救済者 一
文字数 2,775文字
七月五日
私達は、木下さんから鍵を預かる為に病院に行った後に、真っ直ぐに木下さんの家に向かい、午後12時半頃に木下さん宅の前に到着した。病院の面会時間が11時からだった為、その少し前に為辺さんの車で病院へ向い、11時になったら私だけが木下さんに会いに行って、鍵を受け取った。最近の為辺さんは、やたらと私一人に、人間相手のお使いに行かせようとする節がある。
家の中に足を踏み入れると、相変わらず凄まじい怨念が肌に纏わりついてきた。しかし、特段昨日より強くなっているわけではない。
予定通り、私達は二階の、例の物置部屋へと向かう。障子を開けると、昨日と同様、一層強い怨念がそこには渦巻いていた。物置部屋はあまり広くないので、三人が中に入ると少し狭い。
「今はここにはいないな。よし、それじゃあ、俺と優里香でおびき寄せるから、維純は無限回廊を張れ」
そう言い、為辺さんと優里香はそれぞれ紙人形を出した。為辺さんは鷹の式を出し、優里香は犬の式を出す。部屋を出て、それぞれ逆方向へと走り出した。連携を取って、うまく追い込むつもりだろう。子どもの霊なので、うまく逃げられる可能性は低い。
私は、無限回廊を張る為の呪文を唱える。唱えているうちに、結界が出来上がっていくのが直感的に分かる。
「出来ました」
「よし、こっちも霊の姿を捉えたぞ」
為辺さんは少し険しい表情で部屋の一点を睨みつけ言った。しかし、彼が視ているのはその部屋の一点ではなく、
強い気配が、この部屋に迫ってくるのが分かる。階段を登り、廊下を走り――部屋の前に到達したかと思うと、男の子の霊が中に入ってきた。追い回された事もあってか、昨日までは感じなかったこちらへの殺意が、顕著になっていた。彼は、こちらに迫ってこようとする。が、寸歩も動かぬうちに無限回廊に捕われ、その場で足踏みをしていた。男の子はこちらを睨みつけながら、獣のように荒い呻き声を漏らしていた。
「やはり子どもの霊はあっさりと捕まるな。・・・情報収集するまでもなかった」
そう言いながら、為辺さんは鞄の中から黒い秘密箱を取り出す。そして、仕掛けを開けながら、ゆっくりと男の子に近付いていき、目の前まで来た、その時。
「ちょっと待ってよ」
男の声に、為辺さんが足を止める。私の側からだと為辺さんの後頭部しか見えないが、彼がゆっくりと、視線を男の子の霊の後ろへ持っていったのが分かった。
「その前に、男の子とお話させてもらってもいいかな?」
男の子の背後には、開かれた障子にもたれかかるように、狛井骨董店の店主、狛井長庚が立っていた。
昨日の午後19時前頃。
私は、天会寺の踊り場に隣接している展望スペースで、狛井さんに電話を掛けた。電話に出る事を祈りながら発信すると、そう時間も掛からずに、本人が出てくれた。私が単刀直入に、浄霊をお願いしたい旨を告げると、会って直接話がしたいと言われたので、直接、狛井骨董店に出向く事になった。
骨董店に入ると、前回とは違い奥の部屋には通されなかったので、店先で事情を話す事になった。
狛井さんは私の話に耳を傾け、一通り話し終えた後に漸く口を開いた。
『成る程、出はその男の子を封印しようとしてるんだね。でも、君はどうしても成仏させてあげたくて、自分に浄霊をしてほしいと』
『はい・・・。ただ、為辺さんが受けた依頼なので、あまりにも浄霊に時間が掛かるってなると、難しいかもしれません。為辺さんは、明日で決着をつけるつもりでいます』
『うん、それに関してはあんまり心配要らないかな』
『え?』
『霊って言うのはさ、この世に強い未練や怨恨がある魂が、霊界に縛りつけられちゃったものでしょ?君の話を聞く感じ、その男の子は強い未練こそ抱いてるものの、あまり怨恨は感じられないんだよね。怨恨の強い霊は、誰彼構わず殺意を向けるものが多いから』
言われてみれば、あの子は怨念こそ強いものの、殺意はあまり感じなかった。
しかし、怨念と怨恨は同義ではないのか?
