レクチャー 一

文字数 4,778文字

 六月二十日
 「霊感体質の指導をして欲しい?」
 私――砂流優里香は、外から帰ってくるなり珍妙な事を言い出す師匠に鸚鵡返しをしてしまった。
 今日は除霊の仕事も内職もなく、私はずっと居住スペースである畳の部屋で資産運用に勤しんでいた。師匠はというと、15時頃に用があると言って出て行って、17時頃になって帰ってきた。檀家さんの相談に乗っていたとの事だ。
 「その檀家の息子ってのが大学生なんだが、友人と一緒に心霊スポッドに行ったらしい。そんでそれ以来、霊現象と思しきものが頻発してて、完全に参ってるから息子を助けてやってほしいと頼まれた」
 「取り憑かれただけなんじゃないんですか?」
 「息子本人からまだ話は聞けていないが、又聞きした感じだと、

可能性の方が高い」
 それは気の毒な話だ。今までこちら側とは無縁だった者が、暫く、いや、運が悪ければ一生、得体の知れないものに脅かされ続けなければならないのだから。
 「それで、その息子さんに私が指導するんですか?」
 「ああ、霊感体質として心掛けるべき事とか、注意すべき事とか、色々レクチャーしてやってくれ。俺は生憎仕事が詰まってて、面倒を見れそうにない。かと言って、懇意にしている檀家の息子だから、あんまり待たせる訳にもいかない。つー事で、早速明日来る事になってるから、お前が面倒を見てくれ」
 「明日ですか・・・急ですね」
 「一刻も早く来たいんだとよ。明日は日曜で維純も早く来るし、手伝わせろ。つっても、維純はこういうのではあんまり役に立たないだろうが・・・。まあ、お前がいれば大丈夫だろ」
 「はあ・・・」
 師匠も維純も、やけに私のコミュニケーション能力を高く見ているが、そんな期待される程高いわけではない。至って普通だ。学生時代に仲の良い友人はいたが、決して数は多くないし、異性の友人なんてものは以っての他だ。まあ、それでも維純よりはマシなんだろうが。
 「それとさっきも言ったが、その息子は精神的にかなり参ってる。なんとか安心させて、お前からリードして心を開かせるんだぞ」
 師匠はさりげなくハードルを上げるような事を言って、部屋から出て行ってしまった。


