郭墨の戦い

文字数 7,327文字

両軍はタイ軍が進駐した地で互いの陣容を見せた。
が、バン軍を認めたブン公は突如、
「退がれ」
との命を下した。
これを聞いた軍吏の一人がブン公の前に進み出た。
「君よ、敵軍を前にして撤退をするは恥辱にあたります。バンの兵は既に老であり、我等が兵も決してこれに遅れをとるものではありません。どうか命を改められますよう。」
こう嘆願する軍吏にタイエンが応えた。
「およそ軍においては直なるを壮と言い、曲なるを老という。時の長さにおいて老と言うものではない。バン子の恩恵がなければ今の君はない。君はその恩に今報いようというのだ。」
以前ブン公がバン国へ身を寄せていた時に、戯れ混じりにセイ王に、「我が軍と会戦した時にはどうなさる。」と問われ、ブン公は、「三舎退きましょう。」と答えたことがある。ブン公はそのことを覚えており、律儀にそれを履行しようと言うのである。
なお、ここでタイエンの言う曲直とは道に適っているか否かということである。ブン公が嘗ての言を忘れずに用いるのは直である。それに対して、まだバン軍が追撃を仕掛けてくるのであればそれは曲である。戦いを避けようとするタイ軍に対して矛先を下げないバン軍であれば非難を受けるのはバン軍である。これでタイ軍としては已む無しという大義も立てることが出来る。
この曲直をタイエンは老壮と掛けて軍吏に応えたのである。ちなみに軍吏の言う老とは兵が衰えていることを指していた。
ブン公の命令通りタイ軍は三舎退いた。一舎は凡そ三十キロメートルであるのでタイ軍は九十キロメートル程も移動したことになる。この撤退に対してバン軍の将士の中には妨害を進言する者もいたが、シゴウはこれを却下している。流石にタイエンの言う曲直を彼も又考慮していた。タイ軍が三舎退く理由を彼は当時その場にいて聞いている。

このさ中でもヨウタンの思考は冴えわたっている。
郭墨(かくぼく)まで行きましょう。」
三舎退いた地の中で最も戦い易い場所を彼は選定していた。
ヨウタンの選んだ郭墨という地は比較的なだらかな丘陵地で、見通しのきく所である。こうした地形は兵車の運用には最適であり、その力を充分に発揮できる。タイ軍の兵車の練度はバン軍のそれをゆうに凌ぐものであるので、この差を活かさない手はなかった。ヨウタンはそこに着目し三舎退いた上で戦うに有利な地を事前に調査させていたのである。


バン軍が来るより先にタイ軍は郭墨に陣を敷いた。
予てより援軍要請を受けていたサン、ユウの二国と包囲を解かれたキュウ国がこの時までにそれぞれ参陣していた。
タイ軍の陣容は以下の様である。
まず中央にブン公とその親衛隊の一軍があり、その前面にヨウタン率いる中軍が展開している。その数は一万五千である。そしてこのヨウタン軍のさらに前面には下軍の将であるショウショウが一万、並んで左翼に下軍の佐(副将)のゴウイが同じく一万で布陣している。因みに、ゴウイはヨウタンが中軍の将に抜擢されてから空いた座に就いた者である。
ショウショウの右翼には中軍の佐ベンキツの一万五千、更にその外に上軍が並ぶ。
この上軍は前面に将のタイショウの一万、その後ろに佐のタイエンの一万が縦列して陣取っていた。
タイ軍の総兵数は兵車七百乗の七万という堂々たるものである。それに付随して左翼後方にキュウ軍五千とユウ軍一万が、右翼後方にはサン軍の一万が布陣している。そうなると総兵数は実に九万五千という大軍勢となった。

対するバン軍は先のセイ王の措置によりその数を大幅に減らしている。
中央にシゴウ率いる中軍一万、左翼には左軍のシセイという者が、右翼には右軍のシジョウという者がそれぞれ一万で横並びに布陣している。何の工夫も無いこの横陣であるが、バン軍はこれまでの戦いの殆どをこの陣で勝利してきた。血気盛んなバン兵は一人ひとりの戦闘意欲が高く、且つ中央の言うところの「礼を敷かない野蛮な攻撃」で圧倒するのである。このバン軍に加えて小勢の連合軍が四千の総勢三万四千がバン軍の兵数となる。

