第8話 気にしないことにしよう

文字数 3,307文字

駅に着き、改札がわたしの切符を飲み込むのを確認すると、わたしは光のある方向へ歩いた。
ホームも地下なので、駅を出るまで全く日を見ない。戦争があったら安全そうだ、なんて不思議なことを考えた。

バスターミナルの方向に歩こうとすると、Alexandraの白い車が見えた。わたしは早足で駆け寄りドアをノックした。

Alexandraに車に乗るよう促され、わたしは助手席に乗った。
Alexandraは笑顔で

“How are you?”

と聞く。
わたしは日本人らしく、知っている唯一の返しとして

“I am fine.”

と答える。
するとAlexandraは、駅の近くに車を駐車して、歩いて駅まで行って買い物をしようと提案した。わたしは何もわからない身なので、言われるがままにはいと頷く。

駅から少し離れた、車が通らない小道に車を停めると、わたしたちが歩いて駅に戻った。
今朝は屋内のバスターミナルからすぐに地下の駅に入ってしまったので、駅前の広場を見るのはこれが初めてだ。

小さな和食レストラン、ネイルサロン、雑貨屋、暗いアーケード、本屋、カフェ…と色々雑多に立ち並んでいる。

広場の端まで行くと、おもむろにAlexandraが一つの店に入った。ドアのないオープンな服屋で、店内に所狭しと無造作に置かれるラックで、人が通れる隙間はなさそうに見える。
店内どこを見ても服だらけの店の中に入っていき、Alexandraは壁にかかっているコートを眺めていた。

“How about this? Do you like it?”

Alexandraが一つのコートを手にとって少し遠くにいたわたしに渡してきた。
袖と裾がバルーンになっている膝丈の茶色いコート。色は落ち着いていて可愛らしいが、どうもサイズが大きい気がする。

“Try it!”

Alexandraはそう言うと、コートをハンガーから外して、わたしに着るように促した。サイズを見てみると「42」と書いてある。42がどのようなサイズかわからないが、間違いなくわたしのサイズではないだろう。

渋々着てみるとあまりにも大きい。バルーンスカートが始まっているウエストはわたしのウエストの二倍ほどあり、膝丈に感じる丈は長いわけではなくてただサイズが合っていないだけなのだ。きっと本来膝上のデザインなのだろう。

“It’s big…”

“Is it? I think it’s fine! It looks very nice!!

たしかに袖の長さは何故か「萌え袖」と言える程度で収まってはいるが、何せ寒さから身を守れないのではないかと案じるほど他の部分が大きい。鏡を見ながら自分に

(このサイズで適当なのだ…)

と言い聞かせてみたがどうしてもぶかぶかで、着ぐるみを着ているようだ。
他にコートはないのかと周りを見渡すと、ラックの上や床に服が散乱しているのが目に入ってきた。試着した人が服を戻さず、その辺に置いて帰るようだ。
Alexandraが続ける。

“There’s no other size, I think this is perfect for you.”

何が「パーフェクト」なのか全くわからないが、とりあえずこのサイズしかないのだと言う。
店員さんはレジで携帯をいじっていて特に助ける気配もない。

「う〜〜ん…」

サイズを見た際に値段を見てみたが、60ドルと記載があった。
60ドルというとざっくり6,000円ぐらい。欲しくないものに払う金額としては高すぎる。
どうにか他のもので落ち着かせられないかと店をもう一度よく見渡すが、無秩序の店内に他の適当なコートは見当たらない。
Alexandraは何か個人的な理由でもあるのかと思うほどこのコートに執着している。「他のコートが見たい」とほのめかすわたしの意思を一切無視して、わたしの目の前から離れない。

“But it’s big…”

“You have to buy an overcoat anyway, you know? This is really pretty! I love it.”

何故ここまで執着するのかが全くわからない。この店に入ってまだ5分も経過していないのに、何故このコートしかないという結論に至るのだろうか。
この店にたどり着くまでに他にも服屋はあったのでそちらを見てみたい…と思いながらも、その英語力はなく言葉が出てこず、仕方ない、きっと数ヶ月の辛抱だ、と購入に合意した。

わたしがOKというと、Alexandraは満足そうに店から出ていき、わたしは携帯をいじっている店員のところへ行き会計をする。
店員は巨大なプラスチックの袋をレジの横から掴むと、コートをたたみもせずに投げ入れるように袋に入れてわたしに渡す。
なんだか疲れる買い物だった。

“You got an overcoat! This is great!”

Alexandraは自分の思い通りになって嬉しそうだったが、わたしは買った後もなお何故そんなにこのコートが良かったのかわかるよしもなかった。


家へ到着すると、もう辺りは暗くなっていて、夕ご飯の支度をしなきゃとAlexandraは急ぎ足で家へ向かった。

学校を終えて友達と遊び終えたのか、シャワーを浴びてご飯を食べるだけになったLucyとMary、そして昨日はちらっと顔を見ただけだったホストファーザーがリビングのソファに座ってテレビを見ていた。

“I am home - “

Alexandraは夕飯の支度をするとかなんとかといくらかホストファミリーと話したあと台所へ向かった。

Lucyはわたしに笑顔を向けて、Maryとホストファーザーはわたしのことは気にせずテレビに集中している。わたしは部屋へ行き、コートをドアについたフックにかけて、荷物の整理を始めた。結局昨日はすぐに寝てしまったのでスーツケースを開けたのは結局朝だったのだ。


服や化粧水などを棚に並べたり引き出しに入れたりとしばらく黙々と作業をしていると、ドアのノックとともに夜ご飯の合図があった。
だいたい終わった荷物の整理の手を止めて、スーツケースを閉じて台所へ向かった。

Lucyは昨日同様台所でジュースを作っており、Maryはまだテレビを見ていた。
台所でLucyと話していたホストファーザーがわたしに笑顔で挨拶をする。

“Welcome Hanna, I am Craig.”

“Nice to meet you.”

Lucyは隣で笑顔を作ると、ダイニングテーブルへ向かった。
Maryもテレビをつけたままダイニングテーブルへやってきた。
Alexandra、Craig、Lucy、Maryとわたしの5人で食べる食卓には、見たこともないほど大きな陶器のお皿が三つ並べられていて、一つにはサラダ、二つには二種類のパスタが盛られていた。ここから各々好きなだけとって食べるようだ。

Maryはパスタを自分の皿に少し取り分けると、顔にパスタを乗せたり、眉毛をパスタにしたりして遊び始めた。LucyやAlexandraは笑ったり止めたりしている。

皆が皆家族らしい会話をしていて、学生を受け入れることには慣れているようだった。
Alexandraがわたしに話を振る。

“Hanna bought a new overcoat today at the station.”

“Oh cool! What’s it like?”

わたしのコートの話をされている挙句、注目が集まってしまっている。
できれば忘れたかったのに。

“Bring it here, it’s really cute.”

Alexandraがコートを持ってくるように促す。わたしは渋々立ち上がり、部屋からハンガーごとコートを持ってくる。

“Oh nice! Those puffy parts are really cute.”

みんな何故かノリノリで、コートが気に入っているようだ。わたしもサイズがSサイズだったら気に入っていたのだろうか。わたしは苦笑いを浮かべて、部屋にコートを戻した。

「寒さだけしのいでくれればそれでいいや…。」

そして、そう思い聞かせることにした。
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