優しさの反対は何?

文字数 3,552文字

正義の反対は悪ではなく、また別の正義だ。

三毛猫のミータンと黒猫のハイデガーは山の上の展望台に来ていた。ミータンが街を見下ろしながら、ハイデガーに言った。ハイデガーはキョトンとして答える。

「何それ?」
「この前テレビで言ってたんだ」
「君の家にテレビがあるの?」
「いや、僕の家じゃなくて近所のおばあさんの家のテレビさ」
「へえ、それで何の番組だったの?」
「覚えてないけど、でもその言葉だけは覚えてるよ。それでその時に疑問に思ったことがあるんだ」
「優しさの反対は何か?でしょ」
「さすが、良くわかったね」
「分かるよそれくらい」
「それでさ」
ミータンが改まって聞いた。
「優しさの反対って何なのかな?」
「そうだね。君は何だと思う?」
うーんとミータンが考え込む。それからミータンは言った。
「無関心?」
「そうだね。その答えが一般的かもしれない」
「ハイデガーは違うと思うの?」
「いや、僕もほとんど同じだよ。でももう少しだけ付け加えたいんだ」
「付け加える?」
「何にも関心のない人なんていないよね?生きている限り、人は何かに関心を持って生きていると思うんだ。ご飯とか、異性とか、お金とか、仕事とか。何かしらに関心を持って生活している。要は関心の対象が何かっていう話だと思う。だから無関心というのは違う。正確に言えば、自分のこと以外に関心が無い、ということだと思う」
「なるほどね」
「自分にしか関心がない。だから他者がどうかなんて気にしない。苦しんでいようが悲しんでいようが気にならない。それが気になるのは自分に影響を及ぼす場合だけ。例えば、セックスをさせてくれる彼女。自分の成果に関係する顧客。経済的に支援してくれるパトロン。自分の行動を肯定、称賛してくれる友達。そういう人に対しては関心を寄せる。それはその奥にある自分に対する影響に関心があるから。だから話を聞いたり慰めたり、関心があるのと同じような振る舞いができる。でも本当は関心が無い。その人が自分に対する影響力を失った段階で関係を切る。そんなことを続けていく」
「優しさの反対は他者への無関心」
ミータンがハイデガーの言葉を反芻する。
「でもどうして他者に対して無関心になるの?」
「価値という概念があるからだと思う」
「価値という概念?」
「大事なこと、大事じゃないことがあるでしょ?同じように大事な人と大事じゃない人がいる」
「それはどうしようもないことだね」
「関心には必ず限界がある。僕たちはうじゃうじゃいる蟻の一匹のことを気にしない。その一匹に関心を持つことをしない。そんなことはできない。そしてそれは蟻に限らない。犬も同じ。猫も同じ。人も同じ。うじゃうじゃいる。大量にいる。街を見下ろせば、どこにでも湧いている。その一匹一匹に関心を持つことなんてできない。普通はね。だから必然、自分にとって価値あるものに関心を持つ。逆に言えば価値を感じないものには無関心になる。それだけのことだね」
「関心の限界かぁ」
「一般的に人にとって一番大切なのは自分だよね。そして自分に関わりの深い人や物。これ以外に関心のリソースを割くのは難しいことだよ。難しいというか合理的じゃない。合理的に考えれば、自分の周囲だけに関心を持って生きるのが普通だと思う」
「でも関心のリソースを広く分け隔てなく割いている人もいるよね?みんなのことを気にかけてる人っているよね?」
「そういう人はみんなに優しい人と評されるよね。結局、関心のリソースを割く対象から人は優しいと評されるんだと思う。家族にリソースを割く人は家族から。友達にリソースを割く人は友達から。自分にしか関心がない人も自分に対して優しいと言えるよね」
ミータンが質問をする。
「関心を持つってどういうこと?」
ハイデガーは少し悩む。それから答えた。
「疑問を持つことじゃないかな?」
「疑問を持つこと?」
「あの人は今何をしてるのかな?とか、何をしようとしてるのかな?とか、好きなものは何かな?とか、嫌いなものは何かな?とかさ。そういう疑問を持つことじゃないかな?」
「なるほどね。じゃあ、どうしても自分以外に無関心になるの?」
