【Session11】2015年09月15日(Tue)

文字数 5,853文字

 夕方になると陽射しも和らぎ少し秋らしくなってきた九月の中旬、新宿オフィス街はひと通りが多く街は蟻が蠢くようなそんな活気に満ち溢れていた。

 学は新宿にある自分のカウンセリングルームから、彩に貰った名刺の住所を頼りに電車で銀座8丁目へと向かったのだ。学はふとこの時思った。そう言えば先日の出張カウンセリングでみずきのお店『銀座クラブ SWEET』へ行った時も、銀座8丁目であったと…。学が銀座8丁目に行くのはこれで二度目だったので、同じ駅の同じ改札口を出てじゅん子ママが待つ『銀座クラブ マッド』へと向かったのだ。そしてスマホの地図を頼りにじゅん子ママのお店の近くまで辿り着くことが出来た。

 その時ちょうど学の傍を歩いていた学より背が高く、スラッとした身のこなしで高そうなスーツを纏った若い男が、学の横を追い越そうとしていたのだった。学はその男にじゅん子ママのお店『銀座クラブ マッド』の場所を訊いてみることにした。

倉田学:「すいません。この名刺の住所のところに行きたいのですが…」
樋尻透:「えぇー、俺のことぉ?」

倉田学:「はい。あなた訊いているのですが…」
樋尻透:「俺、暇人じゃないんだけど…」

倉田学:「すいません。どこかわかりますか?」
樋尻透:「ちょっとその名刺見せてよ。うわぁ、ひとみちゃんの名刺じゃん」

倉田学:「ひとみさんのこと知ってるんですか?」
樋尻透:「いやぁ、まあぁ」

倉田学:「では、じゅん子さんのお店も知ってますよねぇ。僕はじゅん子さんに頼まれて、『銀座クラブ マッド』に用があるんです」

樋尻透:「えぇー、それを早く言ってくれないと。俺もこれから行くところだからさぁー。まぁー、そこだから一緒に行こうぜぇ」

倉田学:「ではお願いします」

 こうして二人は銀座8丁目の『おとなの夜の街』へと消えて行ったのだ。じゅん子ママのお店『銀座クラブ マッド』へはここから歩いて2~3分の建物の5階にお店を構えていた。
 お店に着くまで学の話し掛けた男が何者なのか学にはわからなかったが、その男の高そうな身なりと、また歩いている時に袖から顔を出しキラつく時計をよく観ると、ロレックスの腕時計であることが学にもわかった。そしてその男は学にこう言って来たのだ。

樋尻透:「俺、透って言うんだけど…。なんでひとみちゃんの名刺持ってるの?」
倉田学:「すいません。個人情報なので教えられません」

樋尻透:「いーじゃん、もったいぶらなくても。で、オタクの名前は?」
倉田学:「僕はオタクではありません、倉田と言います。そして、個人情報ですから教えられません」

樋尻透:「そおぉー、倉田ちゃんね。では、別の質問にしーよっと。じゅん子ママには何のよう?」
倉田学:「だから無理です。個人情報ですから」

 透の質問は、流石に一流のホストだけあって学に執拗以上に食らいついて来たのであった。学も一流のプロの心理カウンセラーを自負していた部分があったので、透の話術に引っ掛からないよう細心の注意を払って巧みにかわしていたのだ。そんな二人は押し問答をしながら、じゅん子ママが待つお店『銀座クラブ マッド』へと入って行った。

樋尻透:「こんばんはじゅん子ママ! ひ・さ・し・ぶ・りー。ひとりツレを連れて来たよ」
倉田学:「こんばんは倉田と申します」
じゅん子ママ:「あらぁ、透ちゃん 久しぶりぃー。倉田さんもいらっしゃい」

 学はお店に入ると、とても広くモダンな様相で落ち着きのあるお洒落な作りのじゅん子ママのお店『銀座クラブ マッド』の雰囲気に圧倒された。銀座ホステス界の重鎮と言われるだけあって、店の佇まいが存在感を醸し出していたのだ。そして学はじゅん子ママに話し掛けた。

