十一

文字数 2,682文字

 台湾に来てから三週間が過ぎた。リュウはまだ、龍山寺にある組織のアジトに足を踏み入れたことが無かった。組織の計らいとは言え、観光気分に嫌気が差していた。龍山寺は近代化した台北市内から近いが、古くからの台湾の街並みが色濃く残る。日本で言えば、「下町」のような地区である。西門地区と併せ、日本統治期に色町があったこともあり、台湾の中でも比較的所得の低い層や、水商売をするホステス、黒社会の人間が住む街としても知られる。日中は、台湾で最古の寺院である「龍山寺」を観る観光客で賑わう街であるが、夜になると雰囲気が一変する。「華西街観光夜市」や「西昌街夜市」は、一見他の台北市内の夜市と変わらないが、ここはかつて売春街であったこともあり、今でも性風俗の店が点在する。
 この日は王志明と二人で、華西街観光夜市で飯を食い、世昌街を歩いていた。この辺り一帯が、王志明が所属する「白蓮幇」の縄張りであった。通りを歩くと、時々、王志明に頭を下げて通り過ぎる者がいる。店を覗くと、どこも顔馴染みで、店主が愛想よく出迎えた。リュウは王志明の脇に立って見ているだけだったが、皆、リュウの顔をチラと盗み見て、また元の笑顔を王志明に振りまくのだった。
「新人ノ、顔見セミタイナモノダ、明日カラ皆、オ前ニモ挨拶シテクレルハズダ」
 王志明が悪戯っぽく笑う。やがて通りの向こうに人気の無い、淀んだネオンを灯す店が見えてきた。中からカラオケを歌う声が漏れている。
「随分と、寂れたカラオケ店だな」
「ソノ店ハ、本当ハカラオケ店デハナイ、行ッテミレバワカルガ、女ヲ買ウ店ダ」
 一見したところ、場末のカラオケパブのようでもあるが、店の奥が暗く、キャミソール姿の女が見える。女たちは暇そうに座って、談笑していた。華西街観光夜市のアーケード通りをかなり奥まで歩いたが、初めは活気あるどこにでもある夜市が、次第にシャッター通りのように寂れ、所々、赤や黄のネオンと裸の女の写真を店頭に貼り付けた店が目につき始める。蛇などの爬虫類の入った水槽や、スッポンをその場で締め、生き血を飲ませる店もある。台湾のものなのか日本のものなのかわからないが、日本で言う「ブルセラショップ」、アダルトDVDの円盤だけを透明なビニール袋に入れて売る店もあった。リュウがアダルトDVDの店を覗くと、店主がリュウを日本人だと見抜き、片言の日本語で話しかけてきた。
「ノーモザイク、イッパイアルヨ、日本人、特別サービスネ」
 店主が手招きする。リュウが興味半分で付いて行くと、店の奥のポスターが貼ってある壁を手で押した。すると、壁が回転し、そこに日本の忍者屋敷のような隠し部屋が現れた。中を覗くと、棚いっぱいに無修正AVのコピーが並んでいた。
「コレ、全テ、ノーモザイクネ、サービスシマスヨ」
 満面の笑みを浮かべて、リュウの顔を見る。
「女ノアソコ、クリアーネ、ノーモザイク、ハッキリ見エル」
 リュウが溜息をつきながら、手を振り、店を出た。その様子を王志明が遠くで見て、笑っている。
「凄い数の違法コピーだな、しかも全て日本の物じゃないか」
「日本ノAVハ、クオリティ高イ、世界一、台湾人、皆、日本のAVシカ観ナイ」
「しかし、よくここまでコピーして売るものだな、商魂逞しいというか、狡賢いというか、驚いたよ。これは台湾国内でコピーしているのか?」
 王志明が頷いた。
「これだけの数だぞ、しかも、最新作や無修正まである。単に日本で元を買ってきて、現地でコピーしただけとは思えんがな」
 王志明がニヤリとした。
「ソレハ、ソウダロウ、ダガ、話ヲ持チカケテキタノハ日本人ダ」
 リュウが眉をひそめた。
「日本のヤクザか?」
 王志明が微笑した。
「他ニ、誰カイルカ?」
 二人は笑い合った。すると突然、王志明の携帯電話が鳴った。携帯電話を尻のポケットから取り出し、画面を見て、リュウに目配せした。
「静ニ、小老カラダ」
 電話に出た。王志明は北京語で通話を終えると、
「シズカ、大変ダ、コレカラスグ、小老ニ会ウコトニナッタ」
 リュウが王志明の瞳の奥を覗き込む。
「志明、小老とは誰だ?」
「小老ハ、組織ノボスノ一人ダ。組織ノボスハ二人イル、一人ハ大老ト呼バレ、モウ一人ガ小老ト呼バレル。通常、俺タチニ直接会ウコトハナイカラ正直驚イタヨ」
 リュウの瞳が一点を見つめている。見つめる対象のその先を脳裏に映しているようだ。拳を握り、鼻に当てる。大学にいた頃から、タザキリュウというずば抜けた頭脳の持ち主が、何か重要な決断をする時にみせる仕草だった。
「俺を、試しているのか?」
「シズカ、心配要ラナイ、小老、皆ニ尊敬サレテル偉大ナ方ダ、恐ガル必要ハナイ、私モ何度カ会ッテ、知ッテイル。小老、日本ニ詳シイ、昔、日本ニ住ンデイタコトガアル。シズカニモ興味ヲ持ッテイルンダト思ウ」
 リュウが王志明を見た。
「では、さっきから俺たちを監視している奴らは何だ?」
「ツケラレテイタ?」
 リュウが苦笑した。
「幸せな奴だな、お前」
 王志明が顔を紅らめた。
「小老というのは、どんな人物なんだ? 何をシノギにしてる?」
「組織ノ中デ、小老ハ、盗品ノ売買ヤ日本カラノDVDコピー、ソレト麻薬ヲアツカッテル、特ニ『ビンロウ』ハ、台湾デハ合法ダカラ誰デモ入手シ易イ」
「ビンロウか、聞いたことがある。それに、さっき入ったDVDの店もそうか」
 王志明が頷いた。
「盗品というのは具体的には何だ?」
「時計、バッグ、電化製品、時計とバッグハ西洋ノ舶来品、電化製品ハ日本カラ入ッテクルモノガ人気ダ。小老ガ扱ウ品ハ、実ハソレダケジャナイ、比較的安価ナ、街デ大量ニ調達デキテ、スグニ捌ケルモノハ『角頭』ニ任セ、噂デハ、高価ナ美術品ヤ宝石ヲ扱ッテイルラシイ」
「絵画だと?」
 王志明が目を逸らした。リュウの顔色が変わった。
「絵画は、どこからどこに流れている? お前、まさか、知ってて俺に隠してたんじゃないだろうな?」
 王志明が顔を真っ赤にした。
「シズカ、違ウ、違ウ、隠してない。本当ノコトハ、小老以外、誰モ知ラナイ。噂デハ、小老ノ秘密ルートガアルト聞イタコトガアル。盗品絵画ヲスグニ捌クノハ難シイ。特ニ国際絵画ノ取リ扱イハ、中々買イ手ガ見ツカラズ、リスクガ高イ」
「秘密ルートか」
 小老に近づいてみるのも悪くないと思い始めていた。
「わかった、信じよう、でも、俺に隠し事はするな」
 王志明が頷いた。
「で、その小老が俺に会いたがってるんだろう?」
 リュウが余裕の笑みを浮かべると、王志明はそれを見て、
「シズカ、オ前ニハ、カナワナイヨ」
 溜息をつき、苦笑した。
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