1-6:空白の記憶
文字数 4,228文字
あんな場所に閉じ込められて、お腹が空いていないのだろうか。少女は食べようとも飲もうともしない。
痩せてはいないようなので、ユケイはひとまず食事についた。
食事中もずっと、意識は少女の方にあった。知らない筈なのに、やはりどこか懐かしい。
空白の過去を手探るようにユケイは少女に興味を持った。
「うーん、竜族ってなに食べるんだろう? やっぱ生肉とかかなぁ?」
トミーに目をやると酒瓶に入れた水をがぶ飲みし、パンとハムを貪っていた。
ユケイは口を尖らせる。
「ねぇ! こいつのこと、何か分かった!?」
「は、はひッ! 多少ですが……ッ」
あやうく喉を詰まらせながら、トミーは肩で一息ついた。
「竜族の種類は髪や目の色で判断できるんですぅ……。この子は青色ですから水生……つまり水辺に生息している竜族だと思いますぅ。だから寒い冷蔵庫でも生きていられたんじゃないかなぁと……」
「ほーん。……よくわかんないけど、寒いのに強いんだ」
「そして服すら着ていないのは、以前の持ち主の奴隷だったからでしょう……」
「どれい?」
「ユケイ君が捕まえてきた女の人達みたいな状態ですねぇ……。でもそれは抵抗する力が弱く、無害だという証拠でもありますぅ。船長さんに渡しても危険ではないと思いますよぉ……?」
「無害なんだ。じゃあ安心だね! ……ねぇねぇなんでこいつ何も喋んないの?」
「ええと、なにか問題でも……?」
「こいつとお話ししたいんだ。歳が近そうな奴に会えたの初めてだし…………オレ、友達欲しい」
ユケイは少女をつんつんして。
「ねぇねぇ、なんて呼べばいい? 教えてくれなきゃ変なニックネームをつけちゃうよ!」
う~んと短く悩んだ後、ユケイのクセ毛がピピンと立つ。
「冷蔵庫の中でフリーズしてたから……リズ! フリーズの、リズ!」
すると少女は瞬きをして、やんわりと口角を上げた。
「見て! こいつちょっと笑ってる! ニックネームが気に入ったってさ!」
ユケイは嬉しくなってリズの頭を撫でまわした。
「リズ、オレはユケイだよ! ユケイって言ってみ?」
乱れに乱れた前髪の奥で、リズは静かに微笑んでいる。
トミーもうんうん頷いて、無機質な笑みを浮かべて言った。
「こんなに可愛い子なら、船長さんはきっと喜んでくれます。ねぇ……?」
その一言に、ユケイはそっと手を引いた。
「……そう、だね。オレ誉めてもらえるかな……」
窓から射す陽に朱が滲む。
くぐもった音で響いてくるのは甲板の穴を修理する音。下っ端達をどやす声。
そんな事はどこ吹く風。トミーは今夜に備えると言い、机に伏して眠っていた。
その足元で、ユケイは時間を潰しがてらリズを支えて座っていた。
相変わらずリズは無表情のまま。
それでも何故か顔だけは向けて、どこか不思議そうに、どこか貫くように、ユケイを見詰め続けていた。
何を訴えたいのだろう。聞いても何も答えないが、ユケイはその視線に慣れたどころか心地良ささえ感じていた。
「何で
暫く待っても、やはり反応はない。
それでもユケイは話し続けた。
「ねぇねぇ意地悪しないからさ、友達になろうよ。遊び相手がいなくてつまらないんだ。友達になってくれたら、あいつらの手伝いはしなくていいよ。オレと一緒にいれば近寄って来ないだろうし、安全だと思うよ?」
" あいつら "について想うたび、嫌なことを思い出す。
記憶を失くして目覚めたばかりの頃は、シバだけでなく皆と仲良くなりたかった。
その為にどんな要求にも答え、朝から晩まで働いた。惨めにされても我慢した。笑い者を演じてきたが、ついに反抗した途端、危険だ狂暴だと恐れられ、シバを残してこの有様。
あんな思いをするくらいなら仲良くなんてしなくていい。
だけどシバがあんなでは、寂しくて仕方がない。
「ちょっとだけ、ぎゅってしていい?」
答えを待たず、ユケイは両腕いっぱいにリズを抱きしめた。触れている部分が心地良すぎて、ちょっとどころか離したくない。
じんわりとした安心感のなか、何かを思い出せそうなのに、何も思い出せないもどかしさに
どうしようもなく弱気になる時、どこかへ帰りたいと思う。
そこ
は優しく温かいだろうか。父と母を探す約束、シバは果たしてくれるだろうか。
黒。なにも見えない黒。
ユケイは半ば断ち切るように潤んだ瞳を黒に閉ざした。
トミーはびくりと目を覚ました。
窓に顔を近づけると、海と空の境界が夜の闇に溶けていた。月の位置もあんなに高い。
随分ぐっすりと眠ってしまったようだ。
船長に宛てた置き手紙。
転がっていた鉛筆と本から抜いた遊び紙で、こう綴っておいた。
『さようなら。追って来るなら全員殺す』
これを読んだ船長がどんな顔をするか楽しみだ。が、手紙はいまだここにあり、リズを残してユケイがいない。
扉がパタリと音を立て、トミーは慌てて追いかけた。
「ゆ、ユケイ君っ……! 手紙をお忘れですよぉ……!?」
ひったくる様に手紙を受け取り、ユケイはむすっとした顔で。
「忘れてたんじゃない。トミーがちっとも起きないからだよ。……それで、これを船長室のすぐには見つからない場所に置いてくればいいんだよね? なんて書いてくれたのん?」