いや、そもそも、私が今まで霊から感じていた怨念は、本当に全て
私が心の中で自問していると、私の考えを見透かしたように、狛井さんはクスリと笑った。
『除霊師 が、心情の細かい違いに気付けないのは仕方がないよ。霊からの強い情念は、全て自らを脅かす
彼は一旦そこで言葉を切って、続けた。
『怨恨に縛られている霊は、浄化に少し手間が掛かるけど、未練に縛られている霊は、その未練を取っ払っちゃえばいいからね。多分、うまくいくよ。自分に任せて』
『・・・分かりました、宜しくお願いします』
私はそう言って頭を下げた。不安は完全に消えてはいない。でも、今はこの人に頼るほかない。
私が下げていた頭をあげると、狛井さんがややあって問い掛けてきた。
『ねえ、君は、どうして浄霊を頼もうと思ったの?』
『・・・え?』
『君も、出のところでバイトしてるんだったら、これまでも封印を見てきたんだろう?なんで今回、浄霊を頼もうと思ったの?』
私は目を閉じ、暫し言葉を整理する。何となく、その問いには本心で答えたいと思ったからだ。しかし、うまく言葉を練り上げようとする程、本心から遠ざかっていく気がする。そう思った私は、練り上げたそれらを破棄し、思いついた言葉を口にした。
『それは、私が、同情してるからだと思います』
『同情』
『はい。さっきも話したとおり、私は残留思念が視れるんです。実際に経験がないと分かりにくいかもしれないんですけど、その人の見たもの聞いたものの他にも、その人が何を思ったのかとかの、追体験が出来るんです。・・・だから、痛みが分かるんですよ』
私は、話しながら自嘲する。これじゃあ、私が良い人みたいじゃないか。違うんだ。助けたいとかじゃなくて、ただ嫌なだけなんだ。助ける手段があるのに、見殺しにするのが。その痛みを知っているからこそ、見殺しした事によって生まれる苦しさを、味わいたくないんだ。
結局は、自己満足だ。
しかし、心の中で紡いだその言葉を、口には出せなかった。本心で答えたいと思ったくせに、ふんぎりがつかない。結局は、そう、私は小心者なんだ。
私はそのまま口を噤むが、またもや彼は、私の本心と、さらにその後の自虐をも見透かしたように、フッと軽く笑った。
『自己満足でいいんだよ。その自己満足で救える人がいるなら、捨てたもんじゃない』
そう言って彼は、いつかのように、儚げな微笑みを浮かべた。
私達は、木下さんから鍵を預かる為に病院に行った後に、真っ直ぐに木下さんの家に向かい、午後12時半頃に木下さん宅の前に到着した。病院の面会時間が11時からだった為、その少し前に為辺さんの車で病院へ向い、11時になったら私だけが木下さんに会いに行って、鍵を受け取った。最近の為辺さんは、やたらと私一人に、人間相手のお使いに行かせようとする節がある。
家の中に足を踏み入れると、相変わらず凄まじい怨念が肌に纏わりついてきた。しかし、特段昨日より強くなっているわけではない。
予定通り、私達は二階の、例の物置部屋へと向かう。障子を開けると、昨日と同様、一層強い怨念がそこには渦巻いていた。物置部屋はあまり広くないので、三人が中に入ると少し狭い。
「今はここにはいないな。よし、それじゃあ、俺と優里香でおびき寄せるから、維純は無限回廊を張れ」
そう言い、為辺さんと優里香はそれぞれ紙人形を出した。為辺さんは鷹の式を出し、優里香は犬の式を出す。部屋を出て、それぞれ逆方向へと走り出した。連携を取って、うまく追い込むつもりだろう。子どもの霊なので、うまく逃げられる可能性は低い。
私は、無限回廊を張る為の呪文を唱える。唱えているうちに、結界が出来上がっていくのが直感的に分かる。
「出来ました」
「よし、こっちも霊の姿を捉えたぞ」
為辺さんは少し険しい表情で部屋の一点を睨みつけ言った。しかし、彼が視ているのはその部屋の一点ではなく、
式の視界
だろう。強い気配が、この部屋に迫ってくるのが分かる。階段を登り、廊下を走り――部屋の前に到達したかと思うと、男の子の霊が中に入ってきた。追い回された事もあってか、昨日までは感じなかったこちらへの殺意が、顕著になっていた。彼は、こちらに迫ってこようとする。が、寸歩も動かぬうちに無限回廊に捕われ、その場で足踏みをしていた。男の子はこちらを睨みつけながら、獣のように荒い呻き声を漏らしていた。
