旅路

文字数 6,189文字

成人を迎えると共に父と同じバイランの商館で働くようになったテキは、仕事に就くなり忙しさに巻き込まれた。
「武器をタイまで送るんだ。」
最初に任された仕事は、各地から集められた武器を整理して出荷する準備をすることであった。
この時代の主な武器は剣と戈、弓矢である。戈は長めの柄に刃が垂直に付けられたものである。L字状になった得物で相手の頸部の後ろを狙い、引き倒す。上手くやればそのまま頸部に致命傷を与える事が出来、引き倒す事が出来れば剣兵が首を落としやすくなる。
嘗ての強国ユウ国のトウシュクが本格的に導入し始めた伍の構成は、この剣、戈、弓矢の五人縦列であり、この一連の攻撃を効率よく行うためのものである。

テキはその大量に集められたこれらの武器を抱えて館内を何度も往復した。重労働である。


タイ国のブン公の死後、タイ国とサン国の間で抗争が激化していた。
互いに報復を繰り返し、お互いの国境の地は血に塗れた。
テキのいるバイランの商館は主に王畿内での商活動が多かったが、近年はタイとの交易も増えてきた。
それはジ国の三保の一角、セツ公がタイ国に昵近(じっきん)したことに拠るものである。
タイ国のショウハンの商館と主に取引をしているが、彼らの往復では間に合わず、バイランからも商隊を送り込む程であった。
この年にタイ国とサン国は大戦を起していたことは先に少し触れた。
結果はタイ国の大勝で、この時サン国の三軍の将全てを捕縛するというものであった。その後、タイ国のジョウ公はその母がサン国の君主ボク公の娘であった為、この三将の助命を嘆願し許可された。
帰国した彼らはボク公の元で内政に励み、力を蓄えたのである。

この戦いが終わり、テキも一息ついたところであったが、この両国の(いさか)いの火はまだ(くすぶ)っていた。
商館にいると、多くの情報に触れることになる。テキは同僚から新たな話を聞いた。
「サンはまだタイと一戦交える気らしい。コの賈人達は今大忙しで武器を買い漁っている様だぞ。」
それを聞いたテキは閉口した。
「ということは、またこちらも武器を揃えなければならんではないか。」
「そういうことだ。」
しかし、このおかげでバイランの商館はひどく儲かっている。テキは不思議な気持ちになった。
(戦は儲かるのか…)
商売を始めた以上、儲けを出すことは第一に考えなければならないことだが、まだテキにはこの命と金の循環にどこかしっくりきていない。
(今はとにかく、一人前になることだ。)
テキは目の前のことに集中することにした。


ある日の仕事の終わりに、ガンが顔を出した。
「おお、久しぶりではないか。」
再会を喜ぶテキに、ガンも笑顔で返す。その顔は日に焼けて精悍なものとなっている。
「明日にはここを発つからな、その前に一杯お前とやりたかったのよ。」
そう言うと、ガンは杯を傾ける仕草をした。彼等はもう酒も飲める。
二人は近くの(みせ)に寄った。

「明日からはどこへ行くのだ。」
「タイだ。あの国の事情はお前もよく知っているだろう。」
ガンは商隊を守る用心棒として同道を依頼されていた。
「そうか、最近はどこもみなタイ相手の商売だ。成程、伯(覇者)ともなると忙しいらしい。」
そう言うと、テキは酒を片手に軽笑した。
「俺は初めてのタイだ。あの国が今どの様な国であるか見てこようと思う。」
「稽古場の方はいいのか。」
「はは、もう教える事はないと言われている。師範になる事も勧められたが、人に教えるのは苦手だ。」
「そのままタイに居付くのではないか。」
「かもな。」
二人はその後も話に花を咲かせた。

一頻(ひとしき)り話を終えたところで、ガンが杯を置いた。
「なあ、シインは生きていると思うか。」
それを聞いたテキは黙然としている。ガンが話を続けた。
「ここにいても何も報せは入ってこない。タイに行った時には少し探してみるつもりだ。」
「雲を掴む様な話だな。」
「全くだ。どこで何をしているやら。」
二人は苦笑する。テキが話を継いだ。
「しかし、私もシインが死んだとは思えない。理由は無いがな。いや、シンユウさまが言うからそう信じているだけなのかも知れない。」
テキはシンユウの事を思うとやり切れなくなる。それ故、昔の様に気軽にはシンユウの元を訪れにくくなっている。
ガンも同じ思いでいた。
「俺も同感だ。それにもし仮にシインが生きていたとしたら、きっと逞しくなっている事だろう。その時俺が何者にも成っていなかったら、いい笑いものだ。」
「確かにな。私も独り立ちするくらいになっていないとな。」
「当然だろ。いつまで荷物運びをしているつもりだ。」
「言ったな。見てろよ、そなたが帰って来る頃には肆くらい任せられる様になってみせるわ。」
「確かに聞いたぞ今の言葉。」
二人の席は笑いで締め括られた。


