残留思念 四
文字数 2,659文字
安定した職に続き、恋人も失った。もう私には何も残されていない。
そんな時に一筋、希望の光が差し込んだ。彼との子どもができていたのだ。
私は、とても嬉しかった。私は一人ではないのだと。今からでも遅くない。この子と、温かい家庭を、幸せな人生を築いていこう、と。
それからは体に配慮して働き、産後に自分が働いている間に子どもを見てくれるという人も見つけた。
そうして、子どもが生まれた。男の子だった。とても幸せだった。今までの人生で一番と言っても過言ではない程に。それからは身を粉にして働いた。アルバイトをいくつも掛け持ちし、苦手な肉体労働だって頑張った。全ては、温かい家庭を築く為に。
しかし、その微かな幸せでさえ、神は与えてくださらなかった。
息子が亡くなった。公園で遊んでいた時、世話人が少し目を離した隙に、ジャングルジムから足を滑らせ、落下した。即死だった。病院で息子の死を確認した時、目の前が真っ暗になった。
何故・・・何故私だけ失うの?失ってばかりなの!?
生涯学習センターに併設されている児童センター。私が子どもの時によく通っていた場所。沢山の家族を見て、いつか温かい家庭を持とうと、夢を抱いた場所。いつか、息子と一緒に来ようと思っていた場所。その夢が叶わなくなった私は、一人で足を運んだ。
温かい家族を見ていれば、私も癒されると思った。しかし、見れば見るほどに、私の心にドス黒い感情が芽生えていった。ムカつく。我が子を愛しげに見つめる夫婦。ムカつく。綺麗な服を身につけ、何の苦労も知らないような母親とその子ども。ムカつく。憎い。あいつらは多くの祝福を与えられたのに、私は、数少ない期限つきの祝福を
絶対に・・・
* *
「維純!」
私を呼ぶ声と、激しい痛みで目が覚める。
私は、遊具部屋で倒れていた。ピリッと、肌を痛いほど冷やされてるような感覚を覚える。
体を起こしてまず目に入ってきたのは、女の霊。先程と同じピントをぼかしたような姿。しかし、先程は大きさが普通の人間と変わらなかったので人の形の霊といえたものが、大きさが三倍程にもなっており、胸から下は床に埋もれてるように見えた。表情こそ分からないが、明らかに強くなった殺気とその変わり様を見ると、霊がかなり怒っている事が分かった。その霊を、為辺さんが真言を唱えて必死に食い止めていた。
「維純!走れる!?」
私の脛に馬乗りになった優里香が言った。
優里香は、私の膝頭から手を離す。先程止血した膝から、血が出ていた。私を起こす為に、思い切り摘んだのだろう。
「うん、大丈夫!」
「維純起きたのか!?ロビーまで走れ!!」
為辺さんがこちらも見ずに叫ぶ。私と優里香は、ロビーに向かって走り出した。少し遅れて、為辺さんも霊を食い止めながら走り出す。霊も途中まで追い掛けてくる気配があったが、児童センターからは出られないのか、こちらがロビーに入ると霊の気配が遠ざかっていった。
私は自販機の前の、ロビーの椅子に座った。
「維純何があったの?私が遊具部屋に入った時には倒れてたんだよ?全然起きないし。霊も何か尋常じゃない感じがしたから、急いで師匠を呼んだんだ」
言いながら、優里香は自販機で買ったココアを渡してくれた。
「ありがと・・・。私、多分あの人の記憶を視た」
「記憶を視た?」
私の言葉に答えたのは、ロビーの受付からこちらに歩いてきた為辺さんだった。手には絆創膏と消毒液を持っていた。膝頭の血がまた出てしまったので、貰ってきてくれたみたいだ。
「あ、ありがとうございます・・・。えっと私、その霊の念に、触れたんです。その・・・霊が、どうしてこんな憎しみを持ったのか、興味を持ってしまって。そしたら、意識が遠のいていって、まるで別の人になって夢でも見てるみたいに、色々見えて」
しどろもどろな話し方になってしまったが、為辺さんは理解した、という顔で頷いた。
