キュウ国

文字数 6,329文字

シインが巻き込まれたジ国の騒乱の後、セツ公ら三保(さんぽ)と呼ばれる公三人によりキョウ王が据えられたことはすでに述べた。
幼い王であるため、セツ公は足繁くジ国へと通い政務を行う事となり、セツ国にいることは少なくなっていた。
その中でセツ国の首都、近へ身を寄せているヒセキは、多忙なセツ公とは違い、ゆったりした時間の中で過ごしていた。

しかし、彼は安穏とした時間に浸かって平和を謳歌するような男ではない。同志となったホウバツと共に学に勤しみながらも伝手を広げて多くの情報を収攬することに腐心していた。
そうした事には、このセツ国は恰好の地と言える。何しろ現在の天下を周旋する三保の治める地である。正確な情報が手に入りやすい。
しかし、集めてみようと思えば出来るもので、ヒセキが今まで知らなかった事柄も多く知ることが出来た。
中でもバン国とキュウ国との摩擦の詳細は知り得なかった関心事であった。

「キュウがタイへ近づいているらしい。」
そう言いながらホウバツはヒセキと対面し座った。
「タイにか。」
多少の驚きを込めながらヒセキは応えた。
「うむ、新たに即いたタイ侯の評判は(すこぶ)る良い。キュウもバンには力で頭を押さえられているだけであるし、当然の動きとも言えるがね。」
軽い口調で話すホウバツであるが、彼の情報収集力の高さにはヒセキも心中舌を巻く思いでいる。
ヒセキよりも遥かに人当たりの良いホウバツはセツ国内に広い情報網を張り巡らせている。もともとあった交遊の輪を更に広げ、今では国内の情報はほとんど手に入れることが出来るほどになっている。
ヒセキが朝問えば夕には答えが返ってくる。今ではこのホウバツの存在がヒセキには欠かせないものとなっている。

さてここでキュウ国についての話をしなければなるまい。
キュウ国はコ国の西に位置している大国である。ジ国から見るとほぼ真っ直ぐ西にコ国、次いでキュウ国といった具合である。南北にユウ国、バン国をそれぞれ境にしており、それ故に永く両国の影響を受けてきたという点では近隣の小国と変わりはない。
この国の始祖は前王朝であるショ王朝にあるとされ、ショ王朝がジ国に排撃された後にショ王朝の遺子が立てられ建国したとされている。それ故爵位も高く、公爵を授けられていた。ジ王朝としては、前王朝の遺民をこのキュウ国に纏めることで、統治しやすくしようという狙いもあったのであろう。結果的にこの目論見は当たり、ジ王朝の天下となった後も一翼を担う国に落ち着いている。
そんなキュウ国であるが、ユウ国のカン公とほぼ時を同じくしてジョウ公という者がキュウ国の君主となっていた。
彼は歴代のキュウ公の中でも特に対外に意欲的な君主であった。先代が亡くなり即位した際には、喪中にも関わらずユウのカン公の求めに応じて会盟の場に赴いている。孝よりも礼を重視する君主である、と言うべきであろうか。
そしてこのジョウ公、カン公の覇者としての在り方に感銘を受けたのか、ジ王朝を支える諸侯はかくあるべき、と思った様である。
ユウ国の名宰相であったトウシュクが亡くなった数年後にカン公も後を追うように崩じたが、後継者争いで国内が荒れた。その際にジョウ公はキュウ国に亡命していたユウ国の太子ショウを援助し、近隣の国を従えて彼の国へ侵攻した。
一度は反対勢力に押し返されたものの、最終的にはこの勢力を駆逐して太子ショウをユウ侯へと据えることに成功した。
これにより勢いを得たジョウ公はユウ国とバン国に会盟を求め、ここで諸侯の盟主になることを宣言した。いわばカン公の後を継ぐ覇者は己であると主張したのである。

