〈魔王の独白〉

文字数 2,807文字

(魔王視点)

 人間の記憶と感覚を持ったまま魔族に転生させられた。それだけでも混沌の神……この世界の人間が言うところの邪神を恨むには十分だった。

 今世の私にも親はいたのだろう。けれど、気が付いた時には私は独りで、周囲には卵の殻らしきものが落ちていた。私の姿はどうやら赤い竜であるらしかった。

 生まれた時にはもう保護者がいなかった私だけど、幸い……と言っていいのかどうか。生き延びるための力には困らなかった。卵の私が置き去りにされていたらしい洞窟を、そのまま自分の住処にした。遠くに町が見えたけど、そこまで行く勇気がなかった。

 前世の自分を思い浮かべれば人の姿になれるとわかっても、竜のねぐらに人間の服なんてない。服を幻影で用意したとして、どこかに魔封じの結界でもあれば大惨事だ。言葉が通じる保証もなく、何かあれば自分は人間の敵として討伐されるだろうと思った。

 森の動物を狩った。火は熾せたから焼いて食べた。塩がないせいもあるけど、どうにも物足りなかった。
 魔物を狩った。異形の獣から魔力の塊である核を取り出した。それを噛み砕いて、ようやく飢えが癒えた。自分は本当に化け物になってしまっていたようだ。

 私が竜として暮らし始めてひと月くらい経った頃、ただの魔物にしては強すぎる気配が近付いてきた。
 それは小柄な銀髪の少年と、背の高い赤髪の青年という二人連れで、見た目は人間だったけど、魔核を持っていることが感じ取れた。

「魔王様。本当にこの仔竜が……?」
 赤髪の青年が言葉を発した。私にも理解できる言葉だ。ひと月誰とも喋っていなかった私は、言葉が通じる相手が現れただけで、たまらなく嬉しかった。ただ流石に『魔王』という単語は無視できない。

「間違いないね。コレが俺の後継だ」
 赤髪の青年は少年を魔王と呼んだ。そして、少年は私を『後継』と。
 少年の真紅の目が私を見た。
「お前、親は?」
 竜の姿では言葉を発音できない。けど《念話》スキルの使い方はわかっていた。
〈わからない。知らない……〉
「そうか。ならお前、俺と一緒に来い」

 ひとりで居るのは寂しかった。できれば人間の姿でもっと文化的な暮らしがしたかった。お風呂に入りたいし、鏡が見たいし、ベッドで寝たい。
〈……町で暮らせる?〉
「いや。町じゃなくて城だな」
〈城……〉
「ああ。魔王城だ。見えるか? あの町の右側、塔がいくつかあるだろ。あの辺りだ」

 魔王城があるという場所は遠すぎてはっきりとはわからなかった。
〈私が次の魔王?〉
「そうだ」
〈どうして私なの?〉
「お前が強いからだ。魔王ってのは一番強い魔族がなるもんだ」

〈それ、断れるのかしら〉
 と、私が言ったら、少年の目がギラリと光った。
「断るならここで殺す」
〈……え〉
「俺の後継者になるなら、育ててやる。ならないならお前はただの敵だ」
 選択肢など、私にはなかった。








 魔王城で暮らし始めて二十年ほどで、少年姿の魔王は引退を宣言して私に仕事を押し付けた。
「無茶言わないでよ。私魔族としてはまだまだ子供なのよ? 本当に魔王が務まると思うの?」
「へーき、へーき。シホならできるって。ケインは置いていってやるから」
「魔王様! 私を置き去りにすると!?」
「シホを支えてやってくれよー。お前がいれば俺も安心して隠居できる」
「そんな……」

 酷くショックを受けた様子のケインを城に残し、少年魔王は魔国を出て行った。いい感じの南の島に居を構え、怠惰に暮らすらしい。
 私が魔王になっても、ケインは頑なに先代魔王を『魔王様』と呼び続けた。彼の忠誠はあくまでもあの銀髪の少年に向けられている。まあ、別にそれでもいい。ちゃんと仕事をしてくれるなら。

 私は願い通り人間の姿でベッドで寝る文化的な生活を送っていた。けれど、自分も周りも人間ではないという事実が、時折切なく、苦しく感じられた。
 料理をするようになったのは、それが私にとって人間としての一番強く濃く残った記憶だったからだ。前世の自分が作っていた料理を再現することにのめり込んでいった。

 魔力を主な糧にする魔族には、人間と同じ食事は効率が悪い。食べないわけではないけれど、魔物の核が手元にあるならそちらを選ぶ。酒のような嗜好品を好む魔族は多いものの、調理された食材を口にすることは娯楽に近い。それでも味がわからないわけではないから、料理をしては周囲の魔族に味見させた。

 人間と魔族の間で溝が深まっていくことを感じながら、具体的には対処できずにいた。魔族の多くは人間に興味がない。人間はただの弱者で、構うほどのものではないからだ。魔族が人間に殺されたという話があっても、それはやられた側の弱さが悪いというのが魔族の考え方で、魔王である私がわざわざ弱者を救済するために動くことは、周囲の魔族たちが良い顔をしなかった。

 魔国がある宵闇の森の近くで、行き倒れた少女を見つけたのは偶然だった。少女は人間で、《鑑定》すれば『聖女』と出てきた。何かを変えてくれる気がして、保護し、連れて帰った。

 聖女は召喚された日本人で名前は『ミスミ』というらしい。《鑑定》結果にすらフルネームが出てこない。どういうことかと思うけど、名前というのは意外と曖昧なものなのだ。特に《鑑定》に関しては。本人が『自分の名前ではない』と思っているなら表示されない。

 どう呼ばれたいか、何と名乗りたいか、そんなものは時と場合と相手によって違う。魔族であれば真名が唯一絶対の名前と言えなくもない。けれど《鑑定》で真名が晒されてはたまらない。
 聖女はよほど強い意志をもって『ミスミとしか名乗らない』と決めているらしかった。そこまでされるとかえって気になるというもの。いつかは暴いてやりたいと思ってしまった。

 元日本人の聖女は私が作る料理をとても喜んだ。会いたい人がいるという彼女が待っているのはおそらく勇者だろう。ならば、勇者も日本人である可能性が高い。話し合う余地があるかもしれない。私は勇者が食べてくれそうなものを用意しておくことを決めた。

 そして現れた勇者ヒナタは可愛らしくて眩しくて、ミスミとの関係は羨ましいくらいだった。
 たぶん、前世の私にも、仲が良い相手はいただろう。もう名前も思い出せないけど。

 私の後継者候補はまだいない。先代の魔王は十年に一度くらい謎の果物を持って遊びに来る。「まだ隠居するのは早かったわよね」と言ったら、言い返された。
「俺は十分働いたからもういいんだよ。大体、お前じゃなかったら人間との関係修復なんてできてねぇぞ?」
「えぇー。私も隠居したい」
「次の魔王を探せ。魔王が魔王を辞めるにはそれしかねぇんだ」

 強いから偉いなんて祭り上げられているけれど、魔王なんてただのハズレくじ。魔国のための使用人に過ぎないんだから。
「どっかに強い魔族いないかなー」
 できることなら、前世の記憶が完全に消える前に引退したいんだけどねぇ。




ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み