第19話

文字数 3,027文字

 白い階段を登って扉を抜けると、ヤラと数十人の兵士が待ちかまえていて、ヤラはガゼルの姿に気付くとハッとしたように立ち上がって彼の方へ歩み寄った。

「魔法は解放されました。呪文(アンスール)法印(タウ)さえあれば、どなたでも魔法は使えます」
 ガゼルのくっきりした声に、おお、とどよめきが上がる。
「よくやってくれたガゼル、いや、司祭。クリフォード前司祭の姿が見えぬようだが……」
 ヤラのわざとらしい様子にガゼルはにこりと笑む。
「前司祭は星の元へ戻りました。とても安らかな様子でした」
「星の元?」
「前司祭はもう二百五十七歳でしたので、魔法の解放で魔力を使い果たし、亡くなったのです」
「なんと、そのようなことがあろうとは。知らずとは言え、申し訳なかった。葬儀は我が王家も……」
「結構です」
 ガゼルが王の言葉を制すると、あたりがざわめいたが、かまわずガゼルは続ける。
「お気遣い感謝いたします。しかし司祭に葬儀も墓所も必要ありません」

 そのガゼルの様子にヤラはふと違和感を感じ取り、いぶかしげな目を向ける。

「魔法に関して少しご注意を申し上げますと、魔法はここホルトゥス・レグルスを頂点として、国の端へいくほどに弱まります。そして、国境を越えれば、完全に消え失せます」
「なんと、それはどういうことだ?」
 ヤラのあわてた様子に、あたりにもざわめきが広がった。
「前司祭が最期に結界を張ったのです。まあ、テサ国民が魔法を使うための解放ですから、かまいませんね?」
 ひょいと首をかしげてみせると、ヤラは明らかに動揺した様子で、口をモゴモゴさせながらガゼルを見る。
「その結界は、破れるのか?」
「できるとしても、破るつもりは毛頭(もうとう)ございません」
 ガゼルはほのかな笑みを浮かべていたが、その琥珀色の瞳には鋭い光が宿っていた。

 ヤラは少し混乱していた。確かに目の前に立っているのは見知った少年だったが、以前彼が副司祭就任のあいさつに訪れた時とは、明らかに何かが違っている。養父の死を目の当たりにしたのだから、気が立っていても沈んでいても当然なのだが、それだけではないように思われた。言葉のはしばしに、ここにはいないはずの、いつも彼の隣にあったあの魔法使いの影がよぎる。

「そなた、本当にガゼルか?」
 思わず口がそう言っていた。するとガゼルはふっと笑みをこぼす。
「それ以外の何者だと? 陛下、魔法が解放されたということは、【星】が私を司祭と認めたということですよ」
「それがどうしたというのだ。そんなことはわかっている」
 そうでしょうか、とガゼルはまた小首をかしげてみせる。それにヤラはあせりとも不安ともつかない感情にいらだって、顔を少しずつ強ばらせていった。
「陛下、星を持って生まれた者がたった十五で副司祭に就任するのはなぜだとお思いですか? その時点で魔力が充分に備わるからなのです。様々な知識の習得が早ければ、その力は司祭に匹敵します。ですから副司祭という枠を設けて、管理する。それならなぜ、司祭を継ぐために百年の修行が必要なのか」
 ヤラのいらだちの入りまじった目に、ガゼルはニヤリとする。
「司祭を継ぐために最も必要なのは力でも技術でもなく、それに耐えうる精神です。その人格形成に百年かかるのですよ」
 あたりは静まりかえり、ガゼルの声が反響する音だけが、やたらに大きく響いた。
「いったいどういうことだ。そなたはまだ十五年しか生きていないではないか」
「陛下のご意思に従うため、前司祭が私の修行を三日で終われるよう尽力してくださったのです。ごらんの通り見た目にはわかりませんが、私はもう百十五年の時を過ごしました。つまり、この国のどなたより年上ということになりますか」
「──三日で百年だと? そんなバカげたことが……」
「目上に対する礼はとっていただかなくて結構ですよ」
 ガゼルがにこりとすると、ヤラはおもしろいぐらい顔を引きつらせた。
「それでは、解放もすみましたし、そろそろおいとまいたします。魔法の規定については、また整いしだいご連絡申し上げますので」
 優雅なしぐさで腰を折り、何か言いたそうに口を開けたり閉めたりしているヤラと、ざわつくことすらできない兵士の群れを残して、ガゼルは王城を後にした。