九万五千対三万五千。数の上では大差のあるこの戦いであるが、ブン公は未だに果たして戦って勝てるものかと疑問を抱いている。
そう弱音を吐くブン公をタイエンが励ました。
「この戦いに勝てば、キュウだけでなく、サンやユウを始めとした多くの諸侯が君の元へ参集するでしょう。そうなれば如何なバンでもこれまでの様に我がもの顔ではいきますまい。それに仮にこの戦いに負けたとしても我が国は山河深くにあります。易易と攻め落とされることなどありませぬ。戦いなされ。」
「しかし、バン子(セイ王)に受けた恩もある。」
未だブン公は及び腰である。それをショウショウが励ました。
「バン子に滅ぼされたキ姓の国は一つや二つではございません。これは大きな恥辱であります。小さな恩恵を惜しみ、大きな恥辱をお忘れなさいませぬよう。ここは戦うべきです。」
ジ国王はキ姓であり、タイ国も由緒正しきキ姓の国である。ジ王朝に近しい国は皆キ姓であるからこの近親国の仇を討つべしとショウショウは言っているのである。
因みにバン子とは爵位を添えた敬称である。

ここにおいて漸くブン公の腹は決した。
両国は互いに使者を出し、決戦の日を明暁とした。

明日の開戦を前にして、タイ軍では最後の軍議が開かれた。集まった諸将の顔は皆厳竣(げんしゅん)である。
「さて、皆に参集頂いたのは他でもない。明日の戦についてでございます。」
ブン公の脇に控えるサンセンが切り出した。
これに対して、
「明日は我等が軍の威をもって当たるのみ、であると思われるが、何か大事ありましたかな。」
とタイショウが反問した。
「無論、そのように向かうつもりである。が、ここにヨウタンが策を献じてくれたのだ。それを皆にも傾聴して頂きたい。」
一同は一斉にヨウタンの顔を見た。戦う前に戦い方を予定しておく。そのような事は今まで行ったことはない。妙な事を言うものよ、と首を傾げる者もいた。しかし、当のヨウタンの(まなじり)は険しいものである。
「よろしければ、愚臣の策を献じたく。」
反対の声が挙がらないのを確認してから、ヨウタンは戦いの方策を披露した。


「些か込み入った事を行うことだな…」
ショウショウが腕組みして唸った。
「これでは礼を欠くことにはなるまいか。」
「いや、彼の国にはもとより礼などない国だ。これくらいのことはしてもよいであろう。」
色々と意見が出る中で、ヨウタンが再び発言した。
「今最も大事なことは、この一戦に確実に勝つことです。勝てば我らが国は百年の盛栄を得、負ければ百年の衰退を被ることになりましょう。明日がその分かれ道であることを何卒ご理解頂きたい。」
彼の言葉を聞いて一同の顔はより引き締まった。
ヨウタンの言う通り、今回の戦はブン公の二十年以上にも及ぶ長き苦難の集大成とも言える。この一戦で挫衄(ざじく)すればこれまでの全てが水泡に帰すことに等しくなる。
タイ軍においても今回の出征は長期で辛いものであった。しかしヨウタンの励ましを聞き、諸将はどこか緩んでいた気持ちを再び奮い立たせた。ブン公と苦楽を共にしてきた将が多いタイ軍の結束は固い。


明暁、両軍は陣を敷き終えた。
タイ軍の陣容は先に述べた通りである。この丁字型の陣を縦に貫くように街道が走っているが、その先に対面するようにバン軍は横陣を敷いている。
兵力差は凡そ三倍あるのだが、戦いに慣れたバン軍に意気の衰えは感じられない。