この会盟にバン国の代表として出席したのは他でもないセイ王であった。
この場ではこの主張を認めたものの、
(面白くなし。)
と思うのは、かのセイ王であれば当然であろう。
その後ジョウ公は更にバン国を含む近隣国を多く集めて再び会盟を行った。
この二度目の会盟にバン国内でセイ王同様不快感を示した大夫がいる。彼の名をシゴウという。
彼は若年ながら才気に溢れた烈士、といった風で、この時も、
「カン公の居らぬユウに兵を挿れただけの君主が、何をこの様に尊大になれるのか。」
と気炎を吐いた。
これを聞いたセイ王は我が意を得たりと、この度の会盟にはシゴウを向かわせることに決めた。
果たして、諸侯を集めて満足気なジョウ公を囲み、会盟が行われた。
この時大胆にもシゴウはジョウ公を襲い人質にとると、そのままキュウ国内の邑を荒らして回った。突然のこのバン国の行動に会盟に参加していた他の諸侯は困惑したが、遂にはシゴウを(なだ)め、それにシゴウも応じることでこの騒動は落着した。
しかしこの一件で、本来最も力を示さなければならないキュウ国の兵が一つも手を出せず右往左往するのみ、という大失態を犯したため、キュウ国の威は完全に失墜した。

この散々な会盟から帰国したジョウ公がこれを恨みに思わないわけはなかった。
「ここまで礼を外した野蛮な行為、到底許すわけにはいかぬ。」
ジョウ公同様にキュウ国民も怒りを発し、ここにバン国との敵対が決定的なものとなった。
一方のバン国では、セイ王が会盟の顛末を聞き、
「よくもここまでキュウ公の顔に泥をかけたものよ。」
と哄笑、シゴウを絶賛した。
これを賞してシゴウが新たな令尹(れいいん)(宰相)となった。
翌年、戦備整い気運も高まったキュウ国は、バン国に宣戦布告をした。
これを受けたバン国は首都平を発し、両国はキュウ国内の汪水(おうすい)で対峙することとなった。

河を挟んでの睨み合いの末、バン軍が渡河を開始することで戦端が開かれた。
この状況に、従軍していたキュウ国の宰相シギョが上申した。
「バン軍は散り散りに渡河を行っております。陣が固まる前に攻めかかれば如何に精強なバン軍とて容易に崩せましょう。是非とも進軍の合図を。」
この好機にジョウ公は首を縦に振らなかった。
「君子は困窮に付入らず。その様な戦の礼を外した行為は出来ぬ。」
これはジョウ公なりの意趣返しでもあったのであろう。嘗てのカン公が見せた覇者としての誇りを見せつけ、正々堂々と敵を打ち破ることで無くした威を取り返すつもりであった。
渡河を終えたバン軍であるが、陣を組み立てるまでになお時間がかかっていた。
この機こそは逃すべきではないと、シギョは再びジョウ公へ迫ったが、それでもジョウ公の返答は否、であった。
この時シギョは長嘆息し、
「ああ、君は未だ戦いというものを知らぬ。」
と左右に漏らしたという。

実際のところ、兵の強さはバン軍の方が勝る。勝利を確実なものにするには相手の虚を突かねばならなかったのである。その点シギョの献策は適当であった。一方、礼節を重んじる古昔の戦い方であればジョウ公の考えも(もっと)もであると言える。
しかし、時を経るにつれ、戦いは儀礼的な意味合いが薄れ、暴力的外交手段とも言えるものへと変貌しつつあった。この流れに気づき、乗ることが出来なければ、ただただ自沈していくばかりである。
しかしここでジョウ公に対して彼は鈍感である、と批難するのは酷であると言える。そのような感覚は時代を俯瞰して初めて解るものであり、そうなるとやはりトウシュクなどは結果としてそれを垣間見ることのできた傑物、と言う他ない。

戦いはキュウ国が敗れた。
この戦いのさ中でジョウ公は太ももに矢傷を負うという激しさであった。さらにこの傷がたたり、ジョウ公は戦いの二年後に亡くなった。後を継いだのが、ジョウ公の子であるセイ公である。
汪水の戦いの後、バンに降る国が多く出た。ここに至り、再びバン国の影響力が強くなったのである。
「長命であるも強さの内であるか。」
セイ王は不敵に笑いながら左右にそう問うた。
彼が王に君臨してからユウ国のカン公、キュウ国のジョウ公とセイ王に対抗する者が現れたが、いずれも先に命尽きている。彼ももう十分に老境に入っているが、その眼はまだまだ野心の炎で満ちていた。

タイ国のブン公が即位したのは丁度この頃である。タイ国の顛末については以前述べたが、このブン公によりタイ国は急速に国力を高めていく。
そしてそれを知ったキュウ国のセイ公が、バン国の盟下から離れようとしている、というのがヒセキの得た情報であった。


