉をしっかりと潤した。

 二人からの「面白い」という言葉を発奮材料に――

「よし。話を戻すとしようか。
 お医者さんに寄せられるであろうさまざまな期待を例に話をしてくれた久野さん。母と会社員という役割を背負うことで、育児と仕事という異なる期待の間で板挟みになっている女性の例をあげてくれた蓮。二人が挙げてくれた例は、『役割葛藤』と呼ばれるものなんだよ」
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