ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』

文字数 3,591文字

 優れた才能のために、父や校長や牧師たちから将来を期待されたハンスは、神学校に優秀な成績で合格するが、入学後に詩情豊かで反抗的な学友と出会い、成績が下がり始め…。

 作者ヘルマン・カール・ヘッセは、一九四六年にノーベル文学賞を受賞した、二〇世紀のドイツ文学を代表する作家である。
 一八七七年に南ドイツ、ヴュルテンベルクのカルフに生まれ、敬虔主義の宣教師の家庭に育った。バルト・ドイツ人の父はバーゼル宣教会に所属する宣教師であり、ヴュルテンベルク出身の母方の祖父母もインドで宣教師として働いていた。
 ヘッセは祖父や父と同じように、牧師となる道を進んだ。彼は必死の勉強で難しい入学試験に合格し、十四歳でマウルブロンの神学校に入学する。一九〇五年、ヘッセが二十八歳のときに出版した『車輪の下』は、彼自身の少年時代の体験が描かれている。

『車輪の下』は、中間部の神学校の場面を挟んで、前半と後半が主人公ハンスの故郷の町を舞台とする構成だ。第二章の魚釣りの場面や、第六章の秋に行われるりんご汁しぼり、第七章の機械工場で働く厳しくも朗らかな職人たちなど、作者ヘッセの故郷カルフを投影した自然と生活の描写が美しい印象を残す。
 谷間の小さな町と対照的なのが、ハンスが受験のために訪れた大都市シュトゥットガルトだ。見知らぬ顔や誇らしげな家々、鉄道馬車、街の喧騒がハンスを不安にさせ、苦しめた。叔母から百十八人の志願者中、合格するのは三十六人と聞かされ、ハンスは恐ろしい夢を見る。

それを聞いて少年はすっかり気をくさらしてしまい、帰途はもう一言も口をきかなかった。家に帰って頭痛をおぼえ、何も食べたくなく、せっぱ詰った気持になったものだから、父からひどく叱かられ、あまつさえ叔母は及第できぬものと思った。夜は恐ろしい夢に苦しめられて、重苦しい、深い眠りに落ちた。百十七人の候補者が試験場に坐っているのを見、試験官はあるときは町の牧師に、またあるときは叔母に似て見えた。そして、彼の前へ食べたくないチョコレートを山と積み上げたのだ。彼が涙を流しながら坐っていると、他の者は一人一人と席を立って、狭い戸口から姿を消して行った。皆の者はチョコレートの山を食べてしまったのだが、彼のは見ているうちに次第に高くなって、机やベンチの上にあふれ、彼を窒息させるように思われた。(※1)

 十九世紀末のドイツの伝統的教育制度(古典語と数学に基づく知識偏重、軍隊的な規律)にも問題があったと思うが、そもそものハンスの不幸の始まりは、親や教育者たちの過剰な「親切心」にある。父親を筆頭に、校長、教師、牧師など皆が優秀なハンスを激励し、息もつかせず勉強させる。過度な受験勉強によって、ハンスは疲労困憊しやせ細り、異常なほどの頭痛が繰り返されるようになっていく。
 難関を突破し、九月に入学を控えたハンスは、本来十分に休養すべき夏休みに神学校での勉強に備えて、牧師から新約聖書のギリシャ語を毎日一、二時間、ラテン語学校の校長からホメロスのギリシャ語を毎日一、二時間、さらに数学を専門の教師から週に三、四時間の予習授業を受ける。ハンスは好きだった土いじりも(うさぎ)飼いも魚釣りも、くだらないものと思って、自分からもう止めてしまっていた。

 ハンスがこれほど焦燥感に駆られ、熱心に勉強に励んだ動機は、常に他者を抜いて一番になりたい、名誉と称賛を得たいという自尊心や功名心にある。受験で不合格となったときのことを考えて、すっかり抑うつ状態となり、恐ろしい夢まで見たにもかかわらず、次席で合格したとの報を受け、「首席でなかった」という事実が彼の気持ちをくさらせた。町の週刊新聞に自分の合格が掲載されると、人前では何も言わなかったが、「胸が張りさけるほど誇らしく愉快」な気持ちになった。
 気弱で物怖じする性格のハンスが、執拗に一番にこだわる性格になったのは、親や教育者たちの精神的影響が大きいと言える。

 ハンスは半時間も窓板の上に腰をおろして、掃除したばかりの床板をじっと見つめ、今じっさい神学校も高等中学も学習もだめになったとしたら、いったいどうなることかと想像しようとした。自分は見習としてチーズ屋かまたはある事務所へやられるであろう。そして、一生涯自分は平凡な、貧相な人たちの一人で終わるだろう。自分はそれらの人たちを軽蔑し、どんなことがあっても、彼らを下目に見てやろうと思っていたのだのに。美しい、聡明な、学童らしい顔つきはゆがんで、腹立たしさと悩みにみちた渋面になった。かっとなって跳び上がり、唾気(つば)を吐き、そこにおかれてあったラテン語の名文集をつかんで、それを力いっぱいにすぐ前の壁へたたきつけた。(※2)
 
