張り巡らされる謀略

文字数 8,397文字

リクゴがタイ国を訪れた時とほぼ同じくして、バン国のセイ王はキュウ国へ向かうべく船へと乗り込んでいた。
バン国からキュウ国へ行くにもやはり水路を使うのがよい。以前ユウ国へと進攻を企てた時と同じような道筋をバン軍は辿った。
ユウ国へ向かう時の顔は晴れやかであったセイ王であるが、この時の表情は違っていた。彼は眉間にシワを寄せながら虚空を薄く睨んでいた。
嘗て共にユウ国へと渡った令尹(れいいん)(宰相)のシホウは既に傍らには居ない。老いを理由に職をシゴウに譲っていた。このシゴウとは、先のキュウ国との争いの際に当時のキュウ国君主であったジョウ公を会盟の最中に拉致をして散々に暴れまわったあの男である。彼は大胆な行動を平然とやってのける胆力もある一方で、令尹としてこれまで抜かりなく国政もこなしてきた。
それでもセイ王は彼を手放しで褒めることは出来ないでいた。何故ならシゴウは有能であると同時に短気であったのだ。
十分過ぎる程に長くバン王の座に君臨してきたセイ王は、今や柔剛併せ持つ思考で国家経営を行う術を自得していた。嘗ての覇者、ユウ国のカン公に苦汁を飲まされるまではそれこそシゴウと変わらぬ激しさで他国を圧倒していた彼であるが、カン公に敗れたことがこの王を更に成長させ、今やバン国はユウ国を凌ぐ程に強大化する結果となったのは皮肉なものである。それ以降のセイ王の外交戦略は機略縦横、今やジ国に近いコ国やその隣のゴ国、チュウ国にまで深く影響力を及ぼしている。かなり広い範囲がバン国の影響下に入っていると思ってよい。
そんなセイ王からすると、シゴウはまだまだ若かった。
(今ひとつ駆け引きというものを知らぬ。)
というのがセイ王の思うところであるが、これはある種の同族嫌悪であるのかも知れない。シゴウの言動は、セイ王に負けを知らない嘗ての自分を目の当たりにしている気分にさせていた。

今回の出師(すいし)もシゴウの献言から出たものである。
「キュウ国は我が国と盟を誓ったにも関わらず、容易くそれを反故(ほご)にするは礼に反するものであり、また我が国を軽んずる行為であります。」
こう高言するシゴウはさらに膝を詰めてセイ王に進言する。
「この背反を看過なされては天下に示しのつくものではなく、ひいては他の盟下にある諸侯の中にも妄動を働く者を生み出す遠因になりましょう。速やかに諸国に号令をかけ兵を発し、キュウ公の非を(ただ)されますよう。」
いつの間に集めたのか、賛同する臣達も多く従えて声を一つにセイ王に迫った。
この時もセイ王は顔を(しか)めた。なるほどシゴウの言う事も(もっと)もだが、見るべき国はキュウ国だけであってはならない。タイ国、ユウ国、サン国などの大諸侯らがどう出るのか、そこを見極めなければならないのである。

どんどんと勢力を拡大していくバン国は同時に彼ら諸大国に近接していくこととなった。それは彼らへ攻め易くなる一方で、攻められ易くなるということにもなる。
もし仮にサン国がキュウ国に肩入れするのであれば、かの国はバン国の東辺から侵攻してくるであろう。サン国の位置はジ王朝の中でも最も東にある。そうなると遥か西のキュウ国に兵を送ってしまっては到底救援には間に合わない。またサン国とタイ国は友好関係にあることもセイ王は知っている。タイ国のブン公を援助していたのが、サン国現君主であるボク公である。ボク公はブン公に自分の女を嫁がせてもいる。
そうなるとこの二国の動静はほぼ同じと見るべきであろう。
残りの大国、ユウ国は現君主のショウ公の代になっている。以前キュウ国の先代ジョウ公の援助で君主の座についたコウ公はすでに亡く、従って今のキュウ国とも深い結びつきはないが、その去就はどう転ぶかは不明である。
これだけの不確定要素を置き去りにしたままで迂闊に動くことの不利をシゴウはどこまで分かっているのであろうか。セイ王の懸念はそこにあった。

