十八

文字数 6,509文字

 東京、秋葉原のJR高架下、北華貿易の事務所。ここでは新作AVを海外向けに発送する作業が行われている。行き先は台湾、香港、中国本土。日本のAVは年間二万本発売される。月千六百から千七百本という計算になる。これら全てが輸出されるわけではないが、目ぼしいタイトルは全て、流通センターである富士吉田忍野倉庫からではなく、ここ秋葉原から発送されている。北華貿易はハダが個人的に始めた会社である。フロントビジョンの専務としてではなく、北華貿易のオーナーとして、ハダはこの事業を立ち上げた。ハダはすでに日本のアダルトDVD市場に見切りをつけていた。富士吉田の忍野倉庫は、あくまでフロントビジョンの下請け流通会社であり、この秋葉原での仕事が、北華貿易の主な収益である。ハダは何度となく台湾に行く機会があり、その度に、古臭い日本のAVがコピーされて販売されているのを見て知っていた。新しいものがあっても、それは単に店の主人が日本で買ってきたものを、自分でコピーして販売しているに過ぎず、流通と呼べるものではなかった。そこにハダは目をつけた。フロントビジョンの専務という立場であれば、日本全国のAVを一手に扱うことができる。例えそれが台湾でコピーされたとしても、日本のメーカーは提訴する場所も、相手も見出せず、泣き寝入りすることになるだろう。ただ、フロントビジョンが台湾に直接販売したのでは都合が悪い。だから北華貿易を使った。台湾マフィアとの契約は、複製したDVDの納品価格の五〇%。つまり台湾マフィアが一枚百円で販売店に卸したとすると五十円がハダの懐に入ることになる。
 台湾の電脳市場では、至るところに日本のAVのコピー商品が並んでいる。プラスチック製のパッケージやジャケットの類は無く、DVDRと呼ばれるメディアにジャケットのカラーコピーが添えてある。透明なビニール袋に入れられ、店頭で、日本円にして五、六百円で売られている。日本では三千円程度するものなので格安だ。しかも、日本のAVセル店に入荷する新作発売日とほぼ同日である。以前、ショウがアルバイトをしていた歌舞伎町のW書店にも中国人がやってきて、日本のアダルトDVDを爆買いして行くことがあった。日本で正規品を買って、本国でコピーして売るための仕入れだとわかっても、それはまだ、ほんの可愛いものだった。台湾の日本製AVのコピー商品販売の裏に、日本の裏社会が一枚噛んでいるとは誰もが想像することである。現地でコピーを作り、流通させ、販売するのは台湾の奴らだとしても、これだけのタイトルを発売日当日に店頭に並べるのは、組織的なものと、日本人の協力者がいると考えざるを得ない。台湾の業者からしてみれば、製作する手間とコストが省ける。北華貿易には高いマージンを払うが、それを差し引いても、クオリティーの高いAVを安定して仕入れることができる。日本国内で同じことをすれば、すぐに著作権法に触れることだが、そこは台湾での話である。日本のメーカーも、その現状を知りつつも、見て見ぬ振りをしている。そしてその違法行為が、ある日本人の会社によるものであると追求することは、北陽会が許さない。暗黙のタブーであった。警察も、指定暴力団の資金源になっていることを知っていたが、業界団体からの声が上らず、その違法行為の現場が海外ゆえ、捜査には消極的であった。
 秋葉原の高架下の倉庫には、毎日ひっきりなしに小包が届く。あらゆる全国のメーカーの最新作が、日本での発売日より前に届けられる。大手AV販売会社フロントビジョンからも、百本入りのダンボール箱が十箱、一タイトル数本ずつまとめて届けられていた。メーカーや問屋が台湾の別の業者と直接取引することはできない。日本サイドでは北陽会が、台湾では台湾黒社会である白蓮幇が目を光らせている。万が一、秋葉原の倉庫に捜査が入ったところで、違法性があるものは何も無い。著作権法を犯すのはあくまで台湾現地の業者であり、北華貿易は単に商品を配送しているに過ぎない。