【Session32】2016年03月11日(Fri)

文字数 9,580文字

 学は昨晩から今朝に掛けて、昨日の出来事や描いた絵の夢を見た。その夢の中で、少しうなされていたような気がする。ちょうど今日で、そう東日本大震災(3.11)が起きてから五年目になるのだ。
 今思い出しても、あの当時の学の記憶が鮮明に思い起こされ、今でも脳裏から離れることは無い。気持ちを切り替え、学は着替えて食堂へと向かった。食堂には既にみずきとみさきがテーブルを向かいにして座り、朝食を食べていたのだ。そして学は二人に挨拶をした。

倉田学:「おはようございます美山さん、みさきさん」
みさき:「おはようございます倉田さん」

美山みずき:「おはようございます倉田さん。今日はゆきを迎えに行ってから石巻に行きますね」
倉田学:「わかりました。いつ出発しますか?」

美山みずき:「そうねぇ。朝食を済ませて準備が出来次第かしら」
倉田学:「そうですか。僕もご飯食べたら玄関に行ってますね」

 こうして学は茶碗にご飯をよそい、そしておかずと一緒に駆け込んだのだ。みずきとみさきはと言うと、先に食事を済ませて部屋に戻って行った。学も後を追うように部屋に戻り、出発の準備をして旅館の玄関に降りて来たのだ。
 玄関前には『清水旅館』の女将さちえの娘が廊下の通路を走り回っていた。学はその女の子に名前と年齢を訊いてみた。

倉田学:「ねぇー、君の名前何て言うの?」
女の子:「わたち、まゆ」

倉田学:「まゆって名前なんだぁ。じゃあ歳はいくつ?」
まゆ:「四ちゃい」

 そこへ女将のさちえが現れこう言ったのだ。

清水さちえ:「まゆ、あなた今日から五歳よ。そう、あなたはあの震災の中で生まれた奇跡の子なんだから」
まゆ:「わーい、五ちゃーい。五ちゃーい」
倉田学:「今日が誕生日なんですね。おめでとうございます」

 学はスケッチブックを取り出し、『清水旅館』のロビーをペンで描き上げた。そしてまゆに、その描いた絵をプレゼントしたのだ。その時、ちょうどみずきとみさきが玄関に降りて来た。

 学とみずき、そしてみさきの三人は『清水旅館』の女将さちえと娘のまゆに別れを告げ、ゆきの待つ南三陸町の仮設住宅へと向かったのだ。みずきがさちえのことについて少し話してくれた。

美山みずき:「五年前の今日、彼女の旅館は津波で殆ど流されてしまったの。そして彼女の両親は旅館と漁師をしていて、あの震災による津波でわたしと同じく両親を亡くしたの。その日、彼女は女の子を産んだわ。それがさっきの女の子まゆなのよ」

 それを聴いていた二人は何も言えず、ただ無言で頷くだけだった。今日も車のラジオからは中島みゆきの『荒野より』が流れていた。この唄を聴いた学は、これから先何があろうと「眼を背けて生きては決していけない」とこころに誓ったのであった。

 またみさきは、五年経っても未だに故郷に帰れないもどかしさと、自分が家族や弟の為に何ができるだろうと思いを馳せていたのだ。そんな三人を乗せた車は、ゆきの待つ仮設住宅へと着いた。

 今日は朝から天気に恵まれ、あの五年前の出来事が空を見上げると嘘だったように思える。しかし目の前の仮設住宅や荒地を観るとこれが現実で、このプレハブ作りのとても簡素な作りに五年もの年月と夏の日照りと冬の寒さをしのぐには、とても傷ましい状態に見えたのだった。そしてみずきは仮設住宅のドアをノックした。

美山みずき:「おはよう御座いますみずきです。ゆきちゃんいますか?」
ゆきの母親:「みずきつぁん、おはよー。ちょっどまでが、ゆぎー! みずきつぁん、来たっちゃ」
ゆき :「はーい」

