二十

文字数 3,672文字

 新宿署管内で誘拐事件が発生した。被害者は新宿でIT企業を経営する中国人の娘で、中学二年生。休日に友人と小田急百貨店でショッピングをした後友達と別れ、徒歩で帰宅途中に拉致された。被疑者も同じ中国籍の男だということもわかっている。すぐに身代金を要求する電話があったからである。通常、この手の誘拐事件が表沙汰になることは少ない。身代金目当ての犯人が中国人である場合、被害者が警察に名乗り出て、無事に身柄が戻ったためしがないからである。逆に犯人の要求通りに金を用意すれば、身柄が解放されたケースもある。しかし、今回は両親の判断で新宿署に通報があった。新宿署の刑事課捜査一係は非常に難しい判断を迫られた。何しろ、中国人が中国人の金持ちから身代金を奪おうとした事件で、中国人のものの考え方や、文化、性格など、加害者、被害者共に行動を予測するのが困難でもあった。中国人犯罪に詳しいエキスパートの応援を要請したが、事件は解決に向かうどころか、秘密裏に動いていたはずの警察の動きが犯人側に漏れた。三日後、世田谷区の多摩川河川敷で、被害者の娘が変わり果てた姿で、遺体となって発見された。
 その情報は、管轄外の交番勤務をしているショウの耳にも届いていた。ショウは唇を噛んだ。中国人の金に対する執着心にも憤りを感じるが、奴らはどうして金や物を他人から奪うだけでは飽き足らず、人の命までも奪うのだろうか? 中国人に限らず、凶悪な奴らは世界中に存在するが、中国人マフィアの残忍さには、目を覆ってしまう。
「中学生の子供を殺して、川に捨てるか? 普通」
 秋葉原駅前交番の中でも、交わされた会話である。交番のすぐ脇を、いつも通り中国語が飛び交っている。
「同胞の起こした事件に対して、奴らはどう思ってんのかね」
「さぁ、自分は自分、他人は他人なんじゃねぇの? 日本だって過去には幾つも殺人事件が起きてる訳だし、今更、中国人だからって意識する方がどうかと思うがな」
「でもよ、この日本国内でだよ、中国人が中国人を獲物にするなんて、酷い話だと思わないか? 最も狙いやすく、金を取りやすいところをちゃんと知っていて、まるで血の臭いを嗅ぎつけたサメのようだ。サメは怪我をした仲間を平気で食い殺すというじゃないか」
 ショウは暗い気持ちで、同僚警官の話を聞いていた。
「そう言や、この件、新宿署の失態で人事異動があるらしいぞ。噂では本庁のサワムラ警視正が、警視長になるらしい。これでついに外国人犯罪に厳しくなるぞ。何て言ったって、サワムラ警視正は外国人犯罪、特に中国、東南アジアのスペシャリストらしいからな」
 ショウが珍しく口を挟んだ。
「サワムラ警視正が外国人犯罪のスペシャリストというのは本当ですか?」
「ああ、これも噂の域を出ないが、若い頃に中国人犯罪を扱ってから、そこに執念を燃やしてきたらしいんだ。東大法学部出身のキャリアで、中国語以外にも、韓国語、フランス語、英語が堪能らしい」
「ひゃあ、さすがだね、キャリアの中でも頭ひとつ抜き出てんな、いずれは警視総監様だね」
 ショウが黙っていると、
「そう言や、タザキ巡査って、サワムラ警視正の高校の後輩だって聞いたんだけど、本当?」
 すると、仲間の巡査が目を丸くした。
「もしかして、知り合いってこと無いよね?」
 ショウは、自分の祖父であるタザキコウゾウが元国会議員で、サワムラがその祖父の高校、大学の先輩であり、両親が殺害された事件の担当警視だったことを、周囲の誰にも話していない。ショウは首を横に振った。
「まさかね・・・・・・実は、そのまさか」
「何っ、恐いこと言わないでよ、タザキ巡査」
「冗談ですよ、単なる同郷というだけです。知り合いだったら、この歳で巡査なんかしてませんて」
「だよなぁ、だよなぁ、焦らせるなよ」
 皆が笑った。
「今回の事件、小田急前のロータリーで、唯一犯人らしき男たちが目撃されているぞ。一人は小太りで眼鏡、右手人差し指が欠損している。通行人が、少女とその男がシルバーのワゴン車に乗るところを、不審に思って見ていたということだ。車のスライドドアを開ける時に、人差し指が無くて、親指と人差し指を除いた残りの三本で扉を開けるのを不思議に思ったらしい」
 ショウは聞き耳を立てた。「右手人差し指の欠損」という言葉にピンときた。以前、新宿歌舞伎町のクラブ「F」で見かけた陳という男が、この一件に絡んでいる。ショウは李俊明に会うことにした。