「タイ国が動いてきたとすれば何とする。」
今回の出師を前にセイ王は勿論この問題をシゴウに問うていた。
それに対し、シゴウは傲然と答えた。
「無論堂々と正面から相対し、無礼極まりないタイ侯の首を門前に掛ける所存。」
後ろに控える他の臣の顔も同じことを言いたげである。セイ王は再び苦い顔をした。
(それでは答えになっておらぬ。)

因みにシゴウがブン公を痛罵するのには理由がある。
実はブン公は放浪の折にこのバン国にも身を寄せていた事があったのだ。
冷遇した多くの諸侯とは違い、セイ王はブン公に何か感じ取るものがあったらしい。「英雄は英雄を知る」とセイ王ならばそう言ったかもしれないが、とにかく彼はブン公を丁重に待遇した。
ある時セイ王はブン公を酒宴に招いた。
盛大に行われたこの宴の中で、セイ王はブン公に問いかけた。
「もしもあなたが無事帰国を果たし君主の座につくことが出来たら、その時あなたは私に何をしてくれるであろうか。」
これには幾分かの戯れが含まれたものであった。何しろ酒の入った宴の中のことである。それを受けたブン公は少し考えた末にこう応えた。
「王と戦場で(まみ)えることとなりましたら、我が兵を三舎引かせましょう。」
三舎とは凡そ九十里である。一舎はこの時代の兵が一日に進むことの出来る距離とされており、それがだいたい三十里(凡そ百二十キロ)であった。
セイ王はブン公の顔を一瞬深視して、そして呵々と大笑した。
「そうか、三舎も引いてくださるか。」
しかし、そのやり取りを少し離れたところで注視していた者がいた。シゴウである。
(ただ退くだけで戈矛(かぼう)は向けるというのか。)
彼はすぐさま怒りをその目に表したが、流石に酒宴を打ち壊すようなことはしなかった。
だが、酒宴が終わるや彼はセイ王の元へ直行した。
「国にも帰れぬ放浪侯子の分際であの様な物言い、とても我慢がなりませぬ。是非とも私に剣を賜り下さいませ。」
その足で斬って参ると言わんばかりにシゴウはセイ王に訴えた。
しかし、セイ王はそれを拒否した。
「侯子は必ずやタイの君主となろう。それは天が定めたることで、それを止めることは誰にも出来ぬものである。」
結果はセイ王の言う通りになったわけだが、無論そのようなことではシゴウの怒気を抑えられるものではなかった。
シゴウは未だにその怨みを抱えていたのである。
ともあれこの怒れるシゴウを筆頭とした主戦論者の声に負けるようにして、セイ王は出師の途に就いているのである。


バン軍は速やかに国内を通過すると、更に河水を使って南下をし、キュウ国へと侵入した。
そのバン国に従った国は、エン、トウ、コ、サイの四国である。
セイ王はこの五国でもってキュウ国の首都初丘(しょきゅう)を囲った。
時期は冬である。
包囲をされたキュウ国のセイ公はここに至りタイ国に救援要請の使者を派遣した。

使者の口上を聞いたブン公は直ぐさま主だった臣を集め軍議を開いた。
「今こそキュウの旧主の御恩に報いる時。すぐさま兵をおこし、バンとそれに従う諸侯共を打ちはらしてやりましょうぞ。」
鼻息も荒く主張するのはヨウタンである。彼からしたら、待ちに待ちかねた好機である。
「待たれよ。バン兵は百戦錬磨の強兵である。長行して戦うには如何な我が兵でも万全必勝を機することは出来ぬ。」
まずそう制止したのは家臣筆頭と言えるタイエンである。
「我が軍がキュウへ向かうにはゴを横断せねばならぬ。しかし彼の国はバンと盟を結んでおる。すんなりと通れるものではない。」