翌日、ガンはバイランの商隊の護衛に就いて、タイへと旅立った。タイの道程はほとんどが水路なので、あまりガンのような者も出る幕は少ない。一行はひとまず(みなと)のある(ばい)まで舟で向かった。

陪に着くと、その殷賑さは既に安陽を凌ぐものであった。多くの商人が行き交い、津は荷で埋め尽くされている。
(これは、想像以上だな。)
都に住んでいたガンであるので、タイの街などは()したるものではないだろう、と思っていた。
そういう楽観に立っていることが、既に己が時代に取り残されている証左であると彼は肌で実感した。
これだけ人が多いと、この邑を出るのにも苦労する。荷をまとめ、通行の許可を得るのに数日かかった。
(ようや)く出発の目処が立つと、その日の早朝にバイランの商隊は大邑(首都)高夅(こうこう)を目指してひた進んだ。
高夅までそう日数はかからない。

各国の主要な幹線道路には三十里毎に宿(しゅく)が設けられている。宿とはその国の官吏が常駐する集落である。ここには宿泊所もある。因みに十里毎に()、五十里毎に()がある。盧は歩哨所のある小規模集落、市は望楼が建てられた中規模集落になる。
一日の進行距離は凡そ三十里であるので、道を行く者は毎日この宿を目指して歩を進めるのである。
バイランの商隊も同じように宿を行き次いで行った。

「この宿を越えれば高夅だ。」
一団はここまでは何事もなく来ることが出来た。残り一日の行程と知って、商隊の誰もが安堵した表情でいた。
ガンも同じ護衛の者達と机を囲み、晩飯にありついた。
「タイはどうも土埃が多くてかなわん。」
同僚のぼやきにガンは肯首した。
タイ国のある地域は高原地帯なのだが、その多くは荒野である。常に砂埃の舞う地であり、それ故この地の人々の歯は黄色い。
中央の人間はそういう自分達との違いを取り上げては「田舎者」と揶揄するのである。この時の同僚の言葉にもそうした感情が込められている。そこには早く帰りたい気持ちもあるのであろう。
一方のガンは、陪に着いた時から、
(これは並みの発展ではないぞ。)
という驚きの目でタイ国を見ていた。
先代のブン公が覇者とされてから五年が経とうとしている。その間に目覚ましい発展を遂げたのであろう。
陪の邑でもそうなったのであるから、大邑の高夅などはどれほどのものであろうか。ガンの興味はそこにあった。
しかしそんな腹中は見せずに、ガンは同僚と他愛もない話を続けた。

翌朝一団は宿の開門と共に出発した。
天気は悪くない。強めの風が吹いているので、砂塵が舞っている。口や目に入るので、皆手持ちの布などで顔を覆っている。
「よくこんな所に住んでいられると思わんか。俺なら我慢出来んよ。」
ほとんど警戒をしていない同僚は、ガンと肩を並べて歩いている。
「高夅に行けばうまい酒にありつけるだろうかね、陪ではまずまずだったが。」
見ると同僚は昨日の酒を筒に入れていた。ガンは呆れた様子で応えた。
「そなたは酒の事ばかりだな。」
「それはそうよ。他に何の楽しみがあるってんだ。」
「そう酔っていてはいざという時戦えんぞ。」
「俺は酔っていた方が強いのよ。」
筒を振りながら同僚がそう言うと、突然、背後の者達が騒然となった。
異変を察知した二人は後ろに走った。
「野盗だ。」
彼らは慌て狼狽しながらガン達に伝えた。
砂塵に紛れて馬群が見えた。この砂埃で視界が不良だったため発見が遅れたのだ。
ガンは手持ちの(やり)を持ち直し、荷物から(たて)を借りて同僚に言った。
「他の者も集めてきてくれ。」
「よしきた。」
「死ぬなよ。」
「さっきも言ったろ、酔ってる時が一番強いのよ。」
そう言うと同僚は再び列の先へと走っていった。その足取りは意外としっかりしている。
ガンは周りにいた護衛の者を集めて臨戦態勢に入った。彼は自然とまとめ役になっている。

