第3話  再会

文字数 4,591文字

「それじゃ先生、さようなら」
「はい、さよなら。気をつけて帰って、ちゃんと練習するのよ」
 あれから三年経って、私は小学五年生になった。今はこうして、お母さんの友達が開いている、自宅から歩いてすぐのピアノ教室に通っていて、今から帰るところだ。考えて見ればあの後すぐからだから、三年間続けている。先生の自宅で開いてる形式で、練習の合間に、手作りのマフィンとかお菓子を出してくれたりするのが、現金だけれどとても気に入っていた。
 それも一つの理由だったけれど、ピアノ弾く事自体に魅力があったのは勿論だ。背も両親に似たのか、グングン伸びていて、背の順では女の子の中では後ろから二番目くらい、男の子と比べても劣らないほどだった。初めて先生に会った時はあまり言われなかったが、最近背が伸びたことを頻りに褒めてくる。ピアノなどの楽器を弾く上では、一つの長所らしい。でも、そもそも私の意志で大きくなった訳じゃないから言われる度に、喜んでいいのか分からず、愛想笑いをとりあえずしとくのだった。
 生まれた頃からこの近所に住んでいた。四、五分歩くと土手が目の前に立ちはだかり、その土手に沿うように高速道路が走っている。えっほえっほと土手を上がると、すぐそこには緩やかに流れる川が流れていて、土手と川の間には草野球やサッカーが出来る、結構本格的に整備された施設があって、土日は親子連れや色んな人々で賑わっていた。
 最近レッスンが終わると、真っ直ぐ帰らずにわざわざ反対方向の土手まで、寄り道して帰るのが日課だった。学校が終わり、二時間くらい受講して、こうして土手に上がると、西の空は太陽がすでに沈んでいるのにまだオレンジ色に明るくて、東の空を見て見れば、そこはすっかり夜になっているのが、とても面白かった。ちょうど自分が立っている所を境に、昼と夜が別れていると言う風に設定して、この世界の今この瞬間、一番幻想的で綺麗な景色に気づいているのが、私だけだという根拠のまるでない優越感が半分、もう半分は東の空から迫る夜に、何処と無く得体の知れない魔物が棲んでいるような怪しい気配を感じ、薄ら寒い気味悪さを覚えていた。
さて…帰ろうかな。踵を返そうと来た道を振り返り見たら、ちょうどその時、土手の斜面に起き上がる人影が見えた。
 あんなところに人が居たんだ…さっき前通ったのに気づかなかったけど。
 西日もすっかり弱まり、辺りは薄暗く、ましてこの辺りには街灯がなかったし、もう五年生だったけど、いつも心の何処かに気味悪さを残しながら家路についていたから、余計に突拍子も無く予想もしてなかった出来事に遭遇して、金縛りにあったかのようにその場に立ち尽くしていた。
 一体誰だろう…?ヤバイ人だったら逃げ切れるかな…?と、頭の中はこの後起こるかもしれない、最悪の事態に思いを巡らしてると、その起きあがった人物が声を掛けてきた。
「ふぁーあ…え?…アレ?もしかして…琴音ちゃん?」
「…え?」
今起きたところなのだろう。如何にも寝起きな、力の抜けた声を出しながら伸びをし、その一連の流れでたまたま顔がこちらに向いた時、私と視線があった。先程より一層暗闇が濃くなり出していたが、この声、あの長髪、そしてお父さんにそっくりな中性的な顔。見間違える訳が無い。
「もしかして…おじさん?」
「あぁ!やっぱり!いやー、良かった」
義一は適当に上のシャツとジーンズをはたきながら、私のいる土手の上部の遊歩道まで上がって来ながら言った。三年ぶりだし、会うことなんて微塵も想定していなかったから、暗がりでもはっきり顔がわかる距離まで近づいても、私はボーっと呆けていた。そんな私の様子に遠慮なく
