第3話 森の先にある家
文字数 3,317文字
特に誰とも話すこともなく、午前一時間、午後二時間の授業が終わった。そそくさとペンとノートをカバンに閉まって、先生に挨拶をして出て行く生徒達を眺めていると、教室の扉に朝であった日本人の先生と佐々木さんが立っていることに気がついた。相変わらず佐々木さんは苦笑いのような表情を浮かべ、日本人の先生と話している。
わたしが二人に気づいたことに気がついて、佐々木さんが手を振ってきた。日本人の先生がにっこりと微笑む。
わたしは他の生徒がそうしていたように、先生に”Bye”だったか”Thank you”だったか、そんなことを伝えて部屋を出た。
「どうだった?お疲れ様」
日本人の先生が口を開く。
「あ、えっと・・」
「こちら、ナナコ先生、ここで教えている先生で、今後何かあったらいつでもナナコさんに話しかけていいからね。」
「あ、はい。よろしくお願いします。」
「いつでも声かけてね。」
「じゃ、僕は今から花さんをホストファミリーのところに連れて行くから。道が全然わかんなくてさ。ちょっと不安だけど、僕は今回は二週間滞在してると思うから。じゃあよろしくね!」
佐々木さんがエレベーターの方に歩き出すタイミングで、わたしもナナコさんに会釈をして、佐々木さんの後を追った。ナナコさんが手を振っている。
「どうだった?わかった?」
「全然わかんなかったです。」
佐々木さんが笑う。
「まあ〜大丈夫だよ。来週からはちゃんとした語学学校だからね。」
初めてオーストラリアに留学に来る生徒は、現地の学校に入る前に六ヶ月間語学学校に行かなくてはいけないという規則があるらしい。
その六ヶ月間の語学学校の前準備として用意されたのが、この一週間のプログラムのようだ。たしかに、新しい土地に引っ越してきて一週間何もできないよりは、忙しい方が気が紛れてずっと良い。
学校の外に出ると、すでに外は暗くなりかけていた。それもそのはず、冬なので日が短い。日本は今真夏なのに、不思議な気分だ。
助手席に座ると、また佐々木さんは分厚い地図をめくっている。
「ここらへんのはずだから、このページあけてもってて。」
はい、と言って大きなカバンを脚の横に置いて、地図を膝の上に広げて持った。なんでこんな細かい地図で人の家の場所までわかるのだろう。ある種の才能のように思えた。
車が走り出して、十数分が経つと、車はまた森の中に入った。
この街は森だらけなのだろうか。この街のどれほどの土地が森に占有されているのだろうか。昼間歩き回ったらどのような景色なのだろう。
昼間とは違い、明かりが全くない森の中は怖さすら感じた。佐々木さんの車が出す光だけが森の中にある明るさで、その他の光は一切見えない。車一台として通らない。
森の中を走って二十分は経ったような気がする。
「本当にここなんですか?森が怖いですね。」
「こっちのはずだよ〜。真っ暗だね。」
どれだけ田舎に向かっているのだろう。
「明日からはどうやって通学するんですか?」
「ホストファミリーが教えてくれると思うけど、電車があるよ。バスもある。時間が合えば車で送ってくれるんじゃないかな?
僕はこのあたりのこと全然わからないから、聞いてみて。」
「はぁ。」
ホストファミリーって、なんだろう。
18歳からが「成人」のオーストラリアでは、18歳までの子供はガーディアンと言われる「保護者」と住むことが義務付けられている。
家族がいない場合はそれがホストファミリーになるのだ。
助手席から外を眺める。あまりにも森だらけで、たまに空との境目の葉っぱの輪郭が見えるぐらいだ。何がそこにあるのかは全くわからない。
ふと、明かりが見えた。
「ほらほら、森抜けたね。」
森を抜けたと思ったら、そこは一面に広がる海だった。
どういうことだろうか。おとぎ話にでも迷い込んだのだろうか。
真っ暗な空に数本だけ立つ電灯、その光を反射する波。
「もうここら辺だよ〜。」
佐々木さんが車のスピードを落として、じっくりと立ち並ぶ家を眺めながら走る。前にも後ろにも車は一台も走っていない。
「あ、あった!これだ。」
わたしが佐々木さんが目を向ける先を見ると、そこには40段ほどの階段があり、その上に光のついた小さな家が二つ建っていた。
佐々木さんが車を停めると
「僕はホストマザーに挨拶しにいくから、スーツケースの準備してて!」
佐々木さんが階段を駆け上がっていく。
もう時間は20時をまわっているようだった。
20段近い階段を上った先に一つ家がある。佐々木さんはそこの家の扉の前で立ち止まり、人が出てくるのを待っているようだった。
わたしは車のトランクからスーツケースを引きずりおろし、一つを抱えて階段を登ろうとする。
しばらくすると佐々木さんが駆け下りてきて、「ここだ、ここだ」と小声て言いながら、もう一つのスーツケースを車に取りに行った。
階段を登りながら上を見ると、すでにお風呂に入ったあとなのか、ガウン姿の金髪ボブの女性が立っている。暗くて顔まではよく見えない。
わたしが階段を登りきる前に、後ろから来た佐々木さんが階段を登りきった。
佐々木さんと金髪の女性が家の中に入っていき、わたしもそれに続く。
玄関にスーツケースを置くと、金髪の女性はにっこりと笑ってわたしの手を握る。
“Alexandra. Nice to meet you.”