「お前が視たのは、恐らくあの霊の残留思念だろう」
「残留思念?」
「ああ。お前はその霊に興味を持った事で、霊界の深く深くに干渉してしまった。それで、その霊がここに留まるに至った原因の記憶を見たんだろう」
「干渉して、記憶を見た・・・」
「詳しい説明は改めてする。恐らくあの霊は、お前に記憶を覗かれた事に激昂したんだろう。俺でも食い止めるのがやっとだった。また体勢を整えて後日出直すぞ。今回の件が片付くまで、児童センターも利用禁止にした方がいいな。俺から職員に掛け合ってみる」
そう言い、為辺さんは消毒液と絆創膏を机の上に置いてから、ロビーの受付の方に歩いて行った。
私は怪我の処置をし直し、優里香が買ってくれたココアを飲んだ。今日の事を思い出していると、ふと気になる事があったので、優里香に問い掛けた。
「ねえ、優里香。探索してる時に、遊具部屋から汽笛の音って聞こえた?」
優里香は、少し目を見開いた後に、「ううん、聞いてない」と答えて、目を伏せ、言葉を続けた。
「ねえ維純、維純は凄い霊力が高いんだと思う。間違いなく師匠より高い。残留思念なんて普通視えないもん。でもね、霊力が高いほど、霊界に取り込まれやすいの。維純が今日まで、今回みたいな危ない所を避けてたとはいえ、生きてこれたのは、霊に極度に無関心でいられたからだと思う」そう続けた後、優里香は伏せていた目をこちらに向けた。彼女の三白眼が、真っ直ぐに私を捉える。
「維純は私達と出逢ってまだ間もないから、縁 ができていないかもしれない。霊界に干渉しすぎちゃダメ。絶対に霊に関心を持たないで」
縁?何を言っているんだろう。聞きたかったが、聞けなかった。彼女の瞳が、唯、納得しろと言っていたから。普段は温厚な彼女が、珍しくきつい声色で言ってきたから。唯、頷くしかなかった。
そんな時に一筋、希望の光が差し込んだ。彼との子どもができていたのだ。
私は、とても嬉しかった。私は一人ではないのだと。今からでも遅くない。この子と、温かい家庭を、幸せな人生を築いていこう、と。
それからは体に配慮して働き、産後に自分が働いている間に子どもを見てくれるという人も見つけた。
そうして、子どもが生まれた。男の子だった。とても幸せだった。今までの人生で一番と言っても過言ではない程に。それからは身を粉にして働いた。アルバイトをいくつも掛け持ちし、苦手な肉体労働だって頑張った。全ては、温かい家庭を築く為に。
しかし、その微かな幸せでさえ、神は与えてくださらなかった。
息子が亡くなった。公園で遊んでいた時、世話人が少し目を離した隙に、ジャングルジムから足を滑らせ、落下した。即死だった。病院で息子の死を確認した時、目の前が真っ暗になった。
何故・・・何故私だけ失うの?失ってばかりなの!?
生涯学習センターに併設されている児童センター。私が子どもの時によく通っていた場所。沢山の家族を見て、いつか温かい家庭を持とうと、夢を抱いた場所。いつか、息子と一緒に来ようと思っていた場所。その夢が叶わなくなった私は、一人で足を運んだ。
温かい家族を見ていれば、私も癒されると思った。しかし、見れば見るほどに、私の心にドス黒い感情が芽生えていった。ムカつく。我が子を愛しげに見つめる夫婦。ムカつく。綺麗な服を身につけ、何の苦労も知らないような母親とその子ども。ムカつく。憎い。あいつらは多くの祝福を与えられたのに、私は、数少ない期限つきの祝福を
貸し付けられた
。期限がくるとその祝福は無惨にも毟り取られ、後に残るのは胸を引き裂く様な悲しみと果てしない喪失感だけ。憎い。憎い。憎い。どうして私だけがこうなの。どうして私だけがこんな目に遭うの。幸せに生きてきた人なんて沢山いる。愛されて生きてきた人なんて沢山いる。その人達でいいじゃない。なんで私だけがこんな目に遭うの。あいつらはもっと不幸な目に遭えばいい。こんなの不公平だ。私だけがこんな目に遭うなんて、許せない!!絶対に・・・
