第42話 いつかの夢
文字数 1,891文字
半年後。
その頃にはすっかり体の状態は元に戻っていて、ティエンランは表向き宮廷付きの魔法使いとして、西の別棟の一部を与えられていた。エストレラに伝わる古代魔法の知識を欲する者は多く、城に仕える魔法使い達がひっきりなしにティエンランの元を訪れた。ティエンランは自身が知り得る限りの知識を彼らに授け、自身も研究に勤しんだ。
ロッソは公務の合間にティエンランの元にやってきては、とりとめもない話をした。
王という立場柄、対等に話せる相手は少ない。その点ティエンランは元王族で、更にロッソとは年が近いということもあって、二人の間には堅苦しさや妙な遠慮がなく、まるで古くからの友人のような親しさがあった。
「ティーエはこれからやりたいこととか、何かないのか?」
ティエンランの部屋は大抵積まれた本の塔がいくつもできていて、それを避けて座るスペースを作りながら、尋ねるロッソに対して、
「あ、ついでにそこのやつ棚に片しといてくれ。適当に並べんなよ、分類別やぞ。そんでそっちの方のは帰りに書庫に返しといてくれ」
ティエンランは気安く言ってから、考えるように首を傾けた。
ロッソは棚に本を並べながら、付け加える。
「体も元気になったしさ。今ならどこでも行けるだろ、あ、別にここを出て行けって意味じゃないぞ。ただほら、国の再建は考えたりしないのかなって」
「あー……」
「途中ではぐれたっていう妹君や逃げのびた人たちを探したりさ」
ロッソが振り返ると、自分でも本を棚に戻すティエンランの背中が見えた。
降りた沈黙に、察したロッソは手元に視線を落とす。
「ごめん、そう簡単にできることでもないよな。でももし、いずれそんなことになったなら、その時はおれも可能な限り協力はさせてもらうから」
「ああ、おおきに……」
ロッソの気遣いに心底感謝しながらも、ティエンランは本当はもう知っていた。
傀儡の術で動けなくされた後も、意識だけは残っていた。
共に奴隷商人に囚われた幼い妹姫は同じように術を施される前に命を落としていた。動かなくなった彼女をゴミと同等に捨てる商人たちを、ティエンランは見ていた。人形と化した自分には、涙を流すことすら許されなかった。
生き延びた者などいるのだろうか。
仮に国から逃げ出せていたとして、それからどうなったかわからない。
住む家もない。
食べるものもない。
どうやって生きていくというのか。
ひょっとしたら自分たちと同じように奴隷として売られた者もいるかもしれない。
奴隷の扱いは家畜以下だ。
自分は運がよかった。
そんな鬱屈とした考えから逃れるように、ティエンランは研究に没頭した。
ただ、いつまでもこのお人好しな王の好意に甘えて、この国に厄介になるわけにはいかないことはわかっていた。
隣に気配を感じ、はっとして振り向く。
ロッソがまた本を抱えてやってきて、棚の空いたところに戻していた。
「あのな、おれがこういうこと言うのはなんだけど、今のおまえには王族としての責務とかはもう考える必要はなくてさ。他にしたいことが見つかったなら、それでもいいんじゃないかなって。すべきことも、守るものも、誰かに押し付けられることじゃない。ティーエはこれからティーエの思うように生きたらいい」
ティエンランが少しむっとしながら言う。
「そういうおまえさんはどうなんや?」
「おれ?」
「王として、そういうの抜きでやりたいことはないんか?」
ロッソは困ったように微笑む。
「それは、今のおれが答えちゃダメなやつだろ」
「おれにはああいうこと言うといて? それはずるいんとちがうか?」
ティエンランはロッソの胸倉をぐいっと掴んで引き寄せる。
そうしてやや前かがみになったロッソの口元に耳を寄せて、悪い顔で笑った。
「そら、ここだけの話や。こそっと言うてみい。おれはおまえの国の民とは違う。聞いたところで幻滅やこうせんし、責めたりもせん。それにこれでも口は固い方なんやからな」
ロッソは視線を上に向けて一瞬だけ迷い、それから口元に手を当てて小声で言った。
「まだずっと先だけど……王位を譲って役目を終えたら、どこか田舎で馬とか牛の世話しながら、のんびり暮らしてみたいんだ」
ティエンランは驚きに目を丸くし、その後で声に出して笑った。
「あー似合う似合う。おまえさんの場合、王様やっとるよりもずっと似合うわ。そんならはよう立派な後継ぎを作らんとな」
そんな笑うかなあとロッソは口をへの字に曲げて、残りの本をすべて棚に押し込む。
するとティエンランは、
「あ、おい分類別にせえって言うたやろうが! 適当にしまうなアホ!」
