第43話 あの日起きた異変
文字数 1,842文字
「結局おれは、何も決められないまま時間ばかりが過ぎていった」
ティランはその時のことを思い返して、目を細める。
本当のことを言うと、気持ちはまだ追い付いていない。
あれから五百年も経っているなど、信じられない。いや、信じたくはないだけかもしれない。
五百年。
人の一生は短い。どんなに長くても、その五分の一程度だ。
当時のティランを知る者は、もう誰一人として残っていないだろう。
胸に去来するのは悲しみでも寂しさでもない。虚しさだ。
「居心地がよかったんやろうな。あいつの周りはみんなお人好しというか、余所者であるはずのおれをあんなあっさり受け入れてくれて。気づいた時には一年が過ぎとった」
視線を落としたまま話を続けるティランは気が付かない。
目の前の女の目に怒りの炎が宿ったことを。
美しく整った顔が憎悪に歪んだことを。
「そんな時やった、おまえさんの輿入れの話を聞いたんは。あいつはおれにも式典に出ろと言うてきて、それで……そうや式典の準備で早くに訪れたおまえさんと会ったんはその時やったな」
式典の前に紹介しておきたいと、そう言ってロッソが彼女を伴ってきた。
そっと控えめに微笑む姫君は、それは美しく、些細なことでも手折れてしまいそうな儚ささえ感じられた。
覚えている。彼女のことを話すロッソを、傍らで見上げる姫君の熱を帯びた眸。
ティランの知るロッソはちょっとアレなところはあるものの、立派な体躯に精悍な顔立ちをしている。それに何より誇り高く、実直な男だ。
似合いの二人だと思った。
「そうでしたわね。その時、あなた様は今のお姿でしたわ。どうして髪と瞳の色を?」
「式典には人が大勢集まるやろ、他国からの要人も。おれの髪と目の色は、嫌でも目立つ」
ああと吐息のように彼女は言う。
自分で質問しておきながら、つまらなさそうに。まるで期待外れだとでもいうように、赤く彩られた自身の爪を眺めている。
ティランは顔を上げて、そんな彼女をまっすぐに睨み据えた。
女の艶のある唇が弧を描く。
「そしてあの日、式典が行われる聖堂へ向かおうかという時、おまえさんはもう一度おれの前に現れた」
魔法使いの正装ではなく、貴族が身につけるものを選んだ。イヤリングや首飾り、指輪などの装飾品が少なく、幾分マシかと思ったが、それでも十分窮屈だった。
自室で支度を終えたティランは、外に控える侍女に声を掛けようとし、その瞬間感じた怖気に身を震わせた。
反射的に傍に置いた杖を取っていた。
その直後、どさりという音が聞こえて扉が開いた。
扉の向こうに倒れる侍女の姿があった。
その脇をすり抜けるようにして部屋に足を踏み入れたのは、現在のティランと向かい合い微笑む女だ。
狙いは自分の力だとわかったが、咄嗟のことで対処しきれないと判断し、自身を鉄の塊に変える魔法を使った。
少なくともそれで利用されることはなかった。
だから、それから先の大部分の記憶がティランにはない。
魔法が解けた時、なぜあんな真っ暗な地下にいたのか。知る術はない。
ただ生き残ったアルナイルの誰かがティランを移動させ、隠したのだろうと推測することはできた。
杖がなくて頼りない手は小さく震える。
それでも相手を強く睨みつけながら、ティランは言う。
「さあ、おれの話はこれで終いや。次はおまえさんのことを教えてもらおうか」
女は妖しく笑むと、僅かに首を傾ける。
「なんでそんな風になったんか。セラフィナ王女、おまえさんもなかなかの魔法の使い手やったらしいやないか。あんな奴らに簡単に付け込まれるような、やわなお人でもないやろ?」
彼女の身の内にくすぶる闇の存在に、ティランは一目で気が付いていた。
別次元を生きる、妖と呼ばれる者。
彼らは魔の力を欲する。力を得て、現世に干渉しようとする。
だから力を持つ者は彼らに利用されないように自らを鍛え上げる。
ティランもそうだ。物心がつくと、力を扱うことができるよう修行させられた。ティランには特に大きな力が備わっていたから、周囲は彼に一刻も早く魔法力を制御し扱えるように急がせた。
恐らくは彼女も、セラフィナもまた幼い頃からそれらの鍛錬を受けてきたにちがいなく、簡単に憑かれるようなことはないはずだ。
セラフィナは微笑みの形のままに唇を開く。
「構いませんわよ。お聞きしたいというのならば、お話しいたしましょう。私がどんな思いであの方の元に嫁いだか、そしてその結果受けた数々の仕打ちのすべてをお話いたします」