 みずきは玄関先で、ゆきが来るのを待っていた。そしてゆきが現れると、彼女は両親に別れを告げたのだ。

ゆきの父親:「まぁだ、じばらぐ会えねぇーべ。しゃっこえから、ぎーづけて!」
ゆき :「おやんつぁん、がが。まだ夏、来るちゃよ」

 そう言ってゆきは両親と別れ、車に荷物を入れ乗り込んだ。四人の乗る車をゆきの父親と母親は、その姿が見えなくなるまで最後まで笑顔を観せて手を振っていた。ゆきの話によると早朝に姉のみきのお墓に、ゆきは両親の車に乗ってお線香をあげに行って来たそうだ。
 しかしゆきは、姉が亡くなった『南三陸町の防災対策庁舎』が未だに残り、そこに近づくことが出来ないでいる。『南三陸町の防災対策庁舎』は、宮城県としてはモニュメントとして残したいと言うが、南三陸町としては犠牲となって亡くなったひとが何十人もいることから壊したいと言う思いがあり、未だにどうするか決まっていないのだそうだ。その時、学はこころの中でこう思った。

倉田学:「一番優先すべきは住民の気持ちで、その『防災対策庁舎』で亡くなったひと達のご家族の気持ちを優先するべきなのに、行政はどこを向いて仕事をしているのか、そして誰のために仕事をしているのか」

 そんなことを考えながらみずきの故郷の宮城県 石巻市にやって来た。新しく出来た復興道路『三陸沿岸道路』を通り、市内を走り一路向かった先は『がんばろう!石巻』の看板が置いてある太平洋に面した海から程近い美浜町である。

 みずきは車のハンドルを雪道に負けないようしっかりと握り、その『がんばろう!石巻』の看板が置いてある方へと車を進めて行ったのだ。そしてみずきはこう言った。

美山みずき:「この看板はね、あの震災からちょうど一カ月後に作られたのよ。この看板の大きさ縦2メートル、横11メートルぐらいで。そして津波に負けたくない、元気を出せないでいる地域の皆んなを励ましたいと言う思いから作られたの。わたしもここに来るたびに、何度がんばろうとこころに誓ったことか」

 学やゆき、そしてみさきの誰ひとり、みずきの言葉をただ聴いているだけで言葉を発する者はいなかった。みずきは津波により全てを流され、そして荒れ果てた大地から遠くの海の方へ瞳をやったのだ。
 その表情は昔を懐かしく思う表情と、震災や津波により大切にして来た全てのものを失った悲しさが複雑に織り交ざり、少し瞳から涙がこぼれたように学には見えた。他の二人もそのみずきの表情と気持ちを察して、自分のことのようにあの東日本大震災(3.11)の当時のことを思い出し、自然と涙が溢れて来たのだ。学も知らずに涙が込み上げて来た。

 学は自分の感情がこんなにも揺さぶられるとは思っていなかったので、自分に何が起きたのか理解できなかったのだ。そして改めて感情と言うものを自分でコントロールしようなど、とてもおこがましいことだと感じた。ひとは感情があるから喜んだり、怒ったり、泣いたり、笑ったりといった喜怒哀楽があるからこそ素敵な『形のないプレゼント』や夢を描けるのだと言うことを…。

 こうして冬空の下、四人はそれぞれの東日本大震災(3.11)の当時のことを振り返りながら、また車へと戻って行った。道は舗装されておらず、また雪道でその雪に足を取られないよう慎重に踏み締めるよう進んで行ったのだ。そして次なる目的地へと向かったのである。
 道中、車の中のラジオからは中島みゆきの『命の別名』が流れた。学はこの唄を聴いて、さっきのみずきの表情が思い起こさせられ、『ばんがろう!石巻』の言葉を死ぬまで忘れてはいけない。そして東日本大震災(3.11)でこころ傷ついたひと達が笑顔を取り戻すのに、僕には何ができるのだろうと答えのない問を問い掛けていたのだった。

 四人が向かった先は、石巻駅に程近い『石巻立町復興ふれあい商店街』だった。その商店街の会長の佐藤さんはみずきの叔父さんで、自分も震災に遭いながらも電気屋を続け、また石巻商店街の復興に尽力しているひとだ。
 四人は近くのパーキングに車を停め、『石巻立町復興ふれあい商店街』に入って行った。この日は東日本大震災(3.11)からちょうど五年目と言うこともあり、殆どのお店は店を閉じていた。四人が商店街の奥の方にある『さとう電気店』に近づくと、何やら音楽が聴こえて来た。
 実はみずきの叔父の佐藤さんは音響マニアだそうで、真空アンプのステレオやレコードを色々と自分でチューニングして音楽を楽しむのが趣味なのだそうだ。それを学たちはみずきから車の中で聴かされていたのだった。そしてみずきはお店の扉を開けたのだ。

