岐路
文字数 2,564文字
七月六日
月曜の朝、いつもの通学路を自転車で走ってゆく。テストはあと今日と明日だけだ。全然勉強できていないが、まあ、平均点はとれるだろう。
覚醒しきってない頭でそんな事を考えながら踏み切りに近付いていくと、少し手前まで来たところで、踏み切りは音を上げながら門を閉じていった。
ブレーキをかけ、片足をつく。ぼんやりと赤い点滅を見ていると、後方からセーラー服姿の女の子が歩いてきた。
女の子はただ前だけを見据え、遮断機を目の前にしても歩調を緩める事はなく――
「待って」
背後でガシャン、と音がした。恐らく、私の自転車が倒れた音だろう。
私は、女の子の肩を掴んでいた。女の子は目を丸くして、こちらを見ている。
なんと声を掛けよう。私は、刹那頭の中で言葉を模索し、口にした。
「・・・死なないで」
幽霊相手に死なないで。何と不毛な響きだろう。
しかし、私は女の子の目を、逸らさず見つめる。強い意思を持って。
女の子はぽかんとした顔でこちらを見ていたが、暫しの沈黙の後、微笑んだ。
「ありがとう。止めてくれて」
そう言うと女の子は、呆気なく消えていった。昨日の男の子と同じ様に。
私の目線の先で、電車が通り過ぎていく。過ぎ去り、暫しの踏み切り音の後、遮断機は無機質に開いた。
私は倒した自転車を起こし、再度跨った。踏み切りを通り抜け、学校までの道を走りながら、私は、感慨にふけっていた。
――こんな簡単に出来るんだ。私にも――
勿論、あの霊は浄化しやすい類のものだったのだろう。悪意らしい悪意はなく、ただ未練を遺して死んでいった霊。あの子は、ただ、誰かに自殺を止めてほしかったのだ。それだけの理由で、ずっと踏み切りに縛られていたのだ。
自殺を止めただけの、簡単な浄霊。それでも、私が、私なんかが、誰かを救った。
私は、自転車を止め、スクールバッグの中から、スマホを取り出す。
そして、数少ない発信履歴から一つの番号を選び、発信した。
天会寺が鎮座している山。その山にある大きな石段から、少し北に逸れたところに、住宅街に沿うように階段がある。その階段を登って、いくつか角を曲がった先に、一見すると唯の家のような、小さな店がある。
私はその小さな店の、緑色のドアをゆっくりと開けた。チリンチリン、とドアに掛けられた鈴が音を鳴らし、続いて「いらっしゃい」と中から声が聞こえた。
「待っていたよ。宵村さん」
店内に足を踏み入れると、狛井骨董店の店主がそこにいた。
「いやー、朝早くに電話がきたから、びっくりしたよ」
「すみません、寝ている時に掛けてしまって・・・。狛井さんの都合を考えていませんでした」
「いいよ。自分が遅寝遅起きなのも悪いし。それより・・・」
そこまで言うと、狛井さんは、両腕を大きく広げて微笑んだ。
「ようこそ、狛井骨董店へ!新入りくん!と言っても、自分と君しかいない訳だけど」
「・・・宜しくお願いします」
私は、ここで浄霊のバイトをする事になった。
天会寺のバイトはクビになってしまったので、以前スカウトしてくれたここだったら雇ってくれるのではないかと思い、バイトをしたい旨を伝えたら、案の定、彼は二つ返事で受け入れてくれた。
「いやー、君も、浄霊の素晴らしさに気づいたのかな?」
狛井さんがにやけながら言う。
私は、返答に窮する。
「・・・分かりません。私はやっぱり、貴方みたいに、霊の全てを救おうとは、思えないんです。自分が同情した霊さえ救えればいいかなって、そんな感じなんです。バイトを志願した理由も、お金が欲しいからですし。人間相手にするより、霊相手の方が気楽だなって思っただけだし・・・」
私は、つい目線を下げて言ってしまうが、恐らくこれは本心だ。
すると、狛井さんは微笑みながら、「うんうん」と、声を出して頷いた。
「いいんだよそれで。違う風に育った違う人間が、全く同じ志を抱く必要は無いんだから。・・・ただ、一つだけ、聞いていいかな?」
「はい?」
