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文字数 2,476文字

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 真上には、吸い込まれそうな程広い空が広がっている。季節はもうすぐ、暦で冬を迎えようとしている頃だ。こちら側に吹きつけてくる風は冷たい。そんな風が俺の横をすり抜けて向かっていく先には、地上からの距離によって縮小された、普段の街並みが見える。そこで人が、車が、どこかに向かってある程度一定の速度で動いていくのが視認できた。
 ――そう、今日は七日目。
 今朝、彼女に会った早々、俺は言った。「放課後、屋上に集合」と。そして今、その時がやって来たのだ。彼女は俺を真っ直ぐ見ていたし、俺も彼女のことを同様に見ていた。冷たい風が吹く中、先に口を開いたのは彼女の方だった。
「ねぇ。いつになったら、私を殺してくれるのかしら? 死神さん?」
 こちらに一歩近付きながら、そう言った。こんな時でも微笑を浮かべていることへの恐怖心をなんとか飲み込みつつ、こちらも口を開く。
「……だから今日、こうして呼び出したんだろう。お前も分かっているくせに」
「随分待たせてくれるじゃない。酷い話ね」
「こちらにも事情があるんだ、少しくらい待ってくれたっていいだろう」
 そう答えつつ、俺は右手を少し横に広げて「気」を集めた。あの日、オハラがやっていたことと同じことだ。少しずつ黒い靄のようなものが固まり始め、それはやがて一つの形になってゆく。十秒も経たないうちに、俺の右手には短剣の柄が握られていた。
「……覚悟しろよ」
 低い声でそう告げて、俺は一歩、彼女に近付く。風に吹かれても尚、彼女の表情は何一つ変わらない。こんなこと如きでは動じないというのか。一度目を閉じ、息を吸う。そして吐く。開いた目で、俺は彼女を思い切り睨んだ。
「――大人しくその命を絶て、神崎玲ッ!!
 右手を大きく後ろへ引き、そして彼女の方へ真っ直ぐ突き刺そうとした。彼女は静かに目を閉じた。その表情を俺は、一瞬たりとも見逃さなかった。
 ――あぁ、やっぱりな。
 その瞬間目的を果たせた俺は、右手を力の限り地面に振り下ろした。ガシャン!!と剣が砕け散る鋭い音が空間に響き渡った。その音に驚いたらしい彼女が、バッと目を開いた。いくつもの破片と化した剣は、元の空気へと戻ってゆく。
「……騙して悪かったな。これが、俺の出した答えだ」
 剣の行く末を見届けてから、俺は彼女の方を向き直って告げた。
「俺はお前の自殺幇助はできない。これが本当の答えだ、神崎玲」
 何が起こったのか理解できていないのか呆然としていた彼女だが、少ししてやっと俺の言ったことが理解できたらしく、ゆらりと体を動かしてこちらに向かってきた。と、認識した瞬間、いきなり背中にガンッという音と共に衝撃が走った。何が起こったのか理解したのはその数刻後で、俺は彼女に掴みかかられ、フェンスに背中を押し付けられていた。とんでもない力だった。
「……私、言ったわよね。お願いしたはずよね。きちんと殺してくれって」
 背中の衝撃に顔を顰めるのも束の間、狂気を孕んだかのような声が聞こえてきた。
「やっと……やっとこんな人生終われるんだって思ってたのにッ!! 何で!! 何で死神のあなたが殺せないって言うの!! どういうことなのよッ!!
「……放せ」
「しかも騙すなんてどういうことよ!! 上げてから思い切り突き落とすなんてふざけるんじゃないわよ!! だったら最初から――」
「放せっつってんだろッ!!
 訳が分からずに、普段通りの皮を被ることも忘れて取り乱している彼女の狂気に気圧される前に、俺は彼女の手を振り払った。それを無我夢中で思い切りやってしまったので、彼女が後ろにふらついて尻餅をついてしまった。若干罪悪感を抱きかけたものの、そんなことをしている暇はない。フェンスから背中を離し、口を開く。
「……あぁ、言ったさ。間違いなく言われたさ。『殺してくれ』ってな。だから俺も、お望み通り殺してやろうと思ったよ。その方がお互いウィンウィンだしな」
「……っ、それなら――」
「お前の本音はこっちなんだろ、『ミオ』さん」
 ポケットからスマホを取り出し、昨日から開きっぱなしにしていたブログの画面を、立ち上がった彼女の方に向ける。その画面と「ミオ」という名前を同時に出すと、彼女の顔色がサッと変わったのが分かった。明らかな動揺だった。
「な……っ、どうして、それ……」
「悪いけど見つけさせてもらった。そんなに見つかりたくないなら、自分のアカウントを繋げなきゃ良かったのに。そこんとこ詰めが甘かったな、死にたがりさん」
 俺は彼女の方を真っ直ぐ睨んでいたが、それは決して圧をかけたいからではなかった。冷静を装うのに必死だからだった。自分の体の中で、心臓が喧しいほどに鼓動しているのが感じとれる。昨日の息苦しさは、このブログの内容を思い出そうとするだけでいとも容易く再現されてしまう。
 一瞬たりとも俺が崩れてしまえば、神崎玲のこの感情には勝てない。
「お前が過去に何があったのかも分かった。何故死にたいと思っているのかも分かった。だけどお前、そんな嫌いな自分のこと、全く殺せてなんかいないだろ。ただ閉じ込めて、見ないふりしているだけなんだろ。だって全部、ここには本当のこと書いてるじゃねぇか。しかも誰でもアクセスできるような場所に。
 それに、俺がいざ殺そうとした時、お前自分でどんな反応したか分かってるか?」
「……え?」
「まぁ、分かるわけないよな。必死だったもんな。お前、目ぇ固く閉じて震えてた。冷静さ装っても怖いって思ってんの、見え見えなんだよ」
「そ、そんなこと……っ」
「これ以上嘘ついてどうすんだ、俺にはもう全てバレてんだぞ。実際、一昨日のブログで言ってんじゃねぇか。『今更死ぬのが怖いなんて言ってられない』って」
 核心に迫られて逃げ場がなくなったせいか、彼女の目に、声に涙が滲んでいるのが分かった。本来、死神ならこの程度の反応で何かを感じ取ってはいけない。それが持つべき残酷さなのだから。しかし俺は、ずっと持っていた自分のこの感情を認めてしまったがために、残酷になり切れないことをこの時はっきりと悟った。
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