第15話 新友

文字数 18,108文字

入学式後はバタバタと、忙しくしていた。その次の日にまた一年生は講堂に集められて、クラブのオリエンテーションが行われた。絵里が話していたヤツだった。約四十の団体が趣向を凝らした紹介をしていた。その中には絵里の所属していた、演劇部もあった。話を聞いていた通り、短い時間しか与えられなかった都合上、パントマイムを交えた喜劇を上演していた。絵里の時のクオリティーがどの程度だったか、口ぶりでは中々のものだったらしいが、今目の前で繰り広げられている劇も、生意気な言い方だが、普通に面白かった。時折講堂のあちこちで笑いが起きていた。
その後また教室に戻ると、担任から改めて説明を受けた。学園の中での一日の過ごし方や勉強のやり方などだ。説明された中で変わっていたのは、清掃の手順というものだった。全員お揃いの白いエプロンが配られた。そして早速机と椅子を教室の端に寄せて、早速皆んなでお掃除をした。それでこの日は終わった。
それから三日後、多目的教室に集まり、次の週に行われる新一年生の宿泊研修会に向けてのオリエンテーションをした。大まかな説明を聞いた後、教室に戻り五人の班決めをした。私と裕美はすぐに決まったが、他の人とは当然初対面なので、うまく班を作れるか少し心配だったが、そこはある意味裕美に助けられた。裕美の中では大体決めていたらしく、気づけばクラスの中で一番先に班が決まった。
それから私達は机を動かし、お互いの顔が見えるように寄せ合って、研修会の打ち合わせを行なった。各々先ほどの説明会で貰ったしおりを、机の上に広げたがその前に、軽くそれぞれが自己紹介をすることにした。
率先して手を挙げた一人目。小柄な…と言っても、私と比べてという意味だが、中々可愛らしい子だった。少し丸顔で、笑うとえくぼが出来る所など愛嬌があり、人好きのする雰囲気だった。お目目がクリクリなところとかは、小動物を思わせた。前髪は若干短めのパッツンだったが、後ろ髪は肩のラインより長く、胸よりは上程で、私と同じくらいの長さだった。私はそのままにしていたが、彼女は襟足あたりで一つに結んでいた。手を下げると話し始めた。幼さが残る、高めの可愛い声だった。
「はーい!私の名前は並木藤花って言います!藤花って呼んでね。この子と小学校から友達で、いわゆる”エスカレーター組”です!よろしくね」
藤花は向かいに座る女の子を見ながら、そう言い切った。そう、この学園は幼稚園から高校までの一貫校なのだった。
何となく私含めて、藤花が軽く触れたその子に視線が集まった。彼女は藤花と真逆のタイプだった。まず大柄だった。後で聞いた話では、身長が168㎝もあるらしい。同年代の女子で、私よりも大きい人を見たのは久しぶりだった。しかし全体的に細いというか、第一印象を言えば”薄い”体格をしていたので、いうほど威圧感は受けなかった。マッシュウルフというらしいが、これは裕美に負けず劣らずのショートヘアーだった。所々跳ねてる点も似ている。表情は暗めで、小さなお鼻と薄めの唇、一重の切れ長で薄目がちな目つき、全体的にアンニュイな雰囲気を醸し出していた。裕美の一つ後ろの席だった。裕美は入学早々彼女に話し掛けたらしい。何でも私に、雰囲気がそっくりだからという理由らしかった。彼女は一斉に視線が注がれているのを、気にしない様子で、淡々と話し始めた。
「…次は私?…うん、わかった。私は富田律って言います。…藤花があぁ言ったから、私も言うか…私のことは普通に律と呼んで欲しい。…富田って名字で呼ばれ慣れてないから。…まぁ、よろしく」
律は時々独り言なのか判断しずらい話し方をしながらも、ゆっくりと静かに言い切った。声は低めだったが、品があるように感じた。最後に私達をぐるっと見渡すと、手元の資料に目を落とした。どうやら裕美には、私がこう映っているらしい。皆さん、どう思います?
次は裕美が自己紹介し、その時に藤花と似たような話の流れで私を出したので、次に率先して私も軽く自己紹介をした。後に残るは一人だ。彼女は私が誘った…というか、向こうからも誘って来た。彼女はメガネをかけていた。奥二重の端は軽く釣り上がり、第一印象は性格キツ目と取られかねない感じだった。でもそんな見た目と裏腹に、率先して周りの初対面の子達に話しかけていた。私も話しかけられた一人だ。彼女の席は私の一つ前だった。で何故か彼女は特に私に入学式以来、何かと後ろをわざわざ振り向き、話しかけてくるのだった。このグイグイくる感じ、もし私と律が似ていると言うのなら、裕美と彼女もそっくりだった。顔立ちはそれ以外はどこにでもいる女子学生といった感じだ。中肉中背で、身長も藤花よりは高かったが、私や律よりはもちろん、裕美よりも気持ち低かった。
髪型は前髪作らない、天然パーマのカールボブで、毛先がピョンピョン外に跳ねていた。彼女は一度咳払いをすると、何やらしおりの余白に何かを書いて、それを私達に見せながら、ハキハキとした口調で話し始めた。
「私の名前は宮脇紫って言います。”むらさき”じゃなくて”ゆかり”です。えぇっと…」
彼女は私を含めて皆の顔を眺めてから続けた。
「どうやら皆んな呼び方まで話したみたいだから、私からも言えば、小学校では”ゆかり”と呼ばれたり、漢字をそのまま素直に読んで”むらさき”と呼ばれたりしました。どちらでも構わないので、好きに呼んで下さい。…以上!」