ゴという国はジ王朝初代のブン王の子が始祖の由緒ある国柄である。しかしながら歴代君主は大した力を発揮せぬままここまできた。ユウ国のカン公の頃には一度戎夷(じゅうい)に攻められ国家存亡の危機にまで瀕したこともある。カン公の尽力でなんとか命脈は保ったものの、その後も奮わないままであった。
ブン公は放浪時この国にも立ち寄っているが、やはり冷遇されている。故にブン公の印象も悪い。

「なれば如何なさる。」
気勢を削がれたヨウタンは憤慨した。
舌鋒を向けられたタイエンは少しも姿勢を変えずに切り出した。
「要となるはバンと対峙することにあらず。キュウの囲いを解くことである。」
「バンと戦わずにそれが可能であると。」
同席していたショウショウがやんわりと割って入った。ショウショウへ顔を向けたタイエンは黙って頷いた。
「我が軍がキュウへ行くにはゴ、チュウを通るが常である。しかし、彼らはバンと結んでおることは皆ご承知のとおりである。」
「我らはそれを逆手に取り、まずチュウを攻める。そうなればバンは盟下の諸侯を救わねばならぬ故、キュウの囲いを解いてこちらに兵を向けることになろう。」
ほう、と一同から溜息が洩れた。
「本来であればバンの大邑(首都)(へい)を攻めるが得策であるが、北の果てゆえ攻めにくい。」
ベンキツが腕組をして唸る。
「成る程、バンは盟を結んでおる国を捨て置くことは出来ぬか。」
「ならばチュウではなくゴを攻めればよいのではないか。」
ベンタンが疑問を呈した。この男はベンキツ同様ベン氏の一族である。彼もまたタイ国内で一大勢力を有している。
「ゴは近頃バンと結んだところで、民心は必ずしもバンに靡いている訳では無いようだ。攻める前に揺さぶりを掛けるところから始めるがよいであろう。」
タイエンの言いたいことを代わりにサンセンが継いだ。
「我らはまずチュウを討伐すべくゴに持ち掛ける。その反応を見てゴを攻めるかは決まるであろう。ただしバン軍が来る前に速やかにチュウを攻め落とすことが必須となることをお忘れにならぬよう。いたずらにバンと戦いをせず、翻弄させることが目的である。」
ブン公の近くで侍ってきたタイエンは、ブン公がセイ王と戦うことを内心嫌っているのを察している。辛い放浪の中で下にも置かぬ待遇をされたことはやはり敵愾心(てきがいしん)を萎えさせる。しかし国を大きくしようとすれば、かの国と必ず衝突せざるを得ないことも十分承知している。そのブン公の心痛をタイエンは推し量り、なるべく正面から衝突することのないような策を練り上げた。彼の中ではバン国と戦うことなくキュウ国の包囲を解くことが最も望ましい決着である。タイエンと同調するサンセンもまた同様の考えであった。
それに対してヨウタンは煮えきらぬ表情をしていた。
彼は以前セツ国のリクゴに吐露したように、ここでバン国の勢いを挫いておかねば必ず後の災いを招くと固く信じている。いたずらに兵を動かすことの不利益を知らぬ訳ではない彼にとって、この件は千載一遇の好機なのである。
「タイエンの献策は我が意を汲んでいる。キュウを救うため、まずはチュウを攻める。時をおいてはならぬ、直ぐに支度にかかれ。」
ブン公のこの一言で方針は決した。
ここにおいてタイ国は三軍を編成した。各軍の内容は以下の様である。
上軍 将 タイショウ
   佐(副将) タイエン
中軍 将 ベンキツ
   佐 ベンタン
下軍 将 ショウショウ
   佐 ヨウタン
以前述べたように、中軍が所謂総大将のいる軍となる。それをベンキツが務めているのはやはり現状で最も兵力をもっているのがベン氏であることの証左である。因みに上軍の将タイショウはタイエンの弟であり、タイエンは弟に将の座を譲っている。用兵の才は己よりも弟のが高いとタイエンは冷静にそう見ている。

