再会
文字数 2,524文字
私は、三条川へ向かう道を歩いていた。目的地まではあと3分といったところか。
現在時刻は17時半ちょっと前。まだ空は青々としている。
――これじゃあ、まだ夕空とは言えないよなぁ――
店主からは、余った一枚のフィルムで夕方の空を撮ってこいと言われているが、正直、ぴったり一枚残せる自信があまりない。故に、河川敷に行く前に一枚撮ってしまおうと考えたのだが、まだ夕空には程遠かった。かといって、夕空を待っていたら、仕事を終える頃には暗くなってしまう。
夜は彼奴等 ――霊の領分。暗くなる程霊は出やすいし、川ならばなおさらだ。しつこい霊に絡まれるのは面倒なので、避けられるものなら避けたいところだ。人間よりも霊の方が扱いが楽とはいえ、こういう時絡んできて面倒なのはやっぱり霊の方だ。――痴漢に絡まれる可能性は考慮していない。私みたいな地味女を相手にする筈は無いので。
思念を撮る時に残りのフィルム数を忘れないように気をつけようと思い直し、空に向けていた視線を前に戻すと、十メートル位先に見知った人影が見えた。
優里香だ。
優里香は電柱の影から、道路を挟んで向かい側にある中学校の校舎を見上げていた。そこは、かつて私と幼馴染の疾風 が通い、現在は疾風の妹の鈴 が通っている学校だ。
何故優里香がその中学校を見つめているのか気になったが、私は、彼女に見つからないように別の道から行こうと、踵を返した。
私が天会寺を破門されたのは、一週間程前の事だ。その日から為辺さんは勿論、優里香とも会っていなかった。寺に行くなんて以ての外だし、また、優里香は携帯を持っていないので、為辺さんに内緒で連絡を取り合う事も出来ない。
そしてそれ故に、優里香の心が私から離れている可能性を否定できなかった。
あの破門騒動の時、優里香は私を庇ってくれている様子だった。
だが、実際に私は、いなくなった。
――もう今では、優里香の中に私なんていないのかもしれない――
そう思いながら、別の道へ通じる角を曲がろうとしたのだが、曲がりきる前に背後から声を掛けられた。
「あれ、維純?」
久しぶりに会う親しい人物に掛けるような、少し弾んだ声。
私はそれを聞いて、思わずホッとする。
――良かった――
――優里香
緩みそうになる頬を引き締め、振り返って「優里香」とだけ返した。
「久しぶり!元気だった?」
優里香は笑顔で駆け寄ってくる。
「うん、何とか」と返すと、彼女はほっとしたような表情を浮かべ、すぐに神妙な顔になった。
「維純、ごめんね・・・結局師匠、説得できなかった」
私は最初、優里香が何を言っているのか分からなかった。
彼女と、無言で見つめ合う。その間ずっと、恐らく吹奏楽部だろう、無秩序な楽器の音が校舎から聴こえていた。
3秒程そうした後に、私は漸 く彼女の言わんとしている事が分かった。
彼女は、私の破門を撤回させたかったのだ。
私があの時庫裡 から出て行く時にも、彼女の為辺さんへの抗議の声は聞こえていたが、あれ以降も、もしかしたらあの日以降も、ずっと為辺さんに異議を唱えてくれていたのだろう。そして、最終的に撤回が出来なかった事を、悔いているのだ。
だが、優里香には申し訳ないが、万が一為辺さんが破門を撤回しても、私はもうあそこに戻るつもりはなかった。
だってそうだろう?あの衝突で生まれた溝は、もう埋まらない。こちらを否定する人とは、もう一緒にやれない。私は彼女の懸念とは裏腹に、すんなりと割り切っていたのだか、彼女はそうはいかなかったようだ。――いや、それが普通なのかもしれない。
「大丈夫だよ、私も気にしてないから。・・・それに、私もう新しいバイトを始めてるんだ」
私は、少し現金かもと思いながらも、正直にそう告げた。