倉田学:「初めましてじゅん子さん。木下さんから、ここに来て欲しいと伺いまして…」
じゅん子ママ:「そうね。その話は後でふたりの時にしましょう」

樋尻透:「何なにふたりして、何の話?」
じゅん子ママ:「透ちゃん。これは倉田さんとわたしのヒ・ミ・ツ」

 こうじゅん子ママは透に言って、学をカウンター席の奥の方に案内したのだ。そして、じゅん子ママから飲み物を訊かれたのだった。学はみずきのお店でノンアルコールだと困ると言われた経験から、じゅん子ママにこう言ったのだ。

倉田学:「すいません。では、ウイスキーの水割りでも」
じゅん子ママ:「ウイスキーの種類も、いろいろとあるんだけどねぇー」

倉田学:「では、シングルモルト 余市でも」
じゅん子ママ:「なかなか、お目が高いわねぇー。手に入らないのよ、これ」

倉田学:「では、他のでも」
じゅん子ママ:「いいわよぉ、わたしのお客さまなんだから…」

 こうして学の前に差し出されたのは『シングルモルト 余市10年』の水割りであった。学は普段お酒をあまり飲まないし、またウイスキーを飲む機会も殆ど無い。しかし何となくこう言う銀座クラブとかで飲むのはウイスキーが無難なのかなぁと自分の中で思っていた。また周りに合わせる方が気を使わなくて楽であると言う無意識が働き、知らず知らず空気を読むそんな性格が出来上がっていたのだ。

 そしてその特性は、カウンセリングにおいてはクライエントとラポール(信頼関係)を築くのに非常に役立っていた。しかし今回は不意を突かれたので、朝ドラのマッサンを思い出し『シングルモルト 余市』と言うフレーズが口から出たのだ。
 学はグラスの中の氷がお酒と絡み合いゆっくりと溶け、そしてそれと同時に上下左右に僅かに揺れ動くのを眺めていた。そして時折、耳を澄ますと氷がパチパチと弾けるようなそんな音と共に、氷から泡が湧き出るのを観ることが出来たのだった。グラスを持ち上げ口元に持って行くと、微かにウッディな香りを楽しむことが出来たのだ。

 こうしてひとりカウンターの奥の席でウイスキーを楽しんでいると、少し後ろの奥まったローソファーの一角に50歳前後のお客さんが5~7名程入って来たのだった。学はウイスキーを飲みながらそのお客さん達の会話に耳を傾けていた。

国公務員さん:「では改めまして野球部の再会を祝して、カンパーイ!」
他の皆んなも:「カンパーイ!」

大手建設さん:「いやぁー、こうして年に一回。このお店で皆んなに会えて嬉しいよ!」
大手企業さん:「俺たち大学卒業して、もう何年になるんだ!?」
大手銀行さん:「もう30年過ぎたよなぁ」
大手証券さん:「そんなになるかぁ。でも皆んな元気そうじゃないか」

中小企業さん:「お前らはいいよなぁ。出世して稼ぎもいいんだろ」
国公務員さん:「まあまあ、今日はせっかくなんだから。そんな堅い話は」
中小企業さん:「お前はいいよなぁ。国家公務員は安泰だし」
国公務員さん:「いやぁ、最近は公務員も厳しんだからさぁ」

大手証券さん:「俺だって一歩間違えば、危なかったんだから。現に山一證券だって潰れたんだし」
大手銀行さん:「そうだよ。北海道拓殖銀行や日本長期信用銀行それに日本債券信用銀行だって潰れたんだからさぁ」
大手建設さん:「そうだよなぁ。俺たちバブル世代だからなぁ。バブル崩壊の時はどうなるかと…」