最後に紫はそう言い切ると、キツ目の目元を若干緩めるように笑った。途端に藤花が身を乗り出し、紫が書いたしおりの余白を覗き込みながら、感心した風で言った。
「ふーん、これで”ゆかり”って読むんだぁー。不思議ー」
「ふふ、変わってるでしょ?」
しばらくはみんなで紫の名前で盛り上がった。でも担任の有村先生が、こちらに近づいて来たので、私達は慌ててしおりに目を落とし、話し込んでるフリをした。近くを通り過ぎると、私達五人は顔を近付けあって、クスクス笑いあったのだった。

「じゃあ私達はこっちだから…」
「じゃあまったねぇー!」
律は控えめに無表情で、胸の前で小さく手を振り、藤花は大きく手を左右に振っていた。私達は放課後五人一緒に正門から出た。二人は私達と違って、地下鉄組だったので、学校から少し近い地下連絡口の前で別れた。残ったのは私と裕美と、紫の三人だった。
「じゃあ行こうか」
私達は駅構内に入り、ホームへと降りて、千葉に向かう黄色ラインの入った電車に乗った。
「紫は何処に住んでるの?」
「ん?私はね…」
今は夕方の四時。チラホラ学生服姿の男女が目立つ車両に私達はいた。中々混み合っていて、ドア付近に固まって立っている他なかった。紫はドアの上の路線図に腕を伸ばし、そこに記載されている中の、一つの駅名の所を直接触りながら答えた。
「ここよ」
そこは秋葉原よりも三つ先にいった所だった。
「へぇー。でも乗り換えなくていいね」
私は紫の指差した先を見上げながら言った。裕美も私の後に続く。
「ほんとほんと!私達は秋葉原で一度乗り換えなきゃだし、めっちゃ混むのよぉ」
ため息交じりにウンザリだと顔中に浮かべながら言った。
紫はニヤニヤしながら見ていたが、裕美と同じようにため息交じりに返した。
「でもこの電車も大変だよ?五時とか過ぎたら、あとはずーーっと混みっぱなしなんだから!」
紫は強調するように伸ばしながら言った。そして私達二人を、まとめて見ながら続けた。
「それにさぁ…そっち二人は仲良く一緒に地元まで帰るんだろうけど、私はあなた達と別れたら一人よ?その時間は十分くらいだけど、寂しいは寂しいもんよ」
不満げだが、口元はニヤケていた。
「いくらそっちが、この先家に帰るまで掛かってもね?」
「そういうもんかねぇ」
裕美はまた路線図を見上げながら答えた。
それからは軽く今日話し合った研修会のことを話すと秋葉原に着いたので、大量に降りる他の乗客と共に降りた。人の流れに抗い何とか振り返ると、紫もこちらに気付き手を振ってきたので、邪魔になるとは思ったが、私と裕美は手を振り返した。そして地元の最寄りまで直通している列車の来る、地下鉄ホームへと下りて行った。

「何かあっという間だったね?」
裕美は真っ暗な窓の外を見ながら呟いた。
「何が?」
私は裕美が何を言いたいか当然わかっていたが、敢えてワザと惚けて見せて返した。
私達は通路の奥ほどに立ち、吊革に掴まって二人して真っ暗闇の窓に映る自分たちの姿を、漠然と見つめながら会話をしていた。ロングシートは埋まっていて、座れなかった。まぁ座れないのには、塾に行ってた関係で慣れてはいた。というか、早い段階で諦めをつけることが出来ていた。嫌な慣れだ。
裕美は窓の外、地下鉄のトンネルの壁を見つめながら言った。一々横を見なくても、窓に映る裕美の表情を見ればすぐに分かる。毎度の苦笑いだ。
「そりゃ当然入学式からよ」
「…そうねぇ」
私はしみじみ答えた。まだ授業らしい授業をしていないのに、慣れるのが大変なのと、決まり切った型通りの、一連のオリエンテーションをこなすような苦行を耐えるのに、普段使わない神経を使っているせいか、肉体的にというより精神的に疲れていた。これからは満員電車のように、学園生活にも諦めながら慣れるしかない。子供の頃からある種、諦めるのは得意だ。
「今日一緒の班になった子達…中々みんなキャラが立ってて面白かったね?」
「そうねぇ。退屈することはなさそう」
私が淡々と返すと、裕美も正面向きながら、窓に映る私を見て笑顔で答えた。
「えぇ、これからあの子達ともっと仲良くなったら、楽しい学園生活を送れそう」
裕美が満足そうに最後頷いたので、私は何も言わず、ただ笑顔でうんうん頷き返しただけだった。
それから一週間はやっと授業らしいものが始まった。とは言っても、まだ本格的ではなく、これから先どういうペースで授業が進むのか、そんな類の話で終始した。その合間合間で研修会の打ち合わせは何度も重ねられ、正直学校にこのために来てるんじゃないかと錯覚しそうになる程だった。でもまぁまだ新一年生だし、初めは大体こんなものなのだろう。そんな焦って色々詰め込まなくても良いという、世間からは校則厳しいお嬢様校で、進学校だという噂とは裏腹に、結構ゆとりのある校風のようだった。多分。そして午前中を使った最後のミーティングを済ませて、いよいよ明日から一年生全員と、二泊三日のお泊まり研修会だ。

「見て琴音!海よ、海!」
「…ふふ、見れば分かるわよ」
裕美は大きな窓におでこを押し付けるようにして、外を見ていた。今私達は大型観光バスの車中の人となっていた。