売上金は、一度全て海外のペーパーカンパニーの口座に送金される。BVI(ブリティッシュ・バージン・アイランド)と呼ばれるカリブ海にある島である。一般的には「タックス・ヘイブン」などとも呼ばれる。これらの島々の法人を通すことで、課税を逃れることができる。国家による規制は、国境を越えて執行できないのが原則だからである。現地には看板とポストだけの日本法人がたくさんある。このペーパーカンパニーを経由して、洗浄されたマネーが北陽会に流れていた。北華貿易は北陽会グループの傘下にあり、ハダはその企業舎弟の一人であった。

 ハダケンゴは東京目黒の生まれで、過去に父親は都内でも有数の画商を営んでいた。所謂山の手のボンボンであった。しかし、ハダがまだ幼い頃に起こった出来事によって、状況は一変した。画商を営む父が中国人画商との取引で「贋作」を掴まされ、それが元で自宅で自殺した。ハダは母と共に目黒の自宅を追われ、都内で貧乏生活を強いられて幼少期を過ごしたが、元々負けん気が強く、奨学金で大学に通い、在学中に起業し、幾つものベンチャー企業を立ち上げた。大手企業の手足となることを良しとせず、まだ立ち上げたばかりだったフロントビジョンを、ここまで大きく成長させた。しかし、そんなハダにとっても、アダルトDVDの業界が、こんなにも早く衰退するとは思ってもみなかった。今はまだ何とか会社をまわしているが、いずれ苦しくなることはわかっている。スマートフォンが普及し、多くのユーザーが動画をダウンロードして観る時代になった。問題がDVDというメディアにあるのならば、単に旧態メディアから脱却して、新しいものを受け入れればよかった。しかし、事態はそう簡単なものではなく、今やアダルト動画は無料でネット上に転がっている。しかも無修正の状態で。もはやAVは金を出して観るものではなくなりつつある。AVを視聴する人口自体が減り、この業界はすでに老年期を迎えていた。この場に立ち止まることは、自滅を招くということをハダは知っていた。今はただ、大きくなり過ぎてしまった会社を、いかに損失を少なく畳めるかということばかり考えている。山梨の富士吉田市に物流倉庫を移したのも、いずれは横浜の本社を引き払うためであり、決して積極的な理由からではなかった。しかし、ハダはアダルト業界で生き抜く中で、北陽会グループと付き合うようになり、今では自らの会社である北華貿易を通じて、海外に日本のアダルト作品を売り、現地でコピー販売させ、その収益を得るようになった。そして、この北華貿易の業務を日本で後押ししたのが広域指定暴力団の北陽会であり、台湾で受け皿として協力しているのが、白蓮幇だったのである。白蓮幇はハダのビジネスに協力する代わりに、白蓮幇の日本でのビジネスへの協力を要求した。それは横浜中華街での権益を黙認することと、かつては歌舞伎町を拠点に隆盛を極めていた、台湾黒社会の復権であった。台湾黒社会は早くから歌舞伎町に根付いたが、後進の中国本土の黒社会に押され、今では横浜の中華街の一部を拠点にしている。戦後、自由主義の世を生き抜いてきた日本のヤクザと台湾のマフィアは、精神性に共通点が見られ、互いの権益を侵さずにやってきた。それが、中国本土のマフィアが流入したことで、横浜へと追いやられた。台湾黒社会は、ずっと苦虫を噛み潰してきたのである。このまま中国本土の奴らをのさばらせておく訳にはいかない。そのために白蓮幇は、ハダと手を結んだ。北陽会は古くから日本の性風俗産業を牛耳っている。台湾の市場をハダに舐めさせる代わりに、日本の中国人の持つ権益を奪い返すのが、白蓮幇の狙いだった。

 六本木の超高層マンションのエントランスに黒塗りのベンツが停まる。白手袋をした運転手がさっと降りて、後部ドアを開けると、通用口から薄いサングラスをかけ、派手なストライプのスーツにピンク色のワイシャツ、白いエナメルの靴を履いたハダが姿を現した。車に乗り込むと運転手が声をかける。