「いやー、久しぶりだったからね。体も大きくなってるし、他人の空似で赤の他人だったらどうしようかと内心ビクビクだったよ。今のご時世、僕みたいな如何にも怪しいおじさんに話しかけられたら、ニュースになっちゃうからね。」
と、堰を切ったように、一方的に話していたが、ようやく止まり、あの懐かしい、三年経っても変わってない優しい調子で喋り掛けた。
「久しぶり…琴音ちゃん」
「…久しぶり、おじさん」 
「しっかしまぁ…」
義一は私の全身を見渡しながら顎に手を当てる、あの考える時のポーズをとりながらしみじみと言った。
「本当に大きくなったね。見違えたよ」
「…さっきは一目で私に気付いたでしょうに」
私は咄嗟に生意気な調子で答えてしまった。
「え?…あぁ!ははは、全くその通りだね」
「ふふ」
あれから私達は二人で土手から川と反対側に降り、「送ってあげるよ、すっかりもう暗いからね」と言うので、私の家までの道を並んで歩いていた。
「へぇ、ピアノね。まさに琴音ちゃんにピッタリだ」
「え?なんで?」
「だって…」
進行方向向いていた顔をこちらに向けて、さも大発見をしたかのように得意げに
「名前が”琴音”でしょ?”琴”の”音”。如何にも音楽に関連してそうじゃない?」
「私が習ってるのは”琴”じゃ無くて”ピアノ”なんだけれど?」
と、私も意地悪い表情を作りニヤケながら答えた。義一は大袈裟に落ち込んでみせて、肩を落としたが、すぐ背筋を伸ばし頭の後ろに両手を回しながら
「細かいところ気にするねー。でもまぁ」
再び義一は私の方へ向き、そして微笑を湛えながら
「それでこそ、琴音ちゃんって感じもするなぁ」
「約三年ぶりで、お寺で少し話しただけなのに?わかるの?」
「わかるさ」
義一は今度は子供っぽい悪戯っ子の表情を浮かべた。
「琴音ちゃんがあのまま大きくなったら、こんな感じだろうなぁ…ってあくまで想像だけどね」
「…あっそ」
「あ、生意気だねー」
私は素っ気なく答えたが、内心は何故かは分からなかったけど嬉しかった。
「で、今度は私からの質問だけれど」
「なにかな?」
「何であんな時間、土手に寝っ転がってたの?」
「そうだなぁ…あ!」
 気づくと赤信号につかまり、二人仲良く並んで立ち止まった。住宅街ではあるが、今までの道とは違って二車線の通り、明かりも強くなってお互いの姿も良く見えた。もうここから自宅はすぐそこ、ここからでも見える。ふと義一は私の肩に手を乗せて静かに言った。
「ここからなら大丈夫だね。僕はここで失礼するよ」
「え?でもせっかく…」
と先を言い掛けて慌てて口を噤んだ。三年前の時を思い出したのだ。その私の様子を見て、すぐ察したのか、義一は優しい調子で
「やっぱり琴音ちゃんだね…本当に優しい子だ。さっきも言ったけど、思った通り変わらず育ってくれていて、とても嬉しいよ。…それじゃ」
義一は私の肩から手を話すと、元来た道へ歩み始めた。
「あ、あの!?」
「ん?」
私は慌てて向き直り、信号が青に変わったのに気にせず義一へ駆け寄った。
「また…会えるよね?」
「え!?…うーん」
私の必死の懇願に、先程まで冷静を装っていた義一も若干動揺したようだが、すぐに苦笑いを浮かべ頭を掻いていた。何とか体の良い言い訳を探すかのように少しの間唸っていたが、また優しい調子で言った。
「…そうだね。もし運が良ければ、あの土手で会えるかもしれないかな」
「本当に?行けば良いのね?」
「”運”が良ければだよ」
義一はまたゆっくりと歩き始めた。私はその後ろ姿を見て、今また呼びかけても立ち止まってくれないんだろうな、そしてそれは本当なんだろうと察し、街灯の少ない暗闇に溶けてゆく義一の背中、すっかり見えなくなるまで、信号が変わるのも気にせず見つめ続けた。

