幕間 side R ( part 2 ) 

文字数 4,260文字

 苛烈な体験は看過できない教訓となって蓮を縛りつけた。

「友だち」という関係性に油断してはならない。「友だち」だからと隙を見せてはならない。いつ何時(なんどき)(てのひら)を返されるかはわからないのだから、警戒を怠ってはならない。総じて、人間とは信用ならない存在である。そういう腹のうちはおくびにも出さず、振る舞いを変えた。

 好ましくない状況のときほど笑顔でいればいいことを知った。笑顔にもいろいろある。自身の表情や振る舞いの可否は相手のリアクションを通じてチェックをし、最適解のストックを増やしていった。そうした時間を積み重ねていくうちに思考も変わっていき、結果、蓮は自分自身すら欺いていた。 

 ――クラスメイトの人たちに囲まれていても楽しそうじゃないよね。
 蓮は、在りし日のカンナギの言葉を思い浮かべた。

 そう、自分は楽しくなどなかったのだ。そんなことも気づけなかったくらいに、ずっと徹底して感情を偽り、心を殺し、自己を抑制し続けた。志之元を継ぐ者としての望ましさを基準に生きてきた。そういう生き方に無理が生じていることはどこかでわかっていた。でもやめられなかった。後戻りできなかった。自分では、もうどうすることもできなかった。

 蓮は愛の背中を見送るカンナギを目だけで見た。ただひとり、蓮が貫き通してきた「演技」の綻び――本当は生きたがっている蓮の心に気づいたクラスメイト。孤立を恐れない、凛とした心の持ち主。  

 蓮は、群れ――「みんな」――から離れるなんていうことは考えもしなかった。離れるという選択が容易ではない立場であったということもある。気がつけば蓮の周囲にはいつも必ず――その目的や理由がどうあれ――誰かがいた。放って置かれたことがなかった。

(……いや、それだけじゃないな)

 蓮は自嘲する。
 あのような目に遭ってなお、群れから離れることを拒む自分がいた。皆に囲まれていることがあたりまえになっていた。ひとりでいるということを受け入れられるだけの強さがなかった。

 カンナギに指摘されたあの日、蓮は綻びつつある自分を直視せざるを得なくなった。

 人気者などと言われているが、何より人が怖い。本当の自分は臆病で、利己的で、計算高く、そして人間不信である。本当の自分を出すのが、知られるのが怖い。

「どうした、蓮? 怖い顔して。あ、蓮もお手洗いか? 我慢は良くない。遠慮しなくていいんだぞ。僕はひとりでもちゃんと待っているからな」

 ひょうきんさを混じえてはいるが、気遣わしげな様子のカンナギが言った。おそらく、蓮が何かを訊きたがっていることを察知した上で、声をかけてくれたのだろう。 

 蓮はできるだけ軽く言った。

「ありがとう。でも、お手洗いじゃないんだ。カンナギ、少しだけ、訊いてもいいかな?」

 確認するまでもなく、相手が快諾してくれることは承知している。たとえ数秒のやりとりでも、心の準備をしたかった。

「もちろん。なんでも訊いてくれ。僕に答えられることならなんだって答えるぞ」

 想像した通りの返答に安堵したのも束の間である。眉を曇らせ、カンナギから目を離して蓮は訊ねた。

「……本当の自分って、なんだろうね。カンナギなら気づいていると思うんだけど、僕はこの通り、小賢しい演技には長けているタイプで……そういう演技ばっかりしていると――本当の僕はどこにあるんだろう、ってわからなくなる。本当の僕はみんなが褒めてくれるようなものじゃなくて、もっと………」

 うまく説明できないばかりか、言葉すら出てこなくなった。胸の内は饒舌に窮状を訴えているにもかかわらず、である。心を見殺しにしてきた報いなのだろうか。取り繕う余裕もなく、蓮は唾を呑み込んだ。

「――僕は」
 カンナギが口を開いた。いつもの、堂々とした調子の声である。

「蓮が小賢しい演技に長けていると思ったことはないが、まぁそれはさておき、だ。今までの流れを汲んで、ゴフマンの考え方にならって結論を先取りするならば、本当の自分なんてものはない、が答えになるな」

「――え?」
 思わず顔を上げていた。二人の視線がぶつかる。蓮には見えないものを見ている眼が、蓮をまっすぐ見つめている。頼もしさと緊張が込み上げてきて、蓮はごくっと喉を鳴らし、細く息を吐いた。

「おそらく蓮は、〝本当の自分はこんな演技をしている自分じゃないんだ〟ってことを言っていると思うんだけど」

 蓮は少し気まずそうに頷いた。蓮の肯定にカンナギも浅く頷き、柔らかな口調で問いかける。

「蓮にとっての〝本当の自分〟って、何だ?」
「それは……演技をしていない素の自分っていうのかな、生まれた時からある、本来の自分――みたいな」
 感覚的なことを言葉にするのは難しい。心もとない感覚を払拭しきれないまま蓮は言った。

「生まれた時からある本来の自分……つまり、人には初めから自分――『自己』が内側に備わっている、ってこと?」
 カンナギがそう言いながら胸のあたりを人差し指でとんとんとやりつつ、蓮に確認を求める。蓮は黙ったまま肯いた。