美山みずき:「おんつぁん。げんぎだっだが?」
佐藤さん:「みずき、よぐぎたちゃ。たまげた、元気だっだべが」

美山みずき:「おんつぁんも、元気そうだべなぁ。今がら墓参り行くっちゃよ」
佐藤さん:「ぞじたら、昼めし食べてぐべ?」

美山みずき:「んだねぇ。それと一緒にぎた三人紹介するっちゃ。倉田つぁん、ゆきちゃん、みさきちゃん」
佐藤さん:「東京からみずきときたっど?」
倉田学:「僕は初めて東北に来ましたが、ふたりは東北出身です」

学はそう言い、三人は佐藤さんにお辞儀をして挨拶を交わした。

佐藤さん:「どこさぁ?」
倉田 学:「僕は東京出身です」
ゆき :「わたしは宮城県 南三陸町です」
みさき:「わたしは福島県 南相馬市です」

佐藤さん:「そうだっちゃ」

 そう言ってみずきの叔父の佐藤さんは、次のレコードを流した。それは中島みゆきの『世迷い言』と言う唄だった。

佐藤さん:「この唄っちゃ、被災者たちの唄だっちゃ。今の世の中、デタラメ多いっちゃ」

 佐藤さんが言った意味が、学には何となくわかった。それは東日本大震災(3.11)や福島第一原発事故を受けて、日本政府や行政、そして東京電力などが今まで取ってきた対応があまりにもお粗末で、被災者たちの叫びが届いていておらず、忘れさられているように感じられたからだ。
 その後、佐藤さんを含め五人は近くの磯料理店へ行き海鮮丼を食べ、そして佐藤さんと別れた。その時の佐藤さんの寂しそうな表情が車のガラス越しから見えたのだ。佐藤さんにとってこの五年間と言う節目がどれ程大変だったのか、学には想像すら出来ない。たぶん佐藤さんは自分の為だけで無く『石巻立町復興ふれあい商店街』、またそこに来てくださる皆んなの為に頑張って来たのだろう。そして学はこころの中で思ったのだ。

倉田学:「ひとは自分の為でなく大切な何かを守る為なら、強く生きることが出来るのではないだろうか。そして僕にとって大切な何かとは何だろう」

 そんなことを考えていると、学たちを乗せた車は『石巻霊園』に到着した。そう、この霊園にみずきの両親が眠るお墓があり、四人は霊園の駐車場に車を停め降りたのだ。この日は東日本大震災(3.11)やそれによる津波で亡くなったひと達を供養する為に、多くのひと達が霊園に訪れていた。
 霊園の入口で、みずきは仏花、お線香、ロウソク、そしてマッチをおばちゃんから買った。それからみずきの両親が眠るお墓の近くで、学は置いてある桶に水を入れ柄杓を手に持ち運んだのだ。四人はみずきの両親のお墓の前に来て、学の持って来た桶の水を柄杓で汲み丁寧に墓石に流し手でさすった。

 みずきはさっき買った花を供え線香を焚き、そしてロウソクを灯した。線香の煙が火をつけると共に一斉に立ち上がり、その煙は次第に細く長くなり天にまで昇って行ったのだ。ロウソクの火は揺らめき、その煌きはみずきそして他の三人のこころを暖かく照らしてくれるそんな輝きを放っているかのようであった。四人は手を合わせ、その目新しい墓石に向かって自分達それぞれの思いを誓ったのであった。それぞれの思いが何だったかは、皆んなのこころにしまっておこう。
 こうしてお墓を後にしようとした時、サイレンが鳴った。そう、このサイレンはあの五年前の今日、東日本大震災(3.11)が発生した時刻と同じ14時46分を知らせるものであった。駐車場に戻った四人は車を走らせ、みずきが皆んなに観せたい場所があると言うことで、そこに向かったのだ。行く途中、四人の乗った車を阻むような急な上り坂にぶつかった。みずきはギヤを入れ替え慎重にその坂道を登って行ったのだ。そしてその頂上に辿り着くと、少し開けた場所が広がった。それからみずきはこう言った。