“Nice to meet you, too.”
挨拶をするとすぐにホストマザーのAlexandraは佐々木さんの方へ顔を向けて、早口で何かを話し始めた。
二人は時々こちらを見るが、何を言っているのかは全くわからない。
わたしはリビングを見渡した。誰もいない広い空間に大きなソファーが三つ置いてあり、テレビがついている。家の奥の方までは見えないが、大きな家だ。
「じゃ、そういうことで!頑張ってね!」
何の説明もなく佐々木さんが去っていった。
「えっ」と言うと、Alexandraは気にするなといったようなジェスチャーをして、わたしを家の中に誘導する。
“I will show you your room.”
Alexandraが部屋の話をしている。家の中を見せてくれるということだろうか。
わたしは静かにスーツケースを転がしながら彼女のあとを追った。
“Here is the kitchen.”
大きな台所を通り過ぎた。綺麗に片付いていて誰もいない。もう晩御飯は終わったのだろう。
“This is Lucy’s room.”
“And this is Mary’s...”
二つ部屋を通り過ぎた。一つ目の部屋を通り過ぎる前にあった戸棚に「ハリーポッター」の本が置いてあるのが目に入ってきた。
廊下を一番奥まで進んだところにもう一つ部屋があった。Alexandraは扉を開け、部屋に入るとわたしの方は見ずに言った。
“This is your room, come in.”
部屋を覗くと、大きな空間にベッドが一つ置いてあった。とても暗い部屋だ。
ベッドシーツは青い生地に星のイラストが散りばめられていてかわいい。この寒さにはちょうど良さそうなあたたかそうな布団だ。
“You have a desk, a bed, a closet here… and if you need, hangers are in here and on the door.
Do you want to unpack your bag?”
早口で言われたもので”Desk”のあとは全くわからなかった。とりあえず”Yes”と言うと、Alexandraは部屋から出ていき、わたしは部屋に残された。
きっと荷物を整理したりしたらどうだと言っていたのではないか。引き出しなど何があるのか見てみよう。
スーツケースを開けて、10分ほどが経った頃、Alexandraがドアをノックしてきた。
“Are you eating dinner?”
ドアを開け、ジェスチャーで何を言ったのかを聞き返すと
“Dinner?” と言うので驚いた。
先ほど見た片付いた台所からはもう夜ご飯は終わったものと思っていたから。
“Yes”と言うとドアを閉めて、まだ全く整理ができていないスーツケースを閉めて、台所へ向かった。
わたしが二人に気づいたことに気がついて、佐々木さんが手を振ってきた。日本人の先生がにっこりと微笑む。
わたしは他の生徒がそうしていたように、先生に”Bye”だったか”Thank you”だったか、そんなことを伝えて部屋を出た。
「どうだった?お疲れ様」
日本人の先生が口を開く。
「あ、えっと・・」
「こちら、ナナコ先生、ここで教えている先生で、今後何かあったらいつでもナナコさんに話しかけていいからね。」
「あ、はい。よろしくお願いします。」
「いつでも声かけてね。」
「じゃ、僕は今から花さんをホストファミリーのところに連れて行くから。道が全然わかんなくてさ。ちょっと不安だけど、僕は今回は二週間滞在してると思うから。じゃあよろしくね!」
佐々木さんがエレベーターの方に歩き出すタイミングで、わたしもナナコさんに会釈をして、佐々木さんの後を追った。ナナコさんが手を振っている。
「どうだった?わかった?」
「全然わかんなかったです。」
佐々木さんが笑う。
「まあ〜大丈夫だよ。来週からはちゃんとした語学学校だからね。」
初めてオーストラリアに留学に来る生徒は、現地の学校に入る前に六ヶ月間語学学校に行かなくてはいけないという規則があるらしい。
その六ヶ月間の語学学校の前準備として用意されたのが、この一週間のプログラムのようだ。たしかに、新しい土地に引っ越してきて一週間何もできないよりは、忙しい方が気が紛れてずっと良い。
学校の外に出ると、すでに外は暗くなりかけていた。それもそのはず、冬なので日が短い。日本は今真夏なのに、不思議な気分だ。
助手席に座ると、また佐々木さんは分厚い地図をめくっている。
「ここらへんのはずだから、このページあけてもってて。」
はい、と言って大きなカバンを脚の横に置いて、地図を膝の上に広げて持った。なんでこんな細かい地図で人の家の場所までわかるのだろう。ある種の才能のように思えた。
車が走り出して、十数分が経つと、車はまた森の中に入った。
この街は森だらけなのだろうか。この街のどれほどの土地が森に占有されているのだろうか。昼間歩き回ったらどのような景色なのだろう。
昼間とは違い、明かりが全くない森の中は怖さすら感じた。佐々木さんの車が出す光だけが森の中にある明るさで、その他の光は一切見えない。車一台として通らない。
森の中を走って二十分は経ったような気がする。
「本当にここなんですか?森が怖いですね。」
「こっちのはずだよ〜。真っ暗だね。」
どれだけ田舎に向かっているのだろう。
「明日からはどうやって通学するんですか?」
「ホストファミリーが教えてくれると思うけど、電車があるよ。バスもある。時間が合えば車で送ってくれるんじゃないかな?