「新しいバイト?」
優里香が軽く目を見開いて、首を傾げる。
「うん。狛井さんのとこで、浄霊のバイトを始めた」
私のその言葉に、優里香がさらに目を見開いた。
再び沈黙が訪れる。先程と違い、楽器の音は聞こえない。いつの間にか止んでいたようだ。その代わり、少し遠くからヒグラシの鳴く声が聞こえていた。
「・・・へえ、そうなんだ」
ややあって、優里香が言う。
「どんな感じなの?」
言いながら、横髪を片方耳に掛ける。
私はその問いに、なるべく詳しく答えた。浄霊の仕組み、今やっている依頼、これから行う事とその経緯・・・。なお、霊界に入って直接霊に干渉するとか、これから残留思念を視に行くとか言っても、優里香は特に難色を示さなかった。霊界への理解については店主の方が上なので、自分が口を出すべきではないと思ったのかもしれない。
「ほーん・・・なるほどねぇ」
一通り話したところで、優里香は何回か頷きながらそう言う。
校舎からは、再び楽器の音が聞こえていた。今度は無秩序な音ではなく、まとまった「ド」のロングトーンだった。ややあって、レの音に変わる。音階を合奏しているようだ。
「取り敢えず、維純がうまくやっているようでなによりだよ」
そう言って、優里香がニヤリと笑う。
「うまく・・・、まあ、早速壁にぶち当たってるけど・・・なんとか頑張るよ」
私は苦笑いで答える。
「まあ、なにか困ったことがあったら遠慮なく相談してよ!また会お!」
「うん。それは助かるけど・・・。でも、どうやって?優里香、携帯持ってないよね」
私の問い掛けに、優里香は「ふっふっふ・・・」とわざとらしく不気味に笑った。
「私には、これがあるんだなぁ」
そう言って彼女が取り出したのは、犬の形をした紙人形。
「式?」
「うん。式越しに声をとばして通信できる事は知ってるよね?維純の家の場所は知ってるし、式を維純の家に潜り込ませてコンタクトをとるなんて、朝飯前さ」
優里香は式を人差し指と中指の間に挟み、得意げかつ少し人の悪い笑みを浮かべて言った。プライバシーの侵害もいいところだが、私は少しも嫌だとは思わなかった。
私たちはどちらからともなく笑い合った後、暇乞 いをして別れた。
そして私は、優里香との友情が継続される事に安心感と嬉しさを感じながら、三条川へ足早に向かった。
現在時刻は17時半ちょっと前。まだ空は青々としている。
――これじゃあ、まだ夕空とは言えないよなぁ――
店主からは、余った一枚のフィルムで夕方の空を撮ってこいと言われているが、正直、ぴったり一枚残せる自信があまりない。故に、河川敷に行く前に一枚撮ってしまおうと考えたのだが、まだ夕空には程遠かった。かといって、夕空を待っていたら、仕事を終える頃には暗くなってしまう。
夜は
思念を撮る時に残りのフィルム数を忘れないように気をつけようと思い直し、空に向けていた視線を前に戻すと、十メートル位先に見知った人影が見えた。
優里香だ。
優里香は電柱の影から、道路を挟んで向かい側にある中学校の校舎を見上げていた。そこは、かつて私と幼馴染の
何故優里香がその中学校を見つめているのか気になったが、私は、彼女に見つからないように別の道から行こうと、踵を返した。
私が天会寺を破門されたのは、一週間程前の事だ。その日から為辺さんは勿論、優里香とも会っていなかった。寺に行くなんて以ての外だし、また、優里香は携帯を持っていないので、為辺さんに内緒で連絡を取り合う事も出来ない。
そしてそれ故に、優里香の心が私から離れている可能性を否定できなかった。
あの破門騒動の時、優里香は私を庇ってくれている様子だった。
だが、実際に私は、いなくなった。
――もう今では、優里香の中に私なんていないのかもしれない――
