第18話

文字数 2,425文字

 ふとガゼルは足を止める。
「【星】を、壊すことってできないのかな」
 ガゼルのつぶやきは、白い空間に何度かぶつかって跳ね返り、吸い込まれるようにして消えていった。
 笑って、クリフォードはその扉を開く。
「司祭ならみんな一度はそう思う。しかし、【星】は世の人々が思うより非情で、私たちが思っているよりも尊いものだ。あの【星】がなくなっても、おそらく同じ性質を持った別の何かが生まれ、また人に魔力を提供する。我々は常に試されているのだ」
 何に、とガゼルが問うたが、その時にはもうクリフォードは扉の向こう側へ足を踏み入れていた。

 風を感じて目を開くと、そこはひどく白んだ生き物の気配のほとんどしない場所だった。【星】を発見したばかりで魔法に無知だった頃に、無秩序に使った魔法が未だに残っていて、いじけた雑草ぐらいしか育たないのだ。ポツポツと並んでいる古い墓標は、ウィルド・クルクスの生きた時代に立てられた物だと言うが、定かではない。

 少し歩いて、石が丸く並べられた場所に来ると、クリフォードはガゼルをふり返る。めずらしくその手には杖がにぎられていて、この魔法が本当に強大な魔力を要することがわかる。
 しかし彼は本当に穏やかな顔をしていた。

「後はお前にまかせる。お前なら判断を誤ることはないだろう」
「絶対なんてことはこの世にはない」
 ガゼルがわざとらしく眉を持ち上げるが、クリフォードは穏やかな笑みを崩さなかった。
「もし間違っても、それを正解にすればいい」
「結局は努力しろってこと?」
 クリフォードはふふっと笑う。
「己の中にのみぞ、それを見る」
「またそれ?」
 ガゼルが少し悲しげに笑うと、クリフォードはコツンとガゼルのひたいをこづいた。
「さて、ガゼル司祭。じいさんの最後の魔法を、とくとごらんあれ」
 クリフォードが円の中心に杖の先を置くと、そこから泉のように光があふれ出してあっという間にクリフォードの体を包み込む。

 赤でも緑でも黄色でもない、透明で純粋な光が川のようになって流れ出ていく。その中心からすさまじい魔力の波が押し寄せてきて、頭がクラクラした。その中から、かすかに【星】の声がする。

──生まれろ、生きろ、死ね

 【星】はまるで(うた)うようにそればかりを繰り返した。

 どれくらい時間が経ったのか、気がつくとクリフォードを包んでいた光が弱まっていて、代わりにその足元に【星】の気配があった。光は少しずつ弱まっていき、消えるかと思った瞬間、クリフォードが杖を横にふり抜いた。そこから新たな魔力がほとばしり、すさまじい勢いで広がった。

「クリフォード!」

 思わず駆けよると、ゆるゆるとその体がかしいで、ガゼルに寄りかかった。
「さらに魔法を使うなんて、何て無茶を!」
 ガゼルのあわてた声に、クリフォードは笑ったようで抱えた腕に震動が伝わった。
「国の形に結界を張った。魔法は解放されたが、魔力はこの場所がもっとも強く、国の端へゆくほどに弱まって、国境を越えると完全に消え失せる。これで、【星】も魔法も国外へ持ち出されることはない」
 その内にもクリフォードの体から力が抜けていき、ずるずるとずり下がって、地面に崩れるようにしゃがみ込む。
「クリフォード──」
「ガゼル、顔をよく見せてくれないか」
 寄りかかった体を起こし、クリフォードは大事そうにガゼルの頬に触れる。
「ああ、やっとだ。これでやっとお前のことを考えてやれる」
 ため息のように言って、クリフォードはやわらかな笑みを浮かべたが、その顔も急速に老いてゆき、新たな深いシワが刻まれる。
「司祭としてやってきたことに一点の悔いもないが、お前の親としては、どうだっただろうか」
「何言ってるんだ」
 何とかそれだけ言ったが、それ以上は言葉にならなかった。
「お前に押しつけておいて何だが、司祭でなくなるというのはいいもんだな、ガゼル。ここから先は司祭ではなく、ただの老いぼれじじいの言うことだと思って聞くがいい。
 これから先、お前が(かえり)みられることはないだろう。だから、様々なことが起こるだろうが、お前が何かしてやる必要はないよ。ただ、もしお前がそれでも、人間というものを愛せるなら、魔法を封じてやってくれ」
「むずかしいことを言うね」
「私は信じるものが多いと言っただろう」
 笑って、クリフォードはガゼルの肩にひたいを乗せた。
「ガゼル、年を重ねるごとに人生は輝きを失って、くすんでゆくと思うか? 答えは(いな)だ。私の人生は、今この時が最も美しい。
 お前にはやらなければならないことが多くある。しかし、それをこなしさえすれば、運命はお前が楽しむことを禁じたりしない、できない。あえて苦難ばかりを選んでゆく必要はないよ。楽しみなさい」
「──もちろん、そのつもりだよ」
 そうか、とクリフォードは笑ったようだった。その背中をそっと抱きしめてみると、ゴツゴツと背骨が浮き出ていた。

「お疲れ様、クリフォード」

 不意に風が揺れ、目の前に黒と白のローブをまとった人影が現れる。彼らは一様に穏やかな笑みをたたえていたが、そこに暖かさはない。
『ご苦労でしたね、クリフォード』
 耳へは届かないがやわらかな声で言い、ガゼルに小さくうなずくと、彼の手の中からクリフォードを抱え上げた。
「よろしくお願いします」
 ガゼルが頭を下げると、彼らはそれぞれの手にクリフォードを抱えながらガゼルをふり返った。
『頼みますよ、ガゼル。また、会いましょう』
 ガゼルが顔を上げたときには、もうそこに彼らの姿はなく、たださわさわと風に揺られた草が立てる小さな音だけが漂っていた。

 少し先に、きらきらと鋭い光を放って【星】が転がっていた。ガゼルはクリフォードの残していった杖を拾い上げると、その【星】の上にかざし新たな魔法の光を散らせて【星】の姿を隠した。

 終わった。とどこおりなく、つつがなく。

 のろのろと立ち上がってホコリを払うが、白くて細かい砂は黒い法衣にまとわりついて消えなかった。
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