「君は何で、お金が必要なの?遊ぶ金が欲しいってわけでもないんでしょ?」
彼の問いに、私は目を伏せ、思案する。ややあって、私は口を開いた。
「進学資金、ですかね」
「進学資金?」
「はい。・・・私も、何処まで生きるのか、分からないですけど、一応将来の為の蓄えはした方がいいかなって」
「・・・親御さんは?」
狛井さんは、少し遠慮がちに尋ねた。踏み入った事を聞いていると自覚があるのだろう。
「父親は、私が小学生の時に死にました。母親は働いていて、私一人を養えるくらいのお金はあるんですけど・・・あまり、親に頼りたくないんです」
私は、そこで言葉を途切らせた。この先を聞かれたら、何て答えよう。
私は頭の中でうまい言葉を模索していたが、狛井さんはそれ以上は踏み込まず、「そう」とだけ答えた。
二人の間に沈黙が流れるが、すぐに狛井さんは、「さて!」っと言って両手を叩いた。
「何はともあれ、ウィンウィンって事だ!それじゃあ、最初の仕事だけど、店の中を掃除してもらっていいかな?」
「・・・え?」
思いがけない言葉に、私は唖然とする。
「浄霊のバイトじゃないんですか・・・?」
「寺とは違って、そんな矢継ぎ早に依頼なんて来ないよ。寺が霊を祓うってのは想像に容易いけど、骨董品屋が霊を浄化してるなんて、思わないでしょ?全部の骨董品に霊がついているわけでも無いんだし」
「確かにそうですけど・・・。」
「だから、依頼とか、曰くつきのものが来るまでは、掃除・品物の管理、後は接客かな?」
「せ、接客!?」
私は、つい声を上擦らせて言った。
「うん。うちはネット販売はしてないから、店頭でのやり取りが基本になるんだ。それに、浄霊は霊との対話を必要とするからね。人と関わる事は、いい練習になるんだよ」
狛井さんは、にっこりと微笑んでいった。浄霊の為に必要だと言われると、正直ぐうの音もでない。
そんなこんなで、不安と少しの後悔を抱えながら、狛井骨董店でのバイト一日目を迎えた。
除霊師編 完
月曜の朝、いつもの通学路を自転車で走ってゆく。テストはあと今日と明日だけだ。全然勉強できていないが、まあ、平均点はとれるだろう。
覚醒しきってない頭でそんな事を考えながら踏み切りに近付いていくと、少し手前まで来たところで、踏み切りは音を上げながら門を閉じていった。
ブレーキをかけ、片足をつく。ぼんやりと赤い点滅を見ていると、後方からセーラー服姿の女の子が歩いてきた。
女の子はただ前だけを見据え、遮断機を目の前にしても歩調を緩める事はなく――
「待って」
背後でガシャン、と音がした。恐らく、私の自転車が倒れた音だろう。
私は、女の子の肩を掴んでいた。女の子は目を丸くして、こちらを見ている。
なんと声を掛けよう。私は、刹那頭の中で言葉を模索し、口にした。
「・・・死なないで」
幽霊相手に死なないで。何と不毛な響きだろう。
しかし、私は女の子の目を、逸らさず見つめる。強い意思を持って。
女の子はぽかんとした顔でこちらを見ていたが、暫しの沈黙の後、微笑んだ。
「ありがとう。止めてくれて」
そう言うと女の子は、呆気なく消えていった。昨日の男の子と同じ様に。
私の目線の先で、電車が通り過ぎていく。過ぎ去り、暫しの踏み切り音の後、遮断機は無機質に開いた。
私は倒した自転車を起こし、再度跨った。踏み切りを通り抜け、学校までの道を走りながら、私は、感慨にふけっていた。
――こんな簡単に出来るんだ。私にも――
勿論、あの霊は浄化しやすい類のものだったのだろう。悪意らしい悪意はなく、ただ未練を遺して死んでいった霊。あの子は、ただ、誰かに自殺を止めてほしかったのだ。それだけの理由で、ずっと踏み切りに縛られていたのだ。
自殺を止めただけの、簡単な浄霊。それでも、私が、私なんかが、誰かを救った。
私は、自転車を止め、スクールバッグの中から、スマホを取り出す。
そして、数少ない発信履歴から一つの番号を選び、発信した。