朝早く学校の正門前に集められ、一クラス一台、既にスタンバイしていた四台の観光バスに乗り込んだ。バスは二列二列の座席配置だったので、どうしても一人が別れる事になってしまうのだが、そこは率先して紫が私と裕美の一つ前の席に、別の余った子と座ってくれた。しつこいようだが、見た目はキツ目なのに、気遣いの出来る心の広い子だった。少し軽く言ってしまったが、進行方向左から藤花と律、通路を挟んで私と裕美という風に座った。トランプで遊んだりしてたが、春の陽気に車内も程よくポカポカ暖まっていた事もあって、一人スヤスヤしだすと、連鎖的に次々と寝落ちしていった。班の中では何故か私だけ眠くならなかったので、持って来ていた本を読んでいた。三半規管が強いのか、ただの慣れなのか、走る車内で読書をしても酔うことは無かった。バスは首都高湾岸線を通り、羽田空港の脇を抜け、川崎辺りから長い長い海底トンネルに入った。車内が暗くなったので読書を諦め、カバンにしまうと裕美越しに窓の外を見ていた。等間隔に設置されたオレンジの灯りが、後ろに流れていくのを何も考えずに見つめながら、ゴーッというような、壁に跳ね返り倍増された車の走る騒音を聞き流していた。
十五分くらいずっと同じ景色が続いたが、ふと急に外が明るくなったので、目の前がホワイトアウトした。裕美含む他の班員も、突如の明るさに目を覚ました。ここで冒頭へと戻る。
目が慣れるか慣れないかというところで、バスはサービスエリアに止まった。先生がここで三十分くらい止まる旨を伝えると、皆ゾロゾロと軽い手荷物と貴重品だけ持って、バスの外に出た。ここは洋上に建設された浮島で、東京と千葉のほぼ真ん中あたりに位置していた。遠くに川崎と木更津が見えていた。
「琴音ー!みんなー!早く早く!」
裕美は我慢出来ないといった調子で、海の見渡せる展望台へと駆け出して行った。
「もーう、しょうがないわねぇ」
私は苦笑交じりに独り言を言った。
「ずいぶん元気一杯ね?」
右隣を見ると紫が裕美の後ろ姿を見つめながら言った。顔は笑顔だ。
「えぇ、あの子海が好きなのよ。まぁ海に限らず、川とか水系が好きなんだけどね」
「へぇー。理由とかあるの?」
私と紫は並んでゆっくりと、裕美の後を追った。勿論歩きだ。
「あの子ね、実は…」
私は裕美が都大会を二連続で優勝する程の水泳選手で、本人曰くだから好きだと言ってる旨を言った。勿論、全ての水泳競技者がそうかは知らないと注釈を入れて。
紫が私の話を聞くと、驚きの表情を浮かべて何か話しかけたが、突然左隣にヌっと並んで、話しかけて来た者がいた。律だ。
「…ねぇ、裕美ってスポーツ好きなの?」
顔を見ると表情は変わらなかったが、目の奥にはいつにも増して強い光が宿っているように見えた。
「え、えぇ、まぁ」
「そう…」
私が戸惑いつつ答えると、律は急に裕美に向かって駆け出して行った。私と紫がポカーンとしていると、いつの間にいたのか、藤花が左隣に来ていた。そして悪戯っぽく笑いながら言った。
「ごめんねー、驚いたでしょ?急にテンションを上げてきたから」
「え、えぇ…まぁ」
私と紫があやふやに答えづらそうに返した。そんな様子を気にする事もなく、藤花はそのまま顔を変えずに続けた。
「律はねぇ、普段は無表情の石仮面なんだけど、スポーツの事となると目の色が変わるというか、人が変わってしまうの。律は実は地元でバレーボールをしていてね、あの身長を活かしているのよ。それが影響しているのかなんなのか分からないけど、だから今裕美ちゃんの話を聞いた律は、もっと話を聞こうとあの通りになっているのよ」
「へぇ…バレーボールねぇ。体育会系なんだ」
律は裕美に追いつき、何やら色々と捲し立てるように話しかけていた。裕美は私のところからでも分かるほど、戸惑っているように見えたが、すぐに律のテンションに合わせて会話をして、意気投合しているように見えた。 同じ体育会系同士、通づるものがあるのだろう。
私は微笑ましい気持ちでその様子を見ていると、急に背中をグイグイ押された。振り向くと藤花が、力任せに私と紫の背中を押していた。私と視線が合うと、藤花はニヤァっと笑うと、そのままに押しながら言った。
「ほらほら、二人共!いつまでもボーッとしてないで、あの二人に追いつくよ!」
「えぇー…ちょっと」
「じゃあ二人共お先にー」
私が躊躇していると、今まで隣でおとなしくしていた紫が、急に私達に視線を流しながら駆け出して行った。私が呆然としていると、藤花もパンッと私の背中を叩くと笑顔で紫の後を追った。それでもなお一瞬逡巡していたが、一度フッと笑うと、二人の後を駆け足で追いかけるのだった。
私達三人は裕美と律に合流すると、そのまま展望台に向かい、そこで海と遠くに見える千葉県をバッグに五人揃って写真を撮った。たまたま側にいた有村先生に、頼んで撮ってもらったのだ。五人それぞれのスマホで撮ってもらったので、時間は少し掛かったが、それも含めていい思い出が出来た。
集合の号令が掛かり、バスに戻った。それからはノンストップで、研修会先の宿泊施設へと向かった。車内ではもう誰も眠る事なく、喋りっ通しだった。同じくらいの時間だったはずなのに、学校からあのサービスエリアまでと比べて、あっという間に過ぎ去った感覚があった。それでも宿泊施設までの道はずっと海沿い、春の陽光をキラキラ反射している浦賀水道を臨める道を走っていたので、その間は皆してワイワイ言いながら眺めていた。
施設に着いたその日は、そのまますぐ夕食を摂り、後はみんな疲れていたのか、布団を敷いて横になるなりそのまま眠った。
ここからは、軽く何したかだけ触れようと思う。翌朝起きると、部屋着のまま一階にある食堂に行き、バイキング形式の朝食を摂った。それからは学校指定のジャージに着替えてから、この近辺の観光名所を訪れた。鋸山に登って、切り立った崖に突き出した展望台から、暗く深い青色をした東京湾を見下ろした。