美山みずき:「ここからの景色を皆んなに観て貰いたかったの」

 そう言うとみずきは車を脇に停め、四人は車から降りたのだ。四人はまず近くの『日和山神社』で日頃の感謝のお礼をした。そして次に『日和山公園』に向かったのだ。その公園はみずきがまだ幼かった頃に家族で良く遊んだ場所であった。そしてその近くの高校にみずきは高校生の頃通っていたのである。
 その頃のみずきは、演劇部の部長を務め密かに将来は舞台女優を夢見ていた。しかし高校を卒業し親の反対を顧みず東京へ上京したみずきは、演劇の世界を諦め夜の仕事へと流されて行ったのだった。
 それからあの東日本大震災(3.11)が起き津波で両親を失った。そんな彼女には、この『日和山公園』やこの場所がとても大切な場所なのかも知れない。それはこの『日和山公園』の高台から観える景色からも伺える。学たちの立っているこの場所は石巻市内を一望できる場所で、眼下に流れる旧北上川が海へと向かって裾広く太平洋へと広がっているのだった。
 そして、その海沿いの景色から遠くの水平線へと眼を向けると、空との境界線が無限の彼方まで繋がっているように学には見えたからだ。そう、学たちのいる高台だけ、あの当時の時間のまま止まっているような錯覚に陥り、みずきがこの場所を大切にしている理由がわかったからである。

 ゆきはと言うと、この高台であの東日本大震災(3.11)による津波から逃れる為に、両親と逃げた高台のことを思い出していた。姉のみきを『南三陸町の防災対策庁舎』に残して高台に逃げたゆきは、津波が防災対策庁舎に迫るも、姉のみきが最後まで町民に避難を呼び掛ける声を聴いた。そして姉のみきは津波により命を落としたのだ。
 姉のみきの「もうだめだ…」と言う言葉を最後に、ゆきは姉のみきの声を聴くことはもう無かった。そんな思いが込み上げてくる場所となったのだ。しばらく自分達それぞれの想いに思いを馳せ時間を過ごした。そしてみずきがこう言った。

美山みずき:「そろそろ行きましょう」
倉田学:「はい、ひとつ質問してもいいですか?」

美山みずき:「ええぇ、いいですけど…」
倉田学:「美山さんの今の言葉、自分自身の幸せのために、そろそろ生きてもいいと言う意味じゃないですか?」

 その時、みずきの表情が少し変わったように学には見えた。そしてこう言った。

美山みずき:「倉田さん。心理カウンセラーってこころ読めるんですか?」
倉田学:「…………」

 これに対し学は何も答えなかった。四人は車に乗り込み、今日泊まる石巻駅近くのホテルへと車を走らせたのだ。外は暗くなり始め、東日本大震災(3.11)からちょうど五年目と言う節目を迎えるひと達で、街は静かで厳かな空気に包まれているように感じられた。
 車中では相変わらず中島みゆきの『旅人のうた』が車のラジオから流れて来た。学たちにとって忘れられない『東北被災地の旅』となった。しかし、そのことについて誰も声を発する者はいなく、ただ聴き入っているのであった。

 ホテルでチェックインを済ませた四人は、ロビーで待っていたゆうと落ち合った。ゆうは石巻駅から程近い場所に『石巻駅前 Café&Bar Heart』と言うお店を開いており、そのお店はみずきがゆうに託したお店である。そしてそのお店の店長をゆうはしているのだ。

