1-7:意味深な言葉
文字数 5,386文字
野次馬達を押しのけて、目的の部屋が見えてきた。
突如、天井裏の空間を何かが勢いよく駆け抜けてゆく音とすれ違った。その物々しい足音は今来た道をまっすぐ辿り、階段の方へと消えていった。
これには思わず足を止め、ユケイはシバと顔を見合わせた。
狼狽えていると、部屋の扉があけ放たれてトミーが廊下に飛び出した。
その全身はズタボロで、崩れるように
「トミー! どうしたの!? 何があったの!?」
助け起こすと、トミーは震える手で部屋のなかを指した。
「り、リズちゃんが竜に化けてぇ……それでッ、それでぇぇ~……」
「リズが……!?」
シバは部屋の手前で控え、ユケイに安全を確かめてくるよう言った。
ユケイは両手に曲刀を握り、覚悟をもって突入した。照明が割れた暗い部屋。黒い刃を四方に向けるも竜の姿は見当たらず。あるのは不穏な静けさだけ。
天井に空いた大きな穴から風がひゅーひゅー鳴っていた。
なんの部屋だか知らないが、それは酷い有様だった。
金属ラックは軒並み倒れて機械は
死体のなかにハドを見つけ、ユケイは小さく首を傾げた。
シバも部屋を見渡して、愕然としていた。
「おいおいおいおい、どういう事だ! そこのお前、詳しく説明しろ!」
すべての視線が一人に集まる。
トミーはびくりと肩を竦ませ、やたらと視線を泳がせながら。
「わ、
彼らを追ってこの場に来たらば既にご覧の惨状。竜が暴れていたのですぅ……。
トミーが語った顛末に、シバはぐらりと頭を抱えた。
「以前の持ち主が所有してた竜族が隠れてたってか……。馬鹿野郎! んな危険なモン、俺のところに持ってこようとするんじゃねぇ!」
そしてトミーに蹴りを入れ、ユケイをびしっと指差した。
「その竜族の女とやらを探し出して始末しろ! 今夜中にだ! それが済むまで休むんじゃねぇぞ。俺は操舵室にいるからな。片付いたら報告に来い」
ユケイは色々引っかかりつつも、一つしかない返事を絞りだした。
「……分かった、シバが言うなら」
シバと野次馬達を見送った後、ユケイはトミーに肩をかしてひとまず図書室へ戻るとした。
読書スペースに到着すると、トミーはひっくり返るように横たわった。
顔は酷く腫れあがり、どこもかしこも青アザだらけ。着込んだ装備をすべて失うほど、竜との戦いは激しかったのか。
へなちょこ野郎と思っていたが、この男、案外勇敢なのかもしれない。
感心しているユケイの横で、トミーは酷くげんなりしていた。
トミーを残して図書室を閉め、ユケイは廊下の窓から月をみた。
与えられた時間はそう多くない。竜ならすぐに見つかりそうだが、リズの姿に戻っていたら探すのは骨が折れそうだ。
巨大な船の端から端へ。地下三階から最上階の四階へと。ユケイは膨大な数の部屋を巡った。まさかに残党を発見してやっつけることはあっても、一向にリズは見つからなかった。
壁にうごめく音はなく、たまに目が合うシバの手下はろくな情報をくれやしない。
一通りをみて甲板へ出たが、もはや船にはいない気がした。
竜には飛べるやつもいる。リズが水辺の竜族なら、すでに海に逃げたのかも。
そう思える程、リズはどこにもいないのだった。
船内へ戻る途中、修繕された穴の上にそれなりの足場ができていることに気付いた。張られたロープを股越して、歩き心地を試してみると、足の裏にべったりと塗料がついてしまった。さらに滑ることにも気づき、四肢の錘も相まって、全身で床を抱きしめた。
ユケイは鼻をすすんと鳴らしてシャワーを浴びることにした。
真っ白な湯気に包まれた一人だけのシャワー
塗料を落とすのに苦労して、だいぶ時間を使ってしまった。
そろそろ夜が明ける。脱衣所で体を拭きながら、ユケイはすっかり落ち込んでいた。
リズが暴れたなんて信じられなかった。嫌なことをされたから抵抗しただけ。もしそれだけなら匿ってあげようと思っていたのに。
いくらシバの頼みとはいえ、友達を殺すつもりはない。
脱衣所を出ようとした時、背後で大きな物音がした。
ユケイは恐る恐る誰もいないはずのシャワー