野盗は五十人程に視える。相手はこちらに向かってくる途中で三手に別れた。それぞれ違う箇所を狙っている様である。

騎馬と歩兵では圧倒的に騎馬が有利である。その上に彼らは弓矢で攻撃してくる。急接近して射撃や剣撃を繰り出すと直ぐにその場から離脱する。この攻撃には同じ馬でなければ追従出来ない。

各所で怒声が上がった。戦闘が始まったのである。
ガンは干に身を隠しながら襲撃に備えた。
眼の前に騎馬が現れたかと思うと恐ろしい速度でこちらに肉迫してきた。馬に蹴られるくらいの勢いに周りの者はたじろいだが、ガンは厳然と構えた。
どこから飛んできたのか、突然矢の衝撃が干に伝わる。貫通したのではないかとガンは思ったが、構えた左腕に目を落とす暇はない。
次の瞬間、剣を振り上げた野盗がガンへと殺到した。
(干が有るならば)
振り下ろされた相手の攻撃を干で受けると同時に、ガンの鑓は野党の脇腹を正確に貫いた。
野党は声もなく馬から転げ落ちる。
(弓の者は寄っては来まい。)
咄嗟にガンは倒した野盗の所へ走った。
奇声を上げて、野盗が他の者に矢を射掛けようとしている。
ガンは落ちている野盗の刀を拾うと、素早く投擲した。回転しながら飛ぶ刀は野盗の顔面に深く食い込んだ。日々鑓の鍛錬を怠らないガンの膂力は相当な域に達している。
ガンはその後も迫りくる野盗を次々と返り討ちにした。
共に応戦している護衛もいたとはいえ、激しい戦闘の連続にガンにも疲労の色が見えてきた。

どれくらいの刻が経ったのか、(にわか)に野盗が引いていった。
「なんだ。」
そう思っていると、別の方向から砂塵が上がっているのが見えた。
高夅から一団が急行してきたのである。
避難していた者達から歓声が上がった。それを聞いたガンは溜息をついてその場に座り込んだ。
幸い、商隊全体でも大きな損害は無かった様である。

彼にとってはこれが初めての実戦であった。
(相手はしっかりと視えていた。俺の腕もまずまずかな。)
気付けば身体には幾つも傷があった。衣は少し血で濡れている。
ガンは言いようのない感情に包まれた。

「これはそなたがやったものか。」
不意に声を掛けられてガンは我に帰った。
顔を上げると、兵車に乗った貴人が車上から見下ろしている。その顔は驚きと興味の重なった表情をしている。
これは、とは辺りに転がった野盗の死体のことであろう。数は十程あった。
野盗とは言え、屈強な騎馬をこれだけの数倒すことは容易ならざるものである。
「全て、とは言い難いですが、そうです。」
謙虚に応えるガンに、貴人はほう、と唸った。
その受け答えも粗野なものではなく、礼儀を知る者の言葉である。
「もっと早く寄せておればここまでの被害にはならなかったであろう、済まないことをした。」
「いいえ、こういう時の為の我ら護衛です。とは言え、荷に被害を出したは我らの落ち度です。これでは報酬も頂けませんね。」
そう言いながらガンは砂塵を払って立ち上がった。
その泰然とした様子に、貴人は益々興味をもったようである。
「賈人の雇われ者であったか。今後行く先が無いというのであれば、一度我が元を訪ねるがよい。」
ガンは啞然とした表情を向けた。その誘いは余りにも急であった。
「我が名はコウケツと言う。シカイ様に仕えておる。それではな。」
コウケツは名だけを告げると、他を見るべく車を進めた。
(シカイ…知らぬ名だ。もっとタイについて調べておくべきであったか。)
思わぬ転機にガンは己の準備不足を後悔しつつも、喜悦した。このままジ国に帰っても何も進展しない事は分かりきっている。かと言って伝手(つて)の無いタイ国に長く居られるとも思っていなかったので、この出会いは渡りに舟を得た思いであった。
(訪ねてみるか。)
そう考えていたところで、おーい、と再び呼び声を聞いた。見ると例の同僚であった。
「生きていたか。」
ガンが驚いていると、同僚は笑って答えた。
「だから言ったろう。酔っていた方が強いのよ。」
胸を張る同僚の服はところどころ破れて酷い砂塗れであった。
それを見たガンは哄笑した。


