第8話

文字数 2,528文字

「そんなに悠長にお茶なんか飲んでていいんですか?」
 ガゼルが横目で見やるが、クリフォードはすましてカップを口元へ運んだ。
「ガゼル。四六時中神経を張りつめていたのでは、三日と持たないよ。やる時と休む時との、めりはりをつけないといけないね」
「ここ十日ほどは会議もなく、噴水の広場や(ひし)の庭をぶらぶらしたり、こうしてだらだらお茶を飲んでるぐらいで、これと言ってお仕事をなさっているようには見えませんが」
「ぶらぶらとかだらだらとか言わないでくれたまえ。私はこれも、お前の教育の一環としてそうしているんだよ」
「私を口実にしないでください」
 ガゼルは眉間にしわをよせるが、クリフォードはにこりとする。
「ふむ、だいぶ言葉遣いもよくなったね。やればできるじゃないか」
「クリフォード! そんなことどうだっていいだろ! そんなことより、どうするんだよ。このままじゃ国が崩壊してしまうぞ」
「そんなことにはさせないから大丈夫だよ」
 なおも悠長にお茶を飲むクリフォードに、ガゼルは深々とため息をついてうなだれた。クリフォードはようやくカップをテーブルに置いた。
「お前は私にどうしてほしいんだ」
「心配じゃないの?」
「何が」
「何がって、全部だよ」
「全部とはまた豪儀(ごうぎ)だね」
「だって、このままじゃ、当主の中にまで魔法を解放しろって言い出す人が出てきそうじゃないか」
「だからといって、ここで私まであわててもしかたがないだろう。あせらずとも動かなければならない時がすぐに来るさ。そんなことを思い悩むより、今この時間を楽しんではどうかね?」
 のんきに言って、クリフォードが焼き菓子の載った皿を差し出すと、ガゼルは勢いよく立ち上がった。
「もういい! ぼーっとしてて大変なことになっても知らないからな!」
「待ちなさい、副司祭」
 出て行きかけた足が止まる。
「司祭となる者なら、これしきのことを恐れるな。真理(しんり)はお前にできないことをやれとは言わない」
 ぐっとこぶしをにぎり、ふり返る。するとやはりクリフォードの笑みにぶつかって、ガゼルは胸の奥に何かが激しく渦巻くのを感じた。
「俺はクリフォードのことが心配なんだよ。それに、俺は星を持って生まれたくなんかなかった」

 それだけ言うと、ガゼルはなかば走るように扉の外へ出て行った。それを黙って見送ると、クリフォードは困ったような笑みを浮かべてほおづえをついた。

──どうにもならないことなら話しておやりよ

 ため息がもれていく。
「多くを知り学んだつもりでも、人というものは、己さえも(ぎょ)することがむずかしい」

 苦笑して、孔雀石の首飾りをはずす。まるで水の流れを描いたような緑のしま模様の奥に、古代魔法の光が揺らめく。副司祭就任のおりに、カルディ前司祭にもらった物である。

──お前がそれを選んだことにも意味がある

 クリフォードが孔雀石を選んだとき、カルディはそう言った。たいていは、何でもないような古代魔法が込められた石しか用意されないが、どういうわけか、司祭は後にそれを必ず使うことになるという。

 緑の美しいしま模様をしばらく眺めてから、パチンと指を鳴らす。すると石が割れ、その中から淡い光がさまよい出て、クリフォードの眉間の辺りに吸い込まれていった。

久遠(くおん)の果てに()にし叡智(えいち)よ、我が呼び声に()せ来たれ──」

 司祭の間が白い光に満ちた。



 腹の中にモヤモヤを渦巻かせながらガゼルは大股に廊下を歩く。こんな所にいるだけで気が滅入りそうだった。堂々と大扉から噴水の広場に出ると、噴水のほとりには先客がいた。

「副司祭」
 アレフはガゼルの姿に気付くと、手にしていた本を閉じる。
「その呼び方はやめてくれ」
 いらいらと言うガゼルにアレフは苦笑して、本を脇に置く。
「ご機嫌斜めですか?」
「斜めどころか垂直だよ」
 言いながらアレフと少し間を空けて座る。
「……そもそも機嫌というのは元は水平なのか?」
「ああもう、うるさい!」

 いまいましそうにガゼルがほおづえをつくと、アレフはやれやれと息をつく。
「ここまで伸びやかに来たと思ったが、反抗期か?」
「反抗期って何?」
「お前ぐらいの年頃になると、たいていの人間がかかる親に逆らいたくなる病だ」
「親なんか見たこともないけど?」
「司祭とケンカでもしたんだろう。どうせ、お前が一方的に怒ってるだけだろうけど」
 ガゼルはますます不満げに顔をしかめた。
「別に逆らってなんかない」
「そういうもんだよ」
 いかにも先輩ぶった言い方に、ガゼルはフンと鼻を鳴らした。
 確かにアレフは今年で三十になる立派な人生の先輩である。五年ほど前からはガゼルだけではなく、他の学校の教師としても勤めている。しかし、今はどんな偉大な人物の言葉であろうとも、殊勝(しゅしょう)に聞く気にはなれなかった。

「魔法が解放されたら、まず何をやってみる?」
 ガゼルの気軽な問いに、アレフはさっと表情をとがらせた。
「解放なんてされるはずないじゃないか。お前はまだ副司祭なんだし」
「でも、もう魔法解放を訴えてる魔法使いの集団もずいぶん大きくなってるし、そろそろラーグあたりなびくんじゃないの? 当主が解放に賛成したらどうする、アレフ・ラーグ?」
 ガゼルが不敵な笑みを浮かべてふり返ると、アレフはぎゅっと眉をよせた。
「賛成なんかしない」
「無理すんなよ」
「バカ、俺はお前の教育係だぞ。賛成なんかするもんか。たとえ当主が賛成しようと関係ない。司祭に魔法のために死んでくれなんて、俺は死んでも言わない。たとえ一族で最後の一人になろうと魔法の解放には反対だ」

 それまで何とか笑みを保っていたガゼルの顔がゆがむと、アレフは麦わら色の髪をガシガシとなでた。目にわき上がってきたものを見られたくなくてうつむくと、ガゼルはまだゴシゴシやっているアレフの手をうるさそうに払いのける。

「大丈夫だ。【星】は司祭がいなくなることを望まない。お前みたいな半端な副司祭に、まだまだ司祭なんか任せられるわけないだろう。大丈夫だ」
 そうだったらいいと思う。そうなら、このままずっと半端な副司祭で、立派になんかならなければいい。

──これしきのことを恐れるな

 司祭になったら、大切な人との別れも、これしきのことと、そう思わなければならないのだろうか。
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