二十六

文字数 4,085文字

 万世橋警察署地域課のヨシオカの元に、近隣住民からの通報が届いていた。その内容は岩本町東交番に対するもので、交番の前でバケツを持ち、立たされているといったものから、しばしば怒鳴り声が聞こえるといったものまで様々だった。その殆んどがオカダジロウ巡査の勤務と重なることから、ヨシオカは気にかけていた。今年入庁した新人は、タザキショウを筆頭に優れた人材が多いと聞いていたが、どの時代にも問題を抱えた奴がいる。遅刻や身だしなみで注意される者もいるが、オカダジロウに関して言えば、大人しいというだけで、素行に問題があるようには思えなかった。ヨシオカはオカダジロウについて、調べてみることにした。オカダ家は代々警察官の家系で、父親は千葉県警の現職巡査長だった。賞罰も特に無く、何も特筆すべきことが無い平凡な公務員であり、現在は実家である千葉市を離れ、警視庁、東神田寮で暮らしている。勤務態度は悪くないが、引っ込み思案で、春に偽造クレジットカードを使用した犯人を一人取り逃がしている。交友関係は殆んど無いに等しいが、一度だけ、東神田の寮に、同期のタザキショウ巡査が面会に来たことがあると記されていた。
「タザキ巡査か」
 ヨシオカはかつて、逃走した中国人容疑者を取り押さえたタザキショウ巡査を表彰したことがある。タザキ巡査に会い、オカダ巡査について聞いてみるべきだと考えた。オカダ巡査に直接会って事情を聞くのは簡単だが、恐らく真実は語らないだろう。それに、もしこれが警察内での陰湿なイジメであった場合、自分のオカダ巡査への軽率な接触がどう影響するのか、イジメがエスカレートする場合だって考えられる。加害者が誰であれ、慎重に探らねばならなかった。
 ヨシオカは、夜勤を終えて署に戻ったタザキ巡査に声をかけた。
「タザキ巡査、お疲れのところ済まないが、ちょっといいかな?」
 署内にある食堂の椅子に腰掛けた。
「アイスコーヒーでいいかね」
「はい、お構いなく。それで話というのは?」
 ヨシオカが紙コップに入ったアイスコーヒーを差し出した。
「君とオカダ巡査は同期だったな」
「ええ、それが何か?」
 ヨシオカの眼の色が変わった。
「単刀直入に言おう、オカダ巡査が署内の誰かにイジメ、またはパワハラを受けていると聞いたことはないかね」
 ショウは一瞬言葉に詰まった。
「それがイジメであるかどうかはわかりませんが、何かあると私は考えています。ただ本人はそれをどうしても認めません」
 ヨシオカが顎の辺りを指で擦った。
「で、誰が相手なんだね?」
 ショウの目が鋭く動いた。
「オニズカ巡査かと」
 ヨシオカが鼻から息を抜いた。
「寮で何かあったんじゃないかと思います」
「何かとは?」
 ショウがヨシオカの瞳の奥を伺った。
「確かなことはわかりません。ですが、私が目撃した一度目は、完全にコンビニのパシリをさせられていましたし、二度目は、顔にイタズラ書きされた上、立たされていました」
 ヨシオカが首を捻りながら、唸った。
「タザキ巡査、このことは、まだ誰にも言うな、私に預けてくれ給え」
 ショウが頷いた。

