第57話 迷い子
文字数 2,195文字
街を出て、南に向かって進む。
地図で確認したところ、そう広くはないはずの森。その中に伸びる街道に近い場所をルフスは馬で駆けていた。
ディアから預かった美しい毛並みの馬。名前はエクアというらしい。大人しく賢い馬で、まるでルフスの言葉を理解をしているかのようだった。
その馬が急に足を止めたかと思うと、ぶるりと鳴いて落ち着かなげに地面を蹴り始めた。
「わ、と。なんだ?」
夜で暗いが、特に周囲に変わった様子はない。神経を研ぎ澄ませてみるが、野生動物の気配も感じられない。
そっと首を叩いて、囁くように言ってやる。
「落ち着けエクア、大丈夫だ。何もいない」
念のため周囲に気を配りながら、馬を進めていくと、低木の傍に蹲る小さな影を見つけた。
うっかりしていたら、見逃していただろう。
女の子だった。近くに大人はいなくて、ルフスは馬を止めて近づき、声を掛けてみる。
「こんなとこでどうしたんだ? 誰か一緒じゃないのか?」
「おかあさんとはぐれちゃった……」
立ち上がった女の子はルフスの腰ほどまでしか身長がない。年齢は十にも満たないように見えた。
長いふわふわとした髪を二つに分けてリボンで結び、まだ新しそうな外套を羽織っている。
「そうか、おかあさんとどこに行くつもりだったんだ?」
「ええとね、大きな湖の」
「湖って、え、こっちの方の?」
「……わかんない」
自分の向かう方角を指さし尋ねるが、女の子は泣きそうな顔で首を横に振る。
それもそうかと思う。向かう方角がわかるなら、迷っているとは言わない。
街道に近い場所を走ってきたつもりだが、夜ということもあって、ここに来るまでに人は見なかった。恐らく母親も女の子を探しているのだろうが、この辺りに人の気配はない。一旦街に戻るべきかと考えたが、ルフス自身も今は急いでいる。この辺りで湖というと、ひょっとしたらルフスの目指す場所と同じである可能性が高い。何よりも、こんな小さな子供をここに一人残していくわけにはいかない。
色々と考えた結果、ルフスは言った。
「よし、じゃ一緒に行こう。おれもこの近くにある湖を目指してるんだ。そこに君のお母さんがいるかもしれない」
女の子は大きな目でしばらくルフスの顔を見つめ、それから頷いた。
「あたしクロエっていうの」
「すごいすごい、お馬さん早いね!」
はしゃぐ女の子の後ろ頭を見下ろしながら、ルフスは少しばかり驚いていた。
馬に乗せる時にも思ったことだが、随分と気丈な子供のようだ。
「クロエはどこから来たんだ?」
「うんとね、ずっと遠く。山の奥の方、キノスラって村」
「へえ。湖へは何をしに?」
「んー……そこからもっと遠くにいける場所があって、あたしたちは今日中にそこに向かわなきゃならないんだって」
クロエの返答ははっきりしない部分が多く、ルフスはその後どう話を続けるべきか悩む。
てっきり同じ薬師を訪ねるつもりなのかと思っていたが、少なくともそうではないらしい。
「お兄ちゃんはどこからきたの?」
「え、おれはそうだな。ローアル王国わかるか? この国の隣の」
「うん」
「そこの小さな田舎の村だよ」
「そっか、あたしのお父さんと一緒だね」
「クロエのお父さんもローアル出身なのか?」
「うん、前にお話ししてくれたことがあるの。すごくいいところだって。ブドウやトウモロコシ、それと小麦の畑がたくさんあるんでしょ。春と秋が綺麗なんだって言ってた」
「そうだな」
話すうちに、ルフスは懐かしい気持ちになって笑う。
緑がさざめき、あちらこちらに花の彩りが添えられた春の草原。
黄金色の穂が揺れる秋の小麦畑。
どちらもルフスの好きな光景だ。その美しさを教えてくれたのは、おじさんだった。
「あ」
クロエが短く言って、ルフスは彼女の視線を追った
その先にはたくさんの人の姿があった。
クロエの名を呼ぶ声が聞こえてきて、人々が彼女を探していたことを知る。
誰かが近づいてくるルフス達に気が付いて、遠くに声を投げていた。
手綱を引きスピードを落として、ゆるやかに止まると、ルフスは先に馬から降りて女の子に向かって両手を広げた。女の子はまったく怖気づくことなくルフスの腕に飛び込んでくる。
クロエを抱き上げたまま、集まり始める人々を見てルフスは尋ねる。
「あの中に、お母さんはいるか?」
「うん多分。あの人達はみんなあたしの村の人達だから」
「え? 皆で旅してきたのか?」
目を丸くするルフスにクロエは笑う。
「そうよ。みんな一緒にいくの」
どこに?