それから次に向かったのは富津公園だった。ここでは潮干狩りをした。ジャージの裾を膝上まで捲り、配給された長靴を履いて、ずっと先まで干上がった泥の中をみんな散りじりに広がりながら、アサリを掘り出した。考えてみれば、これが初の潮干狩りだった。映像では見たことがあったが、何が面白いのか、正直理解が出来なかったけど、いざやってみると、中々に面白いものだった。まぁ尤も、こうしてみんなとワイワイやるからっていうのもあるだろうけど。その後一時間ばかり自由時間があったので、私達五人は同じ公園内の海水浴場に向かった。一応みんなタオルを持参していたので、靴と靴下を脱ぎ、足だけ入ってみることにした。言うまでもないようだが、裕美は先程から私達五人の中で圧倒的にテンションが上がっていた。
小学六年生の時、私と裕美、お母さん達と一泊の旅行をしたと言ったが、その時も行った温泉地が海沿いだったので、今の裕美と変わらないくらいテンションが高かった。正直あの時に初めて裕美の豹変した姿を見たので、私は唖然とする他なかったが、改めて私は、自分が好きな物について、周りに引かれる事も厭わず、素直に好きだという気持ちを表現している様を見るのが、好きだというのに気付かされた。それは今も変わらない。
後は王道のマザー牧場に行った。乳牛の乳搾り、新鮮な牛乳で作られたアイスクリームを食べたりして過ごした。…もう分かるだろうが、研修会とは名ばかりで、要はただクラスメイトとひたすら遊んでいるだけだった。まぁ修学旅行だって、修学しようと行く人など、いたとしたらかなり奇特な人で、ワイワイ仲のいい友達と過ごすのが本分なのだから、楽しんだもん勝ちだ。
三時のおやつなのか、鋸山近辺の農園に行き、ビニールハウス内でイチゴ狩りをした。皆して一心不乱に、ちぎって食べ、ちぎって食べをしてるのを冷静に見ると、中々シュールな絵面だったが、同じことをしている、そう思う私も側から見ればそう映っていただろう。後は宿泊施設に戻り、夕食を摂って、お風呂に入り、部屋着に着替えて、それぞれ班の部屋へと戻って行った。
自分達で布団を敷いた。三対二という感じに並べて、枕の位置は顔が向かい合うように設置した。片方は藤花と律、もう片方は紫、私、裕美の順で並べた。昨日は疲れてそのまま寝てしまったが、この日は少しお喋りをしていた。
まず藤花が口火を切った。
「そういえば私と律以外は外部生だよね?何か色々と違うでしょ?どんな事があった?そのー…男の子とか」
前にも触れたが、藤花と律は学園付属小学校から上がってきた組で、しかもその小学校も女子しかいなかった。男子との接点が全くないに等しかったから、余計に色々と気になるらしかった。紫がまず答えた。
「うーん…別に男子がいるからって何もないけどなぁ。むしろ私のとこでは、男子と女子とで抗争していたよ。やっぱり何かと合わないところはあるからねぇ」
「ふーん、そんなもんかぁ」
藤花は若干期待ハズレといった調子で返した。その隣で相変わらず律は、無表情で聞いていたが、興味があるのを示すかのように、気持ち枕よりも前に乗り出していた。と、次に藤花は私と裕美を見ながら聞いてきた。
「琴音ちゃんと裕美ちゃんは同じ学校なんだよね?二人のところはどうだった?」
「うーん…そうねぇ…」
漠然とした質問にどう答えようか迷った。正直紫のところ程では無いと思うけど、私達の学校でもそこまで仲良く男女が、遊んだり連んだりしていた記憶は無かった。
私がなんて答えようかと考えていると、裕美がチラッと私を見てから、ニヤケ気味に答えた。
「まぁ私達のところも、紫のところと変わりなかったけど、けど唯一違うとしたら…」
裕美は不意に私の肩に手を置くと、そのまま続けた。
「この子!琴音の周りにはよく男女問わず人が集まっていたんだけど、この子の周りではみんな仲良くしていたのよ。この姫を中心に回っていた感じだったなぁ」
「ひ、姫!?」
「ちょ、ちょっとぉ」
何を急に言い出すのかと、私が慌てて訂正しようとしたが、遅かった。
「へ、へぇー…姫ねぇ。なんか分かるかも」
「うんうん、簡単に想像できるわ」
「…うん、納得」
藤花、紫、律の順に、裕美に対して共感を示していた。私一人で頑張って抵抗するしかなかった。
「…もーう、みんなして私をからかってぇ」
私は膨れながら抗議したが、他の四人はニヤニヤするだけだった。律まで表情を和らげていた。
藤花は私に手を振りながら明るく話しかけてきた。
「あははは!ごめんごめん!半分はからかっちゃった。でも私達のいるこの学園、世間からはお嬢様校だなんて言われてるみたいだけど、そんなことは無いって内部の人間の素直な感想として思っていたのに、まさか”姫”が入学されるなんて、やっぱりこの学園って、お嬢様校かどうかはともかく、格式高いのは間違いないみたいねぇ」
律は口元を気持ちニヤケながら頷いている。
「もう勘弁してよぉ」
「あははは!」
私の抗議も虚しく、私以外の四人は明るい声を上げて笑いあっていた。
「はぁー…さて、じゃあここから本題だけど…」
一頻り笑った後で、藤花は枕に顎を乗せると、声を潜めて低い声を出し聞いてきた。
「…三人は誰か好きな男子いた?」
「…うーん」
私が唸りながら藤花の隣をチラッと見ると、律も同じような体勢を取り、無言で向かいの私達をチラチラ見ていた。
