第17話 膝枕 (前編)

文字数 2,175文字

 次の土曜日。
 この日も、約束の時間である朝9時ちょうどに、美玖は俺のアパートにやってきた。
 筆記体で何か英語の文字が黒く書かれている白いTシャツと、ベージュのチノパン。
 大きなリュックも背負っていた。

「おはようございます、土屋さん、今日もよろしくお願いしますね!」

 元気よく挨拶してくれる十六歳の美少女。思わず笑顔になる。
 凄く嬉しいんだけど、この光景を知らない人が見たら、なにか誤解されてしまうような気がする。
 まあ、この建物の2階の部屋は、建物内の階段を上がった先にある特殊な造りなので、外から見られる心配はないのだけれども。

 季節は真夏、外は暑かっただろうと、早速部屋の中に招き入れる。

「わあ、涼しいですね……えっと、今日、姉さんは来てないみたいですね」

「ああ……特に連絡もないけど。みるるの場合、お金を払っていない『お手伝い』だから、そのあたりは気にしなくてもいいんだけどね」

「そうですね……じゃあ、早速、仕事を始めますね」

「もう? って、君は真面目だから、そうしないと気が済まないんだよね」

「はい、がんばります!」

 ニコッと笑顔を浮かべる美玖……うん、天女だ。
 と、そのとき、ピンポーンと呼び鈴が鳴った。
 美玖と二人、顔を見合わせる。
 急いで玄関に出てみると……案の定、美瑠だった。

「ごめーん、ツッチー。ちょっと遅くなっちゃった……もう美玖、仕事始めてる?」

「ああ……いや、みるるは別に遅くなってもいいんだぞ」

「うわあ、傷ついた。どうせ私は邪魔者ですよ!」

「い、いや……ごめん、そういう意味で言ったんじゃなくて、その……」

「あははっ、分かってるよ。お金払ってないからってことでしょ? でも、そういうの抜きにしても、約束の時間に遅れちゃったから」

「いや、別に約束してないぞ」

「うわっ、また傷ついた!」

「い、いや、だから……」

 そんなやりとりを後ろから見ていた美玖が、

「土屋さんと姉さん、仲いいですね」

 と微笑みながら声をかけてきた。

「ま、まあ、同じ会社だし、同期だからな」

「そう。そんな感じ。幸か不幸か、付き合ってるわけじゃないから安心してね」

 なぜか、俺だけでなく美瑠も少し焦ったようにそう応えた。

「私は『仲いいですね』って聞いただけだけど……それより仕事、はじめましょうか」

 一瞬、不思議そうな顔をした美玖だったが、特に深くは考えず、玄関から部屋に戻っていった。
 俺と美瑠は顔を見合わせて、苦笑いした……多分、同じことを思っただろう。
 美玖はちょっと天然だった、と……。

 それから約一時間、美玖はずっと集中して俺のデスクトップPCで作業している。
 そして俺はというと、リビングでテキストツール「ポミラ」を使ってシナリオを書いている。

 PCの操作に関して、美玖に教えることがなくなった美瑠は、自分のスマホに俺の書きかけのテキストデータを転送して、リビングの座椅子にもたれて試し読みしている……まあ、無料の「お手伝い」だから、こういうのもアリかな。

 その美瑠が、突然、

「……ねえ、ツッチー……天女様が、自分のために懸命に戦った主人公を膝枕して休ませてあげてるシーン……感動的なんだけど、なんか内容が薄くない?」

「……そうかな?」

「うん。だって、『彼女は、そんな俺に膝枕をしてくれた。それだけで俺の心は満たされた』って……もうちょっと詳しく書いた方がいいんじゃないかな……」

 そう言われたらそんな気もするが……。

「……ひょっとしてツッチー、女の子に膝枕されたこと、ない?」

 いたずらっぽく笑いながらそう問いかけてくる。

「……まあ、ないかな」

「あははっ、正直だね……私で良ければしてあげるけど……どうする?」

「……いや、遠慮しておく」

「大丈夫よ。変な意図はないから……あくまで、小説にリアリティを持たせるためだから」

 そう言われると、確かにそれは経験しておいた方がいいかもしれない。
 同い年の、美人の同僚……しかも、スタイルも抜群で、気心の知れた……元々は片思いの相手。
 そんな美瑠が、膝枕してくれる……。

 小説に活かすため、という大義名分もあるし、ここは彼女の言葉に甘えて、経験しておいた方がいいかもしれない。

「……そうだな……少しぐらいなら、そういう体験してみたい、かな……」

「あはっ、やっと素直になったね……絨毯じゃ足が痛いから、ベッドでしよっ!」

 美瑠はそう言って、一人でさっさと寝室の方に行ってしまった。
 そっちにはPCのラックがあって、美玖が作業しているのだが……。

 なんか、美瑠と美玖がキャッキャと話している……多分、いや、間違いなく、俺に膝枕することをネタにして盛り上がっているんだ……。

 俺が、ため息交じりに寝室の方に行くと、ベッドの上で、いわゆる「横座り」をしている美瑠の姿があった。

 ちなみに、彼女はアイスブルーのデニムに黒Tシャツというシンプルな格好だが……それでも、ベッドの上で横座りをされると、そのスタイルの良さと美形もあって、やけに色っぽく感じ、鼓動が高鳴る。

 さらにそれを、作業椅子に座った美玖が、興味深げに見ている。
 美瑠のその姿を、天女のイラストの題材として考えているのかもしれない。

「……ツッチー、どうしたの? 膝枕ぐらい、どうってことないから照れなくてもいいよ」

 ……いや、流石にこれは照れてしまう――。
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