ゆう :「みずきさん、お久しぶりですー。お待ちしてましたー」
美山 みずき:「久しぶりー、ゆうちゃん。元気だったー?」

ゆう :「元気だったよぉー。ゆきちゃん、みさきちゃんも元気だったー?」
ゆき :「ゆうさん、元気だったよぉー」
みさき:「ゆうさん、元気だったよぉー」

ゆう :「その男のひとは誰ですか?」
美山 みずき:「前に電話で話したことがある倉田さん」
倉田学:「初めましてゆうさん。倉田学と言います」

ゆう :「あなたが噂の倉田さんかぁ。今夜はゆっくりお話できますね」
倉田学:「僕、そんなに噂されてたの!? ねぇ、美山さん?」

美山 みずき:「ど・う・か・し・ら」
倉田学:「ゆきさん、みさきさん。ちょっと置いてかないでよぉ」

 こうしてみずきたちは一度、ゆうと別れ部屋に向かった。慌てて学も自分の部屋へと向かったのだ。そして荷物を置いて戻って来た。五人が揃うとホテルを出て、近くの酒場へと向かったのだ。外は真っ暗で東京では観ることの出来ない冬の夜空の銀河系を観ることが出来た。
 学は南の方にオリオン座がひときわ神々しい輝きを放つのを観た。一段と輝くのは赤い輝きを放つ星ベテルギウス、そして白い輝きを放つ星リゲル。二つの星はお互い対角に位置し、決して重なることもお互いの輝きを消し合うことも無く、ちょうどいい距離を保ってお互いを尊重し合っているように学には見えたのだ。我々もそうありたいと思うのであった。こうして石巻の夜は更けて行くのである。

 一軒目の酒場を出ると、二軒目のお店にゆうのお店『石巻駅前 Café&Bar Heart』に急遽行くこととなった。今日は東日本大震災(3.11)のあった日で、またみずきたちが東京から来ることとなっていたので、お店を閉めていたのだ。しかしみずきたちの要望と、さっきの酒場で常連さん達に逢い、お店に駆けつけるとのことで急遽店を開いた。
 この辺が田舎の団結力と言うか、東京では観られない仲間意識だなぁと学には感じた。お店に入ると50年代オールディーズが流れ出したのだ。学にも聴き覚えのある曲が何曲か流れて来たのだった。そして学はカウンターの奥に居るゆうにこう言ったのだ。

倉田学:「実は明日、美山さんから仮設住宅の公民館でセラピーを頼まれているので、今日はあと三杯飲んだらホテルに戻ります」
ゆう :「それは残念、では何を飲まれますか?」

倉田学:「すいません。それと確か宮城のジャパニーズ・ウイスキーありましたよねぇ?」
ゆう :「ありますよぉー、倉田さん」

倉田学:「本当ですか!」
ゆう :「これが宮城のジャパニーズ・ウイスキー。『シングルモルト宮城峡12年』」

美山みずき:「倉田さん、相変わらずお目が高いんですねぇ」
倉田学:「いや僕は日本の物がいいかなと」

ゆう :「みずきさん、このお会計どうします。そう言えば今日、みずきさんの誕生日でしたよねぇ」
美山 みずき:「ええぇ、まあぁ」

倉田学:「おめでとうございます美山さん」
ゆう :「おめでとう。カンパーイ!」
ゆき :「おめでとう。カンパーイ!」
みさき:「おめでとう。カンパーイ!」

美山みずき:「そんな嬉しくないわよ。もう37歳よ。いい年でしょ!」
倉田学:「わかりました。僕さっき頼んだのボトル入れちゃいます」

 そう言うと学はゆうに値段を紙にメモして貰った。そしてその驚きをみずきに観られたのだ。

倉田学:「いやぁー、なかなかするもんだねぇー」

 それに対して、すかさずみずきは学にこう言った。

美山みずき:「今度は倉田さんのこころ読ませて頂きました。この『東北被災地の旅』は、わたしがお願いしたからわたしがご馳走しますよ」
倉田 学:「ありがとう御座います美山さん」

美山 みずき:「いーわよ。倉田さんから勝ったんだから」
ゆき :「何なに、何が勝ったの?」
みさき:「えぇー、何なに!? どうしたの?」

美山 みずき:「これは倉田さんとわたしのひ・み・つ。ねぇー、倉田さん」
倉田 学:「ええぇ、まあぁ」

美山 みずき:「その代わり、ホワイトデー楽しみにしておきますから」
ゆき :「わたしもー」
みさき:「わたしもー」
ゆう :「じゃあ、わたしもー」

倉田 学:「えぇー、ゆうさんまで!」

 みずきは学から一本取ったので上機嫌であった。学はしてやられたと言う思いではあったが、これ以上悟られまいと平静を保ちこころを落ち着かせたのだ。そして学はゆうにこう言った。