      *                     *


 六月二十一日
 「ここか・・・」
 俺――楠木(くすき)(とおる)は、軽く息を吐いて、天会寺の境内に足を踏み入れた。
 ここ一週間は本当に最悪だった。今まで否定し続けていたものが、実は存在するのだと受け入れるのに時間が必要だった。受け入れてからは、未知のものへの恐怖にただ戦慄(せんりつ)した。その所為で大学に行く事も出来なかった俺に、朗報が舞い込んだ。おふくろが、知り合いの寺に相談させてくれるとの事だ。
 正直なところ半信半疑ではあるが、そうも言ってられない。藁にも縋る・・・というヤツだ。とにかく誰でもいい。今のこの状態を取り払ってくれるのなら・・・。
 そんな思いで足を進めて行くと、前方から若い男が歩いてきた。ウチみたいに檀家の人か?と思っていたら、俺に声を掛けてきた。
 「君が楠木さんの息子、かな?」
 どうやら俺を知っているらしい。寺の関係者だろうか。
 「はい、えーと、霊、の相談の事で・・・」
 「やっぱりそうだね。俺はこの寺の住職、為辺だ」
 「あなたが?」
 思わず大きな声で返してしまった。坊主は剃髪は義務ではないと聞いた事はあるが、この男はどう見ても坊主という雰囲気ではない。ホストと言ったほうが自然なくらいだ。
 「俺は丁度所用で出掛けるとこだったんだ。相談には、俺の代わりの者が乗る。あそこの建物のインターホンを押してくれ」
 為辺さんはそう言って端の方にある建物を指差した。無理に物腰を柔らかくしているような話し方だな、と思った。
 「あ、ありがとうございます」
 俺は会釈して為辺さんと擦れ違い、示された建物に向かった。本当に、あんな人が坊主をやってる寺で大丈夫なのだろうか?いや、あの人はただの見た目(ビジュアル)担当のようなもので、中にもっと徳の高い人がいるのかもしれない。そう念じながらインターホンを押すと、奥の方から「はーい」と女の人の声が聞こえた。それから少し経って引き戸が開かれた。出てきたのは、俺と同じか少し下位の年齢の女の子だった。
 「どうも、楠木といいます」
 「はい、お待ちしてました。奥に案内しますね」
 俺が名乗ると、その女の子は中に通してくれた。ここの住職の家族か何かだろうか。俺が通されたのは、少し広い畳の部屋だった。部屋の中心に大きな机と、それを囲むように座布団が四つ置いてあり、そのうちの一つに髪の長い女の子が座っていた。
 案内してくれた女の子に座るように促されたので、空いてる座布団に座ると、その女の子も俺の向かい側に座った。先に座っていた髪の長い女の子は、おどおどした様子で目を泳がせていた。人見知りなのだろうか。そんな事を考えていると、案内してくれた女の子が咳払いをしたので、そちらに目を向ける。
 「それじゃあ、まずは自己紹介をします・・・座右の銘は利益確定!砂流優里香と!」
 ・・・は?呆然としていると、髪の長い女の子も慌てて顔を上げて言う。
 「陰キャラコミュ症昼行灯、三拍子揃ったダメ人間、宵村維純です!」
 俺は、ぽかんと口を開けた状態で彼女達を見ていた。
 「・・・なんか、固まってない?」
 「い、維純の自虐が良くなかったんじゃないの?なんで自己紹介までネガティブなのさ」
 「え、さっきはこれで良いって言ったじゃん」
 「ごめん、改めて聞くとやっぱないわ」
 「そんな殺生な・・・」
 そこまで聞いて、俺は何とか思考を再起動させる。
 「な、なんなんだよ、あんた達は・・・ふざけてるのか?」
 思ったよりも感情的な声が、口から出てくる。
 「え、いや、そんなつもりは」
 「こっちは藁にも縋る思いで来てるんだぞ?それなのにこんな・・・。俺を馬鹿にしているのか?」
 「ち、違います、すみません!」
 大きな声で、俺の目の前の女の子――砂流さんが言う。
 「霊の事でかなり落ち込んでるって聞いて、安心させようと思ったんですけど、逆効果でしたね。男子大学生のノリというのが分からなくて・・・」
 彼女は申し訳なさそうに言うが、俺の心には響かなかった。男子大学生のノリ?安心させようと思った?ふざけるのも大概にしろ。
 「もういいですよ。それより、霊について相談してくれる人は、まだ来ないんですか?」
 俺は不機嫌さを隠さずに言う。こんな子らは、どうでもいい。相談に乗ってくれる人さえまともだったら。
 「えーと・・・すみません、私達が霊感体質のレクチャーをします」
 「・・・は?」
 「一応私達も霊感体質なので、先輩として指導するようにと言われてます」
 砂流さんが、俺の顔色を伺うようにおずおずと言う。
 嘘だろ?こんな俺と大して年も変わらない女の子がやるっていうのか?いや、それより。
 「レクチャーとか指導とか、どういう事ですか?そんなのどうでもいいから、さっさと祓ってくれません?」
 苛立ちながらそう言うと、砂流さんは困った様な顔をした。
 「えーと、祓うって言われてました?」
 「相談に乗ってくれるって聞いたから、来たんですけど」
 俺の言葉に、目の前の二人が顔を見合わせる。そして、砂流さんがこちらに向き直って言った。