バン軍の中央に位置する中軍のシゴウが車上から合図を送ると、力強く鼓が打たれた。前進の合図である。その鼓に合わせてバン軍の全軍が動いた。どの兵も皆相手を食い千切らんばかりの形相である。並みの兵であればこの前進だけでも怖気づくであろう。
その進軍に呼応する形でタイ軍のブン公も鼓を打たせた。タイ軍は前面の各軍が同じように前進をしたが、その実攻撃先は既に決められている。最左翼にいるゴウイの軍は対面にいる敵連合軍に向けて進みだした。このゴウイの軍の兵車は全ての馬に虎の皮を被せてあり、その勢いと併せて敵に大いに威嚇の圧力をかけるようにしている。一方の右翼のタイ上軍は前面にいたタイショウがバン軍の左翼、シセイ率いる左軍に正面からぶつかった。
中央はというと、シゴウ率いるバン中軍がその正面にいるベンキツの軍とショウショウの軍の両方に攻勢をかけていた。シゴウが直接率いる部隊はその場を動かず、泰然と全体を見渡している。

この時のシゴウの作戦は単純で、中軍で敵中央を押し切り、ブン公を捕らえるというものであった。
単純故に兵の考えるところは少なく、その分攻撃に集中出来ることもあり、この中軍の攻撃力は圧倒的であった。事実、倍ほどの兵力差があるにも関わらず、バン中軍の勢いの方がタイ軍のそれを上回っている。

両軍の兵が衝突をすると互いの兵車が前に出て一騎打ちを仕掛ける。名乗りを上げながら両者は左周りに旋回しながら矢を射かける。本来であれば相手が矢を射かけたら次は相手の番、という具合に平等な攻撃の応酬をするのが通例であるが、バン兵はそんなことは気にもかけずに矢を連射してくる。そういう行為に諸侯の軍は調子を狂わせて圧されることが多い。
ここでも同様な影響が出た。横暴とも言えるこの攻めに中央にいるタイ中軍、下軍の兵は徐々に押し込まれていった。
加えてバン軍の歩兵は兵車戦のさ中でも襲い掛かってくる。白兵戦を仕掛けられるとなると、バン軍の強さの方が勝つ。獣の様に咆哮を上げながら襲いかかるバン兵にタイ兵は防戦一方となる。
中央の戦場は早くも混戦となった。
その様子を後方で見ていたブン公は左右の者に、
「舟の用意をするよう伝えよ。」
と血の気の少ない顔で言った。
永河(えいが)を渡り退却する準備をせよ、ということである。離れたところにいながらも、バン軍の気勢に既に飲まれている。
対するシゴウはこうなることは当然といった面持ちで、更に中軍を押し込むよう鼓を打たせる。
バン軍が進んだ跡は赤く染まっていた。
「野蛮な獣に負けるでない。押し返せ。」
中央で戦うショウショウが声を嗄らして督戦する。自らも敵に当たるが、流石は将たるもので、的確に車上の者を射落としては猛進してくる歩兵を蹴散らしていく。そんな車上の猛将にバン兵は我先にと突撃を仕掛けていく。

そんな中でバン連合軍を狙った下軍のゴウイは優勢であった。連合軍はバン軍とは違い

軍である。そうなると兵力で勝るタイ軍が負けるはずがない。
日が中天を行く頃に、そのバン連合軍が退却を始めた。退却する軍を追撃することは礼に反するので、ゴウイの軍はそのままバン軍右翼のシジョウの軍との戦闘に入った。
右翼での戦況を逃さず見ていたシゴウであるが、この状況に大した対応をしなかった。シジョウの軍に応戦せよとのみ伝令すると更に中央の攻勢を強めるべく鼓を叩く。
(頭を取ればそれで終わる。)
初めからブン公のみに狙いを定めているシゴウの指示に動揺はない。
その彼の意思が前線の兵にまで貫かれるように伝わっているのか、バン中軍の勢いは更に増した。

遂にその勢いにショウショウの軍が負けた。
「退がれっ」
ショウショウの一言でこの軍は雪崩をうつように退却を始めた。砂塵を撒き散らしながら背を向けるショウショウの軍を見てバン中軍の兵は容赦なく襲いかかろうと追撃をかける。先の右翼のゴウイの礼を踏んだ行為とは対照的である。
背を向ける者に対して攻撃をかけることは最も容易い。ショウショウの兵も背中から突かれては堪らぬと必死に逃げる。周りが視えないくらいに濛々と砂が舞った。
「押せっ押せっ」
バン中軍の兵達は躍起になって追い縋ろうとする。見ればブン公の旗も指呼の間である。これならブン公の軍に攻撃も仕掛けることが出来る。

