十四

文字数 1,652文字

 交番勤務の夜勤は、基本的に退屈ではある。特に秋葉原という街は新宿や池袋と違って、朝まで酒を飲ます店が少ない。たいていの大通りに面した家電量販店や飲食店も、夜の九時頃にはシャッターを降ろし始める。裏通りに幾つか深夜まで営業する店はあるが、事件、トラブルが起こることは稀だった。それでも、深夜の店舗荒らしや、ひったくりなどを未然に防ぐべく、派出所の警察官は定期的に巡回を繰り返している。暗がりに不審な人影を見つければ職務質問をする。以前は日本人の若者が、昼の名残でウロウロしているケースが多かった。しかし最近は外国人、特に中国人やイラン人、中東諸国の人間が増えた。海外ではISなどによるテロが発生している。警視庁でも、充分な警戒を所轄署員に呼びかけていた。
 この日、ショウは翌朝八時までの当直勤務で、深夜一時過ぎに一年先輩の巡査であるタナカと共に、秋葉原駅周辺をパトロールしていた。JRと東京メトロ日比谷線の出入り口にある交番から一旦昭和通りに出て、自転車で上野御徒町方面へと走る。先輩タナカの後を追走するショウの脇腹の辺りには、「M360J SAKURA」が携帯されている。射撃練習以外では、まだ一度も撃ったことはない。ショウは銃に少なからず興味を抱いていた。実弾を五つ弾倉に込めると、さすがに掌に汗が浮いた。M360J SAKURAは、日本警察が従来のニューナンブM60に代えて導入を進めている、38口径リボルバー拳銃である。他に警察官の装備としては、帯革ベルトに警棒、現在では伸縮式の53型警棒でアルミ製、耐久性には劣るがコンパクトで使用感に優れている。手錠は、軽量なジェラルミン製で、旧来のニッケル合金で銀ピカのものと異なり、軽く、黒色塗装で重厚感がある。更には、無線、警笛をセットにして貸与される。特に拳銃と弾丸は勤務前に所轄署の拳銃保管庫から借り、勤務後に返却しなければならない。支給弾は五発、予備弾は携行しない。とにかく警察は拳銃の扱いに神経を尖らせる。それだけ、今の日本では、拳銃の携帯を許されることへの責任が大きい。ショウの両親がパリで殺害された時に使用されたのが、旧ソ連製のトカレフだった。それを知ってから、拳銃というものに嫌悪と憎しみ、恐怖、そしてその対極にある興味を抱かずにはいられなかった。警察官になった後も、自分の手に入れた権力とは何か、力とは何かを常に考えてきた。力の使い方次第では、悪行にも善行にもなりえる。その力が大きいからこそ、個人の人間性が問われる。個人的な恨みの根源を持ちながら、今、その力を行使できる立場にいることに、心が落ち着きを失いかけることが無いわけではない。しかし、それはその時、その瞬間になってみなければわからないことだ。
 一通り巡回を終え、交番に戻ろうとした時、ショウは通りを走り抜ける同じ警察官の姿を見つけた。それは紛れもなく、岩本町東交番に勤務しているはずのオカダジロウであった。ショウが思わずジロウを呼び止めた。
「おい、ジロウ、何やってんだ、そんなところで」
 ジロウが立ち止まり、振り向いた。手にはコンビニエンスストアで買ったドリンクや、深夜営業している飲食チェーンの弁当の袋がぶら提げられている。ショウがそれに目をやると、ジロウは手に持ったものを体の背後に隠し、一瞬目を逸らした。額には玉のような汗が噴出している。
「夜食か?」
 ジロウの目が泳いでいる。何も言わず、先を急ごうとする。
「お前、パシリでもやらされてんじゃないのか?」
「僕が悪いんだよ、罰ゲームなんだ、先輩が待ってるから行くよ」
 一瞬、微笑し、また真顔に戻り、走り去った。ジロウの後姿を見て、何か胸騒ぎを覚えたが、今の自分がどうかしてやれるはずもなかった。秋葉原駅前交番に戻り、先輩のタナカにそのことを話すと、タナカは「関わらない方がいい」と言う。ショウは仕方なく、報告書の隅にこの日の出来事を記した。エスカレートするようであれば、地域課担当課長のヨシオカに直接報告するつもりだった。
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