被害者 二

文字数 3,486文字

 「・・・結局引き受けちゃったなぁ」
 私は溜め息をつきながら、家の門を開けた。
 最初は断るつもりだったのだが、交換条件として「家事を教えてあげる」と言われたので、少し、悪くないなと思ってしまった。私は自慢ではないが、家事が全然できない。来月一人暮らしをするにあたって、家事のエキスパートである鈴を味方にしておく事は大変重要だ。まあ、家庭教師は週一でいいとの事なので、そんな負担にもならないだろう。
 薄暗くて視界の悪い中、なんとか鍵をバッグから出し、家のドアを開ける。玄関に足を踏み入れた時に、刹那、違和感を覚えた。
 ・・・中に入られたな。恐らくさっきの赤服だ。
 霊は基本的に取り憑かないと家の中に入れない――他人の家に無断で入れないという生前の意識が残っているからだろうと、前に為辺さんが言っていた――が、たまに入って来れるやつがいる。所詮は浮遊霊なのでそんな危ない事はしてこないが、ちょくちょく悪戯しながら数日間居座るので、地味にうざい。まあ、もう慣れっこだが。
 制服から中学時代のジャージ――部屋着として常用している――に着替え、宿題をやる事にする。いつもは自分の部屋で勉強するのだが、今日は母さんの帰りが遅いし、リビングの広い机でする事にした。
 それから黙々と宿題をしていると、まあ予想してた事だが、ドン、ドンと壁を叩く音が聞こえた。間を置いてアァ、アァと、女の声が聞こえる。彼奴等は本当に嫌がらせに余念がない。
 因みに、ラップ音をBGMにした勉強にも慣れているので、無視して勉強を続ける。
 ・・・そういえば、母さんが家に居る時って、ラップ音鳴った事あったっけ?
 ふと疑問が頭をよぎる。あまり私が食事以外でリビングに居ることはないので、母さんはあまりそういう場に遭遇していないのかも。もし母さんがラップ音とか聞いたら、どういう反応するのかな。まあ、あの人の事だから家鳴りで済ませちゃいそうだけど。
 今更そんな事考えたって仕方がない。あの人とは暫く逢わなくなるんだから。そう思い直した私は、ラップ音が鳴り響く中、宿題を続けた。


