アンドレイ・クルコフ「ロシアがウクライナへ侵攻した後、何が残るのか?」

文字数 3,173文字

 三月二十一日、『ペンギンの憂鬱』で知られるアンドレイ・クルコフが、The New Yorker誌に寄稿した。
 クルコフは、ロシア語で執筆するウクライナ人作家である。
「戦争の考古学 ロシアがウクライナへ侵攻した後、何が残るのか?」と題された、クルコフの最新エッセイをご紹介したい。(※1)

 僕は一九六一年に生まれた。祖父の一人が亡くなり、もう一人はなんとか生き延びた第二次世界大戦の終結から十六年後のことだ。子供の頃はずっと、男の子たちと戦争ごっこをしていた。僕らはグループを「我々」と「ドイツ人」に分かれるようにした。誰も「ドイツ人」になりたがらず、くじで誰かがゲームの中で「ドイツ人」になった。

 クルコフはレニングラード(現・サンクトペテルブルク)で生まれ、幼少期にキエフへ移住した。父親はテストパイロット、母親は医師であった。
 学校で勉強する外国語を選ぶように言われたとき、クルコフはドイツ語のグループに行くことをきっぱりと拒絶したそうだ。
「やつらはアレクセイじいちゃんを殺した!」と言った彼に、ドイツ語を学ぶよう説得する大人は誰もいなかったと言う。
 そしてクルコフは英語を学んだ。第二次世界大戦中、イギリスがソ連の同盟国だったからだ。

 そして今日、イギリスは同盟国のままだが、「我々」の概念だけがその意味を変えた。今や「我々のソヴィエト」ではなく、「我々のウクライナ」へ。

 少年時代の自分がドイツ語を拒絶したように、今の戦争が子供たちへ永続的な傷あとを残すことをクルコフは予測する。

 戦後、子供たちが学校でロシア語を勉強するようにすすめられても、「ロシア人はおじいちゃんを殺した!」とか「ロシア人は妹を殺した!」と言って、きっぱり拒絶するだろうと思うと、僕は悲しくなる。
 必ずそうなるだろう。そしてこれは、人口の三分の一が家で主にロシア語を話す、僕のような数百万人のロシア系民族が暮らす国で起こることになる。

 クルコフは二〇一五年の来日講演で、現代ウクライナの文学状況について語り、あえてロシア語作家であり続ける自分のアイデンティティについて語っていた。(※2)
 来日の前年、二〇一四年にはマイダン革命から始まった騒乱でクリミア危機、ドンバスでの武力紛争が起こっていた。
 ウクライナでは、ウクライナ語の使用が禁じられた歴史があったため、ウクライナ語を守ることこそがウクライナの作家の最大の課題であった。
 ウクライナのロシア語作家は肩身の狭い思いをしているが、ロシア語は「侵略者の言葉」であるとウクライナの人々に思われたくない、「文学の言葉」でもあるのだ、とクルコフは語っていた。
 しかし二〇二二年二月二十四日、ロシア語は本当に「侵略者の言葉」になってしまった。
 The New Yorker誌のエッセイで、クルコフは次のように続ける。

 プーチンはウクライナを破壊するだけでなく、ロシアを破壊し、ロシア語を破壊している。今日、この恐ろしい戦争の間、ロシアの爆撃機が学校、大学や病院を爆撃している時、ロシア語は最も重要でない犠牲者の一人である。
 僕の母語がロシア語であるという事実から、自分がロシア出身であることをこれまで何度も恥じてきた。

 クルコフは、ウクライナ語を流暢に話すことができる。
 ロシア語作家であることにこだわり続けてきたクルコフが、今や自分の母語とルーツを恥じているのだ。
「言語に罪はない、プーチンにロシア語の所有権はない、ウクライナを守る人々の多くはロシア語話者である、ウクライナ南部・東部の民間人の犠牲者の多くもロシア語話者でありロシア民族である」と自分に言い聞かせてきたが、「今はただ黙っていたい」と語る。
 クルコフの言葉から、彼がウクライナとロシアとの間で板挟みになり、どれだけ引き裂かれる思いをしているかが、伝わってくる。

 クルコフの妻はイギリス出身で、子供たちは英語とロシア語を母語としている。クルコフの娘であるガブリエラは父親を励ますため、「すべてのロシア人がプーチンを愛しているわけじゃないし、ウクライナ人を殺す準備ができているわけじゃない」ことを伝えるメッセージを送ってくれるそうだ。

 クルコフは、ウクライナ支持を公に表明する友人たちの名前を挙げる。ウラジーミル・ソローキン、ボリス・アクーニン、ミハイル・シーシキンだ。
 彼らは現代ロシア文学を代表する作家だが、全員がロシアを離れて亡命生活を送っている。
 モスクワ出身のソローキンはベルリン在住、グルジア(現・ジョージア)で生まれ、モスクワで育ったアクーニンはロンドン在住、モスクワ出身のシーシキンはスイス在住である。
 シーシキンは二〇一五年の来日講演で、「祖国が自殺しようとしているのに黙っていることなどできない」と語っていた。(※2)

 The New Yorker誌のエッセイで、クルコフは戦後のウクライナの子供たちについて再び予測する。
 自分たちが「我々」と「ドイツ人」に分かれて戦争ごっこをしたように、これからの子供たちの戦争ごっこは、今の戦争の筋書きになる
「心理的には、一九七〇年代末までに第二次世界大戦は終結していたが、ソヴィエト体制では映画や本、学校の教科書を通じて戦争の記憶を拡大し、戦後の憎しみを長引かせたのだ」と語る。

 クルコフによれば、ウクライナからの分離独立を主張する自称「共和国」では、ウクライナはファシズム国家であると教科書に書かれているそうだ。
 子供たちは、ウクライナ、ヨーロッパ、アメリカを憎むよう学校で教えられていると言う。

 クルコフは、「この戦争がロシアの歴史教科書にどのように記述されるのか、想像することができる」と語る。しかし、国が危機に瀕しているとき、一部の国民にとっては、真実の歴史よりも神話の方がより重要なものとなることを指摘する。
「ウクライナの学校の教科書にのっているウクライナの歴史は、真実であってほしい」とクルコフは強く望む。

 歴史の独立は、国家の独立を保証するものである。

 クルコフのエッセイ全文は、The New Yorker誌でぜひ読んでほしい。ロシア語、ウクライナ語、英語で掲載されている。英訳はクルコフの妻、エリザベス・シャープによる。
 クルコフの国際的ベストセラー『ペンギンの憂鬱』は、日本で二〇〇四年に刊行されたが、この三月に約四年ぶりに大増刷された。
 クルコフは現在もウクライナ国内に留まり、犠牲者の情報を英語でツイートし続けている。(※3)


※1 Археология войны : Что останется после вторжения России в Украину?, Андрей Курков, March 21, 2022, The New Yorker.(日本語訳は筆者による)
The Archeology of War : What will be the legacy of Russia’s invasion of Ukraine? , by Andrey Kurkov, Translated from the Russian by Elizabeth Sharp-Kourkov.
https://www.newyorker.com/culture/personal-history/andrey-kurkov-ukraine-russia-archeology-war

※2 2015年8月15日、ICCEES(国際中欧・東欧研究協議会)第9回世界大会特別企画の国際シンポジウム 「スラヴ文学は国境を越えて―ロシア・ウクライナ・ヨーロッパと日本」でアンドレイ・クルコフ、ミハイル・シーシキンが来日講演した。

※3 Andrei Kurkov @AKurkov
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