第29話 結婚すれば?

文字数 3,761文字

 美瑠は、俺に抱きついてひとしきり泣いた後、落ち着きを取り戻した。
 俺はそんな美瑠に、

「泊まっていって構わない」

 と言った。
 それが何を意味するのか、彼女も分かっているはずだった。
 とりあえず、コーヒーでも飲もうか、と言ったものの……俺の家には、インスタントコーヒーすらなく……仕方ないので、缶コーヒーをグラスに入れて出した。

 それを見て、美瑠は笑った。

「あのときと、一緒だね……」

「そうか? ……よく覚えてるな」

「あははっ、たしかにあのとき、ツッチーかなりキョドってたよね……今は落ち着いてるみたいだけど」

「そうでもないけどな……」

 実際のところは、俺に余裕なんてなかったが……あのときみたいに、ほとんど何も覚えていないってことはないだろう。
 俺たちは並んで座り、肩をくっつけた。

「やっぱり、美玖の影響かな……ツッチー、あの子には『大人の対応』しているからね」

「そう見えるか?」

「うん……見栄張ってるだけかもしれないけど、でも、頼りがいが出てきてる感じがする」

「じゃあ……俺も成長できてるってことかな」

「うん。そこそこだけど」

「ははっ……うん、まあ、それでもいいよ」

 そして俺たちは見つめ合い……気がつくと、抱きしめ合い、唇を重ねていた。
 そのままベッドに移動し、彼女の体に、着ている白いTシャツの上から触れる。
 その中に手を滑り込ませたところで、

「電気を消して……」

 と懇願され、俺はその願いに応じた。

 ――いつしか、俺と美瑠は生まれたままの姿で抱き合っていた。
 何度も抱きしめ、キスを続ける。
 彼女も覚悟を決め、そしてその行為に及ぼうとしている……。

 ずっと憧れ、好きだった美瑠。
 一度だけ思いを遂げ、それ以降距離ができてしまい……そして今、またこうして裸で抱き合っている。

 そして今度こそ、恋人同士になれる……その期待に俺は興奮し、少し強引に彼女に覆い被さる……つもりだった。

 けれど……頭では、今、どうしようもないぐらい好きでたまらなかった美瑠の裸を見て、触れて、抱きしめ合っているというのに……自身の体が、どうしても反応しなかった。

 時々、チラリと頭をよぎる。
 彼女の実の妹……美玖の、天真爛漫なあの笑顔が、真剣なまなざしが、そして俺に片思いしているという、あの言葉が。

 それらは次第に俺の意識の中で大きくなっていき……気がつくと、俺は美瑠から体を離していた。

「……ごめん……」

 俺は一言、謝った。
 それだけで、美瑠はすべてを悟ったように、

「……美玖に……負けちゃったか……」

 と、残念そうにつぶやいた。

「ん……まあ、しょうがない……約束通り、美玖の応援、してあげることにするよ」

「……約束?」

「うん、そう。ツッチーを取り合って、負けた方は、勝った方を全力で応援するって取り決め、してたの。こんなにあっけなく負けるとは思わなかった……けどね……」

 最後の方は、涙声になっていた。
 美瑠は気丈に振る舞っているが、俺は彼女のこと、相当傷つけてしまったと思う。

「美瑠、俺は――」

「ストップ! 今、何言って慰められても、私の傷が深くなるだけだから……大丈夫、今まで通り、親友として仲良くしてくれれば、私は平気だから。それより、美玖のことまで傷つけたら、私、怒るからね!」

「……わかった」

 俺はそう言うだけで精一杯だった。
 しかしそれでも、隣で涙を流す全裸の美女が、吹っ切れたような笑顔を見せてくれたことに、少しだけ救われた気がした。
 
 二日後の日曜日。
 この日は、美玖がイラストのアルバイトとして来てくれる日だった。

 約束通り、午前九時に玄関のチャイムが鳴り、彼女を迎え入れる。
 少しだけ、態度がよそよそしいように見えた。
 そして一通り、美玖が家で描いてきたというラフ画を受け取ったあと、彼女は、

