01

文字数 1,909文字

 真上には、吸い込まれそうな程広い空が広がっている。季節はもうすぐ、暦で冬を迎えようとしている頃だ。こちら側に吹きつけてくる風は冷たい。そんな風が俺の横をすり抜けて向かっていく先には、地上からの距離によって縮小された、普段の街並みが見える。そこで人が、車が、どこかに向かってある程度一定の速度で動いていくのが視認できた。
 その景色は、俺が「ここ」に来てから毎日のように目にしていても、特に変化が現れるわけでもなかった。しかし、そもそもそんな変化があっても大半が気付くことのない人間という生物は、今日もあまりに平和すぎると思う。その世界の中に存在していればこれだけ広く見える色んな景色も、これは地球全体のほんの一欠片にも満たないくらいだ。
 人間は所詮、狭い世界でしか生きられない弱い生き物だ。その考えはずっと前から、いや今でも、全く変わりはしなかった。
「ねぇ」
 この屋上で、俺の眼前に立っているもう一人の存在。彼女は一ミリですら笑わない瞳でこちらを真っ直ぐに見ている。たとえ存在を無視したく思っても、無視できないほどには直視されていた。し、周囲の風景を脳内で認識処理しつつも、俺も同じように彼女のことを見つめていた。何故なら俺は、彼女と向き合わなくてはならないからだ。風によって彼女の黒髪と制服が靡いている。屋上で風に靡かれている女子生徒、なんて聞くと学園ドラマでよくありそうな場面な気がするが、そんな安っぽい感想は今は全く求めていない。
「いつになったら、私を殺してくれるのかしら?」
 彼女がそう言いながらこちらに一歩近付く、カツ、という靴音がやけに強調されたように聞こえてきた。それと同時に彼女は、スッという音も立てない程にスムーズに、自身の表情を真顔から妖しい微笑へと変える。そして。
「――死神さん?」
 まるで底なしのような黒色で埋め尽くされた瞳を向けて俺を、いや、俺の存在としての名を呼んだ。薄く微笑を浮かべる彼女と、無表情に近い怪訝な顔で対峙する俺。
 ――いや、正確には人間と、死神。
 この決断を下すまで、こんなに時間を要する予定は全くなかった。相手が彼女でなければ、ここまで苦戦することもなかったのかもしれない。彼女に出会わなければ、ここまで自分の運命が狂わされることもなかったのかもしれない。
 それでも俺は、今から彼女を――。
 この状況を生み出した発端は、遡ること約一週間前のことだ。

 *

『タツヤ、最終試験だ』
 俺、タツヤはお父様に呼び出され、この屋敷の中で最も大きな彼の部屋にてそう告げられた。俺は、人間界で俗に言われる「死神」の一族の血を引く子どもだった。そして父親はその死神の一族のトップに君臨している。因みに母親はおらず、俺が小さい頃に亡くなったと聞いている。そして俺には兄弟もいないので、俺は必然的に王の一人息子ということになる。
 死神の血を引き、一族であるからには、やはり完全に一人前の死神にならなければいけないという暗黙の了解がここには存在している。そして、一人前として認められるためにはいくつか突破しなければいけない試験があり、それが「『最終的に』人間を殺すこと」だ。これは「殺人を犯せ」ということではなく、対象を正当な方法で死に導くのが死神の役目であるから、それを行えということだ。
 今、彼が告げたように次の試験が「最終」なので、ここに至るまでにいくつも試験を超えてきているわけだが、特に人間という存在に何の興味も持っていない俺は、今までそれを難なくこなしてきた。
『最終試験ですか、お父様』
『あぁそうだ、タツヤ。お前が本当に死神になる覚悟があるかどうかを試させてもらう。いくら我が息子とはいえど、試験は皆平等。家族だからといって、試験免除という贔屓をするわけにはいかないからな』
 死神とはいえども、持っている身体は人間と同じ。要は存在方法の差でしかないので、人間になることもできる俺たちは、ここで試験に落ちたら人間になる――即ち、一人前の死神になれる権利を剥奪される――というしきたりがあった。だから、もしここで不合格となれば、家族といえども俺はその場でこの父親と生き別れることになる。死神のしきたりとはそんなものだ。情だの何だの、そんなものが介入する余地など一切ない。全ては行動と結果だ。
『今回も必ずクリアしてみせますよ。寧ろ、家族という条件如きで贔屓など、この一族の名に響きます。一切無用です』
 俺はフッと笑いながらそう返答した。不合格になる気など一切なかったからだ。人間に興味なんてないのだから、人を殺めることの抵抗など皆無に等しい。そんな俺を見て同じく笑った父は、次の言葉を発した。
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