天会寺が鎮座している山。その山にある大きな石段から、少し北に逸れたところに、住宅街に沿うように階段がある。その階段を登って、いくつか角を曲がった先に、一見すると唯の家のような、小さな店がある。
私はその小さな店の、緑色のドアをゆっくりと開けた。チリンチリン、とドアに掛けられた鈴が音を鳴らし、続いて「いらっしゃい」と中から声が聞こえた。
「待っていたよ。宵村さん」
店内に足を踏み入れると、狛井骨董店の店主がそこにいた。
「いやー、朝早くに電話がきたから、びっくりしたよ」
「すみません、寝ている時に掛けてしまって・・・。狛井さんの都合を考えていませんでした」
「いいよ。自分が遅寝遅起きなのも悪いし。それより・・・」
そこまで言うと、狛井さんは、両腕を大きく広げて微笑んだ。
「ようこそ、狛井骨董店へ!新入りくん!と言っても、自分と君しかいない訳だけど」
「・・・宜しくお願いします」
私は、ここで浄霊のバイトをする事になった。
天会寺のバイトはクビになってしまったので、以前スカウトしてくれたここだったら雇ってくれるのではないかと思い、バイトをしたい旨を伝えたら、案の定、彼は二つ返事で受け入れてくれた。
「いやー、君も、浄霊の素晴らしさに気づいたのかな?」
狛井さんがにやけながら言う。
私は、返答に窮する。
「・・・分かりません。私はやっぱり、貴方みたいに、霊の全てを救おうとは、思えないんです。自分が同情した霊さえ救えればいいかなって、そんな感じなんです。バイトを志願した理由も、お金が欲しいからですし。人間相手にするより、霊相手の方が気楽だなって思っただけだし・・・」
私は、つい目線を下げて言ってしまうが、恐らくこれは本心だ。
すると、狛井さんは微笑みながら、「うんうん」と、声を出して頷いた。
「いいんだよそれで。違う風に育った違う人間が、全く同じ志を抱く必要は無いんだから。・・・ただ、一つだけ、聞いていいかな?」
「はい?」
「君は何で、お金が必要なの?遊ぶ金が欲しいってわけでもないんでしょ?」
彼の問いに、私は目を伏せ、思案する。ややあって、私は口を開いた。
「進学資金、ですかね」
「進学資金?」
「はい。・・・私も、何処まで生きるのか、分からないですけど、一応将来の為の蓄えはした方がいいかなって」
「・・・親御さんは?」
狛井さんは、少し遠慮がちに尋ねた。踏み入った事を聞いていると自覚があるのだろう。
「父親は、私が小学生の時に死にました。母親は働いていて、私一人を養えるくらいのお金はあるんですけど・・・あまり、親に頼りたくないんです」
私は、そこで言葉を途切らせた。この先を聞かれたら、何て答えよう。
私は頭の中でうまい言葉を模索していたが、狛井さんはそれ以上は踏み込まず、「そう」とだけ答えた。
二人の間に沈黙が流れるが、すぐに狛井さんは、「さて!」っと言って両手を叩いた。
「何はともあれ、ウィンウィンって事だ!それじゃあ、最初の仕事だけど、店の中を掃除してもらっていいかな?」
「・・・え?」
思いがけない言葉に、私は唖然とする。
「浄霊のバイトじゃないんですか・・・?」
「寺とは違って、そんな矢継ぎ早に依頼なんて来ないよ。寺が霊を祓うってのは想像に容易いけど、骨董品屋が霊を浄化してるなんて、思わないでしょ?全部の骨董品に霊がついているわけでも無いんだし」
「確かにそうですけど・・・。」
「だから、依頼とか、曰くつきのものが来るまでは、掃除・品物の管理、後は接客かな?」
「せ、接客!?」
私は、つい声を上擦らせて言った。
「うん。うちはネット販売はしてないから、店頭でのやり取りが基本になるんだ。それに、浄霊は霊との対話を必要とするからね。人と関わる事は、いい練習になるんだよ」
狛井さんは、にっこりと微笑んでいった。浄霊の為に必要だと言われると、正直ぐうの音もでない。
そんなこんなで、不安と少しの後悔を抱えながら、狛井骨董店でのバイト一日目を迎えた。
除霊師編 完