その隣に揺らめく影は、探しに探したリズだった。
「あっ、リズーー!!」
ユケイは思わず駆け寄って、両腕いっぱいに抱きしめた。
「どこ行ってたんだよ~~~~~! 探したんだぞ、も~~~~~~!」
リズもそっと腕を絡め、二人は固く抱き合った。
ふと、リズが自力で立っていることに気付いた。髪と瞳は赤紫色をして、虚ろだった目もぱっちりと開いているではないか。
リズはしっとりと唇を開く。
「また、会えたね……。ねぇ、ここで何をしてたの……?」
「オレ? ……えっと、なんか絵の具が着いちゃって、洗ってた。リズこそ天井裏で何してたの? 竜に化けて暴れたって本当?」
「……隠れてた。怖かったから。でもこのままじゃ駄目って思って、勇気をだして出てみたの……。そしたら、あなたに会えた。……夢だけど」
最後の言葉がはてなとなって、ユケイは返事に困ってしまった。
「ねぇ、また会える……? わたし、またあなたに、会いたい……」
「またって何だよ。これからずっと一緒だよ。友達だから、毎日一緒に遊ぼうね!」
「うん。……うれしい」
いつの間にか湯気は消え、水の音が響いている。
「ねぇ……どうして学校に来なくなってしまったの……? ずっと待ってるのに。寂しいよ……」
聞き慣れない言葉にはっとして、ユケイはリズの肩を掴んだ。
「オレのこと何か知ってるんだね!? 教えて! がっこうっていうのがオレの帰る場所なの? そこにオレの家族がいるの?? オレは本当は何者なの……?!」
「……もう一度、ぎゅってして……」
ユケイはリズを抱きしめた。二つの小さな素足の間を、黒い水が流れてゆく。
なにかを思い出せそうで、耳元に囁かれた言葉はますます謎だった。
「……また聞きに来てね。いっぱい、練習してるから……ピアノ……」
「リズっ!?」
リズがぐらりと傾いて、ユケイは慌てて抱きとめた。
髪と瞳の赤紫がすうと引いて水色に戻り、リズは再び無気力な状態となってしまった。
まるで
誰か
が抜けたように、虚ろな目だけが残されて、ユケイを追って見詰めている。「ごめん。なにも思い出せないよ……」
ふいに扉が開かれて、トミーはびくりと身構えた。
日の出とともに戻ったユケイはなにやら大荷物を抱えていた。ぐるぐる巻きの毛布を解くと、まさかにリズが現れた。
トミーは思わずぎょっとして、昨晩のことを説明した。
忘れもしない。
二対の瞳はぎょろりぎょろりと。反り返った尾で周囲を薙ぎ、壁や天井を這いずり回って何度も何度も毒針を放った。触れた者はたちまち苦しみ一人残らず絶命した。
(トミーは下っ端達に追い詰められた部屋の隅で死んだふりをして助かったわけだが……)
つまりリズは猛毒をもつ危険な竜族 ――!
当のユケイの反応は、『竜は海に逃げた』と言って誤魔化してきたと満足げ。
ならばそれには目を瞑るとして、トミーは今夜こそ計画を実行するものだと思っていた。
しかしユケイは考えを変えていた。
「そのことなんだけど、暫く戦いが続くらしいんだ。オレがいないと困るだろうし、船を降りるのはまた今度にするよ」
トミーは動揺を抑えられない。
「だ、駄目ですってぇ! それでは手遅れになってしまいますぅ……! 真実を知るなら今しかないんです! 船長さんの心の内を知りたいんですよね? 憂いを無くして船長さんをもっと信頼したいんですよねえ!? ユケイ君はこんなにも頑張っているのに騙されているなら馬鹿馬鹿しいでしょう?? お外の世界には優しい人がいっぱいいますよぉ!? さぁ会いに行きましょう!? 船長さんのことが分かって、外の景色も見られて、優しい人にも出合える! 良いこと尽くめなんですよぉおおっ?!?!」
ユケイは構わないといった様子で、リズの頭を撫ででいる。
「オレだってすっごく知りたいよ。でも……シバは確かにオレを頼ってくれてる。今はそれだけでもいい。もし大事じゃなくても、大事になれるようにオレが頑張ればいいんだよ。それに、これからはリズとトミーが一緒だからへーきだよっ!」
オレは全然平気じゃねーんだよ単細胞が!!