 警視庁、警視長執務室の電話が鳴った。新警視長に就任したばかりのサワムラジュン警視長が自ら受話器を取った。この電話に直接かけてくる者は少ない。警視庁上層部、または政治家、国政に深く関わる人物・・・・・・。サワムラは東京大学法学部を卒業後、国家公務員総合職試験を経て、警視庁に入庁したキャリアである。キャリアと呼ばれる国家公務員総合職は、警視庁だけで年間十から十五人程度しか採用を行っていない。警察官全体の採用が千人ほどであったとして、その○.一%でしかない。サワムラはその狭き門を優秀な成績で通過したキャリアだった。現在四十三歳、二十二歳で入庁し、すぐに警部補、県警の副署長を歴任した。二十六歳の時に、サワムラの地元である岩手県警の副署長をしている時に、フランスでの日本人画家殺害事件が起こり、被害者遺族である、当時代議士であったタザキコウゾウと知り合った。タザキコウゾウはサワムラの高校、大学の先輩でもあり、また、当時国家公安委員会のメンバーであったことから、サワムラとタザキコウゾウの関係は切っても切れないものへと発展して行ったのである。フランスでの事件が起こった時、サワムラはまだ階級としては警視であった。才能豊かな同期のライバルを出し抜いて、四十三歳の若さで警視長にまで上り詰めることができた裏に、タザキコウゾウの助力があったことは否定できない。電話の主はそのタザキコウゾウからであった。
「サワムラ君、警視長就任おめでとう」
「タザキ先生、有難うございます」
「君のような人材に恵まれて、日本の警察も安泰だな」
「いいえ、先生のお力があってこそです。これからも宜しくお願いします。ところで先生、今日は何か?」
 受話器の先で一瞬間があった。
「実はな、サワムラ君」
 タザキコウゾウが咳払いをした。
「ウチの孫のことなんだが、春先に無理を言って、一人暮らしできるように計らってもらったのを覚えてるか?」
「ええ、覚えております。あの時は驚きました。まさか先生のお孫さんがウチに・・・・・・ショウ君でしたか」
「そうだ、その後、孫の様子はどうかの?」
「はい、万世橋署の署長には、僅かな変化でも報告をあげるように言ってあります。今のところ勤務態度は優秀で、中国人窃盗犯の一人を逮捕したとの報告もありました」
 タザキコウゾウが頷いた。
「あれから早いもので二十年が経つのう」
「そうですね、私がまだ県警から警察庁に戻ったばかりの頃ですから、ちょうど今のショウ君と同じくらいの年齢だったと思います。ショウ君は確かまだ小学生でしたか。盛岡のご自宅で何度か将棋を指したのを覚えています」
「そう、その孫が警視庁の警察官になるとはな」
「ショウ君はやはり、ご両親の事件を?」
「今、孫は自分の両親を殺害した外国人窃盗団に、自ら近づこうとしている」
「先生、ショウ君はご両親の事件についてご存知なんですね?」
「孫が高校を卒業して上京すると言った時、世間的に言われている事実については話した。もう子供ではないから、両親が殺人事件の被害者であると伝えるべきだろうと。だがショウはすでにそのことを知っていた」
「先生はショウ君の入庁を反対されたのですか?」
「いいや、賛成も、反対もしない。ショウは子供の頃から自分がやると決めたことは、いくらワシが反対しても諦めるような子ではない。その点は息子のノボルと似ている。だが、自由奔放に育ってきたショウが、警察組織の中で生きて行くのは厳しい」
 サワムラが目を閉じた。
「サワムラ君、ひとつ宜しく頼む」
「ええ、それは勿論ですが、一つ確認しておきたいことがございます」
「何だね」
「それはショウ君を護るという意味でしょうか? それともショウ君の思いを遂げさせるという・・・・・・」
 タザキコウゾウが受話器の向こうで苦笑した。
「自らの身を護りながら、思いを遂げる・・・・・・人はそんなに器用には生きられんよのう? 犯人逮捕は、ワシや君の悲願でもある。しかし、息子を失ったワシにとっては、ショウが、この世の最後の望みでもある」
「では、ショウ君を外国人犯罪捜査に関わらせるなと?」
「いいや、あの子はワシや息子に似て、一度言い出したら聞かぬ子じゃ、思いを遂げられぬとわかったら、警察を辞めて、単独で中国へ渡るに違いない。それだけは避けたい」
 サワムラが一つ大きく息を吐いた。
「それに、ショウはまだ、あの事件の真相を知らぬ」
 タザキコウゾウが咳払いした。
「やはり、そうでしたか」
 一瞬の沈黙が襲った。
「先生、わかりました。ショウ君のことは私にお任せ下さい」
「すまんな、サワムラ君」
 タザキコウゾウは、プツリと通話を切った。

 サワムラは自分が岩手県警の副署長であった二十年前のことを思い出していた。まだ大学を卒業して数年経ただけの二十六歳だった。階級こそ「警視」ではあったが、何も知らず、東北の田舎町出身ということもあり、この先、キャリアとして生きて行くか模索していた時期に遭遇した事件だった。不謹慎かも知れないが、この事件でタザキコウゾウと出会っていなければ、今の自分の立場は有り得ない。タザキコウゾウが目をかけ、時にトラブルを解決し、政界の大物とのパイプ役にもなってくれた。ある意味ではタザキコウゾウに育てられたと言ってもいい。まるで自分の息子であるかのように可愛がってくれたのである。しかし、時にサワムラは、ぞっとして背筋に冷たいものを感じることがある。タザキコウゾウはフランスで実の息子を失ったが、日本でサワムラジュンという新しい息子を見つけた。サワムラが警察という組織で上り詰めれば詰めるほど、タザキコウゾウは日本の警察をも自在にコントロールできる存在となる。長い年月をかけて、自分の息子を殺した犯人に、いや、犯人などといった個人にではなく、黒社会という大きな組織に対する復讐すら考えているのではないかと思う時がある。サワムラの人生は、すでにタザキコウゾウとは切っても切れないものになっている。そのタザキコウゾウが孫を自分に任せると言う。
 サワムラは、タザキショウのことをよく覚えている。事件からしばらく経って、タザキコウゾウの自宅に伺った時、事件のことは知らされず、無邪気な少年を見かけた。サワムラは少年のことが不憫で、直視することが躊躇われたのを今でも思い出す。少年が将棋を指そうと言うので、その相手をしたのだが、その少年があまりにも強いので舌を巻いた。サワムラも将棋の腕に自信を持っていたが、全く歯が立たなかった。思わずタザキコウゾウに、お孫さんはプロ棋士にでもなるんですか? などとバカな質問をしてしまった。その少年が今、警視庁の警察官になっていることに運命的なものを感じ、また、使命感を覚えた。一度、直接会ってみたいものだと思った。警視長として巡査に会うのではなく、サワムラジュン個人として、タザキショウという人間に会ってみたくなった。
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