大手企業さん:「それに7年前の今日、何の日だったか覚えてるか?」
大手銀行さん:「そうそうリーマン・ショックでやばかったよなぁ」
大手証券さん:「じゅん子ママに聴かれるとまずいから大きな声では言えないけど、この辺の銀座クラブ街もその影響で店じまいしたところが多いらしいよ」

国公務員さん:「この話すると暗くなるからさぁ、やめようよ」
中小企業さん:「でもお前たちはいいよ。国家公務員に大手企業なんだから何かあったら国が助けてくれるけど、俺みたいな中小企業の専務じゃ」
他の皆んなで:「まぁー、お前はよく頑張ってるよ。役職は一番上じゃないか、俺らの中で…」

中小企業さん:「俺も馬鹿だったよなぁ。中小企業の青田買いでジュリアナ東京や草津温泉スキーツアーそしてグアム旅行と。その点、国家公務員を選んだお前は堅実だよなぁ」
国家公務員さん:「まあぁ、人生いろいろ、恋もいろいろってのがあるじゃない。今日は楽しく飲もうよ」

 そんな話を学は聴いていたのであった。学にも学生時代はあった。しかしこうやって本気で自分をさらけ出せるような相手はひとりも居なく、まして友達と呼べる友達もひとりも居なかったからだ。学はある意味こうして毎年、年に一回集まることが出来ることがとても羨ましく、本気で一緒に泣いたり笑ったりする学生時代、大学時代の仲間がいることを微笑ましくも感じられたのだ。

 そんなことを考えていると学の瞳からひと雫の涙が落ち、学のグラスの中にすうーっと吸い込まれていった。そしてしばらくするとフロアに彩が突然現れたのだ。

木下彩:「倉田さん、来てたんですね」
倉田学:「こんばんは木下さん。お邪魔しています」

木下彩:「じゅん子ママは何か言ってましたか?」
倉田学:「いえ、特にまだ…」

 その時、お店のスタッフルームの方から透が出て来て、そしてこう言ったのだ。

樋尻透:「ひとみちゃん、いや彩ちゃん今日シフト入ってたの?」
木下彩:「ええぇ、じゅん子ママに急に頼まれて」

樋尻透:「そーだったんだ。それで引越しとかしたの?」
木下彩:「ええぇ、まあぁ」

樋尻透:「えぇ、どこどこ?」
木下彩:「練馬駅の傍の…」

樋尻透:「駅からどのくらい、家賃は?」
木下彩:「うぅーん、7分くらいかなぁ。家賃は5万円ぐらい」

樋尻透:「えぇ、彩ちゃん。もっといいとこあったでしょう」
木下彩:「でもわたし今、お金ないから」

樋尻透:「だからこの店で働いてるんでしょ! もっといいとこ住めるよ彩ちゃんなら」
木下彩:「そう、透くん」「いろいろ心配してくれてありがとう」

 このやりとりを学はずっーと観ていたのだ。そして樋尻透が何者なのか思い出した。確か前にカウンセリングで、透のお店『新宿歌舞伎町ホストクラブ ACE』の話をひとみから聴いていたことを…。学はこの男の動向を観察することにした。透はフロアの隅に行き、自分のスマホを取り出し何やらニヤけながらスマホをいじりだしたのだ。そして彩にこう告げたのだった。

樋尻透:「彩ちゃん。彩ちゃんのスマホ鳴ってるんじゃない?」
木下彩:「えぇ、そう透くん。ありがとう」

樋尻透:「いやぁ、今マナーモードでしょ! 気づいてないと思ったから…」
木下彩:「観てみるね、誰だろう」

 透は学にこの一連の行動を観られていることなど気にもせず、彩にLINEを送っていたのだった。そして彩は何も知らずに自分のスマホを確認したのだ。彩は透から届いたLINEのメッセージを確認した。その内容は「Have a Nice Day!!!」であった。それを観た彩はたちまち変貌して行ったのだ。
 学はその瞬間、彩の元に近づき持っていたスマホを観た。そして透からのLINEのメッセージであることを確認したのだ。その時慌てて透も彩の元に急いで近づき、学に向かってこう言った。