玄関の鍵を開けると、その音に気付いたお母さんが、夕食の支度中なのか、エプロン姿で手をタオルで拭きながらやって来た。
「ただいまー」
「お帰りなさい。どうしたの?少し遅かったわね?」
「えーっと…」
当然理由を聞かれると思っていたから、玄関に着くまでアレコレ言い訳考えていたけど、その時は妙案は浮かばなかった。が、改めて聞かれて咄嗟に思いついた。
「しばらく会ってなかった”友達”に会ってね、ちょっと話し過ぎちゃった」
「しょうがないわねー。その顔じゃ、よっぽど楽しかったんでしょ?」
「え?」
お母さんは口調は呆れ気味だったけれど、でも笑顔で思いもしないことを言ったので、私は顔をあちこちイタズラに撫でた。
「でもせっかく携帯持ってるんだから、お喋りが終わってからでも連絡入れなさい」
「うん、次から気をつけるよ」
「じゃあ、さっさと手を洗って来なさい。夕食にしましょう」
「はーい」
半分呆れ顔のお母さんを尻目に、脱衣所にある洗面台に行って手を洗った。ふと目の前の鏡に映る自分の顔を見ると、そこには口角が気持ち上がっているニヤケ顔があった。もっとも他人にはわからないとは思うけど、お母さんにはバレたようだ。
「まさかまた会えるなんて、考えたこともないもんね」
私は両手の人差し指を口角に当て、下に引っ張りながらボソッと呟くと、夕食の用意されているリビングに足取り軽く向かった。

「それじゃあ、いただきまーす」
「はい、召し上がれ」
私とお母さんは向かい合い、お皿に盛り付けられた定番のカレーライスを食べ始めた。何の気もなく時計を見ると、夜の八時半になるところだった。
「ねぇ、お父さんは今日も遅いの?」
と私が聞くと、お母さんも時計の方を見て
「そうねぇ…琴音ももう大きくなったから、少しは分かるだろうけど、お父さん、病院で副院長、二番目に偉い人なのは知ってるわよね?」
「うん」
「お父さんよりも偉い人が、院長といって、いるんだけどね。その人が体調崩されて、もう仕事が出来ないらしいのよ」
「うん、確かお爺ちゃんの一番近くで働いていた、信用できる人だってお父さんも言ってた」
「そう。よく分かっているわね。その人の後をお父さんがやる流れなんだけど」
「てことは、お父さんが一番偉くなるんだね?」
「そうなんだけれど、色々片付けなくちゃいけないことが多くて、大変らしいのよ。お父さんはそれでも頑張ってるんだから、私達も寂しくても我慢してましょうね?」
「うん、分かってるよ」
 
食事を済ませ洗い物も手伝い、お風呂にも入って歯を磨き、お母さんに挨拶をして自室のベッドに入る頃には十時半になっていた。普段より三十分ばかり遅かった。私は仰向けになり、天井を見つめながら今頃まだ病院にいるであろうお父さんのことを想った。でもちょっともしないうちに、義一との再会で頭は占められてしまった。お父さんには済まないけど。
と同時に、先程も一瞬よぎった、三年前の苦い思い出、今考えても、誰にも落ち度があったとは思えないのに、一人残らず何かに苦しんだ三年前。今日の別れ際、義一の見せた、優しい表情の中に滲ませていた、私のことを拒むかの様な表情。そしてあの言葉。義一がもし本当に会いたくないのなら、無理に行くことは無いのかもしれない。でも…どうしても直接本人の口から理由を聞きたい。もし拒んだら、躊躇わずその理由を聞こう。きっと怒ったり、呆れたりすることなく、真剣に、真摯に、真面目に答えてくれる。
 私はここで目を開け天井を見つめ、心に決めたことを確かめる様に呟いた。
「…よし、また会いに行こう。…土手に」
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