「今日は、どちらに行かれますか?」
「中華街に行ってくれ、正午に洪と会うことになってる」
 ハダを乗せた車は第二京浜を南下し、やがて横浜中華街へと入った。ハダは中華街パーキングの前で車を降り、北京小路を一人で歩いた。大通りを渡り、市場通りを抜け、香港路を越えた先に「万華楼」という五階建てのビルがある。ハダはその一階にある台湾料理店へと入って行った。店内の客席はいっぱいだったが、ハダは厨房の奥に向かって一声かけると、エレベーターを使って最上階へと上った。二階から四階までは、貸切の宴会場になっている。五階はVIPルームで、普段は使用していない。エレベーターの扉が開くと、支配人が立っていた。
「ハダ様、ようこそいらっしゃいました」
 ハダが軽く手を振った。
「洪はまだ来てないのか?」
 腕時計を見ると、十一時五十分を過ぎたところだった。
「はい、まだいらしてません、少し席でお待ちになって下さい」
「店はだいぶ繁盛してるようだな」
「おかげ様で、何とかやれております。これもハダ様のおかげでございます」
「なぁに、俺はほんの少し金を出したに過ぎん。元々、料理の味が良かったんだ。物事は本質を見失わなければ、また元に戻ることができるんだよ」
「そうでございますね、我々も失っていた自信を取り戻すことができました」
「いつも、部屋を使わせてもらって済まないな」
「いいえ、とんでもございません。いつでもご用命下さい。この部屋は、常にあなた様のために空けてございますから」
 すると、エレベーターの階表示が動き出した。
「エレベーターの前には立つなよ」
 支配人をその場に残し、部屋に入った。
 洪英春は正午きっかりにやってきた。背は低いが、なかなかの二枚目で、映画俳優のような顔立ちである。カラースーツに身を包み、流れる髪が爽やかだった。ハダは用意された円卓に互いに向かい合うように立った。
「まぁ、座ってくれよ、一杯飲もうや」
 部屋の外で人の気配がする。恐らく手下の者だろう。しばらくすると、生ビールと前菜が運ばれてきた。
「どうだね、我々のビジネスは、少しは信用してもらえたかね」
「勿論デスヨ、ハダサン、アナタノコトハ信用シテイル。デモマサカアナタガ北陽会ヲ裏切ルトハネ」
「奴らは今、香港の奴らにご執心なのさ」
「香港カラ『ブラッド』ヲ?」
ハダが頷いた。
「Σ(シグマ)という新興勢力を知ってるか?」
「エエ、時々耳ニシマスガ」
「そいつらが組織にブラッドを流している。今都内の一部で流れているものがそうだ」
「ハダサンハ、ソレデ我々ト取引ヲ?」
「ああ、俺は奴らが嫌いなんだ」
「奴ラトハ?」
 ハダが鼻を鳴らす。
「勿論、両方だ」
 洪英春が愉快そうに笑った。
「台湾本国の組織からは何か言われてるか?」
「私ノボス、小老カラハ、クレグレモ、日本ノ新シイ仲間ヲ大切ニスルヨウニト」
 ハダが白い歯を見せた。サングラスの奥で瞳が動く。
「孫氏に感謝の意を伝えて下さい。我々はまだまだ互いに協力し合って、日本と台湾の両国で、よいビジネスをしましょう」
 洪が頷いた。
「ところで洪さん、台湾本国では、この先、日本でのビジネスをどう展開して行くつもりなんです? こう言っちゃなんだが、他は東北や香港の奴らが幅を利かせちまってる。ウチも正直、国内では手詰まりで、今後は金が金を生む時代と言うか、ヤクザも経済に強くならなくては生き残れんでしょう? 常に新しいビジネスを考えて行かねば。そのために私と組んだんでしょう?」
「ハイ、ソノ通リデス、我々モ、コノママデハ終ワレマセン」
 ハダはサングラスの奥で静かに目を瞑った。確かに、これまでの台湾マフィアの衰退ぶりは目を覆うばかりだった。八○年代まで、あれほど新宿歌舞伎町を我がもの顔で闊歩していたというのに、九○年代以降、現在に至るまで、その覇権は他の中華民族に奪われている。今では横浜中華街の一部を拠点とするまでに追いやられてしまった。日本と同じ島国ゆえ、台湾国内の牙城は守り切れているが、まるで人体を蝕む癌細胞のような中国本土のマフィアの攻撃に応戦するのが手一杯である。