しかし、揚々と先頭を走るバン軍の兵卒の一人があることに気付いた。よく見ると相手の兵車には柴が繋がれているではないか。
その意味を理解するより先に、彼等の両側から突如兵が現れた。

この乾坤一擲の戦が白熱する中で肝心のヨウタンは何をしていたのか。
ショウショウの軍とそれを追ったバン軍の一団は先陣を縦に貫く街道を進んでいた。無論これは偶然などではなく、ヨウタンの指示の一つである。その街道の奥でヨウタンの軍は二つに分かれ伏していたのである。
普段であれば容易く見つかるような地であったが、混戦の末の追撃故にバン軍の視野が狭くなっていた事と、ショウショウの軍の兵車が巻き起こす凄まじい砂塵がヨウタンの軍を(くら)ますことを可能にさせた。勿論バン兵がこうなることをヨウタンは見越していた。
追撃に夢中でその陣形が縦に細長く伸びてしまったバン中軍に両側からタイ軍が痛撃を加える。偽りの退却を行っていたショウショウの軍も反転し、攻勢にでる。バン中軍はタイ軍の奥深くで三方から攻撃を受ける形となった。
こうなってしまってはさしものバン兵も耐えられない。すり潰されるようにして壊滅した。

この反撃の異変を感じたバン軍の両翼は動揺した。
「今だ。」
と、この機を逃さずタイエンの軍が前面にいるタイショウの軍を回り込む様にして移動を始めた。
タイ軍の右翼でじっと攻撃に耐えていた上軍のタイショウとタイエンであったが、風向きが変わった所で一気に畳み掛ける作戦をヨウタンから授かっていた。
タイエンが回り込んで背後を突く気配を察知したバン軍は怖駭(ふがい)した。挟み打ちをかけられれば窮地に陥るのは目に見えている。軍全体に駆け巡った不安感も相乗したことでシセイ率いる左軍の士気は瓦解した。
こうなるとシセイも退却を命じざるを得ない。
右翼の右軍も同様で、連合軍を撃破したショウショウの軍の勢いに勝つことは出来ず時を同じくして撤退を開始した。


ここに戦いの趨勢は決したと言えよう。タイ軍は深追いはせぬものの、追撃は仕掛けた。これは同じことをするバン軍への意趣返しと言えなくもないが、同時にこれまで遵守されてきた戦いにおける礼が損なわれてきているともとれる。流石に非戦闘員には攻撃は行わなかったが、徐々に戦いそのものの意義が推移してきている証と言えよう。無論、当人らにその意識はない。必要に応じて新たに講じている手段の一つに過ぎない。
その観点からすると、今回のヨウタンの献策もその一環と言えよう。
これまでは兵車による一騎打ちで勝敗を決めるものであったが、その道を踏まないバン軍との戦いに対抗するために歩兵の戦闘にも力を入れざるを得なくなった。その勝率を高めるためにも戦いにおける用兵、つまりは戦術が求められるようになったのは自然な流れである。
勿論その先駆者はかのユウ国の覇者、カン公が宰相のトウシュクであることは間違いない。
歩兵も惜しみなく使うバン軍は、それを用いない中央の諸侯に優勢になるのは当然であったが、諸侯もバン軍に合わせて歩兵の強化、戦闘も導入することにより戦いの優劣は無くなりつつあったということである。

両翼が破壊されたバン軍において一方のシゴウはどうであったか。
彼は戦いが始まってから自陣を微動だにしていなかった。見晴らしの良い地から全体を睥睨していたが、当初の目論見はヨウタンの戦術によって無残に破砕された。口から血を流すほどに歯噛みをしていたシゴウは退却を命じた。しかし、彼の用兵に拙さは無く、敗残の兵を巧みに纏めると、自身が殿(しんがり)を務めながら追撃するタイ軍を捌き切った。決してシゴウが愚鈍であったわけではないのである。