 「ええとですね、結論から言うと、貴方の問題は、すぐには解決できません」
 「は!?」
 思わず声が上擦る。 
 「祓って終わりじゃないんです。貴方はこれから先、何度もこのような場面に遭遇する事になります。なので、対処する術を覚える必要があるんです」
 俺は絶句する。この状態が、これから先何度もあるだって?冗談じゃない。
 ・・・そうだ。この人達は、インチキ霊能者ってヤツなんだ。祓う力なんて元から無いから、適当な事を教えて騙す気なんだ。俺は、傍らに置いた自分のバッグを手に取り、立ち上がった。
 「ま、待ってください!」
 それを見た砂流さんが慌てて立ち上がる。
 「もう充分分かりました。アンタ達が信用ならないって」
 「信用ならないって・・・ちょっと待ってくださ・・・」
 「信用できるわけないじゃないですか!住職はホストだし、霊相談はふざけたJKだし!」
 意図せず、怒鳴る様に言う。
 「俺は、一刻も早く」
 声が震える。
 「平穏を取り戻したいだけなのに・・・」
 自分の理解の及ぶものだけが見える世界に、早く戻りたい。溜めていた想いを吐露した所為か、涙で視界が滲んでいく。涙目がバレないようにその場で俯いていると、声が掛けられた。
 「出て行って、どうするんですか」
 抑揚の無い、冷たく諭すような声だった。砂流さんの声ではない。顔を上げると、もう一人の女の子――宵村さんが真っ直ぐな瞳でこちらを見つめていた。
 「他に、行く宛があるんですか?ツテがあるんですか?」
 「そ、それは・・・無い、けど」
 「だったら、大人しく泣き寝入りするんですか?目の前にある可能性を捨てて」
 「で、でも、それならアンタ達がインチキじゃないっていう証拠でもあるのかよ!?」
 反論し、宵村さんを睨み付ける。しかし、彼女は怯む事なく、真っ直ぐに俺の視線を受け止めていた。さっきまでおどおどしていたのが嘘のようだ。そして宵村さんは、真っ直ぐな視線をそのままに、口を開いた。
 「優里香、式」
 しかし、その声は俺に掛けられたものではなかった。
 「え?」
 急に話を振られた砂流さんが、ぽかんとした様子で答える。
 「霊感体質に目覚めてるなら視えるはず。視えれば本物だって分かってもらえる。視えなかったら、祓う方向で話を進める」
 「・・・そっか!」
 砂流さんが納得したように頷いて、俺の方に向き直った。
 「楠木さん、さっきは配慮の無い事を言ってしまってすみませんでした。一番混乱しているのは、楠木さんなのに」
 そう言って、深々と頭を下げる。俺は急な恭しい謝罪に虚をつかれ、どぎまぎしてしまった。ややあって砂流さんが、頭を上げて言う。
 「それで、貴方に私達が本物の霊能者だと、分かってもらう方法があります。そちらだけでも見てもらえないでしょうか?」
 嘘をついているようには見えなかった。
 「・・・分かりました」
 先程より幾分冷静になっていた俺は、頷いて座布団に座り直した。
 「それじゃあ、準備します」
 砂流さんは安堵の表情を浮かべてそう言ってから、宵村さんに向き直る。
 「維純はその間にお茶ついできて」
 「お茶のつぎ方分からない」
 「暑いからペット茶でいいって」
 宵村さんに指示を出した後、砂流さんは部屋の隅に向かった。そして、なにか紙人形のようなものを持って戻ってきた。
 「これは式って言って・・・式神っていった方が分かりやすいかな?」
 「ええと、陰陽師が使ってるヤツ、ですかね?」
 「そうです。まあ、私は陰陽師じゃないけど」
 そう言って砂流さんは何か唱えて、紙人形を床に置いた。すると、その紙人形の上に犬が現れた。
 「い、犬・・・?」
 小さく呟くと、「ああ、やっぱり視えるんですね」と砂流さんが言った。
 「これは、犬の霊を式として使役しているんです。そして、霊感の無い人間には視えません」
 「という事は、俺は・・・」
 「霊感体質に目覚めてるって事になりますね」
 声のした方を振り返ると、宵村さんがお盆にお茶を乗せて、部屋の入り口から歩いてくるところだった。
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登場人物紹介

宵村維純(よいむらいずみ)

控えめで暗い性格。幼い頃から霊が視えており、霊への恐怖はほぼ無い。その反面、人間が苦手。

短命の呪いを抱く。

為辺出(ためべいづる)

少しキツい性格。除霊師で、天会寺の僧侶でもある。維純を除霊師にスカウトする。

長庚を強く嫌悪している。

砂流優里香(さりゅうゆりか)

除霊師で、出の弟子。面倒見がよく、維純を気にかけている。

霊能者という枠を超えた、特殊な事情を抱いているようだが・・・?

狛井長庚(こまいつねやす)

骨董品屋の店主。霊の浄化を趣味としている。末代までの呪いを抱き、同時に呪術師の家系でもある。

出の親友とのことだが・・・?

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