ティランはその時のことを思い返して、目を細める。
本当のことを言うと、気持ちはまだ追い付いていない。
あれから五百年も経っているなど、信じられない。いや、信じたくはないだけかもしれない。
五百年。
人の一生は短い。どんなに長くても、その五分の一程度だ。
当時のティランを知る者は、もう誰一人として残っていないだろう。
胸に去来するのは悲しみでも寂しさでもない。虚しさだ。
「居心地がよかったんやろうな。あいつの周りはみんなお人好しというか、余所者であるはずのおれをあんなあっさり受け入れてくれて。気づいた時には一年が過ぎとった」
視線を落としたまま話を続けるティランは気が付かない。
目の前の女の目に怒りの炎が宿ったことを。
美しく整った顔が憎悪に歪んだことを。
「そんな時やった、おまえさんの輿入れの話を聞いたんは。あいつはおれにも式典に出ろと言うてきて、それで……そうや式典の準備で早くに訪れたおまえさんと会ったんはその時やったな」
式典の前に紹介しておきたいと、そう言ってロッソが彼女を伴ってきた。
そっと控えめに微笑む姫君は、それは美しく、些細なことでも手折れてしまいそうな儚ささえ感じられた。
覚えている。彼女のことを話すロッソを、傍らで見上げる姫君の熱を帯びた眸。
ティランの知るロッソはちょっとアレなところはあるものの、立派な体躯に精悍な顔立ちをしている。それに何より誇り高く、実直な男だ。
似合いの二人だと思った。
「そうでしたわね。その時、あなた様は今のお姿でしたわ。どうして髪と瞳の色を?」
「式典には人が大勢集まるやろ、他国からの要人も。おれの髪と目の色は、嫌でも目立つ」
ああと吐息のように彼女は言う。
自分で質問しておきながら、つまらなさそうに。まるで期待外れだとでもいうように、赤く彩られた自身の爪を眺めている。
ティランは顔を上げて、そんな彼女をまっすぐに睨み据えた。
女の艶のある唇が弧を描く。
「そしてあの日、式典が行われる聖堂へ向かおうかという時、おまえさんはもう一度おれの前に現れた」
魔法使いの正装ではなく、貴族が身につけるものを選んだ。イヤリングや首飾り、指輪などの装飾品が少なく、幾分マシかと思ったが、それでも十分窮屈だった。
自室で支度を終えたティランは、外に控える侍女に声を掛けようとし、その瞬間感じた怖気に身を震わせた。
反射的に傍に置いた杖を取っていた。
その直後、どさりという音が聞こえて扉が開いた。
扉の向こうに倒れる侍女の姿があった。
その脇をすり抜けるようにして部屋に足を踏み入れたのは、現在のティランと向かい合い微笑む女だ。
狙いは自分の力だとわかったが、咄嗟のことで対処しきれないと判断し、自身を鉄の塊に変える魔法を使った。
少なくともそれで利用されることはなかった。
だから、それから先の大部分の記憶がティランにはない。
魔法が解けた時、なぜあんな真っ暗な地下にいたのか。知る術はない。
ただ生き残ったアルナイルの誰かがティランを移動させ、隠したのだろうと推測することはできた。
杖がなくて頼りない手は小さく震える。
それでも相手を強く睨みつけながら、ティランは言う。
「さあ、おれの話はこれで終いや。次はおまえさんのことを教えてもらおうか」
女は妖しく笑むと、僅かに首を傾ける。
「なんでそんな風になったんか。セラフィナ王女、おまえさんもなかなかの魔法の使い手やったらしいやないか。あんな奴らに簡単に付け込まれるような、やわなお人でもないやろ?」
彼女の身の内にくすぶる闇の存在に、ティランは一目で気が付いていた。
別次元を生きる、妖と呼ばれる者。
彼らは魔の力を欲する。力を得て、現世に干渉しようとする。
だから力を持つ者は彼らに利用されないように自らを鍛え上げる。
ティランもそうだ。物心がつくと、力を扱うことができるよう修行させられた。ティランには特に大きな力が備わっていたから、周囲は彼に一刻も早く魔法力を制御し扱えるように急がせた。
恐らくは彼女も、セラフィナもまた幼い頃からそれらの鍛錬を受けてきたにちがいなく、簡単に憑かれるようなことはないはずだ。
セラフィナは微笑みの形のままに唇を開く。
「構いませんわよ。お聞きしたいというのならば、お話しいたしましょう。私がどんな思いであの方の元に嫁いだか、そしてその結果受けた数々の仕打ちのすべてをお話いたします」