見事バン軍を去らせたタイ軍、連合軍は勝鬨を上げた。特に苦汁を飲まされたキュウ軍は開放された喜びも相まって歓喜の声も一入(ひとしお)であった。
タイ軍と連合軍はタイ軍がもといた駐屯地へと戻った。
そこでサンセンとタイエンの両人がブン公の元へ来た。
「この度の戦の勝利、真におめでとうございます。」
「うむ。」
快勝とも言える結果にも関わらず、ブン公は少しく暗い面持ちをしている。
「何か気にかかることでもおありですか。」
サンセンが問うた。
「うむ…戦には勝った、が、シゴウは生きておる。彼は必ず再び兵を挙げるであろう。相手も愚かではない。何度も挑まれてはいずれ負けることもあろう。それが気がかりだ。」
シゴウの性格がどのようなものであるか、バン国に身を寄せていたときから既に見聞している。
しかし、このブン公の心配は杞憂に終わることとなる。

自国内まで撤退したシゴウは自らの治める邑に留まった。
勝手な主張をした上に惨敗を喫したのだから、セイ王が怒らぬはずがない。自国に留まれとのセイ王からの下知がされていたのである。
怒気と沈痛を荒く混ぜたような表情を下げて、シゴウは自邸に引き籠もった。
その様子を見たシゴウの弟と長子は、セイ王に取り成しを諮るべく日に夜をついで大邑(首都)の(へい)へ向かった。
セイ王の謁見を許された二人は血を流さんばかりに何度も床に叩頭をして助命を嘆願した。
「シゴウは決して私怨で行動を起こした訳ではございません。一重に王の野望を叶えんが為のものであります。どうか彼の才を惜しみ、これからの野望の(たすけ)と為さいませ。」
滂沱(ぼうだ)の涙を流す二人の姿を見て、セイ王は憐憫の情が湧いた。
(赦してやるか。)
自らが生きている限りタイ国と戦う機会はまた訪れよう。それに今回の失敗からシゴウが学べば良いではないか。
そう思い直したセイ王は、
「シゴウの解放を許す。我が下へ参じろと申し付けよ。」
と二人に告げた。
それを聞いた彼等はこれ以上ない喜びの顔を見せると、再び叩頭して感謝した。
そして宮殿を後にすると時を置かずに自邑へとひた走った。
殆ど休みも取らずに邑へと着いた二人であったが、シゴウの邸についた所で膝から崩れ落ちた。

シゴウは悲憤に暮れるあまり、二人が到着する前夜に自刎したと二人は家宰から聞かされた。
ほんの少しの時の差であった。

翌日早くにセイ王の耳にも訃報が届いた。
「そうか…」
セイ王は決してシゴウの事を嫌っていたわけではない。寧ろ才を愛でてすらいただけにこの一件はセイ王の心に暗い影を落とした。
彼も老齢である。この時を境に精彩を失うこととなった。


この戦いを境に天下の趨勢はタイ国へと移ることになる。
その顛末をシインはしばらく後に遠い南の地で伝え聞いた。
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登場人物紹介

シイン。姓はキ、諱はシュウ。

レツ公リョウの公孫にあたる。

幼くして国を失う。

シキョウ。姓はキ、諱はキュウ。

レツ公の子、シインの父。


ランキ。姓はラン、諱はキ。

シキョウの家宰。ランソクの父。

シンユウ。姓はシン。字はユウ。ジ国の臣、シン氏の女。シキョウの婦であり、シインの実母。

ランソク。姓はラン。諱はソク。ランキの子。

テキ。のちにチョウ姓を名乗る。幼い頃からシインにつき従う。

シン。テキの弟。チョウテキと同じくチョウ姓を名乗る。

シインに従う。

ガン。後ウ姓を名乗る。テキとシンの友人。彼ら同様シインに従う。

ヒセキ。姓はヒ。字はセキ。諱はソウ。

ジ国の人。シインとは不倶戴天の存在。

キキョウ。

南方の遊牧民族キ族の族長の長子。

シインの義兄。

キトツ。

遊牧民族キ族の族長の子。キキョウの弟。

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