と質問を重ねる前に、一人の女性がルフス達の前に進み出てきた。
「クロエ!」
「お母さん!」
クロエはルフスの腕から飛び降りて、女性に駆け寄る。
女性は地面に膝をつきクロエを抱きしめて、怒った口調で言った。
「探したのよ」
「ごめんなさい」
「ともかくよかったわ」
言って女性はルフスを見上げると、数度目を瞬かせ、それから立ち上がって深くお辞儀をした。
「娘を連れてきてくださってありがとうございます」
「いいえ。無事見つかってよかったです」
「あの、ひょっとして」
「はい」
「ごめんなさい、なんでもありません……きっと私の勘違いでしょう」
俯き加減に謝罪の言葉を口にしたクロエの母親は、どういうわけか悲しげな顔をしていた。
彼女の傍に立っていた老人が不意に言った。
「さあ、クロエも見つかったことじゃし、そろそろ湖に戻らねばな」
「時間じゃ」
地図で確認したところ、そう広くはないはずの森。その中に伸びる街道に近い場所をルフスは馬で駆けていた。
ディアから預かった美しい毛並みの馬。名前はエクアというらしい。大人しく賢い馬で、まるでルフスの言葉を理解をしているかのようだった。
その馬が急に足を止めたかと思うと、ぶるりと鳴いて落ち着かなげに地面を蹴り始めた。
「わ、と。なんだ?」
夜で暗いが、特に周囲に変わった様子はない。神経を研ぎ澄ませてみるが、野生動物の気配も感じられない。
そっと首を叩いて、囁くように言ってやる。
「落ち着けエクア、大丈夫だ。何もいない」
念のため周囲に気を配りながら、馬を進めていくと、低木の傍に蹲る小さな影を見つけた。
うっかりしていたら、見逃していただろう。
女の子だった。近くに大人はいなくて、ルフスは馬を止めて近づき、声を掛けてみる。
「こんなとこでどうしたんだ? 誰か一緒じゃないのか?」
「おかあさんとはぐれちゃった……」
立ち上がった女の子はルフスの腰ほどまでしか身長がない。年齢は十にも満たないように見えた。
長いふわふわとした髪を二つに分けてリボンで結び、まだ新しそうな外套を羽織っている。
「そうか、おかあさんとどこに行くつもりだったんだ?」
「ええとね、大きな湖の」
「湖って、え、こっちの方の?」
「……わかんない」
自分の向かう方角を指さし尋ねるが、女の子は泣きそうな顔で首を横に振る。
それもそうかと思う。向かう方角がわかるなら、迷っているとは言わない。
街道に近い場所を走ってきたつもりだが、夜ということもあって、ここに来るまでに人は見なかった。恐らく母親も女の子を探しているのだろうが、この辺りに人の気配はない。一旦街に戻るべきかと考えたが、ルフス自身も今は急いでいる。この辺りで湖というと、ひょっとしたらルフスの目指す場所と同じである可能性が高い。何よりも、こんな小さな子供をここに一人残していくわけにはいかない。
色々と考えた結果、ルフスは言った。
「よし、じゃ一緒に行こう。おれもこの近くにある湖を目指してるんだ。そこに君のお母さんがいるかもしれない」
女の子は大きな目でしばらくルフスの顔を見つめ、それから頷いた。
「あたしクロエっていうの」
「すごいすごい、お馬さん早いね!」
はしゃぐ女の子の後ろ頭を見下ろしながら、ルフスは少しばかり驚いていた。
馬に乗せる時にも思ったことだが、随分と気丈な子供のようだ。
「クロエはどこから来たんだ?」
「うんとね、ずっと遠く。山の奥の方、キノスラって村」
「へえ。湖へは何をしに?」
「んー……そこからもっと遠くにいける場所があって、あたしたちは今日中にそこに向かわなきゃならないんだって」
クロエの返答ははっきりしない部分が多く、ルフスはその後どう話を続けるべきか悩む。
てっきり同じ薬師を訪ねるつもりなのかと思っていたが、少なくともそうではないらしい。
「お兄ちゃんはどこからきたの?」
「え、おれはそうだな。ローアル王国わかるか? この国の隣の」
「うん」
「そこの小さな田舎の村だよ」
「そっか、あたしのお父さんと一緒だね」
「クロエのお父さんもローアル出身なのか?」
「うん、前にお話ししてくれたことがあるの。すごくいいところだって。ブドウやトウモロコシ、それと小麦の畑がたくさんあるんでしょ。春と秋が綺麗なんだって言ってた」
「そうだな」
話すうちに、ルフスは懐かしい気持ちになって笑う。
緑がさざめき、あちらこちらに花の彩りが添えられた春の草原。
黄金色の穂が揺れる秋の小麦畑。
どちらもルフスの好きな光景だ。その美しさを教えてくれたのは、おじさんだった。
「あ」
クロエが短く言って、ルフスは彼女の視線を追った
その先にはたくさんの人の姿があった。
クロエの名を呼ぶ声が聞こえてきて、人々が彼女を探していたことを知る。
誰かが近づいてくるルフス達に気が付いて、遠くに声を投げていた。
手綱を引きスピードを落として、ゆるやかに止まると、ルフスは先に馬から降りて女の子に向かって両手を広げた。女の子はまったく怖気づくことなくルフスの腕に飛び込んでくる。
クロエを抱き上げたまま、集まり始める人々を見てルフスは尋ねる。
「あの中に、お母さんはいるか?」
「うん多分。あの人達はみんなあたしの村の人達だから」
「え? 皆で旅してきたのか?」
目を丸くするルフスにクロエは笑う。
「そうよ。みんな一緒にいくの」
どこに?
と質問を重ねる前に、一人の女性がルフス達の前に進み出てきた。
「クロエ!」
「お母さん!」
クロエはルフスの腕から飛び降りて、女性に駆け寄る。
女性は地面に膝をつきクロエを抱きしめて、怒った口調で言った。
「探したのよ」
「ごめんなさい」
「ともかくよかったわ」
言って女性はルフスを見上げると、数度目を瞬かせ、それから立ち上がって深くお辞儀をした。
「娘を連れてきてくださってありがとうございます」
「いいえ。無事見つかってよかったです」
「あの、ひょっとして」
「はい」
「ごめんなさい、なんでもありません……きっと私の勘違いでしょう」
俯き加減に謝罪の言葉を口にしたクロエの母親は、どういうわけか悲しげな顔をしていた。
彼女の傍に立っていた老人が不意に言った。
「さあ、クロエも見つかったことじゃし、そろそろ湖に戻らねばな」
「時間じゃ」