「バンもすぐに報復に出るであろうな。」
ヒセキは私見を述べた。
「勿論であろう。他国に示しが付かぬであろうからな。問題はすり寄られたタイがどう出るか、そこだろう。」
ホウバツが得た情報ではまだタイ国の反応がどの様であるのかまでは掴めていない。
ホウバツは言葉を続ける。
「あとは我が国が、公がどうされるかだが…、タイには以前の安陽の件もある。附くとしてもタイの方であろうね。」
ヒセキは黙ったままである。この少年の沈黙は肯定と見てよい、とホウバツは判断している。
(タイかバンか…いずれにしても、ジ国はこの渦中の外だな。)
ジ国に生まれたヒセキであるので、彼もまたジ国の復権を願う者であった。
(嘗てはジ国が征伐を行い、その非を糾すものであったが、今のジ王は幼くあられ、それを支える我がセツも兵の多寡では二国に比ぶべくもない。)
ジ王朝では古くは国の爵位によって邑の大きさも規定があった。ジ国の首都は方千里、それから爵位に従って方百里、七十里、五十里…としっかりと決まりがなされていた。
しかし、それもいつの間にか順守されなくなっている。ユウ国やタイ国の首都などはとうに数百里を超える城壁を建てている。
ユウ国の様に国を富ませることに成功した結果、人口の増加故に都市を拡張せざるを得なくなった、という現実的な理由もそこにはある。
初めにこの規定が為された時には、天子の臣がその様な発展をしていくものとは想到し得なかったのであろう。
なぜユウ国やタイ国が強大な存在になったのか、我が国を大きくするためにはどこに注力すればいいのか、王畿の人ほどその真髄に至ることが困難であったろう。それほどにジ王朝の敷いた礼制は因循であった。
しかし、とヒセキは決眥(けっし)する。
若い彼の胸中はこの王権復古の大事を成し遂げるのは己のみであるという強い意志が燃えている。
(そのためにはもっと多くを識らなければならない。)

明くる日、彼は貴門をくぐった。
セツ国内でも一際大きい門をもつこの邸は、卿であるリクチョウの邸宅である。リクチョウは今セツ国の宰相を務めており、名実共にセツ公の右腕となっている俊英である。
見識の高さもセツ国随一であり、ヒセキに非凡さを見出したセツ公が特別にリクチョウの側仕えを斡旋したものである。
側仕えとはいえ、ヒセキはまだ加冠を済ませていない未成人であるので、その内容は仕事というよりは雑用といった方がしっくりくる。しかし、リクチョウの近くにいるということは、彼から様々な話を聴くことが出来る、仕官を目指す者にとっては羨望の扱いと言っていいであろう。
この日も常の様にリクチョウの部屋に雑用に赴いたヒセキは、手を止め、憚りながら、とリクチョウへ切り出した。
「うむ。」
と返事をしながらリクチョウはヒセキへと顔を向けた。
日常的な所作でありながら、そこにはヒセキに対する温和な感情を分かるようにしまい込んでいる。決して友好的ではない己の態度を自認しているヒセキは、それでもなおその態度を崩さないリクチョウに畏敬の念を感じ、すっかり惚れ込んでいる。
「キュウ公がタイ侯へと誼を通じているとの噂を耳にしました。本当でございますか。」
頭から本題に切り込んでくるヒセキに、一息ついたリクチョウは、
「ふふ、相変わらず耳の早いことだの。(みせ)に入り浸るにはまだ早い年じゃぞ。」
と、冗談交じりに答えた。彼はセツ公よりも年上で、白髪が目立つ。ヒセキとは孫子ほどに年は離れている。
「確かに、そなたの言う通りじゃ。我らもその結果の是非を速やかに知る必要がある。」
いつの時代も情報を多く正確に集めることは重大事と言える。国の外交事ともなれば存亡にも関わる。
「そのことについてゴを呼んである。じきに来るであろう。」
暫く会話を続けていると、この部屋へと向かう足音が聞こえてきた。
「失礼いたします。」
短くはきはきとした言葉で入り口に立つ男がいた。彼はリクチョウの子であるリクゴである。
壮年に差し掛かろうかという年頃で、彼もまた大夫である。
「汝の話をしていたところじゃ。さて、」
と、リクチョウはヒセキを脇に控えさせたまま話を進めた。
リクゴもヒセキのことはよく目にしており、リクチョウがこの若者を気に入っていることも知っていたので、彼がこの場に残ることに対して気には留めなかった。

