第1話 新たな地での始まりの時

文字数 2,825文字

乾燥した空気が肌に痛い冬のある日、
わたしは、オーストラリアの青空の中に立っていた。

いじめにより学校を不登校になり、進学ができなくなったわたしは、
高校をせめて卒業できるようにとオーストラリアへ留学することになったのだ。

両親は心配しながらも、同行はしなかった。
フットワークの軽い留学エージェントのスタッフがたまたま現地の学生と会う機会があるタイミングでわたしを連れていってくれることになり、二人でオーストラリアへ飛ぶことになった。

スーツケースを転がして飛行場の建物を出ると、

「じゃあ僕は車を取ってくるから。」

留学エージェントスタッフの佐々木さんはそうわたしに伝えて、スーツケースをわたしの周りに置くと駐車場の一角まで走っていった。
どうやら駐車場の隅にはレンタカーの貸し出し口があるらしい。

わたしは日本では見たこともないほどの青い空と冷たい風に圧倒されて、大きく息をついた。

空が広い。そしてとにかく、青い。

広くて青すぎるほどに青い空を見ていると、家族から離れて暮らすことに恐怖や不安はなくなっていた。

しばらくスーツケースの隣に立っていると、佐々木さんが乗る白い車が近づいてきて、わたしにスーツケースを持って近寄るようにジェスチャーした。
わたしは思いスーツケースを転がして車に近づく。佐々木さんがわたしに助手席に座るように促して紙の地図を渡す。
この頃は電子端末なんてものはなく、地図は全て紙の地図で、北か南かがわからないと地図もよく読めなかった。

佐々木さんはわたしのスーツケースを車のトランクに詰め込むと、運転席に座り、運転席のポケットにあった分厚い本のような地図をめくり始めた。

「な〜んか、何度見てもどこかよくわかんないんだよね〜。」

佐々木さんはお得意の困ったような笑い方をしながら、分厚い本の薄い紙をぱらぱらとめくる。
わたしは紙の地図が読めないので、紙を上下にくるくるまわしながら自分がどこにいるのか探していた。

「いいや、とりあえず、行こう!これ、持ってて。」

佐々木さんはわたしに重い本を渡すと、車を走り出させた。車が走り出すと、青い空が延々と続く景色はやがて森になり、暗い森の中をずっと走っているようだった。
森の中を長く走っている間は、わたしは安心できた。次に起こる何かわからないその出来事は、森の中にいる間にはせめて起こらないような気がしていたので、同じ景色が延々と続くことに安心感を抱いていた。

「今日はまず、最初に入る語学学校に行くよ。そこには一週間通ってもらって、来週から大きな語学学校に転入するから。
今日の学校が終わる頃には迎えに行くから、また車でホームステイの家まで行こう。」

わたしが聞いたこともなかった予定が立っていた。すでに決まっているらしいその予定にわたしは、頷いて、引き続く森の景色を楽しんでいいた。
しばらく車を走らせるとやがて森は拓けて、街が見えてきた。大きな街だった。

「このあたりのはずなんだけど、道が細かいからな〜。」

佐々木さんは色々な道に入ってみては、速度を落として立ち並ぶ建物を注意深く見る。どうやら語学学校が見つからないようだった。

「あ、これだ!これ!」

突然その学校は見つかったようで、佐々木さんは車を路肩に止めた。
佐々木さんが見る方向を見てみると、そこには小さな寿司スタンドがあり、その奥に立つ奥まった建物の入り口には暗い扉があるように見えた。

「ここだから、スーツケースはそのままでいいから、入って、4階まで行ってて!日本人の先生がいるはずだから、その人に話しかけて。僕も後から行くよ。」

言われた通りに手荷物で持っていたカバンのみを握りしめて、車に気をつけながら急いで車を降り、不思議な真っ暗闇の中にある扉に近づいた。扉は開いている。
扉の奥まで歩いて進んでいくと、エレベーターがあった。言われた通りに4階まで登る。3階付近まで登ると誰かが話す大きな声が聞こえる。わたしが理解できる言語ではない。
エレベーターの扉が開くと、そこには頭を剃りあげた、金髪の耳中にピアスをした大柄な男性にぶつかりそうになった。
受付は極めて狭く、大柄な男性が受付の前に立っているだけで受付のほとんどのスペースを占有しているのだ。
わたしはその男性の後ろに静かに立って待っていた。男性は受付の女性と話があるのだと思い、順番は守るべきだと思ったからだ。
しばらく黙って立っていると、受付の女性が少し身を乗り出して、わたしに合図をした。

“What are you waiting for?”

わたしはまさかわたしが話しかけられるとは思っていなかったので驚いてしまった。なにせわたしは英語が話せない。

“I… I am student!”

わかる限りの英語で叫んでみた。

“Oh… kay..”

受付の女性は手元にある紙に目線を落として、大柄な男性がこちらを振り向く。
大柄な男性と一緒に来たのであろう若干小柄だが大きい男性が少し左にずれてわたしが見えるようにしてくれた。

「あら、花さんね。」

するとどこからともなく、背の高い女性が現れ、わたしに日本語で話しかけた。きっと日本人の先生だ。

「は、い。花です。」

“I got it, she is my student.”

先生は受付の女性と目配せをして、わたしの肩を優しく押して居室の方へと誘導する。

「今日の花さんのクラスはここ。今は休み時間だから自由に話してるけど、あと5分ぐらいで先生が来るからね。」

扉の前でわたしにそう説明すると、先生は部屋の中に入っていき、他の生徒に何か質問をしている。
しばらくすると先生は部屋に入るようわたしにジェスチャーし、わたしは先生の元へ早足で駆け寄った。

「この席が空いているみたいだから今日はここに座ってね。隣のこの子はシンシア、香港人。お隣の二人は台湾人、あとは韓国人と・・ベトナム人がいるのかな?ペンはある?」

「はい、あります。」

「じゃあ、頑張ってね。学校が終わったら佐々木さんが迎えに来ると思うから。」

笑顔でそういうと、日本人の先生は居室から出て行ってしまった。
わたしはそそくさと指定された席に座り、ペンとノートを取り出して、周りの様子を伺う。
シンシアが身を乗り出して左側から話しかけてきた。

“Hello, where are you from?”

“Japan!”

“Right, do you miss your family and friends?”

“....?”

何か聞かれているようだが意味がわからない。
“Miss”とはなんだろうか。
日本で少しだけ習った英会話のおぼろげな記憶からするときっと「失う」のような意味なのではないか?
シンシアは今わたしが日本で家族や友達を失ってこちらへ引っ越してきたのか聞いているのだろうか。
しばらくの沈黙の末、

“No!! No, no!”

と勢いよく否定すると、シンシアは不思議そうな顔をして、そんなタイミングで先生が教室へ入ってきて、授業が始まった。
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