 五月十九日
 学校が終わった私は、天会寺に自転車で向かっていた。
 昨日の夜に、為辺さんから『明日の放課後天会寺に来い』とだけ書かれたメールが来たのだ。どうやって除霊するかの作戦会議を行うのだろう、と思った。 
 児童センターから帰る前に、残留思念で見えたおおまかな内容を話してあるので、それが少しでも役に立てばいいのだが。
 そんな事を考えている間に、寺の前の大きい石段まで来ていた。長い階段をぜえぜえと息を吐きながら登り、山門をくぐり、庫裏の前まで来る。インターホンを押すと、いつものように優里香が出てきて、中に通してくれた。
 通されたのは、いつもと同じく、優里香の居住スペースの畳の部屋だ。
 また資産運用でもしていたのかと思いきや、机の上には、電卓と書類が数枚あった。パッと見よく分からないが、寺の会計の書類だろうか。
 「これってお寺の会計?優里香がやってるの?」
 「うん。今まで師匠がやってたみたいだけど、大変そうだし。私はこういうの少しは分かるし好きだから、教えてもらったんだ」
 そういえば優里香は商業学校に通ってたんだっけ。
 それにしても、こういうのって普通は事務の人とかがやるんじゃないだろうか。私はこの寺に来てから、事務の人はおろか為辺さんと優里香以外の人を見た事がない。凄い小さいお寺というわけでもないので、二人以外にもいるとは思うが、それにしても会わない。
 優里香は会計の書類を片付け、代わりに何か印刷されたA4の用紙を机に置いていた。
 「そしたらほれ維純!勉強するよ!」
 「え、勉強!?てか、為辺さんは?」状況が理解できない。
 「師匠は昨日の件について、ちょっと情報収集。でも、維純にはその前に、必要な事を知ってもらう!」
 優里香の勢いに押され、私はしぶしぶ机の前に座った。置かれたA4用紙を見ると、霊の事についてWordで分かりやすくまとめられていた。わざわざ優里香が作ってくれたのか。
 「まったく、師匠も慎重にならないで維純に色々教えてあげてたらよかったのに!私も、師匠の指示にバカ正直に従わないで教えるべきだったんだけどさ・・・」
 優里香は、昨日私が霊界に干渉しすぎた事を余程怒っているらしかった。ただ、怒りの矛先は、私ではなく為辺さんに向けられていた。
 この感じだと、今日私が勉強する事になったのは、為辺さんの意思ではなく、優里香がゴリ押ししたのだろう。何故優里香がここまで怒っているのか分からないが、昨日言っていた縁とやらと関係があるのだろうか。
 「維純はさ、基本的に霊と人間が接触できないのは何でだと思う?」
 「うーん・・・あんまり何でとか考えた事なかったけど・・・。いる次元が違うから?」
 「そう。霊は霊界、人間は現世にいるよね。霊は霊界に縛りつけられていて、現世に行く事ができないから、現世にいる人間の心に隙を作り、霊界に引きずり込む」
 「うん。霊力の低い人間が引きずり込めないわけじゃないけど、霊力の高い人間の方が視えるから恐怖を感じさせやすい・・・心に隙を生じさせやすいから、霊感体質の人間を狙うんだよね」
 「そう。その点において維純は、霊力の高さ・・・霊からの干渉の受けやすさを心の揺るがなさでカバーしてるから、大丈夫だったんだよね」
 「うん」
 「だけど、もし維純が霊からの干渉を許しちゃうと、霊に接触される危険もあるし、念力を使って悪さされたり・・・。怨念の強い霊だと、殺す事もあるからね」
 「それで私は、霊に興味を持った事で霊からの干渉を許してしまった・・・て事?」
 「そうだね・・・。後で師匠に話を聞いた感じ、残留思念が視える人は現世にいる状態で、その強い霊力――干渉する力を使って残留思念を視てるらしいから、霊界に完全に引き込まれてた訳じゃなかったみたい。でも、残留思念を視る事で維純が無防備になっちゃう事は確かだし、やっぱり危険だよ」
 そう言って、優里香がこちらを凝視して無言の圧力をかけてきたので、「分かった。なるべく残留思念は視ないようにするよ」と答えた。
 「なるべく?」優里香がさらに凝視してくる。彼女の黒目の大きさだと、睨んでいるようにしか見えない。
 「あ、いや、なるべくじゃないね。絶対」
 私が焦ってそう答えると、優里香は額に手をあて、溜め息をついた。
 「維純は霊界の怖さをあんまり分かってないよね・・・。高い霊力に反して霊現象に強いからか。霊に対して怖がらないのは、昔からなの?」
 「いや、そんな事ないよ。物心ついた時には視えてたけど、凄い怖かった。両親は視えない人だったから、相談もできなかったしね。でも、隣に住んでる幼馴染みがさ、幼稚園位からずっと一緒だったんだけど、私と同じ視える子だったから、結構助けてもらってたんだよね」
 「へえ、その子が霊は無視するのがいいとか教えてくれたの?」
 「ううん」私は否定する。「その子は霊は視えてたけど、私と違ってそこまで襲われる事はなかったんだよね。その子の家族も霊は視えなかったから、霊についても詳しくなかったし。ただ、その頃私が霊界に取り込まれずに済んだのは、その子が側にいて、大丈夫だよって慰めてくれてたからだと思う。まあ、それでも一人の時に、取り込まれかけた事は何回もあるけど」
 そうだ、私が霊感体質でありながら無事に生きてこられたのは、幼い頃に彼が近くにいてくれたからだ。それは間違いない。
 「・・・だから、私がスルースキルを極めたのはその後かな。彼・・・その子が離れていってから」
 「離れていった?」
 「うん。小6の時かな。その子、霊が視えなくなっちゃって。それから、あんまり一緒に行動しなくなったんだよね」
 「そうか。その子は多分、維純の影響で後天的に霊が視える状態になってたんだね」
 「私の影響で?」
 「うん。正確には、霊力の強い維純の近くにいる事で、何らかの霊現象に巻き込まれた。霊現象に巻き込まれた人間は、稀に霊力が高まるケースがあるんだ。ただ、そういう場合は霊力が高くなっても一時的だったりするんだよね」
 「・・・そうなんだ」
 「さて、話が逸れちゃったね!じゃあ、師匠が教えきれてない霊界の事とか、残留思念の事とか、いろいろ教えるね!」
 優里香が気持ちを切り替えるように手を叩いて、勉強は再開された。
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登場人物紹介

宵村維純(よいむらいずみ)

控えめで暗い性格。幼い頃から霊が視えており、霊への恐怖はほぼ無い。その反面、人間が苦手。

短命の呪いを抱く。

為辺出(ためべいづる)

少しキツい性格。除霊師で、天会寺の僧侶でもある。維純を除霊師にスカウトする。

長庚を強く嫌悪している。

砂流優里香(さりゅうゆりか)

除霊師で、出の弟子。面倒見がよく、維純を気にかけている。

霊能者という枠を超えた、特殊な事情を抱いているようだが・・・?

狛井長庚(こまいつねやす)

骨董品屋の店主。霊の浄化を趣味としている。末代までの呪いを抱き、同時に呪術師の家系でもある。

出の親友とのことだが・・・?

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