第10話

文字数 2,483文字

「直りましたよ。これでもう、いつもの呪文(アンスール)で開くはずです」
 ガゼルがそう言ってふり返ると、メイは「おお」と感嘆の声を上げる。
「さすがは副司祭殿。本当にあっという間でしたな」
「たいしたことではありません。文字が消えないように、さび止めをなさることをおすすめしますよ」
「いえ、これはどの魔法使いをもってしても、びくともしなかった難問。いや、感服いたしました」
 メイの大げさすぎる言いように、ガゼルは内心眉をひそめる。
「司祭をお継ぎになるのに、本当はもう充分なお力を備えておいでなのではありませんか?」
「とんでもない」
「いえ、私はあなた様の魔法がまだ不十分だとは思えません。もう司祭をお継ぎになってもよろしいのでは?」
「それは無理です。私の修行はまだ八十五年も残ってるんです」
「司祭になるには百年の修行が必要だと、司祭はそう言い張っておいでですが、果たしてそれは本当なのでしょうか?」
「どういう意味ですか?」
「こう言っては何ですが、司祭のおっしゃることを全て鵜呑(うの)みにしてしまうのはどうかと」
 ガゼルがいぶかしげに眉をひそめると、メイは困ったなぁとでも言いたげな表情を浮かべた。
「司祭といえども人間です。やはり、手にしたものを失うのは()しいのではないでしょうか。ですから、あなたをいつまでも未熟だということにしたいのでは? そして自分の寿命がまだまだ続くのをいいことに、司祭の座に居座り続ける」

 いったい何を言っているのだろうかかと、ガゼルが顔をしかめると、メイは彼の肩に手を置いた。
「だいたい、百年の修行が必要だと言うことを、司祭以外の者が確認することなどできないではありませんか。誰一人、司祭の命にはついて行けない。そうでしょう? あなたは副司祭といえど、まだ十五歳。魔法の腕は素晴らしくとも、まだ何事も疑ってみるということはご存じないのでしょう」
 まあ当然です、とメイはうなずいてみせる。ガゼルはさすがに頭にきて肩に乗せられた彼の手を払いのけた。
「司祭のことを、よくご存じないのはあなたの方です」
 メイはやれやれと首をふる。
「信じたものがくつがえるのは、とてもつらく悲しい経験です。しかし、すぐにわかりますよ。国王陛下が誤りを正してくださいます」
「誤り?」
「世の中はどう惑おうとも、正しい方へと流れてゆくものです。これからの流れをご覧になれば、誰の言うことが正しいかわかりますよ。陛下や副司祭には、素晴らしい力と知恵があります。それを信頼なさいませ」

 いったいこれは何なのか。ガゼルはメイの思惑を推し量りかねた。

 クリフォードが司祭を辞めたくなくて、それでガゼルに百年の修行をさせようとしているとすれば、ガゼルにはそれに反発する気などなかった。実際司祭を継ぎたいと思ったことなどないのだ。もっと言えば、魔法使いですらなくてもいい。

 ただ、クリフォードたちと、これまでのように国中を旅して暮らして行ければそれで充分で、そうでなくとも、何かの商売をしてみたかったし、どこかの農場で働いてみてもよかった。魔法を使わない生活をガゼルは充分楽しめたし、むしろ使わないでおこうと思っても、いつの間にか発動してしまう魔法がわずらわしいことこの上ない。

「副司祭?」
 メイがゆるく首をかしげてみせる。

 何かがおかしい。早く、クリフォードの元に戻らなくては。そう思った時、ピリリと空気を伝った何かに、ガゼルは弾かれたように顔を上げた。それにメイがいぶかしげに眉をひそめる。
「いかがされました?」
「聞こえませんか?」
「は?」
 それは確かな『声』だった。
 ガゼルはその『声』のする方へ駆け出すと、メイがあわててその後を追って走った。


***


 困りましたね、とクリフォードは苦笑した。
「【星】の魔力を解放できるのは司祭のみですが、それには多大な魔力を消費いたします。魔法を解放すれば、まず私の命は尽き果てます」広間にしんとした静寂が落ち、クリフォードは短く息をつく。「命乞いをしようというのではありません。私はもう充分生きました。しかし、私が今この世を去れば、司祭の席が空席になります。それを【星】は絶対に認めません」
「かわいい副司祭がいるではないか」
「副司祭とは名ばかり。あの子は魔力の強い子どもにすぎません。司祭になり得るには、少なく見積もっても、あと八十年は時間をいただかねばなりません」
「それは弱ったな」そう言ってヤラは椅子に肘をつくと、その上にこめかみを載せる。「今朝耳にした話によれば、近々大規模な暴動の計画があるらしいのだ。主要都市を含む最大八つの都市で行われるらしい。彼らの要求はただひとつ。魔法を国民に解放すること。それのみなのだがな」
「近々とは?」
「十日後だ」
 それにはさすがのクリフォードも驚きを隠せなかった。それにヤラは深々とため息をついた。
「しかし、そなたが魔法を解放できぬのであれば、それを止めるすべはないやもしれぬ。これは内戦にも発展するやもしれぬ」

 ヤラの微妙な間を持たせた言いように、クリフォードは嘆息(たんそく)する。
 その暴動と王家、少なくともヤラは無関係ではないだろう。そして、この事態をあおっている魔法使いがいる。
 ヤラはそもそも魔法使いとうまくやろうなどとは思っていない。自分の支配下に置くか、叶うなら、王家に従う者だけを残してその他の者は排除してしまいたい。それには司祭の存在が最も邪魔なのだ。

「本当にどうにもできぬものか、副司祭にも一度話を聞いてみねばなるまいて。司祭はこの事態をどうお考えかわからぬが、わしは国王として、何としてもこの国を救わねばならぬのでな。可能性のあるものはひとつ残らず探ってみねばならぬ。今は国の危機だ。手段を選んではおれぬ」
 憂うつそうな口調とは裏腹に、ヤラの鋭い目がクリフォードのそれを捕らえる。

 いつかこうなるだろうとは思っていた。しかし、他にやりようはいくらでもあった。国王自らがこんな手に出るとは。
 深く息をつくと、クリフォードは口元に苦い笑みを浮かべる。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み