「『ちょっとだけ、外の世界を見てきます』と……」
「おっけー。じゃーシバのとこに行ってくんねー。待っててトミー」
「あ、れ?? リズちゃんはどうされるので……!?」
トミーは動揺を隠して苦笑いした。
図書室へと押し戻されながら、作戦の流れを確認した。
ユケイは扉に手をかけて、目線はリズの方にある。
「今夜船を降りるのは分かってる。でもリズを渡すのは、別に今日じゃなくてもいいよね」
「陸は危険なところです。船長さんに渡しておく方が安全かとぉ……!」
「シバは忙しいからずっとは構ってくれないよ。それにリズは女だし、一人でいたら他の奴らに意地悪されて死んじゃう。友達が死んだら、オレ嫌だ!」
「で、ではユケイ君は一体何をしに船長さんのもとへ……!?」
「これはオレの日課なのっ!」
扉にシャットアウトされ、トミーはわなわなと振り返った。
あの様子では明らかに同行させるつもりだ。
読みが当たって本当に水生の竜族だったら、水を得て急に活発化する恐れがある。巨大な海蛇に変わるかもしれない。海に連れ出すお荷物としては危険すぎる。
計画に憂いがさすストレスに、感情がかき乱される。
渦巻く思考がふと、解決策に辿り着いた。
リズを殺して誰かの仕業にすればいい。
トミーは服の下からナイフを抜いた。
お友達の無惨な姿にユケイが怒って暴れれば、海賊どもに壊滅的なダメージを与えられるかもしれない。もし反応が薄ければ邪魔な荷物が減るだけだ。
我ながら良いアイディアだと、トミーは刃をふりかざした。
「よう」
再び扉が開かれて、自然な流れでナイフを仕舞った。
考え直してくれたのかと思いきや、そこにいたのはユケイではなく、昨晩やってきた男達。下っ端の連中だった。
トミーの顔から血の気が引く。
ユケイを探していたとは嘘で、連中の目的は船の修理を放棄しているトミーにヤキを入れることなのだ…。
リズに気を取られて油断したと、後悔するももう遅い。
「ようやく一人になったな、この野郎。覚悟はできてんだろうな!?」
トミーは部屋から引きずり出され、男達はリズにも手を伸ばした。
船長室の扉を開くとそこにシバはいなかった。
仕方なしに戻ろうとして、ユケイは手紙の置き場所に悩み、部屋のなかをぐるぐる巡った。すぐ見つかってはいけないけれど、そのうち必ず見つかる場所とは。
紙切れを手に悩んでいると、シバが部屋に戻ってきた。
ユケイは手紙を後ろに隠して誤魔化すように笑いかけたが、シバは気にも留めずに言った。
「……ついて来い」
さっさと行ってしまうのを追って、風吹きすさぶ甲板に出た。
シバは旗を掲げる柱の前で立ち止まった。
それを見上げる横顔は、どこか複雑そうに。
「旗を降ろして捨てろ」
「いいの?」
「あれを掲げてると色々面倒なんだ。前の奴等の厄介事が全部回ってきやがる」
風に荒ぶるその旗には降下させる装置がなかった。
ユケイはするりと柱に登り、張り詰めた縄を切断した。旗は夜風に解き放たれ、まるで自由を得たように空高くへと舞い上がった。しかしぐにゃりと形を歪め、大きく軌道を狂わせて、たちまち海に落下した。
暗闇に沈む紋章をわけも分からず見届けた。
シバの隣に降り立つと、そこにはいつもの覇気がなかった。
「……なぁユケイよ。俺はこの船を捨てることにしたぜ。船のデカさに人数が見合わねぇし、色々と面倒な事になってきたからだ。中くらいの船に乗り換えて、暫くは人数を増やしていく。お前がいれば、またこういった船も手に入るだろうしな……」
そして深く息を吐き、屈んでユケイの肩を掴んだ。
「これから戦いが続くかもしれねぇ……。だがお前ならやれる。よろしく頼むぞ、相棒」
ユケイは迷わず頷いた。
その戦いとやらが一段落するまで船を降りるわけにはいかない。二度と真実を知れなくなるかもしれない。そんな言葉が脳裏を過るが、ユケイは手紙を握り潰した。なにより優先してシバを助けたいと思っているから。
その決意は揺るがないが、暗闇に浮かぶこの船のように先の見えない不安が襲う。
「ねぇ……シバは何と戦ってるの? その戦いはいつ終わる? シバの敵がいなくなったら……前みたいに楽しく暮らせる?」
「はあ?」
シバが要領を得ないまま立ち去ろうとする。
ユケイは引き留めるように声を張った。
「シバは変わっちゃった気がする! あのさ……ザナルがよくブツブツ言ってたんだけど、それってオレのせいなの……? だとしたらオレ……オレ……っ、どうしたらいいの!?」
シバがピタリと歩を止めた。
振り向いてはくれないまま、しんと佇む背中が言った。
「……別に俺は何も変わってねぇ。もとからこうだったのよ」
「そんな……!」
ユケイの言葉を遮ったのは、足に伝わる衝撃と、下層から響く叫び声。
動揺する間もなく一人の船員がシバの前に転がり込んできた。
「大変だ! 竜族が暴れてやがる! すぐに来てくれッ!」
竜族と聞いて嫌な予感がしたが、ユケイも急ぎ
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