自分のためだけに生きていく

文字数 1,771文字

ねえハイデガー

商店街の雑踏の中、八百屋の片隅でミータンとハイデガーは並んで座っていた。
三毛猫のミータンが尋ねる。
「自分のためだけに生きていくのが一番良いのかな?」
「どうしてそう思うの?」
「だってそれが一番効率的でしょ?100のご飯を二人で分け合ったら50になっちゃうよ。一人なら100のままだよ」
ハイデガーは少し間をおいてから答えた。
「昔はそうじゃなかったんだ。100のご飯を得るためには何人もの人手が必要だった。だから、分け合うのは普通だったはずだ」
「今は違うでしょ?」
「そうだね。今は違う。一人でも100のご飯を得られる。だから分け合う必然性もないわけだ」
「そうでしょ、そうでしょ」
ミータンは肯定されて少し嬉しそうに言った。
「やっぱり自分のためだけに生きていくのが一番なんだよね」
「いや、そんなに単純じゃないよ」
「どうしてさ?」
「ちょっと変なことを言うけどね」
ハイデガーは前置きをしてから続ける。
「僕たちはいつか化石になるんだ」
「化石?恐竜とかのあれ?」
「そうだけど、そのままの意味じゃないよ。僕たちの生きた痕跡。僕たちが生きたことによってできた何かが、遠い未来に繋がっていくんだ」
「化石か」
「化石を見て、現在の人が過去に思いを馳せるでしょ?同じことがこの先も起こる。遠い未来の人達が僕たちの時代に思いを馳せる時が来る。時間は繋がってるからね」
「そうかもしれないね」
「今も昔も生きていた人がいた。彼らが生きた痕跡はどれも僕達にとって過去を想像させてくれる素敵なものだ」
ミータンはゆっくりと頷いた。
「僕達が得たものも、僕達が失ったものも等しく化石になるんだ。そして、それはいずれこの地球のどこかで見つかる。君が昨日食べそこねた焼き魚も、地球のどこかで見つかるよ。もちろんそのままの形じゃないかもしれないけど。みんなそうだ。僕達の全てがいずれは化石になる。だからね」
ハイデガーは街の雑踏を見つめていった。
「だから得ることや失うことにこだわっても意味は無いと思うんだ」
ミータンは何も答えない。ハイデガーはそのまま続ける。
「化石にならないもの。僕達は形のないものをやり取りできる。それが今を生きる僕達だけにできることだ。化石にならないもの。昔の人もそうだ。獲物を捕まえて仲間と火を囲んで一緒に食べただろう。その焚き火の痕跡を僕達は見つけることができる。でもその時に掛け合った言葉を僕達は見つけられない。その時の彼らの表情を僕達は見つけられない」
「うん、そうだね」
「今を生きることの意味はたぶんそこにしかないと思う。僕達は過去を生きられない。未来を生きられない。僕達は今しか生きられない。逆に言えば僕達だけが今を生きることができる。僕達だけが化石にならないものを見つけることができる。そしてそれは独りでは見つけられないものだ。残念ながらね」
ハイデガーはぼんやりと空を見上げて言った。
「自分のためだけに生きていくというのは、何かを得るという点ではとても効率がいいと思う。でもそれは生きるのに効率が良いということだ。生きている状態を続けるために効率的なことだ。でも僕達はただ生きているわけじゃない。僕達は今を生きている。今を生きている僕たちにしか見つけられないものがある。それは立ち所に消えていくもので、とても儚いものだ」
ミータンは黙って聞いている。
ハイデガーはミータンの方を向いて言う。
「せっかく今を生きているんだから、生きることだけに囚われないほうがいいと思う。今、生きている瞬間を、立ち所に消えていくものを見るほうがいいと思う。そして、それを見つけるためには、独りでいることは非効率的だよ」
ようやくハイデガーは一呼吸をおいた。ミータンは何かを考えながら言った。
「そうかもしれないね。生き続けるために残り続けるものを得たくなるけど、そればかりを求めるのは良くないのかもしれない。僕たちは化石じゃないし、記録でもない。今の時代に生まれて、今の時代に生きてる命だもんね」
「そうだね。だから部屋の外へ出て、命と寄り添って生きるんだ。命と寄り添うために生きるんだ。無理しなくていいから。少しずつでいいから。化石にならないものを探してゆっくり歩いて行くのがいいと思う」

三毛猫のミータンと黒猫のハイデガーは八百屋のおばさんから野菜をもらって一緒に食べた。

終わり
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