ブン公は宗廟にて戦勝を祈願すると、速やかにこの軍を率いて西進した。
西進した、と言っても、タイ国の大邑高夅(こうこう)の西には山脈が連なるので、以前リクゴらが辿った道筋と同じく太河を下っての行軍となった。
この太河をひたすらに下っていくとゴ国が見えてくる。おおまかに言えば太河を挟んで東側がタイ国、西側がゴ国となる。
そのゴ国の大邑明吟(めいぎん)は太河に程近いところにある。この邑を通って北進するとチュウ国があり、さらにチュウ国を抜けていけばキュウ国へとたどり着く。
タイ軍は予ての計画通り、ゴ国の動静を伺うべく使者を派遣した。

「宗主(ジ国)に弓引く朝敵バンが今盟下にあるキュウを掠取せんと国を侵してきている。我が君タイ侯(ブン公)は天子(ジ王)に代わりこれを征伐せんとするものである。願わくは道を借り、戮力協心し、まずはバンに靡いたチュウを打倒せん。」
ゴ国の君主セイ公を前にタイ国の使者はこう告げた。
これを聞いたセイ公はしばしの沈黙の後、表情を変えずに、
「否」
と答えた。
使者を帰した後にセイ公は左右の臣に、
「今のタイ侯といえばタイの分家の末の者ではないか。我が先君が折りにはこの国にも放浪して寝食を乞うたという。大層みすぼらしかったと専らの噂であったわ。そのような者が何を偉そうに言うものか。そもそも我がバンと盟を結んでおるを知らぬのか。」
と鼻白んだ。
彼としてはバン国との盟を重んじての言動であったが、それに対して臣下の者達の思惑は一つではない。その中でもゲンケンという大夫はゴ国の現状に危機感を感じていた。彼を初め多くの臣はバン国との盟約には否定的であった。それを押し切って進めたのは他でもないセイ公である。隣国のほとんどの国がバン国の傘下に入るのをみて我も遅れじ、と言わば日和見での行動であった。
ゲンケンはタイ国の近年の急進に予てより注目していた。彼もまたブン公がゴ国に身を寄せてきた際にブン公を見ている。ゲンケンの目にはブン公は身を(やつ)していたものの、決して凡愚ではない御人、と映った。
そしてゲンケンもまたバン国を異国の徒という目で見ていたので、心情的にもバン国と盟を結ぶのを快く思っていない。ゴ国もまたジ王朝の中では由緒ある国なのである。今国内は親バン、親タイ、中立という派閥が出来上がっていた。ゲンケンは親タイ派である。
しかしタイ国に近づこうにも、肝心のゴ侯が親バン派であり、既にタイ国の使者は帰してしまっている。
(何とかならないものか。)
ゲンケンは他の賛同者と膝を詰めて語り合った。