 ハンスは自分に期待をかけている父親や校長や教師や牧師を極端に意識し、彼らから賞賛と尊敬を得たいという感情に支配されている。大人たちの「好意」と「親切心」を装った抑圧する力は、ハンスの心と体を傷つけ、圧し砕いてしまった。
 彼らの「親切心」が見せかけだったことは、ハンスが心を病んで神学校から戻って来たときの、おざなりで冷淡な態度からよく分かる。大人たちは彼ら自身の野心を満たすために、ハンスを利用していたのだ。『車輪の下』を読むと、子供にとって最も恐ろしいのは、親や教育者たちの過剰な「好意」と「親切心」だと感じずにはいられない。

 人生の指針を助言するべき牧師でさえ、ハンスにとっては単なるギリシャ語の教師にすぎず、彼の心の悩みに耳を傾けることをしなかった。敬虔なキリスト教徒であった靴屋のフライク親方だけが、実の父親以上にハンスの体を心から心配して、受験を控えた彼に試験がすべてではない、かりに不合格となっても決して恥ではないと言い聞かせた。神学校から戻って来たハンスに、学校のことは一切口にせず、りんご汁しぼりに誘って、秋の収穫の喜びを味わせ、束の間でも彼の心の憂いを忘れさせようと気づかっていた。
 しかしハンスは、エリート意識によって大多数の人々が就く職業を軽蔑しており、フライク親方の素朴な善良さを理解できなかった。
 
 ハンスが新約聖書の一言一句にどんな謎があるか発見し、ホメロスの詩句の美しさにふれ、真理の探究や学問に対する畏敬に感激を覚える場面は、彼が本来進むべきだった勉学の目的を示している。本来の学問は真理を探究し、人間性を向上させるものだが、ハンスにとって学問は他者を打ち負かすための手段となってしまった。勉学によって勝利を得ようとしたハンスは、勉学によって傷つき、敗者となってしまった。彼の心の中には、学問の本来の魅力を上回る、執拗なまでの競争心があったのだろう。
 
 作者ヘッセは十四歳でマウルブロンの神学校に入学したが、半年後に学校を逃げ出し、故郷カルフへ戻って来た。一八九四年の春から翌年の秋まで時計工場の見習い工となり、歯車をみがいた。当時、牧師は町でいちばん尊敬され、いちばん安定した職業だった。そんな高い将来を約束されていた秀才が、軽蔑していた力仕事をすることになったのだ。
 ヘッセ自身と『車輪の下』の主人公ハンスとの最も大きな重要なちがいは、物語の結末にある。
 
 物語の最後で、フライク親方は教師たちを指さして、「あの連中も、あの子をこんな目にあわせる手伝いをしたのじゃ」(222頁)と語る。ハンスの父親は、親方の言葉の意味が分からず、不審そうに驚くばかりだった。本書は、受験期の子供に接する親や教師たちにぜひとも読んでもらいたい一冊である。

 ヘッセは挫折と孤独、両親との葛藤をのりこえて、ようやく自分の力で真剣に勉強をはじめ、二十二歳のときに詩集『ロマン的な歌』をまとめた。無名の詩人の詩集を出してくれる出版社はなく、自費で小さな本を出した。のちのノーベル文学賞の文豪も、スタートはみじめで苦しい道だった。
 今、中学や高校、大学受験に向けて勉強している学生たちにフライク親方と同じ言葉を伝えたい。不合格となっても決して恥ではないし、かりに合格したとしても、合格した後の人生の方が長いのだ。必死で難関の試験に突破しても、卒業せず中途退学することだってあるだろう。最後にヘッセの詩集『孤独者の音楽』に収められている「目標」と題した詩を紹介したい。

いつも私は目標を持たずに歩いた。
けっして休息に達しようとは思わなかった。
私の道ははてしないように思われた。

ついに私は、ただぐるぐる
めぐり歩いているに過ぎないのを知り、旅にあきた。
その日が私の生活の転機だった。

ためらいながら私は目標に向かって歩く。
私のあらゆる道の上に死が立ち、
手を差し出しているのを、私は知っているから。(※3)



※1 ヘルマン・ヘッセ『車輪の下に』秋山六郎兵衛訳、角川文庫、21頁
※2 同書、34頁
※3 『ヘッセ詩集』高橋健二訳、白凰社、76頁
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