第5話 二日目の朝

文字数 2,958文字

時差ボケもなく、朝7時より少し前に起きると、外はまだ暗かった。冬のピークなのだ。日が短い。

部屋の明かりをつけもせずに部屋を出て、顔を洗いに行こうとすると、Alexandraが台所で昼食の準備をしていた。

昼食といっても日本のように色々なおかずが入った弁当箱ではなく、タッパーに果物やお菓子を詰めたランチボックス。二人の娘のためだろう。

“Good morning…”

“Good morning. Slept well?”

教師だというAlexandraからはどことなく厳しさを感じる。話し方も比較的冷たく、目が笑っていない感じがする。教師としての威厳だろうか。
わたしは笑顔で返してシャワーと同じ部屋にあるシンクへ向かった。水が冷たい。

顔を洗って部屋へ戻ろうと台所の前を再度通ると、Alexandraがトーストを食べるかと尋ねてきた。わたしはジェスチャーで理解して、すぐに来ると身振り手振りで伝える。学校へ行く支度を簡単にして、ダイニングテーブルへ行った。

LucyとMaryはまだ起きてきていないようだ。
学校が近くにあって徒歩で行ける距離なのだろう。
わたしはお皿に2枚だけ置いてあるトーストに、近くに置いてあったジャムを塗って無心で食べ始めた。

“I signed this paper for you, you will have to bring it to the school you are going to next week.”

??

娘の昼食をいそいそと準備していたAlexandraが、わたしに数枚の紙を差し出して言った。
わたしは状況がつかめず、きょとんとしていると

“You can ask Toshi, he should know.”

トシとは佐々木さんの下の名前だ。

“Ok…”

状況がつかめないまま紙を受け取った。
空白の多い紙面の数カ所に数人の署名がしてある。何のことかさっぱりわからない。

“We are leaving at 7:30.”

台所に戻ったAlexandraが大きい声で言った。
わたしは”Yes”とAlexandraが聞こえるぎりぎりの大きさの声で返すと、2枚目のトーストの最後のかけらを飲み込んで、一旦部屋に戻った。

佐々木さんにメッセージを送る。佐々木さんはまだ日本へ帰国していないはずなので返事をくれるだろう。今は電話番号でのメッセージのやりとりができるが、佐々木さんが日本へ帰国してしまったあとはどうやって連絡を取れば良いのだろう。なにせこの家にはインターネット回線がない。

「ホストマザーから、来週からの学校に持って行くという紙を受け取ったんですが、何か知ってますか?」

佐々木さんからはすぐに返事がきた。さすがは働き者の佐々木さんだ。もう起きているのだ。

「それを今週中どこかで次の学校に持って行って。学校に通うのに保護者のサインが必要だからその書類だよ。」

「今の学校を休んで行っていいんですか?」

「うん。午前中だけで行けると思う。連絡入れとくよ。明日行ける?」

「はい。」

何度も言うようだが、この時わたしが持っていた携帯電話は元祖NOKIAの白黒携帯。画面は2cm x 3cmぐらいのものだろう。指を必死に動かしてローマ字入力してメッセージを送る。
佐々木さんとのメッセージが終わると、7時半の数分前だった。わたしは部屋を出て、リビングに向かう。すぐにAlexandraが来て、外に出るよう合図した。わたしはAlexandraに従って外に出る。

外に出ると、うっすらと外が明るくなっていた。遮るものがない階段の上では風が冷たい。

“You don’t have an overcoat?”

“No…”

“Oh! We should go buy one today after your school. I will take you to one of the shops.”

“Ok…?”

わたしは何故かオーストラリアにコートを持ってきていなかった。
分厚いパーカーで乗り切れると思っていたことが大きな計算ミスだった。

車に乗り込むと、エンジンをかけながらAlexandraが口を開いた。

“I contacted Toshi though, so you are going to your next school tomorrow morning, I will show you where the school is on the map, it is near the Central Station, it is in the city centre.”

なんとなく佐々木さんが言っていた通りだと理解できた。”Ok”というと、Alexandraが車を走らせる。まだ明るくなりきっていない空の下で、細かい光を反射した波がビーチに波打っている。夜が明けたら一体どんな景色なのだろう。

“We are going to the station after your school today, I will come pick you up at the station near your school. Message me when you finish school, okay?”

“Okay.”

Alexandraはわたしを最寄駅で降ろすと、何度も学校が終わったら連絡するように、と念を押した。わたしは初めて降り立つ駅に困惑しながらも、人々が歩く方向に向かって歩き始めた。駅のホームは地下にあるようだ。

地下へ歩いて行くと、券売機に突き当たった。小銭を入れて、降りる駅名を何度も確認して街までの切符を買う。
戸惑いながらも周りを眺めると、同じ方向に向かって早足に皆が歩いている。同じ方向に向かって歩くと、改札があった。
切符を改札に入れて、ガッタンと大きな音を立てて開く改札を通り抜け、切符を取る。ホームは更に地下のようだ。
地下へ降りるエスカレーターに足を置く。長いエスカレーターはお世辞にも速いとは言えない。しかし誰もあわてて横を走り抜けて行く人もいない。後ろと前の人との距離は近いが、のんびりと時間が流れているように感じる。
長いエスカレーターを降りると、電車はもう到着していた。どうやらわたしの駅が最終駅のようで、ここに停まっている電車は全て街へと折り返す電車だ。

先に発車しそうな電車に乗り込む。意外と混んでいて、椅子には座れなかった。
カバンを前にかかえて目を閉じる。降りる駅は6個ほど先だっただろう。それまで立っていれば良い。

そういえば今日は午後遠足に行くとか言っていた気がする。映画を見ると言っていたのではなかっただろうか。まだ誰とも話したことがないのに大丈夫だろうか。学校でいじめられていた経験があることから、ランチ時間が本当は一番怖い。ランチは今日は寿司を試してみようか。でもそれでは学校に近すぎてみんなに気がつかれてしまうだろうか。
もんもんと考えているうちに、すでに3駅が過ぎていた。乗客は減る様子はない。それもそのはず、ほとんどの乗客が街まで行くのだろう。見渡す限り仕事に行く姿の人たちばかりだ。
街に着くまでトンネル道のようだ。景色が変わらない暗闇の中で、うとうとしながら到着を待った。
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