「何か復権のプランでも?」
「今ハマダ、待ッテクダサイ、近々オ話デキルト思イマス」
「噂によると、郭正元殿が近々台湾総統選に出られるとか」
 洪がハッとしてハダを見た。
「ハダサンハ、スデニオ見通シノヨウダ」
「それで金が必要だと言っているのだな? それなら合点が行く」
「ハイ、大老ハ常々、政治ニハ金ガカカル、政治ハ金ダトオッシャイマス。現ニ、組織ハ火ノ車デシテネ、オ恥ズカシイ」
「どこの国も同じってわけか」
 洪が頷いた。
「ところで、台湾でのビジネスはどうなんだ? 先日も台湾に行った時、光華商場の辺りを見てまわったが、日本のAVのコピーばかりじゃないか、売上が折半とは言え、儲かっているんじゃないのか?」
 今度は洪が苦笑した。確かに店に卸す価格の半分が利益ではあるが、ハダから突きつけられた条件は、日本側がAVの元ネタを提供する代わりに、台湾側がDVDをコピーし、流通させるというものだった。日本側からすれば、丸儲けのような条件だが、台湾側からすれば、利益は半分の半分。その中から更に製造費を捻出する。全体の十%も利益になっていないのが現状だった。洪が渋々切り出した。
「今日、ハダサンヲ、オ呼ビシタノハ他デモナイ、小老カラ、ハダサンノモウヒトツノビジネスノ件デ、台湾ニ、オ連レスルヨウニト」
 ハダが首を動かさず、目だけで洪の口元を見た。
「もうひとつのビジネス・・・・・・ね」
「ハイ、ハダサンハ、DVDノセラートイウ顔ノ他ニ、画商トイウオ顔ヲ、オ持チデイラッシャルトカ」
 ハダが苦笑した。
「さすがだな、北陽会にもバレていない話のはずなんだがな」
 洪が目を細める。
「勿論、我々ト、ハダサン個人トノ秘密デゴザイマス」
「で、小老は俺に何をしろと?」
「一緒ニ絵画ビジネスヲシタイト、北陽会抜キデ、我々トハダサントデ同ジ夢ヲ見タイト」
 ハダがふっと息を吐いた。
「同じ夢・・・・・・ね」
 洪が頷いた。
「小老は絵画をどうしたいんだ? 売るのか? だとしても買い付ける金はあるのか?」
「イイエ、我々ハ、名画ヲ買イ付ケル必要ガナイ」
 ハダが洪を凝視する。
「何? どういうことだ?」
「以前ハ、リスクヲ犯シテ、ヨーロッパ各地デ盗ミヲハタラキマシタガ、今ハ、我々ハ、ソンナコトハシナイ」
「では、どうやって絵を手に入れる?」
 洪は苦笑しただけで、何も話さなかった。
「ハダサンニハ、我々ガ用意シタ名画ヲ、上海ノオークションニカケテ売リ捌イテ欲シイ。アナタ程ノ目利キナラ、ソノ絵ノ価値ヲ見抜イテ、コチラニ有利ナ価格デ売リ捌ケルハズダ」
 ハダが唸った。
「ハダサン、コレハ我々ト、アナタ個人トノ取引デス。報酬ハ、フィフティ、フィフティ、デ構ワナイ」
 ハダのサングラスの中の瞳が動いた。
「何? フィフティ、フィフティだと?」
 台湾の連中が、闇オークションに出す絵画をどこで手に入れようとしているのかは知らない。しかし、洪の表情には余裕の笑みが浮かんでいた。噂でしか聞いたことがないが、上海の闇オークションのことはハダの耳にも届いていた。ただ、それが事実であるのかですら、確かめる術が無かった。それが思わぬ形で、擦り寄ってきた。世の表に出せない名画が集まる闇オークションには世界中のセレブが集まる。当然、その落札価格は計り知れないものになる。世界中で盗まれ、または訳ありの絵画は、決して表には流通しない。一見、買い手が付かないようにも思えるが、実は世界中に名画の買い手は腐るほどいる。金を持て余す奴らが必ずいる。そのことをハダは知っていた。
「洪さん、あんたたち台湾人は、政界まで牛耳って、一体何を企んでいるんだ?」
 洪はハダを見つめた。
「我々ハ、台湾ノ、中国カラノ独立ヲ望ンデイル」
 ハダが言葉を失った。
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