アルベール・カミュ『異邦人』

文字数 3,330文字

 フランス領アルジェリアの首都アルジェで暮らしていた主人公のムルソーは、母親の葬儀の数週間後に、一人のアラブ人を殺した罪で裁判にかけられる。犯した罪について審理されるはずが、なぜか事件とは何の関係も無い、母親の死に際してのムルソーの態度・行動が裁判で問題とされ……。

 作者アルベール・カミュは一九一三年、フランス領アルジェリアの貧しい労働者階級が住む地区で生まれた。両親は「ピエ・ノワール」と呼ばれるヨーロッパ系の入植者であり、母親はスペイン・バレアレス地方の血を引くフランス人だった。父親はフランス人農業従事者だったが、第一次世界大戦にズアーブ兵として従軍し、一九一四年に戦死したため、カミュ自身は父親を知らずに育った。(※1)
 その後、アルジェ大学で哲学を学ぶ。第二次世界大戦中にドイツ軍がフランスに侵攻してきたとき、彼はパリにいた。一九四二年、ナチスによるフランス占領下で発表された『異邦人』は、宣伝部による検閲や省略なしに出版された。一九五七年、カミュは四十四歳という若さでノーベル文学賞を受賞した。

 物語は殺人事件の前と後の二つのパートに分かれており、ムルソーの一人称の語りで進む。
 彼が母親の遺体を見ようとせず、年齢も知らず、棺を前にしてカフェ・オレを飲み、煙草を吸い、涙を流さなかったこと。葬儀の翌日に恋人と一緒に泳ぎ、映画を見て、一夜をともにしたことが裁判で非難される。検事によって、ムルソーは「精神的に母を殺害した」男であり、「人間社会から抹殺されるべき」と断罪され、死刑を求刑される。
 母親に対する態度を糾弾されたムルソーだが、作中では「ママン」という子供っぽい呼びかけが五十回も用いられており、彼が内心では母親に対して愛情を持っていたことが窺える。

 本書を読めば、ほとんどの読者がこの裁判の理不尽さに反発を覚え、ムルソーを体制の犠牲者である

に感じるはずだ。
 読者は語り手ムルソーの目を通して物語世界を見ており、彼の行動を追体験し、その感覚や意識を共有し、彼の共犯者となっていく。そうして裁判に同席したわたしたち読者は、ムルソーの私生活を暴露してあげつらう検事の言葉に憤り、彼が加害者であることをすっかり忘れてしまうのだ。
 このようにして、実は主人公が加害者ではなく、体制の犠牲者だと読者に思わせてしまう構成は、作者の巧妙な仕掛けと言えるだろう。

 裁判において、ムルソーは殺人の動機を「太陽のせい」(※2)と言った。アラブ人殺害の場面は次のように描かれている。

涙と塩のほとばりで、私の眼は見えなくなった。額に鳴る太陽のシンバルと、それから匕首からほとばしる光の刃の、相変わらず眼の前にちらつくほかは、何一つ感じられなかった。(※3)

 ムルソーは暑さのせいで錯乱状態に陥り、アラブ人を射殺したのだろうか。ここで作者は、「ピストルの上で手がひきつった。引き金はしなやかだった。」と、彼の手や銃を主語とし、まるでムルソー自身に殺人の意志は無かったにもかかわらず、手や銃が勝手に相手を殺した

書いている。
 しかし、ムルソーは一度撃った後、「私はこの身動きしない体に、なお四たび撃ちこんだ」と、今度は明らかに自分の意志で撃っている。彼が続けざまに四発撃った時、作者は「私」を主語としている。この四発の銃弾は、彼の殺人行為をより罪深いものにしたと言える。

 作品全体の五分の一を裁判の場面が占めているにもかかわらず、殺されたアラブ人の名前が一度も呼ばれないのは奇妙なことに感じる。
 殺人事件の前に、ムルソーの友人レエモンがアラブ人の女性を血が出るまで殴る事件を起こしていた。このとき警察は警告だけにとどめ、レエモンを無罪とする。この殴られた女性の兄が、レエモンの釈放を不服に思い、彼につきまとうようになって、たまたま居合わせたムルソーの手で射殺されたのである。
 殺されたアラブ人の妹は事件の発端となった重要参考人であるはずだが、彼女が証人として裁判に呼ばれることはなかった。事件当日に被害者と行動を共にしていたアラブ人仲間も同じく裁判には呼ばれず、発言の機会が与えられていない。警察も検事もアラブ人たちが暴行や殺人の被害を受けても無関心であったと言える。