 王城と法庁のちょうど真ん中に位置する円形の広場まで来ると、多くの魔法使いたちが集まっていた。司祭の帰還を待っていたのである。その最前列に当主たちの姿がある。
「お待ちしておりました司祭」
 ルイス・カノが(おごそ)かに言うと、一斉にそこにいた全ての魔法使いが腰を折った。そしてその手にうながされるままに、ガゼルが日時計の日を指す針の先端に登ると、それを数千の瞳が見上げた。その中にアレフたちの姿もあった。
「先ほど、前司祭クリフォード・ウィルドの手によって、魔法は全てのテサ国民に解放された。引き出せる魔力は遠く魔法使いにはおよばないが、この先必ず混乱する。魔法使いの称号を持つ者、そして称号を持たない五家の人間も全て、魔法の先達(せんだつ)として彼らを導き、また節度ある行動を」
 ガゼルの声が広場に響きわたり、それが消えるとともにガゼルの姿もまたそこから消え失せていた。

 ここにテサ史に残る、混乱の日々が幕を開ける。



***



 人気(ひとけ)のなくなった法庁(バーカナン)へ戻ると、真っ先にジーナが出迎えた。きっとそわそわしながら待っていたに違いない。ガゼルの手を取ったジーナの指先は冷たくなっていた。
「よく戻ったね、ガゼル」
「こんなところにいたの、ジーナ。さっきオセルのところにいなかったからどうしたのかと思ったよ」
「だって、お前……」
 強くにぎった手が、少しふるえていた。
「……ごめん、ジーナ」
「何が」
 それには答えず、ガゼルはふと笑みを浮かべる。それはいつもの快活な笑みではなく、深く(うれ)いをおびていて、クリフォードのそれによく似ていた。
「そんな顔しないで、ジーナ。私は大丈夫だよ」
 反対にそう言われて、ジーナは息を詰めた。ガゼルはその手をほどいて、今度は自分の手をジーナの手に重ねた。
「私にはジーナやみんながいてくれる。だから、大丈夫」
 またガゼルはにこりと笑って、ジーナの肩をそっと抱きしめた。
「オセルはまだ広場にいるよ。間に合わせの介助じゃ手こずるだろう。行ってあげて」
 ガゼルはジーナから体を離すと同時に姿を消した。

 ジーナはしばらくそこから動くことができなかった。のろのろとその冷たくなった手をにぎり合わせると、きびすを返す。
 脇目もふらず大股に廊下を歩く。もう視界がぼやけてよく見えなかったが、見慣れた自室のドアを乱暴に開くと、たまらず嗚咽(おえつ)がこぼれる。
 椅子にもベッドにもたどり着くことができずに、ジーナはくすんだカーペットの上にくずおれた。

 違う──

 こらえきれずに手で口元をおおった。

 あんな笑い方を、あんな風に人を気遣って笑うような子ではなかった。いつも自分の心に正直で、笑いたい時に笑い、腹が立てば怒り、泣きたい時に泣く子だった。

 あれは司祭だ。

 それをどうしようもなく鮮烈に感じてしまった。
 クリフォードは本当にガゼルを立派に育て上げたのだ。ほめてやらなければ、よろこんでやらなければならない。ガゼルが司祭になるのは生まれた時からの宿命で、それが早まったというだけのことだ。何を悲しむ必要があるのかと、心の奥底で笑う者がいる。それでも。

 あの無邪気な少年も、あの穏やかな魔法使いも、もういない。それが、ただ、悲しかった。
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