この後は救援に来たコウケツの一団に守られながら、高夅へと入った。
タイ国の大邑(首都)である高夅は、安陽にも劣らぬ城郭を備えるようになっていた。重厚な門を潜ると、これもまた安陽以上の賑やかさである。
今や覇者の名を欲しいままにしているタイ国には、四方から多くの物品が集まる地となっている。
それに伴い人口も増え、溢れんばかりであった。
ガンは目的の商館まで荷が着くのを見届けてから、同僚と共に肆を探した。

「一仕事終えた後の酒はやはりうまい。」
(とろ)けた様な笑貌で、同僚は酒を煽っている。
「先程も飲んでいただろう。」
ガンは呆れた。
高夅に着いたことで彼らの仕事は終わりである。通常は何もなければ帰りの護衛も依頼されるので、同僚もそのつもりでいる。
「お前もこのまま帰るのかい。」
「いや、俺はここに残るつもりだ。」
「そうなのか。一人で飲んでもつまらんのだがなぁ。」
「そなたは酒の事ばかりだな。」
「ははは、先に滅んだショの民は皆朝から酔っていたそうだからな、俺なんかはまだまだよ。」
「ほう、故事に明るいとは驚きだ。」
「まぁな、キュウが俺の故郷だからな。」
なる程、とガンは納得した。
キュウ国の建国の歴史は、嘗てジ王朝がショ王朝を打倒した後に、その民を集めて作られた事に始まる。
故に姓はジ王朝のキ姓ではなく、シ姓となっている。これは今のキュウ国君主まで連綿と続いている。

「ところで、お前はどうするつもりだ。初めから残るつもりでいたのか。」
実は、とガンは襲撃時のことを話した。
それを聞いた同僚は素直に感心した。
「そんな夢の様な話があるとはね、いや、それだけお前の鑓の腕が高いということか。折角ならばその腕見ておきたかったな。」
正面から褒められたガンは、
「いや、所詮は鶏口だ。まだまだ強くならねばならん。」
と言いながら、一口に杯の酒を飲み干した。
「早速今から行くとよい。こういうのは早い方が良いもんだ。」
「しかしな、」
ガンは酒器に目を落とした。流石に酔ったままでは無礼になる。
「なに、一杯や二杯で不覚になる男じゃないだろう。それに数刻おいてからいけば酒も抜けよう。その頃にはそのシカイさまとやらも出仕を終えて(やしき)に帰っているだろうよ。」
意外と頭の回るものである。
(これも酒の力か。)
ガンは同僚の言う通りにすることにした。

また会うこともあるだろう、と軽い別れを同僚とした後、ガンはシカイの邸を探すことにした。
「卿士さま達の邸はずっと先にあります。」
路行く者に邸の場所を尋ねるとそう答えた。
ここから指差す先には薄っすらと壁が見える。歩いていくとそれなりに時が掛かりそうである。
しかし、広い安陽の都に慣れているガンは歩みを緩めずにシカイの邸を目指した。
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登場人物紹介

シイン。姓はキ、諱はシュウ。

レツ公リョウの公孫にあたる。

幼くして国を失う。

シキョウ。姓はキ、諱はキュウ。

レツ公の子、シインの父。


ランキ。姓はラン、諱はキ。

シキョウの家宰。ランソクの父。

シンユウ。姓はシン。字はユウ。ジ国の臣、シン氏の女。シキョウの婦であり、シインの実母。

ランソク。姓はラン。諱はソク。ランキの子。

テキ。のちにチョウ姓を名乗る。幼い頃からシインにつき従う。

シン。テキの弟。チョウテキと同じくチョウ姓を名乗る。

シインに従う。

ガン。後ウ姓を名乗る。テキとシンの友人。彼ら同様シインに従う。

ヒセキ。姓はヒ。字はセキ。諱はソウ。

ジ国の人。シインとは不倶戴天の存在。

キキョウ。

南方の遊牧民族キ族の族長の長子。

シインの義兄。

キトツ。

遊牧民族キ族の族長の子。キキョウの弟。

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