とは心の中で。
そうなんですねと微笑んで、トミーは扉に手をかけた。
「ちょっとおトイレへ……」
このまま一生化け物どもの相手をするなんてごめんだ。
次に思いついたのは、燃料を抜いて船を陸に向かわせる作戦。
ふり返り際に見下ろして、トミーは理解に苦しんだ。
ユケイは自身の立場に疑問を抱かないのだろうか。歯向かえば自由になれるだろうに、何故そこまでして尽くすのか。心底わからないが、救いようのないことだけはわかる。
視線を感じて振り向くと、リズの眼球に睨まれていた。
トミーはぶるりと体を震わせ、そそくさと部屋をあとにした。
早朝の廊下は物音一つ無かった。
燃料庫は地下三階のスタッフオンリーと標された領域にあったと記憶している。そろりそろりと歩を進め、目的の
煤にまみれたその部屋には、低いエンジン音と重油の臭いが充満していた。一面の壁を覆う複雑な配管。なんの装置かもわからぬ機械。それらが制御しているのは巨大なタンクの連なりである。
大型船の物珍しい設備を眺めてふと、タンクの向こうに気配を感じた。
すすすと後退するも、船長が現れて目が合ってしまった。
「お、おはようございましゅ……。失礼しますたぁ……」
後ろ襟を掴まれて、トミーは廊下の行き止まりに追いやられてしまった。
「ユケイの遊び相手とか言ったか? あのなぁ、そんなもんは必要ねぇんだ」
冷や汗をかくトミーをよそに、船長は笑いながら小首を傾げる。
「…………なぁオイ。犬ぞりって、知ってるか?」
「へっ? あ、はぃぃ……。あの雪道とかで、犬にそりを引かせるやつですよねぇ……」
「ああ。その犬どもはよぉ、そりを引いてる途中で力尽きて死ぬ事もあるんだ。不思議だよなぁ。狼みたいな体格の犬どもが、一人の人間の為によぉ。立派な牙で歯向かえば自由になれるかもしれねぇのに、一生死ぬ気でそりを引き続けるんだ。……何故だと思う?」
質問の意図がよめず、トミーは差し障りない答えを返した。
「そ、そうですねぇ。飼い主との信頼関係……ですか?」
「プッ、ちげーよ」
ウケている船長に合わせつつ、トミーは退路を探した。
この場をどう切り抜けようか頭が必死に回転している。
「犬どもは飼い主から与えられる、ほんの少しの食料の為だけにそりを引くんだ。人間様がうまいことエサの量を調節してだな、そりを引かなきゃ食べ物にありつけないって洗脳するんだよ。
だが犬だって重労働なんかしたくねぇ。腹が満たされた犬はそりを引かなくなる。……だからいつも空腹状態にしておくんだ。すると犬は、狩りをするより確実に報酬が得られるそり引きが全てになるってわけだ……」
「ええと……それはつまりぃ……」
船長は懐から銃を抜き、ゆっくりと撃鉄を起こした。
トミーは青ざめて尻もちをつく。
「外の世界を見たいだとか、大事がどうとか昔がどうとか。
俺の犬
はそんなことを考える余裕なんてないはずだ……。勝手にエサをやられちゃあ困るんだよ」「ままま待って下さいぃ! 誤解ですぅ!
「あァ!? 竜族の女だとぉ??」
「それがええっと、実はまだ生きていて! ほほほ本当ですぅ!」
銃口が額に触れ、もう駄目だと思ったその時――。
突如と鳴った警報音が船長の注意を奪った。
『そこの旅客船、止まりなさい! 盗難されたエル・フリーデン号と確認しました。船員は全員、速やかに甲板に出て、両手を床につけなさい!』
音源は外からだ。
スピーカーによる音声が肌にビリビリ響いてくる。
「なんだってんだぁ?!」
「やべぇ! 海軍に囲まれてやがるぞ!!」
「うゎああ! どうすんだよこの数ー!!」
上の階から騒ぐ声が聞こえてきた。
海賊らしいトラブルだが、トミーは救われたような、そうでないような複雑な心境だった。
船長は舌打ちを残し、階段を上がりながら大声を放つ。
「おいテメェら、ちょっと外で時間稼いどけ!!」
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