一方のタイ軍はゴ国の返答を受けて次の行動を謀っていた。
「やはりゴは拒否をしてきましたな。」
さもあらん、という顔で上軍の将タイショウが切り出した。
「ゴ侯からすれば当然であろう、がゴ国としてはそうでもないようだ。」
含みのある言い方をするブン公にヨウタンが向き直って問うた。
「そう仰られるは、何か動きがあったということでしょうか。」
「うむ、今日の朝早くにゲンケンという大夫からの密使がタイエンの元へ来たのだ。」
ブン公がそう答えると、一同はタイエンの顔を見た。
「ゲンケン殿の密使が申すに、やはりゴ侯の臣下達で意見が分かれておるそうだ。ゲンケン殿は我らと誼を結びたいと申しておる。」
ふむ、と座の中で一息が漏れた。タイエンは続けて言う。
「ゴ国のこの不安定な体制をもう少し揺するべきと存ずる。その為にまずは迂回をしてチュウを攻める。」
一同は黙って頷く。
「然る後に再びゴに使者を送る。内容は兵を借りたい、というところで良いであろう。それも聞き入れないのであればここでゴの邑を一つ攻める。」
「念入りですな。」
ショウショウが唸った。
「出来ればゴまで相手にはしたくない。」
タイエンはそう答えた。
長征を行う以上はなるべく兵の損耗は少ないに越したことはない。ゴ、チュウ国は弱小と言えども、正面からぶつかればタイ軍も無傷では済まない。彼らと戦い消耗した後にバンと戦うことになるのはやはり危険である。チュウ国に小細工は通じぬと見ていたので、チュウ国には強硬に、ゴ国にはその示威行動を見せて揺するだけ揺すろうというのが狙い、という訳である。

ブン公はタイエンの献策を容れ、一路チュウ国を目指した。ゴ国を通らずにチュウ国へ入るには来た道を戻らなければならない。永河を遡って渡河をし、そこからゴ国に最も近い邑(きゅう)へ侵攻した。
小邑である邱に抗う力はなく、タイ軍はあっさりと攻め落とした。この邱を一時拠点とし、ブン公は改めてゴ侯へと使者を送った。

「なに、兵を借りたいとな。」
タイ国の使者の口上を聞いたセイ公は片眉を釣り上げた。何故今の状況で兵を借りることが出来ると思っているのか。
このときのセイ公の回答は勿論否であった。
しかし臣下の者達の動揺はより増してきている。
ゴ国もタイ国も同じキ姓をもつ言わば同族である。チュウ国もまた同様であるがゆえに、まさか国を滅ぼすことまではしないと多寡(たか)を括っていた。
しかしタイ国は迷いなくチュウ国の領有する邑を奪ってきた。この容赦ない行動にゴ国とチュウ国の民は戦慄した。

「タイに従わなければこちらもどうなるか判らぬぞ。」
ゲンケンを中心としたタイ国派の者達が密やかに噂を流していた。
その流言に日和見を決め込んでいたゴ国の臣達は慌てた。実際にゲンケンの下へ来たタイ国の密使は、次は四豕(しし)を攻めると明言している。その話を直接口に出さずとも、そうと知った者が話す噂には真実味が増すものである。
ゴ国内で俄にタイ国派が増えた。

そんな中でタイ国はいよいよゴ国へ侵攻し、ゲンケンへの宣言通り四豕を奪取した。
この四豕はブン公にとっては曰くつきの地である。何故ならこの地はブン公がゴ国放浪の際に困窮し、民に食を乞うたが断られ、挙げ句器に土を盛られたその場所であったのだ。
その時咄嗟にタイエンが、
「土を与えられたということは、天からこの地を頂いたということである。」
そう機転を利かせてブン公を宥めたのであるが、時を経て果たしてその通りになった。
というよりは、ブン公が勿論この地の因縁を覚えていて、意趣返しに奪ったというのが真実であった。
しかし、この一件もゴ国の者からすれば恐るべき出来事であった。
まだまだ人智を超えたものの存在が強く信じられていた時代である。先のタイエンとブン公のやり取りを聞いたゴ国の民は、本当に天がブン公にゴ国を与えたのだと思い込んだ。
ここに至りゴ国の臣下の多くがタイ国派となった。
「今一度君を説得しタイ国へ恭順せねばならん。」
それが通らぬ場合は、とゲンケンは暗く眼を光らせた。