そう思いながら、別の道へ通じる角を曲がろうとしたのだが、曲がりきる前に背後から声を掛けられた。
「あれ、維純?」
久しぶりに会う親しい人物に掛けるような、少し弾んだ声。
私はそれを聞いて、思わずホッとする。
――良かった――
――優里香
は
、大丈夫だった――緩みそうになる頬を引き締め、振り返って「優里香」とだけ返した。
「久しぶり!元気だった?」
優里香は笑顔で駆け寄ってくる。
「うん、何とか」と返すと、彼女はほっとしたような表情を浮かべ、すぐに神妙な顔になった。
「維純、ごめんね・・・結局師匠、説得できなかった」
私は最初、優里香が何を言っているのか分からなかった。
彼女と、無言で見つめ合う。その間ずっと、恐らく吹奏楽部だろう、無秩序な楽器の音が校舎から聴こえていた。
3秒程そうした後に、私は
彼女は、私の破門を撤回させたかったのだ。
私があの時
だが、優里香には申し訳ないが、万が一為辺さんが破門を撤回しても、私はもうあそこに戻るつもりはなかった。
だってそうだろう?あの衝突で生まれた溝は、もう埋まらない。こちらを否定する人とは、もう一緒にやれない。私は彼女の懸念とは裏腹に、すんなりと割り切っていたのだか、彼女はそうはいかなかったようだ。――いや、それが普通なのかもしれない。
「大丈夫だよ、私も気にしてないから。・・・それに、私もう新しいバイトを始めてるんだ」
私は、少し現金かもと思いながらも、正直にそう告げた。
「新しいバイト?」
優里香が軽く目を見開いて、首を傾げる。
「うん。狛井さんのとこで、浄霊のバイトを始めた」
私のその言葉に、優里香がさらに目を見開いた。
再び沈黙が訪れる。先程と違い、楽器の音は聞こえない。いつの間にか止んでいたようだ。その代わり、少し遠くからヒグラシの鳴く声が聞こえていた。
「・・・へえ、そうなんだ」
ややあって、優里香が言う。
「どんな感じなの?」
言いながら、横髪を片方耳に掛ける。
私はその問いに、なるべく詳しく答えた。浄霊の仕組み、今やっている依頼、これから行う事とその経緯・・・。なお、霊界に入って直接霊に干渉するとか、これから残留思念を視に行くとか言っても、優里香は特に難色を示さなかった。霊界への理解については店主の方が上なので、自分が口を出すべきではないと思ったのかもしれない。
「ほーん・・・なるほどねぇ」
一通り話したところで、優里香は何回か頷きながらそう言う。
校舎からは、再び楽器の音が聞こえていた。今度は無秩序な音ではなく、まとまった「ド」のロングトーンだった。ややあって、レの音に変わる。音階を合奏しているようだ。
「取り敢えず、維純がうまくやっているようでなによりだよ」
そう言って、優里香がニヤリと笑う。
「うまく・・・、まあ、早速壁にぶち当たってるけど・・・なんとか頑張るよ」
私は苦笑いで答える。
「まあ、なにか困ったことがあったら遠慮なく相談してよ!また会お!」
「うん。それは助かるけど・・・。でも、どうやって?優里香、携帯持ってないよね」
私の問い掛けに、優里香は「ふっふっふ・・・」とわざとらしく不気味に笑った。
「私には、これがあるんだなぁ」
そう言って彼女が取り出したのは、犬の形をした紙人形。
「式?」
「うん。式越しに声をとばして通信できる事は知ってるよね?維純の家の場所は知ってるし、式を維純の家に潜り込ませてコンタクトをとるなんて、朝飯前さ」
優里香は式を人差し指と中指の間に挟み、得意げかつ少し人の悪い笑みを浮かべて言った。プライバシーの侵害もいいところだが、私は少しも嫌だとは思わなかった。
私たちはどちらからともなく笑い合った後、
そして私は、優里香との友情が継続される事に安心感と嬉しさを感じながら、三条川へ足早に向かった。