文字数 594文字

世界はまだ幽暗としていた。
大地と空の境目も判然としない、深淵のような夜である。よく目を凝らして見れば、決して多くはないが光が明滅しているのがわかる。人々が炬火を灯しているのであろう。
(ようや)く東天が白み、強烈な光芒がこの地を照らした。
黎明(れいめい)である。
この言葉は暁というだけでなく、人の世の夜明けをも意味している。
この世界の人々は、長く幽玄なる上古の時代を抜け出した。神が主の時代から、人が主の時代へと移り変わろうとしている。
そういった時代のうねりは無数の人の運命をも呑嚥(どんえん)していく。そのまま沈降に面する者もあれば、力強く波流を渡りきり、一際(ひときわ)の光彩を放つものもいる。この数多(あまた)のか細い人生の糸が()り集まり、織り込まれていくことで、一つの歴史が出来上がると言ってよいだろう。

そろそろこの大地に目を移してみよう。
朝日に照らされてこの世界の様子も明瞭となった。尤大(ゆうだい)な原野に人の営みが点在している。その一つから細く延びる道を足早に過ぎる一団があった。壮年の男を先頭に、供の者と幼い子の手を引く女がいる。彼女達の来た道の先には薄煙が見えた。戦乱から逃れてきたのであろう。どの者の顔も暗澹(あんたん)としているが、ただ手を引かれる少年のみは幼い瞳に光を絶やさず、しかし時折不安そうに母親の顔を覗きこんでは辿々(たどたど)しく歩を進めている。
彼の名はキシュウ、字はシインと言う。
これよりは、この時代の渦中の只中を往く彼の生を追うことにしよう。

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登場人物紹介

シイン。姓はキ、諱はシュウ。

レツ公リョウの公孫にあたる。

幼くして国を失う。

シキョウ。姓はキ、諱はキュウ。

レツ公の子、シインの父。


ランキ。姓はラン、諱はキ。

シキョウの家宰。ランソクの父。

シンユウ。姓はシン。字はユウ。ジ国の臣、シン氏の女。シキョウの婦であり、シインの実母。

ランソク。姓はラン。諱はソク。ランキの子。

テキ。のちにチョウ姓を名乗る。幼い頃からシインにつき従う。

シン。テキの弟。チョウテキと同じくチョウ姓を名乗る。

シインに従う。

ガン。後ウ姓を名乗る。テキとシンの友人。彼ら同様シインに従う。

ヒセキ。姓はヒ。字はセキ。諱はソウ。

ジ国の人。シインとは不倶戴天の存在。

キキョウ。

南方の遊牧民族キ族の族長の長子。

シインの義兄。

キトツ。

遊牧民族キ族の族長の子。キキョウの弟。

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