第64話 英雄の器

文字数 1,996文字

 剣がはじけ飛ぶ。

 武器を失った男は呆然としている。
 ぶつけられる力に真正面から抗するのは難しい。だから、振り下ろされた剣は跳ね上げるのではなく、受け流し、できた隙をついて別方向から一気に力を叩きこむ。
 教えてくれたのは、他でもない目の前の男だ。鍛錬と称し、闇雲に木の棒を振り回すルフスに叔父が実際にやって見せてくれたことだった。

「おれの勝ちだ、おじさん」

 もうやめよう。
 そう言葉を発しようとしたルフスだったが、その前に男が優しい口調で言った。

「成長したなあルフス。オレが言ったこと、ちゃんと覚えてたんだな。偉いぞ」
「おじさ」
「けど」

 ほっとしかけたルフスの顔が驚愕に固まる。
 一瞬のことだった。
 頭と背中に強い衝撃があった。
 気づけばルフスは仰向けに倒れていて、馬乗りになる男を見上げていた。男の肩越しに半分欠けた月が見えた。
 握っていたはずの剣は手から離れて落ちていた。

「そうか、教えてなかったんだっけなあ。最後まで気ぃ抜いちゃいけねぇってよ」

 ルフスは瞬きも忘れて男の顔を見つめる。
 男が右手に何かが見えた。月光を反射する鈍い光に、刃物だと知る。

「ごめんな……」

 呟く声に、ルフスは言葉を失う。
 男が刃物を振りかざす。

「ルフス殿!」

 突如、地面を割って伸びた蔦が男の手首に巻きついた。
 二人分の草を踏む音に顔を横に向けると、山吹とグルナがこちらに駆けてくるのが見えた。だがそれを遮るように、二つの黒い影が空から降り立つ。

「ダメよ邪魔しちゃ。悲劇の騎士様が望みを成就せんとするために、我が子のようにかわいい少年に刃を向けるっていいとこなんだから」
「全員僕たちで片付けちゃう方が早いのに……」

 彼女らの前に立ちはだかったのは、コロネとクライだった。
 コロネは楽しげに言いながら炎を呼び起こし、グルナが水でそれを相殺する。山吹が新たに出現させたいくつもの蔦で二人を捕えようとするが、クライの動きの方が素早かった。長い爪を横一直線に振るって、刈り取ってしまう。
 男の手を捕えていた蔦は根元から燃えた。

「あんたたちは、ワタシたちが遊んであげる」

 ルフスは勢いをつけて跳ね起き、男の腕を掴むと引き倒して叫んだ。
 男が短剣を取り落とす。

「べルミオン!」

 地面に転がっていた剣が消えて、ルフスの左手の中に収まる。ルフスはその剣身を男の喉に当てながら言う。

「もうやめようおじさん、おれこんなのやだよ! こんなことしたくない、おれは、だって、おじさんはおれにとって英雄みたいなひとで、やさしくて、カッコよくて、強くて、なのになんでこんなことすんだよ。おれに、こんなことさせないでくれよ……!」

 怒りで涙が出た。涙はどんどんと溢れて落ちた。
 男が言った。

「英雄なんかじゃねぇよ……だって大事な人たちを守れなかった。たった二人だぞ、たった二人の家族さえも守れない。英雄どころか……反吐が出る。最低だ。オレは一人だけ、のうのうと生きててよ」
「なあ何があったんだよ、おれなんも知らないよ。聞いてない。おれが、できることないの? 死ぬのはやだよ。それ以外ならなんだってするよ。努力する、だから」
「無理だ」
「なんで……それはおれが、頼りないから?」

 頼りないから。
 おれが頼りないから、ティランも。
 やっぱり本当は、英雄なんて器じゃない。
 ルフスの言葉は、ルフス自身を傷つけた。胸が張り裂けそうだった。
 
「ちがう。お前には……いや」

 男は一度黙り、それから悲痛な声で言った。

「本当はわかってンだ……誰にも、どうにもできることじゃねぇって。死んだ人間を生き返らせるなんてことは誰にも」

 暗がりの中、うっすらと見える男の顔は声の割に不思議と穏やかだった。
 男の目は昔と変わらない優しいものだ。だが、その目はルフスではなく、その向こう、どこか遠くを見ているような気がした。
 男が言った。

「マオ、クロエ……」

 え、と呟き、ルフスは一瞬呼吸するのも忘れた。
 珍しい響きで印象的だったその名前。呼び起こされる苦い記憶。
 男が己の首に押し当てられた刃に手を添える。

「だめだ、べルミオン!」

 男の意図を悟ったルフスが叫んで、手の中から剣を消す。

「何をもたもたやってんだか」

 すぐ後ろで声が聞こえて、ほぼ同時にルフスは横方向に突き飛ばされた。ごろごろと地面を転がって、何がどうなったかわからないまま起き上がり、目を瞠った。
 クライの長く伸びた爪が、上半身を起こしかけた男の胸に突き立てられている。そして、

「はっ……」

 引きつった顔で、震える息を吐き出すクライの胸にもまた、短剣が刺さっていた。
 男の胸から爪が抜かれ、クライはそのまま背後に倒れる。
 甲高い悲鳴が響き渡った。コロネだ。
 互いが互いの元へ駆け寄る。たった今の今まで起きていたことが、すべてがどうでもよく、敵対していた者同士がこの時ばかりは奇妙なことに全く同じ心境にあった。
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