 ショウが非番の日、新宿西口で李俊明と会う約束をした。李は不貞腐れた顔をしていたが、ショウとの約束を守った。すっぽかした後に、警察に捕まるのが面倒だったし、何故かタザキショウという男には協力してやりたいと思ってしまう。不思議な魅力のある男だ。
「タザキノ旦那、私モ警察ニ情報流シテルト知ラレタラ、タダジャ済マナインダカラネ、ソレ、ワカッテル?」
 ショウが白い歯を見せる。
「ああ、だから新宿西口にしたんだ。ここなら安全だろう?」
「先日ココデ誘拐事件アッタバカリダヨ、警察官ガウヨウヨシテルジャナイノ」
「だから、安全だって言っただろ? 今、ここでお前のことなんか誰一人見ちゃいないよ、中国人は職質を恐れて、皆、新宿以外の場所に逃げちまったよ」
「意地ガ悪イヨ、ダンナハ、デ、何ノ情報ガ欲シイノ?」
 ショウは遠目に、小田急百貨店前のロータリーを見た。
「ヤッパリ、例ノ事件ノコトダヨネ」
「ああ、何故、お前ら中国人は同胞を狙う? しかも、まだ中学生の子供を犠牲にしてまで金に執着する。何故だ?」
「タザキノ旦那、中国人ヲヒトマトメニシナイデ欲シイネ。奴ラト一緒ニサレタクナイヨ。奴ラハ、俺タチカラ見テモ、最低ノクズヤロウダ。周リノ中国人、皆迷惑シテル。全員ガ、アンナクズヤロウデハナイヨ。事件ノコト知ッテ、トテモショック、悲シカッタ」
 ショウが醒めた目で、李を見つめる。李が指先を小刻みに動かしていた。
「警察に寄せられた目撃情報では、犯人は複数で、その中の一人は右手の人差し指が欠損しているようだ。心当たりはないか?」
 李の顔色が土気色に変わった。細い目の奥の瞳が揺れ、焦点が合わず、行き場を失っていた。
「知ってるな?」
 李が口篭った。
「歌舞伎町のエフにいた男だろう?」
 李が頷いた。
「アノ後、クラブFハ、大変ナコトニナッタンダヨ、アソコハ元々福建マフィアノ店ダッタガ、阿修羅ノ奴ラガ突然ヤッテキテ、銃撃戦ノ挙句、見セシメトシテ、店長ノ周ヲナブリ殺シニシタ」
「例の歌舞伎町の事件だな」
「嗚呼、ソウダヨ、今は阿修羅と東北マフィアの天下だ」
「阿修羅について詳しく教えてくれ」
「奴ラハ、元々日本ニイタ中国残留孤児二世、三世ノコトダ。旦那たち警察ノ方ガ詳シインジャナイノ? 世間デハ『半グレ』トモ言ワレテルケド、暴対法デ取リ締マレナイ奴ラノコト」
「何故、阿修羅が東北マフィアと組む?」
 李は苦笑した。
「タザキノ旦那、アンタ本当ニ警察官ナノ? 阿修羅ノルーツト東北マフィアノルーツ同ジダカラダヨ。コレガ本当ノ『同胞』。中国人同士ガ同胞トイウノハ認識違イモ甚ダシイネ」
「中国国内に、複数の異なる国があるようだな」
 李が頷いた。
「日本人ニハ理解デキナイカモシレナイガ、我々中国人ノ中ニハ、『厚黒学』ト言ウ言葉ガアル、孟子ノ性悪説ニ基ヅイタ考エ方デ、厚カマシク、腹黒イ人間ヤ組織ガ、競争社会ニ勝ツト言ウ考エ方ダ。根本的ナ所デ、誰モ信ジナイシ、信ジル者ハバカヲ見ル、人間、最後ハ皆一人デ死ンデ行クノダカラ」
 ショウは李の言葉を聞いて、反論しなかった。むしろ、考えに偽善が無く、腹の底に落ち着くものがあった。
「わからなくもないな」
 李は意外な顔をして、ショウを見つめた。横顔に深い影を見たような気がした。
「それでFにいた男は今、どこにいる?」
「陳建志ノコトハ知ラナイ、歌舞伎町ヲ捨テ、東北ノ奴ラト池袋デ見カケタト聞イタガ、ソレモ本当カワカラナイ」
「池袋の楓に行けば何かわかりそうか?」
 李は顔を土気色に変え、首を横に振った。
「知ラナイ、知ラナイ、楓ニハ、モウ絶対ニ行カナイ」
 ショウが苦笑し、財布から十万円をサッと抜いた。すると、李の目の色が変わり、
「仕方ナイネ一度ダケダヨ、危ナイカラ。ソレニ陳ノ情報無クテモ責任取レナイヨ」
「わかった、構わない。それとお前、台湾人に知り合いはいないか?」
 李が急に笑い出した。
「アタシ、台湾人ネ、生マレ台北アルヨ、ソノ後、上海ニ渡ッタ」
「何だ、お前、台湾人だったのか?」
 ショウは前回、池袋で李と会った時のことを思い出していた。自分のことに関しては話したがらない、慎重な奴だと思ったが、ショウに対しては、少なからず気を許し始めたということなのかもしれない。
「台湾に弟がいる。名はタザキリュウ、聞いたことはないか?」
 李は首を横に振った。
「探してるんだ。情報があったら頼む」
「タザキリュウ、ワカッタヨ」
 ショウが白い歯を見せた。
「それから、近いうち楓に連れて行ってくれ」
 李が苦笑して、小さく溜息をついた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み