第13話 湖の古城

文字数 2,060文字

 カーテンの滑る音、窓から差し込む白い光。鳥の謳う声。
 それらが朝の訪れを告げ、ベッドの上で青年は瞼を持ち上げる。

「おはようございます。今日はいい天気ですよ」

 青年は上半身を起こして伸びをし、それからあくびを一つこぼした。
 微笑んで言う。

「おはよう」

 朝食の支度をして、青年が食堂にやってくるのを待ち、紅茶をカップに注ぐ。
 庭の散策をしたいと言う主のために、上から羽織るものを持ってきて。付き添い、庭を歩く。
 春のやわらかな陽射し。
 木蓮の花の蕾が膨らんでいるのを目にして、嬉しそうに微笑む姿。
 あれ?
 そこで彼は何か違和感のようなものを感じた。
 前にもこんなことがあったような。
 彼の違和感を置き去りにしたまま、穏やかな時間は過ぎていく。

「これ、使い古しで悪いけど。おまえに」

 差し出されたのは長方形の箱だ。歴史を感じさせるようなくすんだ色合いの、なめした革で作られた箱。
 蓋を開く前から、彼はその中身を知っていた。

「昔、親父にもらったものでな。本当なら、もっとちゃんとしたものを用意したかったんだけど」

 箱の中身は、思っていた通りのものだった。
 古い、あかがね色の懐中時計。
 戸惑う彼の衣服の釦穴に、青年はチェーンを通して言う。

「誕生日、おめでとう」

 やはりそうだ。
 これは以前にも起こった出来事。
 そしてこの青年は、この数日後……
 彼は、ルフスは数度瞬きをし、僅かに目を伏せて、それからもう一度青年を見据えると言った。

「ちがう。今日はおれの誕生日なんかじゃない。これはなんだ? おれは、あんたは一体誰だ?」



***



 時間を遡ること、一日前。
 ルフスとティランは森の中で道に迷っていた。
 そもそもこの場所に森があること自体がおかしい。
 そう言い出したのはティランの方で、彼は確かに森に入る前から違和感を訴えていた。

「おい待て、メルクーアはまだ先のはずやろ? それまでに森なんかあったか?」

 しかし地図を取り出して確認すると、確かにそこには森を示す印が描かれていて、ティランは妙な顔つきで首を捻った。

「おかしいな、おれの記憶違いか?」

 それからしばらく道なりに歩いていたが、途中で雨が降り始めた。雨は弱く小粒で大したことはなかったが、困ったことに今度は霧が出てきた。早く森を抜けないとと思い、二人は急ぎ足に進んだが、唐突に道と木々が途切れた。
 そこには大きな湖と、ほとりには荘厳な石積みの城が建っていた。
 二人は頷き合うと、半分開いた門をくぐって城の扉を叩いた。
 霧で視界が悪く、足元も悪い。それに雨で濡れた体は冷えている。
 できれば雨が止むまでの間、休ませてもらえるとありがたいが、それが無理でもメルクーアまでの道を教えてもらえればと思ってのことだった。
 ところが応じる声はなく、中から人の気配もしない。
 門から扉までの庭園も、あちこち草や木も伸びきっていて、長年手入れされていないように見えた。
 ティランが言う。

「ハズレやな。しゃあない、まだ日は高いし、もっかい地図で方角確認して、っておい」

 慌てるティランの前で、ルフスが扉のノブを回して城の中に入った。
 鍵が開いていることにも驚いたが、ルフスの躊躇いのない行動にもティランは戸惑う。

「平気平気、雨宿りだけでもさせてもらおうぜ」
「おまえなあ」

 呆れながらも、その方が得策だと思って、ティランはルフスの案にのることにした。
 城の中は暗く、埃っぽかった。灯りになりそうなものはなく、窓から入る光だけが頼りだ。
 調度品は少ない。かつての主がこの城を手放す際に持ち出したか、処分されたのだろうとティランは考える。奥の方から呼ばれた。

「ティラン、こっち。ここすげぇ」

 正面階段横の右手側の部屋。そこは書庫で、吹き抜けになっていて、四方の壁には天井近くまである高さの書棚が設置されていた。本のジャンルは様々だ。呪いや魔法に関するものはないだろうかと探してみる。
 ルフスは廊下に出ると、近くにある扉から順に開いていく。

「こっちの部屋は寝室だったのかな。後は食堂と……埃は被ってるけど、なんだろ、この辺りだけ生活感があるな」
「放置されて、もう何十年かは経ってそうな感じやけどな」
「食い物とか、なんか使えそうなものないかな?」
「あっても腐っとるやろ。わかっとると思うけど、うかつになんでも口にするんやないぞ」
「あ、そうか」

 ルフスは階段を上がると、同じように一つ一つ扉を開き中を覗いていった。
 二階の、どの部屋もやはり広くて、がらんとしていた。その中で家具が残されていたのは一室だけだ。
 天蓋付きの大きなベッドと洋服ダンス、テーブルと椅子。それから天井に吊られたシャンデリア、バルコニーに続く窓に掛けられたカーテン。窓が開いているのだろうか、カーテンは風に揺れていた。
 室内に足を踏みいれる。
 
「え」

 窓から突風が吹きこんで、香りが運ばれてきた。
 花の、緑の、土埃の。
 それからそれらに混じって干したシーツや何か人の、身近な生活の中にある匂い。
 かちりと、どこかで音がした気がした。
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