【Session26】2016年01月18日(Mon)

文字数 2,973文字

 深夜から降り始めた雪は都心の東京でも5cm程積り、その中を学は自分のカウンセリングルームがある新宿へと向かった。学が新宿駅に着く頃には、その雪ももう溶け始め、学は昨日の出来事がまだ頭から離れないでいた。

 それはみさきの言った運命論的な話や彼女の弟について、学がみさきに言ったことを思い返していたからだ。学はある種、心理カウンセラーとして正論を言ったつもりでいたのだが、それがみさきを傷つけることになってしまったかも知れないと言うことが気になったからであった。

 そして調子を取り戻すため、学は瞑想を行なってこころを落ち着かせたのである。そんな気持ちで午前中のカウンセリングを終えお昼休みに入ろうとした時、学の元に一本の電話が入った。

今日子:「もしもし 『カウンセリングルーム フィリア』ですか?」
倉田学:「ええぇ、そうですが…」

今日子:「予約をお願いしたいのですが、偽名でも大丈夫なんですよねぇ」
倉田学:「ええぇ、まあぁ」

今日子:「では、わたしの名前は奈美子です」
倉田学:「連絡先は?」

今日子:「090-××××-7350です」
倉田学:「いつが宜しいんですか?」

今日子:「2月3日(水)の朝10時からでお願いします」
倉田学:「わかりました大丈夫です。お待ちしています」

 学がそう言うと、電話は直ぐに切れたのだ。学は先日、電話を受けたひとと同じひとの声であることがわかった。そして不思議と、電話の相手に一度会ったことがあるようにも感じたのだ。しかし何処で会ったのか、また本当に会ったことがあるのかこの時の学にはわからなかった。そして夕方、じゅん子ママのお店で訪問カウンセリングを行うために銀座へと向かったのだ。

倉田学:「こんばんは倉田です。じゅん子さんいますか?」
綾瀬ひとみ:「お・ひ・さ・し・ぶ・り」

倉田学:「じゅん子さんはいますか?」
綾瀬ひとみ:「いるけど呼んで、ほ・し・い・の♡」

倉田学:「僕にそう言っても、何も出ませんよ」
綾瀬ひとみ:「あらそー、あなた『形のないプレゼント』あげるの得意でしょ!」

倉田学:「それは時と場合によります。それに、あなたにはそのプレゼントをあげても、わかって貰えないと思うし」
綾瀬ひとみ:「あなた、わたしのこと馬鹿にしてるでしょ!」

倉田学:「そんなことありません。僕は相手が欲しい時だけあげてるだけですから」
綾瀬ひとみ:「だったら、わたしにもちょうだいよ」

 学はしぶしぶポケットからピンク色の紐のあやとりを取り出し、ひとりあやとりをして観せた。それを観ていたひとみは、学にこう言い放ったのだ。

綾瀬ひとみ:「なーんだ、つまんない。じゅん子ママ呼んでこよっと」

 学はこうなることが予測出来ていたのでやりたく無かった。しかしひとみと言う人格がどういった人物か、これではっきりとわかり逆に良かったと思ったのだ。その一方で、彩の人格がひとみと統合することで今の彩では無くなって行くことに対して、カウンセラーとしてではなく学個人の感情がそこにあることに、まだ気づくことは無かったのだった。

 少ししてじゅん子ママが現れ、何時ものように学とじゅん子ママのカウンセリングが始まったのだ。彼女の地下鉄サリン事件(オーム真理教)によるトラウマは、ある地点から急に加速するかのように順調に回復の一途を辿っていった。
 そしてカウンセリングが終わり学が帰ろうとした時、お店で少し飲んでいかないか誘われたのだった。学はこの時迷ったが、ひとみのお店での姿も確認しておきたかったので誘いを受け、じゅん子ママのお店のカウンターの席に座り、ひとりウイスキーを飲むことにした。

倉田学:「すいません、ウイスキーを。えーっと」
バーテンダー:「お客さんは確か、去年のクリスマスイブの時の…」

倉田学:「ええぇ、そうですが。よく覚えていますね」
バーテンダー:「もちろん。僕たちの仕事は、お客さまの顔と名前を覚えないと勤まらないから」

倉田学:「そーなんですね」

 その時、学はこころの中でこう思ったのだ。

倉田学:「のぞみさん、苦労してるんだろうなぁ」

 学の後ろの個室では、古希から喜寿ぐらいの年齢のテレビや雑誌で観たことのある男性数人が卓を囲んでいたのだ。そこにひとみも座り、グラスにアイス(氷)を入れて飲み物の用意をしたり、また叔父さん達を相手に彼女独特の天性の愛嬌と度胸で、叔父さま達を虜にして行くのを伺うことが出来たのだった。学の目から観て、彼女の今の仕事が彼女にとっては天職であるかのように感じられた。そしてその叔父さん達の会話を学は耳にしたのだった。

政治家:「ひとみちゃん、君って本当に面白い子だねぇ。僕らが若い頃は、君みたいに度胸のある女の子もいたんだけどねぇー」
文化人:「そうそう、僕たち東大紛争を経験した者にとっては、東大安田講堂事件は忘れられないよなぁ」

編集長:「そうだよなぁ。よど号ハイジャック事件、連合赤軍、あさま山荘事件と、あの時は男も女も関係なく、日本に革命を起こせると思っていたんだからさぁー」
政治家:「でも何だかんだ言って、『長いものには巻かれろ』って思うよ。政治家やってて」

文化人:「俺も一歩間違えれば刑務所だったかもなぁ。今こうしてうまい酒飲めるのは、友達から就職できなくなるから止めとけって言ってくれたおかげだよ」
編集長:「結局、僕らは国を動かすことなんてできない。歯車にしかすぎないのだよ」

政治家:「そのことは政治家になって、嫌と言うほど思い知らされたよ。結局、国民の声で僕らは動いているのではない。数の論理だよ。強い団体や勢力がこの国を動かしているのだから」

政治家:「だから僕もその駒のひとつにしか過ぎないと言うことはわかってるんだ。僕は何の為に政治家を志したんだ」

 そう言いながら、その政治家は酒を飲みテーブルに拳をおろして涙を浮かべたのだった。すると文化人が言った。

文化人:「お前みたいな骨のある政治家は今の国政にはいない。皆んな自分の選挙のことばかり考えて、自分の地位を守ろうとすることばかり考えている。そんなひと達ばかり政治家になったら、この国はもうおしまいだ」
編集長:「そうだよ。誰の為に政治家になったのか。何のために政治をしているのか。政治家はそのことにちゃんと向き合ったことがあるのかなぁ」

 それを聴いていた学はこころの中で思った。全ては天皇陛下の『新年一般参賀』で述べられたこのお言葉に尽きると。「国民の幸せと世界の平和」この言葉こそ、政治を志す者が掲げる大きな目標ではないかと…。そしてこれが当たり前すぎて見えているようで見えていないのではないかと…。

 その時、学は大学時代の卒論で調べた哲学者ニコラウス・クザーヌスの言葉が頭をよぎったのだ。その言葉は『知ある無知』と言う言葉である。その意味は、「自分自身が知識があると思っている人間は、自分自身が無知であることを知らない人間である」と言う意味である。つまり「真の知の探求は、まず自分が無知であることを認識することから始まる」と言う意味になる。

 そして政治家の多くは、あたかも自分が何でも知っているかのように振る舞い、問題が起きた時は、自分は知らぬ存ぜぬで済ませるひとが多いことを…。こうして学はウイスキーを飲み干すとお店を後にして自宅へと向かったのであった。
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