* *
「維純!」
私を呼ぶ声と、激しい痛みで目が覚める。
私は、遊具部屋で倒れていた。ピリッと、肌を痛いほど冷やされてるような感覚を覚える。
体を起こしてまず目に入ってきたのは、女の霊。先程と同じピントをぼかしたような姿。しかし、先程は大きさが普通の人間と変わらなかったので人の形の霊といえたものが、大きさが三倍程にもなっており、胸から下は床に埋もれてるように見えた。表情こそ分からないが、明らかに強くなった殺気とその変わり様を見ると、霊がかなり怒っている事が分かった。その霊を、為辺さんが真言を唱えて必死に食い止めていた。
「維純!走れる!?」
私の脛に馬乗りになった優里香が言った。
優里香は、私の膝頭から手を離す。先程止血した膝から、血が出ていた。私を起こす為に、思い切り摘んだのだろう。
「うん、大丈夫!」
「維純起きたのか!?ロビーまで走れ!!」
為辺さんがこちらも見ずに叫ぶ。私と優里香は、ロビーに向かって走り出した。少し遅れて、為辺さんも霊を食い止めながら走り出す。霊も途中まで追い掛けてくる気配があったが、児童センターからは出られないのか、こちらがロビーに入ると霊の気配が遠ざかっていった。
私は自販機の前の、ロビーの椅子に座った。
「維純何があったの?私が遊具部屋に入った時には倒れてたんだよ?全然起きないし。霊も何か尋常じゃない感じがしたから、急いで師匠を呼んだんだ」
言いながら、優里香は自販機で買ったココアを渡してくれた。
「ありがと・・・。私、多分あの人の記憶を視た」
「記憶を視た?」
私の言葉に答えたのは、ロビーの受付からこちらに歩いてきた為辺さんだった。手には絆創膏と消毒液を持っていた。膝頭の血がまた出てしまったので、貰ってきてくれたみたいだ。
「あ、ありがとうございます・・・。えっと私、その霊の念に、触れたんです。その・・・霊が、どうしてこんな憎しみを持ったのか、興味を持ってしまって。そしたら、意識が遠のいていって、まるで別の人になって夢でも見てるみたいに、色々見えて」
しどろもどろな話し方になってしまったが、為辺さんは理解した、という顔で頷いた。
「お前が視たのは、恐らくあの霊の残留思念だろう」
「残留思念?」
「ああ。お前はその霊に興味を持った事で、霊界の深く深くに干渉してしまった。それで、その霊がここに留まるに至った原因の記憶を見たんだろう」
「干渉して、記憶を見た・・・」
「詳しい説明は改めてする。恐らくあの霊は、お前に記憶を覗かれた事に激昂したんだろう。俺でも食い止めるのがやっとだった。また体勢を整えて後日出直すぞ。今回の件が片付くまで、児童センターも利用禁止にした方がいいな。俺から職員に掛け合ってみる」
そう言い、為辺さんは消毒液と絆創膏を机の上に置いてから、ロビーの受付の方に歩いて行った。
私は怪我の処置をし直し、優里香が買ってくれたココアを飲んだ。今日の事を思い出していると、ふと気になる事があったので、優里香に問い掛けた。
「ねえ、優里香。探索してる時に、遊具部屋から汽笛の音って聞こえた?」
優里香は、少し目を見開いた後に、「ううん、聞いてない」と答えて、目を伏せ、言葉を続けた。
「ねえ維純、維純は凄い霊力が高いんだと思う。間違いなく師匠より高い。残留思念なんて普通視えないもん。でもね、霊力が高いほど、霊界に取り込まれやすいの。維純が今日まで、今回みたいな危ない所を避けてたとはいえ、生きてこれたのは、霊に極度に無関心でいられたからだと思う」そう続けた後、優里香は伏せていた目をこちらに向けた。彼女の三白眼が、真っ直ぐに私を捉える。
「維純は私達と出逢ってまだ間もないから、
縁?何を言っているんだろう。聞きたかったが、聞けなかった。彼女の瞳が、唯、納得しろと言っていたから。普段は温厚な彼女が、珍しくきつい声色で言ってきたから。唯、頷くしかなかった。