僕はこのあたりのこと全然わからないから、聞いてみて。」
「はぁ。」
ホストファミリーって、なんだろう。
18歳からが「成人」のオーストラリアでは、18歳までの子供はガーディアンと言われる「保護者」と住むことが義務付けられている。
家族がいない場合はそれがホストファミリーになるのだ。
助手席から外を眺める。あまりにも森だらけで、たまに空との境目の葉っぱの輪郭が見えるぐらいだ。何がそこにあるのかは全くわからない。
ふと、明かりが見えた。
「ほらほら、森抜けたね。」
森を抜けたと思ったら、そこは一面に広がる海だった。
どういうことだろうか。おとぎ話にでも迷い込んだのだろうか。
真っ暗な空に数本だけ立つ電灯、その光を反射する波。
「もうここら辺だよ〜。」
佐々木さんが車のスピードを落として、じっくりと立ち並ぶ家を眺めながら走る。前にも後ろにも車は一台も走っていない。
「あ、あった!これだ。」
わたしが佐々木さんが目を向ける先を見ると、そこには40段ほどの階段があり、その上に光のついた小さな家が二つ建っていた。
佐々木さんが車を停めると
「僕はホストマザーに挨拶しにいくから、スーツケースの準備してて!」
佐々木さんが階段を駆け上がっていく。
もう時間は20時をまわっているようだった。
20段近い階段を上った先に一つ家がある。佐々木さんはそこの家の扉の前で立ち止まり、人が出てくるのを待っているようだった。
わたしは車のトランクからスーツケースを引きずりおろし、一つを抱えて階段を登ろうとする。
しばらくすると佐々木さんが駆け下りてきて、「ここだ、ここだ」と小声て言いながら、もう一つのスーツケースを車に取りに行った。
階段を登りながら上を見ると、すでにお風呂に入ったあとなのか、ガウン姿の金髪ボブの女性が立っている。暗くて顔まではよく見えない。
わたしが階段を登りきる前に、後ろから来た佐々木さんが階段を登りきった。
佐々木さんと金髪の女性が家の中に入っていき、わたしもそれに続く。
玄関にスーツケースを置くと、金髪の女性はにっこりと笑ってわたしの手を握る。
“Alexandra. Nice to meet you.”
“Nice to meet you, too.”
挨拶をするとすぐにホストマザーのAlexandraは佐々木さんの方へ顔を向けて、早口で何かを話し始めた。
二人は時々こちらを見るが、何を言っているのかは全くわからない。
わたしはリビングを見渡した。誰もいない広い空間に大きなソファーが三つ置いてあり、テレビがついている。家の奥の方までは見えないが、大きな家だ。
「じゃ、そういうことで!頑張ってね!」
何の説明もなく佐々木さんが去っていった。
「えっ」と言うと、Alexandraは気にするなといったようなジェスチャーをして、わたしを家の中に誘導する。
“I will show you your room.”
Alexandraが部屋の話をしている。家の中を見せてくれるということだろうか。
わたしは静かにスーツケースを転がしながら彼女のあとを追った。
“Here is the kitchen.”
大きな台所を通り過ぎた。綺麗に片付いていて誰もいない。もう晩御飯は終わったのだろう。
“This is Lucy’s room.”
“And this is Mary’s...”
二つ部屋を通り過ぎた。一つ目の部屋を通り過ぎる前にあった戸棚に「ハリーポッター」の本が置いてあるのが目に入ってきた。
廊下を一番奥まで進んだところにもう一つ部屋があった。Alexandraは扉を開け、部屋に入るとわたしの方は見ずに言った。
“This is your room, come in.”
部屋を覗くと、大きな空間にベッドが一つ置いてあった。とても暗い部屋だ。
ベッドシーツは青い生地に星のイラストが散りばめられていてかわいい。この寒さにはちょうど良さそうなあたたかそうな布団だ。
“You have a desk, a bed, a closet here… and if you need, hangers are in here and on the door.
Do you want to unpack your bag?”
早口で言われたもので”Desk”のあとは全くわからなかった。とりあえず”Yes”と言うと、Alexandraは部屋から出ていき、わたしは部屋に残された。
きっと荷物を整理したりしたらどうだと言っていたのではないか。引き出しなど何があるのか見てみよう。
スーツケースを開けて、10分ほどが経った頃、Alexandraがドアをノックしてきた。
“Are you eating dinner?”
ドアを開け、ジェスチャーで何を言ったのかを聞き返すと
“Dinner?” と言うので驚いた。
先ほど見た片付いた台所からはもう夜ご飯は終わったものと思っていたから。
“Yes”と言うとドアを閉めて、まだ全く整理ができていないスーツケースを閉めて、台所へ向かった。