さっきから思っていたが、パッと見堅物な、いわゆる恋バナには興味なさそうなのに、こうして気持ち興味を示しているのを見ると、そのギャップがなんだか可愛く見えてきた。
まず紫が答えた。いかにも苦々しげだ。
「私はダメ。小学校の時の私の男子からのあだ名は”むらさき”か”オトコ女”だったから。正直私は女の子と遊ぶよりも、男の子達と走り回って遊ぶのが好きだったんだけど、ある年代ぐらいになると、急にみんなヨソヨソしくなって遊んでくれなくなっちゃったの。でね、一緒に遊んでいた時には言わなかったのに、遊ばなくなると私の事をオトコ女って言うようになったのよねぇー…。そんな意地悪なことを言われ出してからは、女の子達とよく遊ぶようになったの。いざ遊んで見ると、それはそれで面白かったしね。…以上です」
紫は最後に笑顔を見せると、そのままの姿勢のまま頭を深く下げた。みんな黙って興味津々に聞いていたが、話が終わると私はボソッと言った。
「…なるほど。そこに紫の仁義なき男との抗争が始まるわけね」
「え?」
紫はキョトンとした表情で私の方を見てきた。周りを見ると藤花と律も同じだった。裕美だけ肩を震わせながら、笑いを堪えていた。私もどうしようかと戸惑っていたが、フイに同時に三人がクスクス笑い出した。紫が初めに私に話しかけてきた。
「いやぁ、面白いね琴音!その言葉づかいと言葉選び、女子中学生にあるまじきセンスだよ!」
「うーん…変かなぁ?」
「いやいや、センスが良いってこと!」
紫は隣にいた私の肩に手を置いて、満面の笑顔で言った。向かいを見ると、藤花も律までもが、こちらに頷きながら微笑んでいた。
「まぁそうかも知れないねぇー。…で?」
一頻り笑った後、私と裕美を見ながら紫が聞いてきた。
「琴音と裕美はどうなの?」
藤花と律も、目を輝かせながらこちらを見ている。
「うーん…何かあったかなぁ?」
「何かあったでしょ?」
「…うん」
「お教え下さい、お姫様」
藤花と律が言った後、紫が余計な事を言ったので、私は無言で肩を小突いた。紫はヘラヘラと笑っている。紫も律とは別の意味で、見た目と違って中々ひょうきんな性格だった。今は寝る前だというんでメガネを外していたが、そのメガネのフレームが、教育ママがしてそうな所謂”ザマス眼鏡”だったのも、性格キツそうに見える遠因に違いなかった。
私はこれ以上相手してもしょうがないと、質問についてあれこれ考えたが、いくら考えても、そもそも初恋すらまだ無い私に、何か思いつける筈がなかった。
「…うん、無いなぁ」
「えぇー、つまんなーい」
藤花は口を前に突き出しながら言った。そう言われても、無いもんはしょうがない。
「ねぇ裕美、お姫様は実際学校でどうだったの?」
紫は裕美に話を振った。裕美は顎に人差し指を当てて、如何にも何かを思い出そうとしながら答えた。
「うーん…私が聞いた話では、男子みんなで噂をしていたんだけど、何か遠い存在って感じで、気持ちを殺して遠くから眺めていようって人が多かったなぁ」
「へぇー」
「なるほどねぇー。そんな事実際あるんだ」
「ふーん」
紫、藤花、律の順に、裕美の話を疑いもなく真に受けていた。何故皆んなが、まだ付き合いの浅い裕美の話を信じるのか理解が出来なかったが、無駄だと知りつつ反論しない訳にはいかなかった。
「いやいや、何でみんなそんな簡単に信じちゃうのよ?」
「だってぇ…」
藤花はその先を言わずに、後はニヤニヤ笑うだけだった。紫も律も同じ様な表情だった。私は仕方なく、裕美をチラッと見ながら抗議の続きをした。
「そもそも裕美、あなたとは一度も同じクラスになった事無いじゃない」
「へ?そうなの?」
紫が声を上げると、三人が今度は一斉に裕美の方を見た。私も少しは狼狽えてるかと裕美を見たが、本人はいたって整然としていた。裕美は動揺もせず淡々と答えた。
「うん、琴音と一緒のクラスにはなった事がないよ。なのに別のクラスの男子がこの子の噂を頻りにしていたの!それだけ言えば分かるでしょ?」
何が『分かるでしょ?』よ。何を察して欲しいのやら…
私は裕美を呆れた顔で見ていたが、私以外の反応は違っていた。
「うんうん、琴音ちゃんってモテモテだったんだね」
藤花が私からすれば見当違いの反応を示していた。私はコントの様にずっこけるところだった。そんな私の様子を他所に話が勝手に盛り上がっていく。
「そうなのよぉー。本人は最後まで自覚が無かったけどね」
「えぇー、何でそんな勿体なーい。女子なら一度は憧れるじゃない」
紫も乗っかってきた。先程まで”男女抗争”の話をしていたのを忘れているみたいだ。
「…共学かぁ」
律がボソッと独り言ちた。私以外は気付いてなかったみたいだが、その台詞の中にどんな意味が込められていたか図りかねたので、触れないことにした。
これ以上話が広がるのを恐れた私は、裕美に無理やり軌道修正する事にした。
「私の事はもういいじゃない!ほ、ほら、次は裕美の番よ」
「仕方ないなぁ…今日はこんなところで勘弁してあげよう!」
藤花がそう言うと、紫と律も笑顔で頷き同意していた。そして漸く私から視線が外れて、今度は裕美に注目が集まった。先に私が話す事にした。先手必勝だ。
「私のことを色々言ってたけど、裕美あなただってそうだったじゃない?寧ろ私よりもいつも周りに人がいたわよ」
「ふーん、そうなんだ」
「…水泳の大会で優勝したりしたんでしょ?それで?」