「汝も既に聞き及んでおるとは思うが、キュウに動きがあった様じゃ。」
「はい、彼の国はバンの支配下から脱したいと常日頃考えていたでしょうから、タイ侯の力が増してきた事は好都合でありましょう。」
「うむ、そこで汝にそのタイの現状をつぶさに調べてきて欲しいのじゃが。」
「なるほど。噂には聞き及んでおりますが、実のところ今のタイの内情はまだはっきりしておりませんからな。分かりました。」
急進的に国力をあげたタイであるが、どの臣下が力を持っているのかなど、外からでは不明な点も多い。こうしたことは大夫なり身分の明らかな者が実際に聘問(へいもん)して判断していく方がよい。
「恐れながら。」
会話に一区切りついたところで空かさずヒセキの言葉が入った。
「その旅に、私も同行させていただけないでしょうか。」
驚いた表情を見せたリクチョウは、
「まだその様に急かぬでも、まだそなたは加冠も済ましてはおらぬのじゃぞ。」
と苦笑した。しかし、ヒセキは、
「いえ、それでもこうしている間にも天下はどんどんと変わっていきます。少しでもその変化見られるのであればこの目に留めておきたく存じます。」
といかにも真面目にそう答えた。
やれやれといった表情のリクゴが後を継いだ。
「荷物持ち、といったことであれば加えることは容易だが…それでもかまわぬか。自由に見て回れぬ立場だぞ。」
「それでも構いません。」
今回の旅は緊迫したものではない。二人も付いていく程度なら、と容認した。この親子はヒセキには寛容である。

出立は四日後となった。ヒセキから事情を聞いた父のヒソウは大層驚いたものの、
「あのリクゴ様の元であれば、大事なかろう。」
と言って快く送り出した。本来であればこのような扱いを受けることなど考えられないことだが、我が息子には特別なものがあるらしい、とヒソウは首を傾げながらそう受け止める様にしている。自らの器を理解しているヒソウは我が子がそれほど大成するものとは思っていない。
それでも母と二人でヒセキの将来を想い淡い期待を抱く。ヒセキの両親はそのようなどこにでもいる平凡な者達である。

出立は早暁であった。
タイ国の首都高夅へは直線距離で言えばそう遠くもないのだが、間に峻険な山脈が横たわっている。その為遠回りをする形で行かなければならない。代わりに永河の水運を利用することができるので、日数を稼ぐことが出来る。リクゴら一行もこの道筋で向かうことになっていた。

この一行に加わったヒセキはその携行する人の多さに驚いた。
(この様に大勢で向かうのか。)
支度を整える者達を前に佇立していたヒセキにリクゴが気づき、話しかけてきた。
「どうした。なにか珍しいものでも見つけたのか。」
「いえ、この荷の多さに少々驚きました。」
「はは、確かにこれは大仰であるな。しかし、今回聘物は多いに越したことはない。何しろどれだけの大夫に会わねばならぬのか、見当もつかぬのでな。」
「そのように多いのですか。」
「うむ、それは道すがらそなたに話そう。」
リクゴは緩やかに笑いかけた。彼もまたヒセキの成長を楽しんでいるようでもあった。
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登場人物紹介

シイン。姓はキ、諱はシュウ。

レツ公リョウの公孫にあたる。

幼くして国を失う。

シキョウ。姓はキ、諱はキュウ。

レツ公の子、シインの父。


ランキ。姓はラン、諱はキ。

シキョウの家宰。ランソクの父。

シンユウ。姓はシン。字はユウ。ジ国の臣、シン氏の女。シキョウの婦であり、シインの実母。

ランソク。姓はラン。諱はソク。ランキの子。

テキ。のちにチョウ姓を名乗る。幼い頃からシインにつき従う。

シン。テキの弟。チョウテキと同じくチョウ姓を名乗る。

シインに従う。

ガン。後ウ姓を名乗る。テキとシンの友人。彼ら同様シインに従う。

ヒセキ。姓はヒ。字はセキ。諱はソウ。

ジ国の人。シインとは不倶戴天の存在。

キキョウ。

南方の遊牧民族キ族の族長の長子。

シインの義兄。

キトツ。

遊牧民族キ族の族長の子。キキョウの弟。

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