「たぶん、最初は誰でも自分以外には関心を持ってないと思うよ。でも何かやり取りを経てだんだんと他者や周囲へ関心を持っていくと思うんだ。ロールプレイングゲームってのがあるんだけどね、主人公の視点で物語を体験していくゲーム。自分がキャラクターを操作してさ、色々な出来事を一緒に体験していくんだ。そうしたら、その主人公がどう感じてるかとか、どう考えてるかとか、何がしたいと思うかとか、そういうのが気になるようになる。そして主人公の周りにも関心を持つようになる。主人公の仲間とか敵とかね。色んなキャラクターのことがどんどん分かるようになっていくと、ゲームにどんどんのめり込むようになる。没入していくんだ。映画や漫画や小説も同じかな」
「でもそういうのは制作者が意図していることでしょ?そういう風に感じるようにしてるんでしょ?」
「そうだろうね。でも人が他者に関心を持つようになることの過程は同じだと思うよ。逆に言えば、そこを上手く誘導できないと見ている人を楽しませたり感動させたりできない」
「でも現実は違うでしょ?」
「そうだね。現実、つまり日常にはそんな風に物語を制御してくれる制作者がいない。言うなれば自分自身が制作者だよね」
「うん。現実ではどうやって他者や周囲へ関心を持つようになるの?」
「同じだよ。何かのやり取りや出来事を経て関心を持つようになる。もちろんゲームや映画みたいに華々しいことじゃない。分かりやすい出来事でもない。大抵はすぐ忘れちゃうようなくだらない出来事さ」
「じゃあもしかして、ゲームや映画よりも他者に関心を持つのが難しい?」
「そうだろうね。ゲームや映画なら制作者が描いた物語をそのまま表現できる。けど現実は違うでしょ。劇的なことはほとんど起こらない。まあ起こることもあるけどね。ゲームや映画みたいに確定では起こらない」
「じゃあさ、ゲームや映画や漫画や小説やアニメやドラマばかり見てると、どんどん現実で他者に関心を持つのが難しくなるのかな?」
「たぶん、そうだろうね」
「じゃあさ、他者へ関心が持てないと悩んでいる人はそういう創作物を見るのをやめないといけないのかな?」
「処方箋は2つあると思う。一つは君の言う通り創作物を見るのをやめることだ。創作物は情動の麻薬だ。ちょっと見るだけで情動が刺激される。その分、現実の出来事が軽く感じられてしまう。だから創作物は制限したほうがいいと思う」
「そうなのかな?2つ目は何?」
「制作者側になることさ」
「どういうこと?」
「何か物語を作る側になるってこと。小説でも漫画でもいいし、日記でも紙芝居でもいい。創作物を受け取る側じゃなくて、創作物を創作する側になるってこと」
「それで変わるの?」
「人は何も無いところから創作できないからね。自分の周りで起こったことを物語にするのが普通だと思う。そうすれば自分の周りで起こった出来事に注意を向けるようになるでしょ?誰々から悪口を言われたとか、親に叱られたとか、上手く料理ができたとか、そういう出来事を再認識するようになる」
「それが良いことなの?」
「他者や周囲へ関心を持つようになるためにはね」
「どうしてさ?」
「大事なことは気づくこと、認識することだ。そしてもう一つ大事なことは覚えていることだ。起こったことに気づくこと、そして覚えていること。制作者というのはこの両方にとって都合がいい。身の回りで起きたことを思い返す。そして記録したり別の形で表現したりする。認識と記憶の両方に作用するとても良いことだ」
「日記を書けばいいの?」
「日記じゃなくてもいいよ。どちらかというと加工した方がいい。漫画や詩や小説にしてさ、日常の小さい出来事を何倍もすごい出来事みたいに表現するんだ」
「なるほどね。面白そうだね」
「でもさ、一つ分かって欲しいことがあるんだけどね」
「なに?どうしたの?」
「他者や周囲へ関心を持つようになることが、必ずしも幸せには繋がらないってこと」
「え?」
「無関心も悪いことばかりじゃないよ。関心を持たない方が良いこともたくさんある。関心を持ってしまって辛い思いをすることもあると思う。無関心が守っている部分もたくさんあると思うんだ」
「そうなのかな?」
「僕はそう思う」
「じゃあ結局、関心を持つことと無関心でいることのどっちがいいのかな?」
ハイデガーは少しの間、黙った。そして答えた。
「みんなそれぞれ悩んでるんじゃないかな?自分がどうあるべきか、どうありたいのかってさ。自分に問いか続けているんじゃないかな?」

ハイデガーとミータンは夕日に照らされた街を眺め続けた。

終わり


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