樋尻透:「倉田ちゃん。あんたいったい何者だい?」
倉田学:「木下さんからの依頼なので、木下さんから直接聴いてください」

 学はこう言い放ったのである。学のこの時の表情は何時もと違いかなり高圧的な態度だったので、透も驚きその場を後にしたのだ。そしてその間にも彩の表情はみるみると変りひとみへと変容して行くのだ。学は今日、彩のカウンセリングでこのお店に来た訳でも無いのに、少し出過ぎた真似をしてしまったと後悔した。しかし彩のもうひとつのトリガーが透からのLINEのメッセージであることを知ることができ、その点ではとても大きな収穫であったと思っていた。

綾瀬ひとみ:「あら先生、なんでこのお店に?」
倉田学:「いや、いろいろとね」

綾瀬ひとみ:「ふーん。先生はわたしのストーカーかしら?」
倉田学:「ご想像におまかせ致します」

綾瀬ひとみ:「まあぁ、ゆっくり飲んでってちょうだい」
倉田学:「はい、ありがとう御座います」

じゅん子ママ:「ひとみちゃーん。こっちちょっとお願いねぇ」
綾瀬ひとみ:「はぁーい」

じゅん子ママ:「倉田さん、お待たせしました」
倉田学:「いえ、わたしの方は大丈夫ですよ」

じゅん子ママ:「ここで話すのも何だから、奥の個室で話しましょう」
倉田学:「ええぇ」

 こうしてじゅん子ママと学は、お店の奥の方にある個室に二人で入っていった。そしてじゅん子ママが重い口を開き話し始めた。その内容は地下鉄サリン事件(オーム真理教)によりじゅん子ママが築地駅で事件に遭遇し、今なおこころに傷を負っており、医師からPTSD(心的外傷後ストレス障害)でトラウマを抱えていると言う診断を受けたと言う内容であった。

 そこでじゅん子ママは、腕のいい心理カウンセラーを探している時に彩から学の話を聞きつけ、じゅん子ママが調べるとすごく評判のいいらしい心理カウンセラーだと言うことがわかり今回、学にカウンセリングの依頼をしたと言う訳だ。

じゅん子ママ:「倉田さん。あなた今、彩ちゃんのカウンセリングしてるんでしょ?」
倉田学:「ええぇ、まあぁ」
じゅん子ママ:「カウンセリングすると、わたしのトラウマを治すこともできるのよねぇ?」
倉田学:「どこまで良くなるか、またどのくらい時間が掛かるのか個人差があるので…」
じゅん子ママ:「あなたの腕、かなり評判みたいじゃない。訪問でカウンセリングも出来るんでしょ?」
倉田学:「ええぇ、まあぁ。でも一番大切なのは、あなたがこの問題にどれだけ真剣に向き合うかです。そして、僕は保証はできませんよ」
じゅん子ママ:「わかったわ。では、訪問カウンセリングをお願いしたいわ」
倉田学:「わかりました。次回いつ伺えば宜しいでしょうか?」
じゅん子ママ:「そうねぇ、ちょっとまって! 9月27日(日)19時からでお願いしたいわ」
倉田学:「わかりました。その日であれば大丈夫です」

 こうして学とじゅん子ママの話は終わり、奥の個室から二人は出て来たのであった。それを待ち構えていたかのように透は学にさっきのお返しとばかりに詰め寄って来てこう言った。

樋尻透:「なに、じゅん子ママとイチャイチャしてんの?」
倉田学:「別に、僕はイチャイチャなんてしてないし」

 すかさずじゅん子ママが透にこう言ったのだ。

じゅん子ママ:「透ちゃん、やめなさい。失礼でしょ!」
樋尻透:「すいません。じゅん子ママ」

 じゅん子ママの一喝で意気消沈した透を尻目に、学はお店を後にしたのであった。
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