と怒った。
その頃にはすっかり体の状態は元に戻っていて、ティエンランは表向き宮廷付きの魔法使いとして、西の別棟の一部を与えられていた。エストレラに伝わる古代魔法の知識を欲する者は多く、城に仕える魔法使い達がひっきりなしにティエンランの元を訪れた。ティエンランは自身が知り得る限りの知識を彼らに授け、自身も研究に勤しんだ。
ロッソは公務の合間にティエンランの元にやってきては、とりとめもない話をした。
王という立場柄、対等に話せる相手は少ない。その点ティエンランは元王族で、更にロッソとは年が近いということもあって、二人の間には堅苦しさや妙な遠慮がなく、まるで古くからの友人のような親しさがあった。
「ティーエはこれからやりたいこととか、何かないのか?」
ティエンランの部屋は大抵積まれた本の塔がいくつもできていて、それを避けて座るスペースを作りながら、尋ねるロッソに対して、
「あ、ついでにそこのやつ棚に片しといてくれ。適当に並べんなよ、分類別やぞ。そんでそっちの方のは帰りに書庫に返しといてくれ」
ティエンランは気安く言ってから、考えるように首を傾けた。
ロッソは棚に本を並べながら、付け加える。
「体も元気になったしさ。今ならどこでも行けるだろ、あ、別にここを出て行けって意味じゃないぞ。ただほら、国の再建は考えたりしないのかなって」
「あー……」
「途中ではぐれたっていう妹君や逃げのびた人たちを探したりさ」
ロッソが振り返ると、自分でも本を棚に戻すティエンランの背中が見えた。
降りた沈黙に、察したロッソは手元に視線を落とす。
「ごめん、そう簡単にできることでもないよな。でももし、いずれそんなことになったなら、その時はおれも可能な限り協力はさせてもらうから」
「ああ、おおきに……」
ロッソの気遣いに心底感謝しながらも、ティエンランは本当はもう知っていた。
傀儡の術で動けなくされた後も、意識だけは残っていた。
共に奴隷商人に囚われた幼い妹姫は同じように術を施される前に命を落としていた。動かなくなった彼女をゴミと同等に捨てる商人たちを、ティエンランは見ていた。人形と化した自分には、涙を流すことすら許されなかった。
生き延びた者などいるのだろうか。
仮に国から逃げ出せていたとして、それからどうなったかわからない。
住む家もない。
食べるものもない。
どうやって生きていくというのか。
ひょっとしたら自分たちと同じように奴隷として売られた者もいるかもしれない。
奴隷の扱いは家畜以下だ。
自分は運がよかった。
そんな鬱屈とした考えから逃れるように、ティエンランは研究に没頭した。
ただ、いつまでもこのお人好しな王の好意に甘えて、この国に厄介になるわけにはいかないことはわかっていた。
隣に気配を感じ、はっとして振り向く。
ロッソがまた本を抱えてやってきて、棚の空いたところに戻していた。
「あのな、おれがこういうこと言うのはなんだけど、今のおまえには王族としての責務とかはもう考える必要はなくてさ。他にしたいことが見つかったなら、それでもいいんじゃないかなって。すべきことも、守るものも、誰かに押し付けられることじゃない。ティーエはこれからティーエの思うように生きたらいい」
ティエンランが少しむっとしながら言う。
「そういうおまえさんはどうなんや?」
「おれ?」
「王として、そういうの抜きでやりたいことはないんか?」
ロッソは困ったように微笑む。
「それは、今のおれが答えちゃダメなやつだろ」
「おれにはああいうこと言うといて? それはずるいんとちがうか?」
ティエンランはロッソの胸倉をぐいっと掴んで引き寄せる。
そうしてやや前かがみになったロッソの口元に耳を寄せて、悪い顔で笑った。
「そら、ここだけの話や。こそっと言うてみい。おれはおまえの国の民とは違う。聞いたところで幻滅やこうせんし、責めたりもせん。それにこれでも口は固い方なんやからな」
ロッソは視線を上に向けて一瞬だけ迷い、それから口元に手を当てて小声で言った。
「まだずっと先だけど……王位を譲って役目を終えたら、どこか田舎で馬とか牛の世話しながら、のんびり暮らしてみたいんだ」
ティエンランは驚きに目を丸くし、その後で声に出して笑った。
「あー似合う似合う。おまえさんの場合、王様やっとるよりもずっと似合うわ。そんならはよう立派な後継ぎを作らんとな」
そんな笑うかなあとロッソは口をへの字に曲げて、残りの本をすべて棚に押し込む。
するとティエンランは、
「あ、おい分類別にせえって言うたやろうが! 適当にしまうなアホ!」
と怒った。