三十

文字数 4,200文字

 台北、西門にある組織の事務所に、リュウと王志明が呼び出されていた。
「日本カラ来ル客人ノ通訳ダトサ、要スルニ世話係ダ」
「それは構わないが、一体どんな人物なんだ?」
 すると、角頭である徐文雄が答えた。
「ソノ日本人ノ名ハ、ハダケンゴ。北華貿易ノ代表取締役デ、裏デ北陽会ト繋ガッテイル。主ニ日本ノアダルトDVDヲマトメテ台湾ニ持チ込ンデル男」
 リュウが首を傾げる。
「北陽会とウチは組んでるのか?」
「北陽会トイウ名前デ直接組ンデイル訳ジャナイ。北華貿易トイウハダノ企業を通ジテ、台湾ノアダルトDVD市場ガ成リ立ッテイル。現在はハ台湾ノAVショップノ卸値ノ半分ガ北華貿易ニ流レテイルガ、DVDヲコピーシテ流通サセテイル我々ノ取リ分トシテハカナリ不満ガアル。コレヲ、ハダトノ交渉デ何トカシタイトイウノガ組織ノ考エダ」
 リュウが指先を気にした。
「なるほどね」
 指先にフッと息を吹きかける。
「で、交渉のカードはあるのかい?」
 また徐文雄が割って入った。
「噂デハ、北陽会ハ偽造カードヲ大量ニ欲シガッテイル」
「しかし、それだけでは、ちと弱いな、他に無いのか?」
「モウ一ツアル。日本ノ北陽会ハ、今、海外ノ闇美術品売買市場ニ参入シタガッテル」
 それを聞いて、リュウの目が大きく動いた。徐文雄が思わず目を逸らす。
「海外の闇美術品売買市場だと? そんなものがあるのか?」
「アルヨ、上海ニアル。世界中ノ金持チガ美術品ヲ売買スル闇オークションガアル。ソコデハ、一枚数億ドルノ値ガツイタ美術品ガ売買サレル。海外ノセレブガ売ッタリ買ッタルスル。ソシテ、中ニハ贋作ヤ盗品モ紛レ込ム。盗品ハ一般ノオークションデハ捌ケナイ物ガ出ル。中ニハ、今、将ニ美術館カラ盗マレタバカリノ物モアル。美術館ハ盗マレタ事実ヲ隠ズ。美術館ニ展示シテアル物ガ本物ナノカ、今、目ノ前ノオークションニ出テイル物ガ本物ナノカワカラナイ。世界中ノ贋作ガココニ集マル。見極メガ難シイ。目利キガ必要ニナルノハソノタメダ」
 リュウは低く重く唸った。
「徐さん、タザキノボルっていう日本人画家の絵を見かけたことはないか?」
 徐文雄は唐突な質問に眉をひそめた。
「タザキノボル? 知ラナイナ。有名ナ画家ナノカ?」
 リュウは以前、小老の別荘で見た美術品を思い出していた。無造作にパブロピカソのデッサンが掲げてあり、確かに小老は、これが自分のビジネスだと言った。それが上海で行われている美術品の闇オークションだとは思わなかったが、今、徐文雄の話を聞けば頷ける。しかし、今のリュウには、またいつの日か小老に会うことができる日を、ただじっと待つしかなかった。自分が会いたいからと言って、会えるような人物ではなかった。今は、これから会う、日本から来る「ハダ」という男に近づいて、ハダが持っている美術品の闇情報を探るのが先決だった。ハダに付いていれば、またいつか小老にも会うことができる。そして、ハダの目的の一つが上海の闇オークションへの参入であるならば、いずれは自分も、そのヴェールに包まれた闇オークションを覗き見ることができるかもしれない。ハダたち北陽会の目的は、明らかに金だ。奴らの金儲けの邪魔をするつもりはない。だが、親父の絵画だけは譲れない。リュウはまだ見ぬ、父の絵画に思いを馳せた。