律が珍しく自ら声を上げて、裕美に話を振った。裕美は私に少し視線を流してから
「うーん、どうだろう?まぁ優勝させて貰ったことには貰ったけど」
と、律に向かっていつもの照れる時の癖をしながら答えた。私含めて四人共、何も声を出さず、ただ興味を顔面に示して、話の続きを促していた。無言の圧力を感じながら、裕美はたどたどしく言った。
「…うーん、面白くない答えで悪いけど、好きな人はいなかったわ」
「え、えぇー」
「そんなのつまんなーい!最後の希望だったのにぃ」
紫と藤花は二人揃ってジト目になりながら返していた。律は無言で頷いている。裕美は苦笑いを浮かべながら平謝りをしていた。
私は当然『ん?』っと思った。初めて二人で絵里の家に遊びに行った時に、好きな人がいる事を聞いていたからだ。
現に今三人に対応している裕美自身、たまにチラチラ私のことを見てきていた。でも私は同時に卒業式の日、桜の咲いていた公園でのことを思い出していた。二人で交わしたある種の約束、私達二人がもう少し大人になってから、話すと裕美が約束してくれた。話し振りからしてこの話は、裕美にとってかなりナイーブな問題である事は、私にも察する事ができていた。だからこの時私は何も言わなかった。他の三人に合わせる事にした。
「まぁ所詮、小学校の時の共学なんてそんなものよ。向こうからしたら女子なんて何考えてるのか分からん生き物だろうし、私達から見れば男子なんて、お猿さんと何ら変わりが無いんだから」
私は話を打ち切るように、少し論点をまとめるように言った。それが伝わったのか、藤花も律も、それ以上には詮索してこなかった。後同時にこの時、担任の有村先生が部屋に入ってきた。私達が昼間に着ていた、学校指定のジャージを着ていた。部屋着代わりらしい。
「ほらあなた達!今何時だと思ってるの?もう消灯時間を過ぎていますよ?」
先生は大股で立ち、腰に手を当てながら、大きな声で言った。スマホの時計を見ると、十時を十分過ぎるところだった。今更だが実は班長だった紫が、私達を代表して謝った。
「すみませーん。もう寝まーす」
でも間延び気味だ。先生はやれやれと首を左右に振ると、苦笑交じりに早く寝るよう念を押すと、部屋を出て行った。
それから私達は大人しく部屋の電気を消し、寝る事にした。ウトウトしてきて、そろそろ眠りに落ちそうだというところで、不意にスマホが震えた。眠気まなこで見てみると、それは隣で布団を被っている裕美からだった。そこには一文だけあった。
『私に好きな人がいることを、黙っていてくれて有難う』
私は一人、文面見ながら微笑むと、電源を切り、そのまま眠りに落ちた。

これで二泊三日の研修会の話は終わりだ。次の日はそのまま東京に戻っただけだからだ。
それからは取り立てて話す事もない。この時を境に普段行動する時は、この五人で過ごす事が多くなった。”いつも”と言わなかったのは、それぞれ部活に入ったり、校外活動に勤しんでいたからだ。
例えば律は、意外というかなんというか、バレーボール部に入った。なぜ意外に思ったかと言うと、てっきり律はもともと所属している、地元のバレーボールクラブ一辺倒なものと思っていたからだ。本人が言うには、『クラブも部活も両立して見せる。出来るかどうかを試してみる』とのことらしい。中々男らしいと言えば失礼かもしれないが、ストイックな所が同年代から見てもカッコ良かった。ゴリゴリの体育会系だ。
この繋がりでいうと、裕美の話は外せない。裕美も律と同様、部活に出来るなら入りたかったらしいが、残念な事にこの学園には水泳部というものが無かった。元々プール自体が無かった。尤も裕美は、そんな事百も承知で受験したので、入った後になってがっかりするようなヘマはしなかった。裕美はそのまま、小学校から所属している地元のクラブに、今も足繁く通っている。近々、ゴールデンウィーク明けの日曜日に、女子十一歳から十二歳の部の平泳ぎに出るべく、日々練習を重ねている。それでも私と一緒に帰るのは変わらない。ただ地元の駅に着いて、そこで別れるだけだ。
ついでと言っちゃあ何だが、残り二人も紹介しておこう。
まず紫。紫は地元の小学校で、朝礼などで演奏する、吹奏楽部に入っていたらしい。パートはトランペットだった。朝礼のある日は、一般生徒よりも一時間以上早く学校に登校しなくてはいけないのが玉に瑕だったらしいが、余程気に入っていたらしく、そんなきつく辛い事も良い思い出になっているらしかった。中学に入っても続けたい、いや寧ろもっと本格的にやりたいと思いだし、丁度部活では無いが、”管弦楽同好会”というのがあったので、そこに今は所属している。大会などには出ないので、思ったよりも本気度は無かったらしいが、小学校の延長というので、それなりに満足し満喫しているらしい。
次は藤花。これまた意外と言っては何だが、藤花は学園近所にある、大きなカトリック教会の聖歌隊に所属していた。前にも本人が触れたが、学園付属の小学校に律と通っていた訳だが、この学園自体カトリックの学校だ。元々両親共にクリスチャンだった関係もあってか、藤花もしっかり洗礼を受けている程の、生粋の”本物”だった。因みに律はクリスチャンじゃないらしい。それはともかく、小学校低学年から聖歌隊に入り、これまで欠かさず毎週日曜日のミサには、同じくらいの子供達と賛美歌を歌ってきたらしい。それは今も続いている。失礼を承知で言えば、厳かなミサのイメージと、いつも明るく天真爛漫な藤花とは結びつかなかった。でもこれはすぐに解消された。