 ムルソーはアラブ人殺害の罪によってではなく、母親の死を悲しまず、翌日も喪に服さず遊び惚けたという生活態度によって裁かれたのだ。
 作中でアラブ人たちが人間として全く扱われていないことが、読んでいて最も疑問に感じたところである。おそらく、発表当時の読者にとっては、植民地の野蛮な先住民を殺した

でフランス人が死刑を求刑されるなどというのは、常識に反した不合理な裁判であると感じられたのではないか。
 パレスチナ出身でコロンビア大学の文学教授を務めたエドワード・サイードは、植民地時代のアルジェリアで、アラブ人を殺したかどで裁判にかけられたフランス人など存在せず、完全に思想的フィクションであると論じている。(※4)

 サイードによれば、植民地時代はアラビア語が排斥され、モスクの中でしかアラビア語を教えることが出来なかった。カミュはアルジェリアで生まれ、大学卒業後までアルジェリアで暮らしたにもかかわらず、アラビア語を全く知らなかった。彼はアルジェリア人ではなく、まさに「ピエ・ノワール」、アルジェリア生まれのフランス人だったと言える。(※5)
 カミュは「植民地の証人」なのだ、とサイードは指摘する。作者が作中に書きこまなかった余白部分から、図らずも現代の読者はフランス統治時代のアラブ人に対する差別と不正義を知ることができる。

 作中でムルソーはアラブ人がナイフをちらつかせた瞬間に発砲したが、今日でもアメリカでは白人警官による黒人殺害事件が後を絶たない。ナイフまたは銃を取り出した、取り出そうとしたという理由は、この手の事件における警察の公式発表の常套句だ。二〇二〇年に「ブラック・ライヴズ・マター」(黒人の命を軽んじるな)をスローガンとする運動が燃え上がったのは記憶に新しい。

 一九六二年の独立後、アルジェリアではアラビア語が復活した。植民地時代のフランス語教育に対する反動として、アラビア語教育が強要され、アラブ化政策は行き過ぎた面もあると言われている。
  ナチスによるフランス占領の比喩ないし寓話であると解釈されてきた『異邦人』だが、発表から八十年が経ち、近年では新たな視点からの読み直しによって再び注目されている。
 一九七〇年生まれのアルジェリアの作家カメル・ダウドが、ムルソーに殺されたアラブ人の

を語り手として『異邦人』を読み直す物語『ムルソー対抗調査』を二〇一四年に出版し、ゴンクール処女小説賞を受賞している。(※6)



※1 ピエ・ノワール(Pied-Noir)とは、フランス語で「黒い足」を意味し、1830年から1962年までのフランス統治時代のアルジェリアで暮らしていたヨーロッパ系住民(フランス、スペイン、イタリアなどからの入植者、アルジェリア生まれの入植者二世たち)を指す言葉。アルジェリアの先住民であるイスラム教徒たち(アラブ人など)とも、フランス本土生まれのフランス人とも区別する俗称。
ズアーブ連隊(Zouave)とは、1830年から1962年にかけて活躍したフランス軍の軽歩兵連隊の一種。ズアーブという呼称は、アルジェリアのズワワ族(ベルベル人)にちなんでいる。当初はズワワ族から採用されたが、その後に採用されたのはほとんどが「ピエ・ノワール」であった。

※2 アルベール・カミュ『異邦人』窪田啓作訳、新潮文庫、107頁
※3 同書、63頁

※4 エドワード・サイード『ペンと剣』中野真紀子訳、ちくま学芸文庫より
※5 アルジェリア独立に反対の立場であったカミュは、1957年に「アルジェリア民族などというものは存在しない」と発言している。

※6 カメル・ダウドは、アルジェリアのアラビア語を話すイスラム教徒の家庭で育った。オラン大学でフランス文学を学び、フランス語で小説を執筆。邦題は『もうひとつの『異邦人』― ムルソー再捜査』(鵜戸聡訳、水声社)。
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