「やはり子どもの霊はあっさりと捕まるな。・・・情報収集するまでもなかった」
そう言いながら、為辺さんは鞄の中から黒い秘密箱を取り出す。そして、仕掛けを開けながら、ゆっくりと男の子に近付いていき、目の前まで来た、その時。
「ちょっと待ってよ」
男の声に、為辺さんが足を止める。私の側からだと為辺さんの後頭部しか見えないが、彼がゆっくりと、視線を男の子の霊の後ろへ持っていったのが分かった。
「その前に、男の子とお話させてもらってもいいかな?」
男の子の背後には、開かれた障子にもたれかかるように、狛井骨董店の店主、狛井長庚が立っていた。
昨日の午後19時前頃。
私は、天会寺の踊り場に隣接している展望スペースで、狛井さんに電話を掛けた。電話に出る事を祈りながら発信すると、そう時間も掛からずに、本人が出てくれた。私が単刀直入に、浄霊をお願いしたい旨を告げると、会って直接話がしたいと言われたので、直接、狛井骨董店に出向く事になった。
骨董店に入ると、前回とは違い奥の部屋には通されなかったので、店先で事情を話す事になった。
狛井さんは私の話に耳を傾け、一通り話し終えた後に漸く口を開いた。
『成る程、出はその男の子を封印しようとしてるんだね。でも、君はどうしても成仏させてあげたくて、自分に浄霊をしてほしいと』
『はい・・・。ただ、為辺さんが受けた依頼なので、あまりにも浄霊に時間が掛かるってなると、難しいかもしれません。為辺さんは、明日で決着をつけるつもりでいます』
『うん、それに関してはあんまり心配要らないかな』
『え?』
『霊って言うのはさ、この世に強い未練や怨恨がある魂が、霊界に縛りつけられちゃったものでしょ?君の話を聞く感じ、その男の子は強い未練こそ抱いてるものの、あまり怨恨は感じられないんだよね。怨恨の強い霊は、誰彼構わず殺意を向けるものが多いから』
言われてみれば、あの子は怨念こそ強いものの、殺意はあまり感じなかった。
しかし、怨念と怨恨は同義ではないのか?
いや、そもそも、私が今まで霊から感じていた怨念は、本当に全て
怨念
だったのだろうか?私が心の中で自問していると、私の考えを見透かしたように、狛井さんはクスリと笑った。
『
怨念
という言葉に、一括りにされてしまうだろうしね。・・・まあ、自分の場合は、専門だから』彼は一旦そこで言葉を切って、続けた。
『怨恨に縛られている霊は、浄化に少し手間が掛かるけど、未練に縛られている霊は、その未練を取っ払っちゃえばいいからね。多分、うまくいくよ。自分に任せて』
『・・・分かりました、宜しくお願いします』
私はそう言って頭を下げた。不安は完全に消えてはいない。でも、今はこの人に頼るほかない。
私が下げていた頭をあげると、狛井さんがややあって問い掛けてきた。
『ねえ、君は、どうして浄霊を頼もうと思ったの?』
『・・・え?』
『君も、出のところでバイトしてるんだったら、これまでも封印を見てきたんだろう?なんで今回、浄霊を頼もうと思ったの?』
私は目を閉じ、暫し言葉を整理する。何となく、その問いには本心で答えたいと思ったからだ。しかし、うまく言葉を練り上げようとする程、本心から遠ざかっていく気がする。そう思った私は、練り上げたそれらを破棄し、思いついた言葉を口にした。
『それは、私が、同情してるからだと思います』
『同情』
『はい。さっきも話したとおり、私は残留思念が視れるんです。実際に経験がないと分かりにくいかもしれないんですけど、その人の見たもの聞いたものの他にも、その人が何を思ったのかとかの、追体験が出来るんです。・・・だから、痛みが分かるんですよ』
私は、話しながら自嘲する。これじゃあ、私が良い人みたいじゃないか。違うんだ。助けたいとかじゃなくて、ただ嫌なだけなんだ。助ける手段があるのに、見殺しにするのが。その痛みを知っているからこそ、見殺しした事によって生まれる苦しさを、味わいたくないんだ。
結局は、自己満足だ。
しかし、心の中で紡いだその言葉を、口には出せなかった。本心で答えたいと思ったくせに、ふんぎりがつかない。結局は、そう、私は小心者なんだ。
私はそのまま口を噤むが、またもや彼は、私の本心と、さらにその後の自虐をも見透かしたように、フッと軽く笑った。
『自己満足でいいんだよ。その自己満足で救える人がいるなら、捨てたもんじゃない』
そう言って彼は、いつかのように、儚げな微笑みを浮かべた。