律に誘われて日曜日、他の四人揃ってミサの行われる主聖堂に行くことになった。入ってまず目に付いたのは天井だった。それは蓮の花に象られていて、ガラス張りなのか、外からの柔らかな陽光が差し込んできていた。壁には著名な日本画家の原画を元に、計十二枚のステンドグラスが、円形の主聖堂の壁に、等間隔ではめ込まれていた。初めて教会というところに来たが、何も教えとか知らなくても、自然と厳かな気持ちにさせられた。都内でも有名なせいか、驚くほどの人で埋め尽くされていた。こんなに東京にキリスト教徒がいるとは知らなかった。教会のしおりを見ると、固定席で七百と書かれていた。
何故律が誘って来たのかというと、藤花自身は教えてくれなかったが、丁度この日、研修会から帰ってすぐの日曜日、初めてこの大人数の前で独唱するとの事だった。普段は他の聖歌隊と一緒に賛美歌を歌うものだが、これは大抜擢といえた。話を聞いた時、私は真っ先に行くことを立候補した。ここまで話を聞いてくれた人には繰り返しになるが、私は誰かが本気で一生懸命に何かをする姿が大好きなので、そんな話を聞いたら、居ても立っても居られなかった。裕美の時と同じだ。勿論私のすぐ後に、残りの二人も名乗りを上げた。そして本番当日だ。
司祭がまず出て来て、聖堂中心に設置された祭壇の前で説教を始めた。私は気付かなかったが、隣にいた律に教えてもらった。祭壇の脇、真っ白な衣装に身を包んだ一団が列を成して座っていた。どうやらあの人達が聖歌隊のようだった。その最前列、司祭に近い所にチョコンと小さく座っている女の子の姿を見つけた。それが律の話では、藤花との事だった。確かに周りの大人達と比べると、遠くから見ても小さく見える。あそこに座って出番を待っているようだった。確かに言われて気づいたが、目を凝らしてよーく見ると、藤花は見たことのない真面目な表情で、司祭のことを見つめながら真剣に説教を聞いていた。成る程、天真爛漫の裏にはこういう顔が隠されていたんだなぁっと、まだ本番を見る前から感心していた。そして本番だ。
司祭は説教を終えると、その後ろに置かれている椅子に座った。これがある意味合図だった。いつの間に置かれたのか、祭壇から数メートル脇にマイクスタンドが置かれていた。おもむろに藤花は立ち上がり、ゆっくりとマイクの前に進み出た。しばらく私達入れた少なくとも七百人余りが黙って藤花の一挙一動を見守っていた。すると何処からかストリング主体の音楽が流れてきた。金管も聞こえている。すぐに何の曲だか分かった。世間一般ではカッチニー作曲と言われている”アヴェ・マリア”だった。細かい話をさせて貰えれば、真の作曲家はウラディーミル・ヴァヴィロフという旧ソ連の作曲家だ。それは置いといて、私はびっくりしていた。こんなガチな賛美歌を歌うだなんて思っても見なかった。プロのソリストが独唱するような難曲だ。これを藤花が歌うのか?私は親族ではないが、友達としてドキドキしながら歌うのを待った。でもすぐいらない心配だと気づいた。第一声にやられてしまった。どこまでも透き通るような、どこまでも伸びやかな歌声だった。そのままガラス張りの天井から、歌声がどこまでも飛んで行ってしまうんじゃないかと錯覚させられる程だ。技術的にいえば、抑揚も完璧だった。息づかいも分からぬ程で、ずっと息継ぎせず、歌い切っているのではないかと思わされた。理屈はもういらない。ただ単純に聞き惚れ、単純に感動していた。マイクの前で微動だにせず、真剣な表情で集中して歌う藤花の姿、白い衣装が天井からの自然光を反射し、輝いて崇高さを増していた。観客はジッと一部始終、藤花の歌声に耳を傾けていた。隣を見ると、裕美も紫も、門外漢だというのに、すっかり私と同じく聞き惚れていた。ただ一人、律だけがうんうん頷きながら、口元を緩ませ目元を柔らかく、気持ち誇らしげに藤花を見つめていた。
藤花が歌い終わり、演奏も終わると一瞬静けさが辺りを支配した。が、藤花が一歩後ろに下がり、深々と頭を下げると、初めはポツポツだったのが、相乗的に大きくなっていき、最終的には観客の多数が立ち上がる、スタンディングオベーションが起きた。藤花は遠くから見ても恐縮しっぱなしな様子で、今度はペコペコ頭を下げながら、元の聖歌隊席に戻ろうとしたが、一人の年配の聖歌隊員が、優しく微笑みながら、また向こうに行くようにジェスチャーをした。藤花はチラッと司祭の顔を伺ったが、司祭も穏やかな笑みを浮かべて、手で前に出るよう示した。藤花は促されるままにまた一度マイクスタンドの近くに行き、深々とまた頭を下げると、今度は駆け足で席に戻って行った。
私達全員も立ち上がって拍手を送った。みんな律以外は涙目だった。…いや、律もそうだったかも知れない。
それからは一連の流れが終わり、ミサが終わった。信者達はそのまま帰宅の途についたが、私達は流れに逆らう様に、聖歌隊の席に近寄って行った。
藤花は同じ白服を着た聖歌隊員達に囲まれて、笑い合いながら握手したり抱き合ったりしていた。その中で普通の服装の一般人がいた。どうやら藤花の両親のようだ。お母さんの方は言い方難しいが、どこにでもいる専業主婦と言った見た目だった。入学式で着るようなフォーマルな装いでいた。ただお父さんの方は違った。赤のチェックシャツに、履き潰したジーパン。お母さんと並ぶと言いようの無いチグハグ加減だった。それより印象的だったのは、鼻の下にチョビヒゲを生やしていたことだった。色んな意味で只者じゃ無い感を醸し出していた。藤花は『パパ』『ママ』と呼んでいた。