このタイ国の侵攻に対してバン国は手を拱いていた訳ではない。
キュウ国の大邑初丘の囲みを一部解いて、ゴ国へと兵を向けようとしていた。同時にゴ国とユウ国の間にあるタン国が(ばく)邑に居る別のバン軍と共にゴ国の救援に向かっていた。麦邑はもとはユウ国の邑であったが、今回の諍いより前にバン国が奪い取っていたところである。
しかしこの連合軍は迎え撃ったタイ軍にいとも容易く撃破された。この強さに驚いたタン国君主のキ公は、援軍の将を殺し、タイ国に対しては、
「此度の出師は我が国の将が独断で行ったことであります。既にその将は誅殺しておりますので何卒お気を害されますことの無きよう。」
と言い訳をし、バン国には、
「ゴ国の救援に差し向けた将は(まも)りに失敗をしましたのでその責をとり誅殺致しました。」
と弁明した。
何とも苦しい言ではあるが、大国に圧倒されている多数の諸侯は、この様にどちらに付くかで苦しい決断を何度も迫られているのが現状であった。

援軍を撥ねつけゴ国に腰を据えたタイ国は、ここでユウ国の君主ショウ公と会盟を行った。場所はゴ国の邑(れん)である。この邑はユウ国に近い。
この会盟でタイ国はユウ国に対して害意の無いことを伝え、また共通の敵がバン国であることを再確認した。しかし、ユウ国から兵を出すというところまでは確約させることは出来なかった。

「かの国もカン公の代の様な強さは残念ながらありません。過去の蓄えを費やしているようなものです。真正面からひとりバン国と当たるような行動はしないでしょう。」
ヨウタンはそう分析しブン公に上奏した。
しかし、この会盟にはもう一つの狙いがあった。
その狙いは的確で、ゴ国のセイ公が会盟のことを知り狼狽した。
「ユウ国まで敵に回すことはしたくない。」
ここに来て掌を返したセイ公は、この会盟に参加したいと申し出た。
しかしここまできてタイ国が首を縦に振ろうはずもない。言下に断られてしまった。
ならば、と改めてバン国に接触を図ろうとしたセイ公だが、今度は臣下の者達の猛反対を受けた。
結局セイ公は親タイ派の臣下達に糾弾され、追放されてしまった。彼はもといた明吟に近い邑に逃げ込んだ。セイ公を逐斥(ちくせき)した臣下達は彼の弟にあたるシュクブを君主にあげようとしたが、シュクブはセイ公を憚り決してその座に就こうとはしなかった。
こうしてゴ国は不安定な体制のまま宙釣りにされた様な格好となった。場合によってはセイ公を(しい)すつもりであったゲンケンだが、彼はその汚名を着ることなく仮の君主としてシュクブに仕えた。
実質的にゴ国を降したタイ軍は、間をおかずにチュウへの再侵攻を試みた。目指すは大邑の初陵(しょりょう)である。
タイ軍はゴ国への侵攻では殆ど兵を失うことがなかった。ここまでは狙い通りと言える。

いよいよタイ国、バン国の二大国が接近することとなり、この地を中心として緊張感が漂ってきた。
タイ国はこれからどう動くのか、この地の民は底知れぬ恐怖を感じていた。
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登場人物紹介

シイン。姓はキ、諱はシュウ。

レツ公リョウの公孫にあたる。

幼くして国を失う。

シキョウ。姓はキ、諱はキュウ。

レツ公の子、シインの父。


ランキ。姓はラン、諱はキ。

シキョウの家宰。ランソクの父。

シンユウ。姓はシン。字はユウ。ジ国の臣、シン氏の女。シキョウの婦であり、シインの実母。

ランソク。姓はラン。諱はソク。ランキの子。

テキ。のちにチョウ姓を名乗る。幼い頃からシインにつき従う。

シン。テキの弟。チョウテキと同じくチョウ姓を名乗る。

シインに従う。

ガン。後ウ姓を名乗る。テキとシンの友人。彼ら同様シインに従う。

ヒセキ。姓はヒ。字はセキ。諱はソウ。

ジ国の人。シインとは不倶戴天の存在。

キキョウ。

南方の遊牧民族キ族の族長の長子。

シインの義兄。

キトツ。

遊牧民族キ族の族長の子。キキョウの弟。

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