倉田学:「じゃあ、ストレートください」
ゆう :「わかりました。『シングルモルト宮城峡12年』です。どうぞ」

倉田学:「みずきさん、お誕生日おめでとう御座います。カンパーイ!」
美山 みずき:「倉田さんから初めて下の名前で呼んで貰った。ありがとう」
ゆう :「カンパーイ! おめでとう」
ゆき :「カンパーイ! おめでとう」
みさき:「カンパーイ! おめでとう」

 今までに学は、誕生日をこうして仲の良い仲間と過ごしたことが一度も無い。それは友達が少なかったこともあるが、学自身避けて来たからかも知れない。自分の本心を出すと自分が傷つくのを恐れ、常に周りの空気を読んで生きて行くことで、幼い頃受けた両親からの虐待を逃れる術として身につけて来たからだ。
 そんなことを思い出すと今回、みずきから『東北被災地の旅』に誘ってくれたことに、感謝してもしきれない想いが込み上げて来た。そして学はひとり、お店の外に瞳をやり悲しそうな自分の姿がガラスに映るのを観た。その表情から一滴の雫がすーっと落ちて行くように学には見えた。それがガラスに付いていた雫なのか涙だったのか、学にもわからなかった。学は気を取り直して、ゆうに気になっていたことを尋ねたのだ。

倉田学:「東北では中島みゆきさんの唄が至るところで流れてるけど、どうしてなの?」
ゆう :「東北のひと達にとって中島みゆきさんの唄は復興ソングなの。だから今年の夏、中島みゆきさんを石巻に呼ぼうと頑張ってるの」

倉田学:「それは被災者たちのため?」
ゆう :「もちろんそうよ。だから皆んな協力して頑張ってるの」

 この時、学は思ったのだ。僕が明日、仮設住宅の公民館で被災者たちにセラピーをしたところで、どれだけのひと達が喜んでくれるだろうか。僕みたいなよそ者を、果たして本当に受け入れてくれるのだろうか。そう考えながら残りの二杯をロックと水割りで飲んだのだった。そう『銀座クラブ マッド』のバーテンダーから教わった『三本締め飲み』だ。学が店を出ようとした時、ゆうから声を掛けられた。

ゆう :「倉田さん。LINE観てます?」
倉田学:「いやぁ、観るの忘れてて」

ゆう :「わたしも『チーム復興』に入ってますからね」
倉田学:「そうだったの。ホテルに帰る時観ときます。お休みなさい」

ゆう :「お休みなさい倉田さん。倉田さん帰るわよ」
美山 みずき:「お休みなさい倉田さん。明日はお願いしますね」
ゆき :「お休みなさい倉田さん」
みさき:「お休みなさい倉田さん」

 こうして学は、夜の石巻駅傍の通りを歩いてホテルへと向かった。スマホでLINEを確認すると、メッセージが何件か入っていたのだ。先ず『チーム復興』のグループを観た。そこには一軒目のお店で撮った写真数枚が載っていたのだ。
 皆んな楽しそうな表情を浮かべていい笑顔で写っている。学はこういうのが苦手なので、何時も写真写りが悪い。そして皆んなから、たった今送られたと思われる個別のメッセージが寄せられていた。

ゆう :「今日は、わたしのお店に来てくれてありがとう。明日もいろいろとお話出来るといいですね」
ゆき :「この『東北被災地の旅』も、いよいよ明日が最後ですね。一緒に東北に来られて良かったです」

みさき:「明日で、この旅も終わっちゃいますね。わたしの故郷にも、ぜひ今度来てください」
美山 みずき:「明日はお願いしますね。いろいろとありがとう」

 学はそれぞれのLINEを観て、自分がこの旅に必要とされていることを知り、熱い思いが込み上げて来たのだ。そしてこの東北の街の夜空を見上げた。さっき観たオリオン座は、だいぶ傾き掛けているように見えた。そして瞳から溢れる涙で少しぼやけていたのだ。凍てつく冬の夜の街が、寒さとともに更けて行くのであった。
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