少し離れて立ち止まり、暫く喜び合っている様子を伺っていたが、ふと隣で律が大きな声を出した。
「藤花!」
藤花はふとこちらに顔を向けた。見る見るうちに、驚きと戸惑いと恥ずかしさを、同時に顔中に浮かべた。それもそのはずだ。何せ誰も藤花に、聴きに行くとは言ってなかったからだ。少しの間お互いに顔を見合わせていたが、途端に藤花の顔が歪んでいった。涙を堪える顔だ。しかし目元には既に涙が溢れでていた。
「…律ぅーーー!」
藤花は名前を叫びながら、律の胸下に飛び込んだ。かなりの勢いだったが、律は何でもなさげに、冷静に真正面から受け止めた。藤花は仕切りに律の名前を呼んでいたが、律もまた見たことのない、柔和な微笑を顔に湛えながら、藤花の頭を優しく撫でて
「…良くやったね、藤花」
と囁きかけていた。その様子を見て私達を含む、聖歌隊員達までもが目元を潤ませていた。私も視界がボヤけながらも、ふと思った。
あぁ…これとは違うだろうけど、裕美の言ってたことが分かった気がする。この二人と、私と裕美の関係性が似ているんだ、と。勿論裕美が言ったのは、私と律が雰囲気似ているというだけだったが。
それからは私と裕美、紫が藤花に駆け寄り、思いつく限りの礼賛の言葉を浴びせた。まだ藤花は何故私達がここに居るのか理解が出来ずに、混乱しているようだったが、素直に私達の言葉に感謝を返していた。それから藤花の両親にも挨拶した。
話を聞いたら藤花のお父さんは、いわゆる建築士らしい。 自分の事務所を持っていて、中には国から依頼されることもあるのだと言う。流石に口にはしなかったが、見た目によらないとはこの事だと、失礼なことを考えていた。
それからは他の聖歌隊の人達とも話した。藤花も聖歌隊の一員として、今日の分の独唱はこれで終わりらしいが、午後の礼拝にも参加しなくちゃいけないらしく、両親共に残るみたいだった。私は後でゆっくりと、何故どうやってその歌唱力を身に付けたのか、しっかり教えてもらうことを何度も、藤花が引くほどにしつこく約束し、律含む私達も帰る事にした。
とまぁ、こんな所だ。思いがけず藤花の話が膨らみ過ぎてしまったが、こればかりはしょうがない。同じ音楽の道を志している、同年代の子に出逢えた喜びは、これでも書ききれないほどだった。当然この後約束通り何度も教えてもらった。練習に使っているスタジオにまで押し掛けたこともあった。藤花も初めは戸惑っていたが、私がピアノを弾くことを知ると、途端に藤花も私に興味を示し始め、スタジオにあったグランドピアノを弾いて見せたり、歌を聞かせて貰ったりした。藤花は私のピアノを褒めてくれた。私はこんな性格だから、素直に言葉を受け入れられなかったけど、次第に社交辞令じゃない事が分かると、素直に有難うと返したのだった。藤花は知る余地が無いが、私に密かな自信を付けてくれた事にも感謝した。
余りに四人について話し過ぎたから、私の事はサラッと述べたい。対して代わり映えもしないから、それで良いのだ。正直私は何も変わらない。もう塾に行かなくて良いことぐらいだ。元々何とか両立していたつもりだったが、受験が終わった事により前と同じくらい、いや、前よりも一層力を入れてピアノのレッスンに力を入れていた。その事は既に何処かで話していると思う。卒業式が終わり入学式までの間、本当なら暇なはずだったが、先生の厚意で朝十時から夕方六時までのピアノのレッスンを週四、義一の家と絵里に会いに図書館へ、たまに裕美とヒロと遊んだりしていたら、一日たりとも一日中家にいる日が無かった。でも今までの鬱憤を晴らすように動き回っていたので、疲れよりも清々しさの方が強かった。学園生活の始まった今、春休みのような生活は当然不可能になったが、それでも何とかうまく切り盛りして、遜色ないように過ごしていた。
…これはまだ先生にも話していないが、私が納得いく力を身に付けたと自覚出来たら、試しにどこかのコンクールに出てみたいと思っている。…この話はまた後の話だ。
…元々何の話だったか、私の話が長過ぎて覚えておられないだろうが、一応言うと、私合わせた五人はそれぞれ自分のやりたい事が明確にあるので、各々その道を邁進しているのだが、いつも放課後はこの内の誰かと過ごした。五人全員で過ごすのも、別に珍しい事じゃない。直接聞いた訳ではないが、皆それぞれに、この五人の関係を守りたいと考えているようだった。都合がつくようなら、率先して集まるようにしていた感があった。外部からある意味隔離された、女子校と言う名の箱庭。外から見れば息苦しそうにも感じるだろうけど、中にいる当人達は別段不自由を感じていなかった。むしろ学園という大きな力に守られてる事によって、他のことを気にせず、やりたい事をやれるだけやれた。中には息苦しく、退屈で、不自由を感じていた人もいたろうけど、そういう人は好きな事を見つけられないばかりに、箱庭の壁ばかりが目に付いて、その壁が実際どの程度己を制限しているのかは考えない。その程度の認識だ。毎度の如く話は逸れたが、こんな調子で一学期は瞬く間に通り過ぎて行った。そして中学になって初めての夏休みが始まる。
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