 数日後、リュウは桃園国際空港にいた。日本から来るハダという男を出迎えるためである。その日はハダを台北市内のホテルに案内し、一時帰宅、翌朝再び車で迎えに行く予定になっていた。空港でハダとはすぐに会うことができた。ハダは身長160㎝ほどの小柄な男で、色付きのサングラスをかけていた。髪はサッパリとオールバックで、身体はボクサーのような大胸筋の張ったワイシャツから窺い知ることができた。シルバーの光沢のあるグレーのスーツを着こなしている。それに比べ、リュウは身長180㎝の長身で、髪が長く、黒社会に属している雰囲気を微塵も感じさせなかった。車は赤のBMW、左ハンドルで、これはリュウが個人で買ったものだった。リュウがハダを見つけ声をかける。するとハダは近づいて、少し上を見上げるようにしてリュウの顔を見た。
「日本人か?」
「ええ、これから台北市内のホテルまでお連れします。ご用があれば何なりと」
「有難う。まさか台湾の組織に日本人がいるとはな。とりわけ通訳といったところか?」
 リュウが苦笑した。ハダは一人だった。日本のヤクザのイメージとして、舎弟を何人も引き連れて来るのかと思ったが、このハダという男は、異国の地に一人で乗り込むのを平然と、臆することなく堂々としている。
「台湾という国は案外日本語が通じるが、それでも微妙なニュアンスの話がうまく伝わっているのか、少し心配していたんだよ。君に通訳してもらえると助かるよ。ところで君の名は?」
「キョウゴクシズカと申します」
 ハダは見た目とは異なり、気さくに話しかけてくる。
「生まれはどちらかな?」
「東京の日本橋です」
「そうか、私は目黒の生まれだ。宜しく頼むよ」
 車がホテルに着く前、リュウが尋ねた。
「台北は初めてですか?」
「いや、何度も来てる、心配ない。明日、九時に迎えに来てくれ」
「わかりました。では、明日九時にお迎えに上ります」
 ハダが自分で車を降りてホテルに消えた。リュウはしばらくホテルの出入り口を見つめていたが、車を出した。ハダには色々と聞きたいことがあったが、焦らずとも時間はまだたっぷり残されている。初めに不審な感情を抱かせるのは得策ではない。ハダはいずれ小老に会う。リュウも同行できるはずだ。うまく行けば、上海で行われているという闇オークションまで同行を許されることだって考えられる。焦りは禁物だった。とにかく今は、この二人を利用する以外にない。BMWのハンドルを握る手に力が入る。リュウは台北市内を車で走り抜けた。
 翌朝、台北市内は雨だった。ホテル前のロータリーに車を止め、リュウがロビーに入って行くと、すでに身支度を済ませたハダが待っていた。
「朝から呼び出してしまって悪いね」
「いえ、構いません。どこにお連れしましょうか?」
 ハダの瞳が、サングラスの奥で小さく動いた。
「今日の宴席が十八時から。それまで少し台北市内を観光したいと思ってね、構わないかな?」
「ええ、でも、観光ですか?」
 ハダが頷いた。リュウはハダに言われた通り、光華商場などの所謂、電脳市場を中心に、日本のAVのコピーを販売する店を幾つも回った。そして意外なことに、その周辺にある骨董屋にも足を運んだ。
「秋葉原に行ったことはあるかな?」
「ええ、家から割りと近くでしたから」
「秋葉原も昔とはだいぶ変わってしまって、少しつまらなくなったと思わないか?」
 リュウがハダを見つめた。
「元々はパソコンオタクでね、こういうパソコンパーツや家電製品に目が無い。アニメやマンガ、同人誌、古本市場なんかが昔から好きでね」
「意外ですね。そう言っては失礼かもしれないけど」
「いいんですよ。同じ日本人同士、遠慮無く行きましょうや。今、こうして因果な商売に身を置いてるが、こうして台北の電脳市場を見ていると、気持ちが揺らいできますよ」
 リュウは心の中で「揺らぐ」の意味を考えていた。
「ハダさんが日本のAVを台湾に入れていると聞きましたが」
「ああ、確かにね。でも、コピーして売っているのは君たちの組織だ。我々はそれを黙認しているだけ」
 リュウは黙っていた。
「どこか地元の美味い店で昼でも食いましょうや」
「宴席で高級中華を食べるんでしょうから、昼は台北の庶民の味でもどうです?」
 ハダの頬が緩んだ。
「いいね、宜しく頼むよ」
 リュウは車で台北市内にある、以前、王志明や王美玲に教えてもらった店の一つにハダを案内した。リュウは席に着くと、店員に目で合図を送った。
「魯肉飯两个、炒青菜一个、一瓶啤酒」(魯肉飯を二つ、青菜炒めを一皿、それとビールを一瓶)
 店員が台湾ビールとグラスを二つ持って来た。
「昼間っからビールなんて贅沢だね」
「台湾人と飲む酒はたいして美味くもないが、日本人との酒は悪くない」
 それを聞いて、ハダが声をあげて笑い出した。
「気に入った。気に入ったよ、シズカ。そう呼ばせてもらう」
 ハダは自分よりも背の高い男に対し、常に敵対心を持っていたが、なぜかこの若者に対しては、親近感が湧く。殆んど生理的なものだ。勿論、異国で出会った日本人同士という連帯感もあるが、恐らく、この男とは日本のどこかで出会っていたとしても、気になる存在であっただろう。しかし、このキョウゴクシズカという男は、ハダよりも一回りも若いというのに、この落ち着きである。ハダは思わず、日本の自分の組織にスカウトしたい気持ちになったが、出かかった言葉を喉の奥で飲み込んだ。逆に台湾の組織にとっては、これから組織を背負う存在になるかもしれない。台湾の組織と事を構えるつもりは無いが、仮にそうなったとすれば、厄介な存在になる。
「シズカはいつ、台湾へ?」
「一昨年の十二月です」
「北京語はどこで?」
「言葉はこっちに来てから覚えました。元々大学にいた時から、台湾人の友人がいて、聴き慣れてはいましたが」
「そんなに早くマスターできるものかね、近頃では組織内でも英語を話せる奴より、中国語がわかる奴の方が重宝しているよ。今やヤクザも国際化の時代だ。語学に疎い奴は伸し上がれない。金儲けするにもココが悪けりゃ、ついて行けない時代だ」
 ハダが自分の頭を指差した。空心菜の炒め物をつまみながらビールを飲んでいると、すぐに魯肉飯が運ばれてきた。
「肉のそぼろ丼みたいなものですよ、台湾人は好んで食べる」
「台湾の主食は米なのか? 麺というイメージがあるがな」
「台湾人の主食は米です。その点は助かりました」
 リュウが苦笑した。
「そうか、日本人と台湾人とは同じ米を主食にしてる訳だな」
「でも、来てしばらくの間は、何にでも入っている八角のにおいに悩まされましたよ。部屋に戻って、一人でインスタント味噌汁飲んでいたほどですから」
 それを聞いて、ハダが嬉しそうに笑った。するとリュウが悪戯っぽく微笑んだ。
「滞在中、もし中華に飽きたら、そう言ってください。台北でとびっきり美味い鰻重をご馳走しますから」
 すると、ハダが満面の笑みを浮かべて万歳をし、おどけてリュウに握手を求めた。
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