アンドレイ・クルコフ『ペンギンの憂鬱』

文字数 2,167文字

 キエフに住む無名作家ヴィクトルは、地元の新聞社でまだ存命中の有名人についての追悼記事を書く仕事に就く。彼の仕事は編集長に認められるが、ヴィクトルはそれによって危険な状況に巻き込まれていき…。

 作者アンドレイ・ユリエヴィチ・クルコフは、一九六一年にレニングラード(現・サンクトペテルブルク)のブダガシュ村で生まれ、キエフで育った。現在、五十九歳。ロシア語で創作するウクライナの作家である。
 クルコフは、キエフ州立外国語教育研究所(現・キエフ国立外国語大学)で日本語を学び、卒業後はキエフ理工科大学新聞や出版社ドニプロの編集者として働き、二十四歳で兵役に就いた。一九八五年から八七年まで、ソ連内務省の七四四五部隊に配属され、ИТК-14(ハバロフスクの刑務所)などを防衛した。

 一九九六年に発表された『ペンギンの憂鬱』は、ダークなユーモアでポスト・ソヴィエト社会を風刺した作品である。
 本作の原題は、最初は≪Смерть(スメルチ・) постороннего(パスタローニェヴァ)≫(部外者の死)だったが、後に≪Пикник(ピクニク・) на льду(ナ・リドゥ)≫(氷上ピクニック)に改題された。
 主人公ヴィクトルは、編集長の謎めいた指示に従って、著名人がまだ生きているにもかかわらず、その死亡記事を書くことになる。この奇抜なアイディアは、作者クルコフ自身が地元の新聞や出版社で働いた経験から生まれたのだろう。
  動物園から譲り受けたペンギンのミーシャは、ヴィクトルの分身のような存在だ。彼は成り行きで友人の娘ソーニャを養育することになり、乳母として若いニーナを雇う。
 三人と一羽はしだいに「家族」になっていくが、彼らの「普通」を装った生活は一時の幻想であり、ヴィクトルの孤独はさらに深まる。
 自分の命に危険が迫る中で、ヴィクトルの心はなぜか穏やかな平安に向かう。カミュの『異邦人』を思い起こさせる、実存主義的な内面描写だ。
  

  二〇〇五年に、本作の続編となる≪Закон(ザコン・) улитки(ウリートキ)≫(カタツムリの法則)が発表された。
 続編発表から十五年ほど経ったが、邦訳はいまだに刊行されていない。二〇一五年に書かれた≪Дневники(ドゥニェヴニキ・) Майдана(マイダナ)≫(マイダン日記)の方が、『ウクライナ日記―国民的作家が綴った祖国激動の155日』として先に刊行されている。
 今後、『カタツムリの法則』が日本で刊行される見込みは薄いだろう。残念ながら、日本の読者にとって本作は「未完」のままになりそうだ。

 続編のあらすじを簡単に紹介しよう。マフィアから逃げるために南極基地へ飛んだヴィクトルは、基地でしばらく滞在した後、キエフへ帰国する。キエフへ戻った彼は、マフィアのボスの選挙運動の仕事に就く。そして、ペンギンのミーシャがチェチェンの動物園にいることを知り、彼はミーシャを追って旧ソ連を横断する旅に出る…。

 マフィアのボスが選挙に出馬し、政治の表舞台にまで出てくるという筋書きは、ペレーヴィンが一九九六年に発表した≪Святочный(スヴャータチニィ・) киберпанк(キベルパンク・), или(イリ・) Рождественская(ラジデェストヴェンスカヤ・) ночь(ノチ)-117.DIR≫(聖なるサイバーパンク、あるいはクリスマス・イヴ-117.dir)と、驚くほど共通している。
 両者の作品は、ロシア・マフィアの全盛期、混乱の九〇年代の恐ろしさを教えてくれる。

 現代のロシア人が「マフィア」という言葉からイメージするのは、ソ連崩壊直後の九〇年代だと言われる。市場経済へと急激な改革をした時代、急増した反社会勢力がやりたい放題で広がり、資産を合法化し、政界まで進出した。
 マフィアの抗争で多くの死傷者も出たが、元軍人、元警官、元スポーツ選手など、体格の良い若者たちが次から次へと犯罪組織に入った。
 九〇年代、経済改革の大波に乗って富を得た若い実業家たちは、「新ロシア人」と呼ばれた。当時、新ロシア人やエコノミストなど、新興成金階級を風刺するアネクドートが人口に膾炙した。そんな小噺を一口、紹介したい。

「ロシア式ビジネスとは何ですか?」
「ウォッカの箱を盗んで、売って、その金を飲酒に使うことです」

 金持ちと見るや、何らかの違法な方法で大金を稼いだのだろう、と誰もが疑っていたのだ。現在では、九〇年代のゴッド・ファーザーたちは老い、混乱の時代は過去のものとなった。資産の合法化に成功し、犯罪から足を洗った者たちは、今や立派な実業家である。

たしかに、気のふさぐこともあれば、自分が何かよからぬことに関与しているのではないかと思うこともときにはあったが、今ではそんなふうに悩むことはめっきり減って、自分の暮らしが不安のない気楽なものに思える。それにしても、よからぬ世界のよからぬこととは何なのだろう。自分の知らない巨大悪のごく一部ではないのか。その悪はすぐそば、すぐ近くに存在しているが、彼個人やその小さな世界を侵すことはない。たとえ何かよからぬことに関わっているとしても、それをまったく与り知らないのであれば、それこそ彼の世界がゆるぎなく落ちついている保証なのではないか。※1

 作者クルコフは、当時の人々がきわめて緊密に結びつけられていた悪の問題について、秩序の形成を善、秩序の解体や破壊を悪として、見事にとらえている。
 

 ※1 アンドレイ・クルコフ『ペンギンの憂鬱』新潮社、229頁
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