「あの……本当に良かったんですか? 絶対、姉さんの方がお似合いだと思っていましたけど……」

「えーと……美瑠からなんて聞いたか分からないけど、俺と美瑠の関係が、何か大きく変わったってことじゃないよ」

「えっ、そうなんですか? やっぱり、姉さんの勘違いですね。被害妄想というか……でも、それなら良かったかも、です」

 美玖は笑顔を取り戻した。
 そう、俺は別に、美瑠を振ったわけではない。
 ただ、彼女がそう勘違いしただけだ……だが、実は勘違いではない、のだろう。

 美玖と二人だけになり、改めて感じる……俺はこの女子高生天女に、本気で恋をしてしまっているんだ、と……。

 そしてしばらく作業を続けていると、またも玄関のチャイムが鳴った。
 出て行ってみると、そこには、満面の笑みを浮かべた美瑠が、紙袋を持って立っていた。

「ヤッホー、ツッチー。えらい、ちゃんと服着てるね……美玖とそういう関係になってないか、期待……ううん、心配したけど」

「ば、馬鹿なこと言うな。そんなこと有るわけないだろ……で、どうしたんだ?」

「えっ、いつも通り、差し入れ持ってきたよ。あと、美玖との関係の状況確認」

「なんだよ、知ってるだろ、俺は美玖に変な真似したりしないって」

「そこなんだけど……ちょっと、入っていい?」

「ああ、もちろん」

 疑われるのも嫌なので、俺は美瑠を招き入れた。
 美玖も、笑顔で彼女を迎えた。
 彼女は、お菓子がたくさん入っていると思われる紙袋を置いて、そして座卓の前に座った。

「えっと、それでね。私、調べたの。どうして、社会人と女子高生がエッチな関係になったらいけないのか、って」

 いきなりそう切り込んできた美瑠に、俺と美玖は顔を見合わせて唖然とする。

「高校生同士とかだったら、逮捕されたりしないのにね……どうも、そういう関係の場合、『女子高生が騙されている確率が圧倒的に高い』から、なんだって」

「そ、そうなのか? って、別に俺、そんな情報要らないけどな」

「まあ、ちょっと聞いて。だから、そういう関係になったとしても、本当に愛し合ってそうなったことを証明できればいいんだって。でも、本人達の証言だけだったら、女子高生側は騙されてるって認識なくて、証明にならないんだって」

 それを聞いた美玖が、

「そんな……土屋さんは、そんな騙したりする人じゃないですよ。そんなことする人でもないですし」

「ほら、そうやって信じる時点で騙される。男はみんな、オオカミなんだから」

 これについては、反論の余地がない。
 事実、美瑠に対して、一昨日はともかく、一年前に手を出してしまっているのだから。

「でもさ、実の姉で社会人でもある私が、『二人は真剣に交際していたから全く問題ないです』って言えば、それって証明になると思わない?」 

 美瑠の一方的な攻勢に、俺と美玖は押されっぱなしだ。

「だから、安心してそういう関係になってね……じゃあ、用は済んだから、私はもう退散しようかな……」

 それだけ言い残して、美瑠は帰ろうとした。

「ちょ、ちょっと待て……その理論は間違っている!」

「えっ……どうして?」

「そもそも、そういう関係にはならないし、それに美瑠がそう言ったとしても、例えば二人のお母さんが、『被害に遭いました』って証言したらひっくり返るだろう?」

 ちょっと矛盾した言葉だったが、美瑠は素直に受け取った。

「そうかなあ、母さんはツッチーのこと気に入っているから、そんなこと言わないと思うけど……」

 美瑠はそう言って、悩むそぶりを見せる。

「……美玖、いっそツッチーと結婚すれば?」

「「……結婚っ!?」」

 俺と美玖は、揃って声を上げた。

「そう。そうしたら美玖は配偶者控除の対象になるし、ツッチーの会社の年収とラノベの収入があったら、諦めていた大学、行けるんじゃない?」

 美瑠のその発想に、俺と美玖は再び顔を見合わせる。

「イラストも、ツッチーが美玖にアルバイト代払う、なんていうまどろっこしいことしなくても二人の共同作業ってことでいいし。もちろん、エッチしたって誰からも咎められないよ」

「そんな……」

 美玖が真っ赤になって、何か反論しようとして、俺の方を見て口ごもる……なんか、可愛い。
 まあ、そういう俺も顔が熱くなっていたのだが……。

「大体、二人して星空の下で誓い合ったんでしょう? 美玖はツッチーのこと支え続ける、ツッチーは美玖のこと守り続けるって。それってプロポーズも同然じゃない。まあ、結婚には保護者の承諾が必要だけど……任せて、私が母さんを説得するから……ということで、邪魔者は消えるから、後は二人で相談して決めてね!」

 美瑠は、マシンガンのようにそう言葉を続けると、本当にそそくさと帰って行ってしまった。
 後に残された俺たちは、しばらく呆然としていたが、

「えっと……仕事に戻ろうか」

「あ、はい、そうですね……」

 と、若干の気まずさを感じながらも、作業を始めたのだった。
 そして美瑠の言葉を思い出し、一つだけ、大いに同意する言葉があった。

「結婚すれば、諦めていた大学に行ける」

 と……。

 まあ、しかしまだ美玖は高校二年生、進学はもうちょっと先の話だ。
 それまでは、今の関係のままで一緒にいられれば、それだけで十分楽しいし、幸せだ――。

 真剣にモニタに向かって作業する超絶美少女、俺のことを神と思い込んでいる、ちょっと間の抜けたJK天女の横顔を見ながら、俺はそう考えたのだった。
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