「実は――社会学では、『自己』じゃなくて『関係』が先にあるって考えるんだよ」
「関係が先……?」
 蓮が首をひねる。

「うん。人は最初から確固たる自分――自己があって生まれてくるわけじゃなくて、他者とのやりとりを通じて自分っていうものがつくられていくんだよ。他者との関係が先にあって、そこから自己が生み出されるってこと。他者――親とか、友だちとか、先生とか、さまざまな人たちとのやりとりを通して、自分がどう見られているのか、自分にどんなことが期待されているのか、そういう色々なことを知っていくわけだ。
 ただ知るだけじゃないぞ。他者とのやりとりから、次第に他者の視点を自分の中に取り込んでいくことで、自分自身を見つめることができるんだ。つまり、他者との関係が最初にあって、その関係……〝自分〟を見る他者のまなざしが自分の中に取り込まれたときに初めて自己が成立するんだよ。こういう自己の捉え方を、アメリカの社会学者、ミードって人が考えたんだ」

 なるほど――蓮はすっかり聞き入っていた。
 真剣な蓮のまなざしを正面から受け止めながら、カンナギは続ける。

「いっぽうのゴフマンに戻ろうか。彼は直接〝本当の自己〟について論じていたわけじゃないんだけど、『自己』についてこんな風に言っているんだ。
 自己のイメージは、場面の『産出効果』であって、場面の原因ではない。
 自己とは、場面において生じる『一つの演劇的効果』である。
 ってね。要するに、自己を複数の人たちが関わって成り立つ場面の産物として把握していたんだ。自己のイメージは個人の内側から浮き上がってくるようなものじゃなくて、他者との関係性から導かれる状況的なものってこと。ミードの考えに通ずるところがあるだろ?」

 腕を組み、実際に誰かとやりとりしている場面を思い返し、しばし考えたのち、蓮は肯いた。
「自分」はこんな人間である、と考えているだけでは、〝こんな人間である〟ことは証明されようもなく、誰かに向かって――ゴフマンのいう「演技」を通して――表現されない限り、伝わることはない。それらを踏まえるなら、他者とのやりとりにおいてその場その場で表現される――「演技する自分」の中に、自己のあり方が立ち現れてくるといっていいだろう。
 
「そうか……本当の自分っていうのは、実体として存在しているわけじゃなくて、あくまで自分が〝ある〟と想定している自己に過ぎないんだね」

 蓮の的確ともいえるリプライに、カンナギが頷きながら答える。

「そうなんだよ。人間の行為はすべて状況に応じた役割演技である、演技する自分しかいないんだっていうのがゴフマンの発想なんだよな。
 たとえば、親の前と友だちの前で見せる顔はたいてい違うはずなんだけど、このとき、友だちといる時の自分の方が演技をしていなくて、より本当の自分なんだと言っても、それは親の前でしている演技とは違う役割を背負って、別の演技をしているだけなんだよ。自分にとってより本当と思える自己、を友だちの前で表現しているに過ぎないんだな」

「じゃあ、演技をしなくていい時――完全にひとりでいる時は?」
 蓮の質問に待ってましたと言わんばかりの顔で、カンナギは答える。

「やっぱりそこが気になるよな。うん、僕もそうだった。
 ひとりになっている時も、それこそさっき話した自分の内側に取り込まれた他者のまなざしや期待があるわけだから、なんらかの仮面をつけた自分を想定せざるを得ないんだ」

 ――たしかに。声には出さず、蓮は得心した。
 この社会で生きる以上、誰かと関わらないわけにはいかない。人々とかかわり、数えきれないほどのまなざし――他者から見られるという経験を積み重ねていくうちに、自分の中に特定の価値観や判断基準が築き上げられていく。誰かのまなざしや期待からすべて逃れた自分、というのは不可能だろう。

 カンナギの話はとても明瞭で、わかりやすかった。
 実体的な〝本当の自分〟なんてどこにもいない。理屈は理解できた。
 でも、綻びからまだすきま風は吹いている。かといって、これ以上の答えを求めるのはわがままというものだ。蓮がありがとうという言葉と共に話を締めくくろうとしたまさにそのとき、

「――とまぁ、社会学的な見解はここまでにするとして」
 カンナギが先回りして言った。

「実体としての〝本当の自分〟は存在しないにしても、本当の自分はこうなんだ、って感覚が自分の中にあったり、〝本当の自分〟ってなんだ? って思いたくなる気持ちというのは僕も理解できる。たぶん、蓮がほんとうに聞きたかったことに対する答えとしては、まだ不足してるだろ? だから、ここから先は、僕個人の考えを言うとしよう」

 カンナギはどこまでお見通しなんだろう。蓮はぎこちなくはにかんだ。

「ぜひ、聞きたいな」   
 肝心な話を聞く前だというのに、もうすきま風は止んでいた。

――――――――――
主要参考文献(既出のものは省略しています)
 E.ゴフマン(著),佐藤毅・折橋徹彦(訳)『出会い 相互行為の社会学』1985,誠信書房. 
 芦川晋「自己に生まれてくる隙間――ゴフマン理論から読み解く自己の構成――」『触発するゴフマン やりとりの秩序の社会学』2015,p.46-71,新曜社.
 芦野恵理「E.ゴフマン相互行為論における自己概念の検討」『人間研究』第54号,p.53-62,2018,日本女子大学教育学科の会.
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